第8章 禍根Ⅴ ~ 静かなる悪魔の毒
燃え上がる殺気は鋼鉄の鉤のような視線となり、ヴァリエラの背に突き刺さった。
それを、感知したかのように──否、それ以上の“なにか”で捉えたかのように、ヴァリエラはふいにゆっくりと首を傾けた。
「まあ。そんなに睨まれては……わたくし、怖くて夜も眠れませんわね」
その声音は、絹を撫でるように柔らかく、上品でさえあった。
だが、そこには、“人間としての何か”が決定的に欠けている。
~本文より
「ルミナリスはまだ見つからないのっ!」
激高したイザベラの鋭く刺すような声が、情報参謀作戦室に響き渡った。
「使える情報網はすべて展開したの? 他のセンチネル機関にも情報を共有して捜索すれば、何とでもなるでしょう? 軍務捜索隊は? 機甲部隊は?」
「イザベラ様……重鎧軍務捜索隊は今、別任務中で、五部隊すべて展開中ですわ。他の機関も治安対策に追われていて、使い捨て部隊くらいしか、まともな手駒はございませんの」
金髪の貴婦人――ヴァリエラと名乗るその女が、軍人らしからぬ物腰でおっとりと返した。
赤と黒のレースを基調にした、妖艶で豪奢なドレス。その意匠は、品というよりは、むしろ欲望を直接刺激するような装いで、今のイザベラが最もいら立つ格好であるのに、この女にだけは珍しく声を荒げることもなく、側に置き、重用していた。
王都攻略戦ののち、イザベラは魔導機兵将官機のコグナルマグナを遠ざけて、代わりにこのヴァリエラとの協議を重ねることが多くなっていた。
なんでも、皇帝直属の統治監察庁・上級宰導官アラン卿の肝いりだという。
アラン卿という男は、皇帝陛下の威を借りて、敵味方に関係なく謀略をおこなうという噂の厄介な相手だ。
しかし、実際に内外共に手腕を発揮し手柄は多く、皇帝に次ぐ帝国の中心、帝国十二星将であっても無視できないほどの、影響力を持っている。
そのアラン卿の肝いりだというのだから、只者であるはずがない。
——メギツネが。
貴様が来てから、イザベラ様の様子がおかしい。
皇帝陛下の御威光を笠に着る虫の使い風情が……何を吹き込んでいる。
殺気に似た怒りを露わにしないよう噛み殺しながら、ヴァリエラを鋭く睨み据える一人の男がいた。
屈強な体軀、傷だらけの左頬と太い首、くすんだ銀髪を後ろで無造作に括った五十代半ばの武官、グラン・ドレヴォル。たたき上げの元下級兵士にして、イザベラの腹心中の腹心である。
イザベラの様子がおかしいとの報告を受け、北方の魔人族の反乱鎮圧を部下に任せて、急遽戻ってきたのだった。
グランはイザベラと随分と長く苦楽をともにした盟友であり戦友であった。
今でも、かつて出逢ったころの少女イザベラの声が脳裏に鮮明に蘇る。
『おじさん……あたしが偉くなったら、まじめな人がお腹一杯食べられるようにするから……私を守ってくれない?』
それが、すべての始まりだった。
帝国の英才選抜『エダニム』の受験を控えていた十歳のイザベラは、自身と同じく貧民街出身の警備兵グランに目をつけ、直談判してきた。
『どうして、俺なんだ?』
『おじさん、ここの出身でしょ? いろんな人と笑顔で話しているし、この間は食べ物を盗んだお母さんを見逃していたし……腕も立って、優しそうだったから。いろいろ調べたの。おじさんが味方にいてくれたら嬉しいって、ダメ?』
英才選抜『エダニム』は、帝国の等級民制度において唯一、第四等級民の人間種が第三等級民以上へと昇格する道を開く制度である。中でも最上位の合格者は、第一等級どころか特等級の『天の衣 シュマルハモト』として帝国中枢を担う存在となり、若き世代は、時に皇嗣候補として遇される。
その恩恵は受験者個人のみならず、彼らの家族は勿論、町や出身地にも及ぶのだ。
だからこそ、選抜試験の“受験資格”すらも命を懸けて争われる。競合者の不慮の死や失踪は日常茶飯事であり、司法機関フェラム・センチネルすらその内容を黙認、受験資格を得た子供達は、生き延びるための“戦力”を必要とした。
自慢の腕っぷしと、不思議と生き残る勘の良さを持つこの男グランに、イザベラは信頼を預けたのだった。
——運命だったのだ、と今でも思う。
シュマルハモトとして選抜されたイザベラの傍に控えて、共に幾つもの死地を越え、陰になり日向になり、イザベラのその輝きの才を愛でて守り抜いてきた。
だが今──
目の前で叫び、命じる彼女の姿に、グランは言いようのない痛みを感じていた。
(ミゼア……私の光よ。どうか、己を取り戻してくれ)
アラン卿という胡乱な男。そしてその手先として現れた女。
何の証拠も無い。だが、心が告げていた。
この女はいけないものだ。
こういう時のカンは、決して外れたことがない。
グランの眼差しは、獲物を睨む猛禽のように冷たく鋭く、ヴァリエラを射抜いていた。
(……ミゼアの心を蝕む虫め……)
燃え上がる殺気は鋼鉄の鉤のような視線となり、ヴァリエラの背に突き刺さった。
それを、感知したかのように──否、それ以上の“なにか”で捉えたかのように、ヴァリエラはふいにゆっくりと首を傾けた。
「まあ。そんなに睨まれては……わたくし、怖くて夜も眠れませんわね」
その声音は、絹を撫でるように柔らかく、上品でさえあった。
だが、そこには、“人間としての何か”が決定的に欠けている。
張り付いた美貌の微笑。怒気や殺気を嗜むような、倒錯の笑み。
緋色の唇が絹のように滑らかに歪み、その目が、まるで張り付けられた深淵のように、こちらを見ていた。
「イザベラ様の“御威光”を、こんなにも間近で仰げるなんて……ふふ、グラン卿。あなたは、随分と長く、特等席を占めていらしたのですね?」
その声に含まれた“何か”に、グランは本能で反応した。冷気が背骨を這い、空気が澱み、時間すら凍りついた錯覚が走る。
まるで、死者の吐息がこの女の背後から吹き付けたようだった。
(化け物……!)
反射的に剣の柄へと手がかけられた。鍛え抜かれた体と勘が危険な敵だと—— 告げている。
「そんなに警戒しなくてもよろしくってよ。わたくし、ただのお飾りですわ。アラン卿のご意向で、イザベラ様のお側に侍らせていただいているだけの、名ばかりの管理官でございますもの」
そう言って、ふわりとスカートを翻し、イザベラのそばへ寄る。
「イザベラ様。あちらのお部屋でグラン卿と私の三人でお話しませんこと?」
優雅で優美な振る舞いに穏やかな声の抑揚で、ヴァリエラはイザベラとグランを別室へと促した。
何も知らない者がその場を目撃したら、満足のため息をついているだろう。
しかし、グランには全く異質なモノに見えていた。
その動きにはわずかな隙も無く、人間的な気配が感じられず、微笑んでいるのに心がどこにも宿っていない。
次回、グランはイザベラを守ろうとして……行動に出ます。
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