第8章 禍根Ⅹ ~ 交差する思惑
硬質な靴音が石畳を叩いた。
陽光を背に現れたのは、黒鋼の鎧に赤の花の紋章を刻む帝国近衛兵。
兜の奥から覗く瞳は、感情を欠いた刃そのものだった。
「ここに居る者は全員、帝国等級市民認識印を掲示しろ。特別警戒中につき、帝国兵であっても例外はない」
反対側からも魔導機兵を伴った部隊が迫り、逃げ道は完全に閉じられた。
~本文より
ルミナリスとルルリアは早々にオルクスと合流すべく南の森へ向かったが、帝国の動きは迅速で南の森へと抜ける道は、もはや一本も残されていなかった。
街道も小径も、人の踏み跡すら残る草地も、すべて黒鋼の鎧に身を固めたイザベラ麾下の精鋭兵と、重厚な魔導機兵の群れに封鎖されている。
港は帝国海軍の軍艦で埋め尽くされ、水中用の魔導機兵が波間に潜んでいた。小舟一つ、海に出すことも叶わない。
ルミナリスとルルリアは町へ戻り、路地の影に身を沈めるしかなかった。
頭上を、羽音を撒き散らしながら監視用の魔導機蟲が幾重にも飛び交う。金属の翅が硬質にぶつかるたび、人々は怯えた声を漏らし、子供を抱いて家へと駆け込んでいく。
「……赤の宰相、イザベラ・カリス。見事な手腕ですね」
ルミナリスは低く呟いた。
「逃げ道は完全に潰されています」
イザベラの直属兵は、ただの兵士ではなかった。
赤い花の紋章を掲げ、視線の交錯や報告の一言に至るまで正確無比。人の隙や情を突く余地など、髪一本ほどもない。
つい先ほどまで混乱していた方面軍も、いまや彼女の指揮下に組み込まれ、蜘蛛の巣のように網が張られていた。
「……往来の完全封鎖。残党狩りにしちゃ、やりすぎだよね」
ルルリアは顔をしかめ、袖口から薬瓶を覗かせる指を震わせた。
「やっぱり狙いは……リシュタの子たちと、その遺産か」
ルミナリスの瞳が一瞬だけ揺らぐ。
「はい。……そして、我々も長くは隠れていられません。このままでは狩り場の獲物と同じです」
ルルリアは唇を噛み、苦く呟いた。
「……なら、あの隠れ家も時間の問題。あたしたちだけじゃ、戦力が足りない。じゃあ……見捨てて逃げるしか——」
「いいえ」
ルミナリスの声が、はっきりと遮った。
その表情は淡々としているようで、しかし確かな意思が滲んでいる。
「救出作戦の展開を進言します。理由は三つ」
杖を握る手に力が入る。
「一つ。あの家の対魔導機兵技術は帝国に渡してはならない。二つ。子供たちを放置すれば、あなたの心に消えぬ傷を残す。三つ。救出はオルクス様への陽動を補強する攪乱にもなる。……そして」
一拍の沈黙。
「私も……助けたいのです。助かる命を、見捨てることはできません」
ルルリアは目を見開き、口を閉ざした。
その刹那——。
硬質な靴音が石畳を叩いた。
陽光を背に現れたのは、黒鋼の鎧に赤の花の紋章を刻む帝国近衛兵。
兜の奥から覗く瞳は、感情を欠いた刃そのものだった。
「ここに居る者は全員、帝国等級市民認識印を掲示しろ。特別警戒中につき、帝国兵であっても例外はない」
反対側からも魔導機兵を伴った部隊が迫り、逃げ道は完全に閉じられた。
ルルリアは小瓶を握り、ルミナリスは杖に魔力を流し込む。
静寂は爆ぜる寸前の火薬のように膨らんでいった。
その時、——ドスドス、と乱暴な足音が、酒と汗の混じった匂いと伴って、あわせて野太い笑い声が港の奥から響いた。
「なんだぁ帝国っ! 偉そうによっ! ここは俺らの町だぁ!」
筋骨隆々の海の男たちが石畳を踏み鳴らし、強い酒の匂いを纏って乱入してきた。
肩口から覗く古い刺青に日に焼けた太い腕を酒瓶片手に振り回している。
荒くれ男たちの喚き声は芝居がかって大げさで、しかし瞳には冷徹な計算の光が宿っていた。皆、ただの酔っ払いではなさそうだ。
「海の男を、漁師街の男衆を舐めるなよ! ここいらは代々、俺らが血流して守った港だ! 帝国だろうが王国だろうが、誰にも文句は言わせねぇ!」
「おおっ! 俺らの背中にゃ海神さまの加護があるんだ! 歯車ごときが口出しすんなっ! うまい魚が喰えなくなるぞぉ」
イザベラ直属部隊の武官が怒りもあらわに静かに告げた。
「これ以上邪魔をすれば、貴様らを排除対象とするぞ」
「誰がなにをするってぇ? ひょろひょろの坊ちゃんに何ができるってんだ?」
罵声と笑い声が渦巻き、野次馬までも巻き込んでざわめきが広がる。
近衛兵たちの視線が乱れたその隙に、海の男の一人がさりげなく手を振った。
「こっちだ……裏にまわれ」
ルルリアは低く呟く。
「……アタシらを逃がす気、だね。古典的だけど効果的だ」
ルミナリスは短く頷き、影の中へと身を沈めた。
海の男数人は、人気の絶えた倉庫街へと二人を導いた。腐食した木箱や網が無造作に積まれ、潮と鉄の匂いが入り交じるその場所は、昼なお薄暗く人目を忍ぶには格好の隠れ家だった。
やがて、朽ちた倉庫の裏口に辿りつく。扉を軽く叩くと、内側から低い声が響いた。
「……今夜の漁はどんなだ? 潮はどちらに流れている?」
「月に引かれて宵の間にいけそうだ、潮は波間に沈んでいる」
海の男は迷わず合言葉を返す。すると軋む音と共に扉が開かれた。
中はむっとした濃厚な魚の匂いと凝縮された潮の香りが漂い、むせ返しそうになるほど濃く、粗末な網が幾重にもかかり、浮きや魚をおさめる木箱などが大ざっぱに積み上げられた現役の漁師倉庫だ。
中は存外に広く、奥まった扉を幾つかくぐり進んで、地下へと降りていく階段へ進んだ。
次回、敵か味方か? 海の男たちがその正体を明らかにします。
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