第8章 禍根Ⅳ ~ 王国の技師 フェル=リシュタ家
「名前、まだだったね……ぼく、エル・フェル=リシュタ。姉ちゃんはノエル、兄ちゃんはライルっていうの」
ルミナリスはその名を耳にした瞬間、思考領域に警告が灯った。魔導機兵に登録されていたその氏名は“重要逮捕対象”。即座に警戒を一段階引き上げ、黄色の領域へ移行した。その名前に関係する者、行動を共にしている者も含め全て見つけ次第逮捕するよう、魔導機兵に指示がでていたからだ。
~本文より
男の子に案内され、路地裏を幾度も抜けた先。錆びた扉を軋ませてくぐった廃屋の地下室。粗末なランプの灯りがひとつ、か細く揺れ、石の床には毛布とわずかな道具、薬草、そして工具の散らばる作業台。息を潜めるように暮らす、小さな逃亡者の隠れ家だった。
「……ここだよ。お姉ちゃんと、お兄ちゃんがいる場所。この奥にお部屋があるよ」
ずっと不安げな表情をしていた男の子はようやく安堵したような顔を見せた。薄汚れた頬に残る涙の跡を、腕でぐいと拭う。
「名前、まだだったね……ぼく、エル・フェル=リシュタ。姉ちゃんはノエル、兄ちゃんはライルっていうの」
ルミナリスはその名を耳にした瞬間、思考領域に警告が灯った。魔導機兵に登録されていたその氏名は“重要逮捕対象”。即座に警戒を一段階引き上げ、黄色の領域へ移行した。その名前に関係する者、行動を共にしている者も含め全て見つけ次第逮捕するよう、魔導機兵に指示がでていたからだ。
「フェル=リシュタ、魔導機兵へ干渉可能な “魔導回路封環式”を考案実現した王国の魔導研究家……現状のエルさんの状況と併せると、間違いないと断定します」
ルルリアは思わず目を細めた。
「……あの“魔導機兵封じ”の数々を開発した天才の家? って、あんた凄いところのお坊ちゃまじゃない」
ルミナリスもまた、わずかにルルリアの言葉にうなずきながら、静かに伝えた。
「……帝国がこの港を徹底して封鎖していた理由の一端が見えましたね」
子供には聞こえないように、ルルリアに耳打ちし、ルルリアも頷き当たりの気配をむさぼるように伺いながら、進んでいた。
帝国にとって重大な確保対象だ。
慌てるルルリアをよそにエルはすっかりと落ち着きを取り戻していた。ルルリアの気遣いとルミナリスの治療の成果もあるだろうが、二人が怖い人ではないという事を納得したのもある。
エルは慣れた感じでひょいひょいと崩れた壁や壊れた家具などの瓦礫をよけてくぐり、ルミナリスとルルリアは躰の大きさの違いから、もたつきながらも、なんとかかんとか着いていった。
エルは、上半身が破壊され顔も腕もない神像の前で立ち止まる。
「ホントは教えちゃいけないって言われているけど、お願い、お兄ちゃんを助けて」
そう言うと神像の足元にある石板に紋章の入ったペンダントをかざす。すると、石畳の一部がわずかに浮き、更に地下へと続く階段が露わとなった。
「幻惑魔法と仕掛け通路の融合ですね。凄い技術です……」
「流石はフェル=リシュタ家ね。隠れ家も普通じゃない……」
階段を下りて更に地下に足を踏み入れると、そこは雑然としながらも、かつての研究所の名残を留めていた。壁には古びた魔法陣の痕跡、散らばる魔晶石の破片、少しばかりの台所。鍋や食器、わずかな温もりを支え合っている生活の痕跡がある。
その奥で、毛布をかぶせた寝台に、若い男が横たわっている。
ライル・フェル=リシュタ──少年の面持ちを残した顔立ちの中に厳しさを帯びた目元、だがその表情は苦悶と憔悴に覆われている。腕と脇腹には包帯が巻かれ、時折、微かな呻き声が漏れる。
傍らで、兄の手をぎゅっと握りしめていた小さな少女が振り返った。乱れた亜麻色の髪、青みを帯びた灰色の瞳。歳は八つほどか。
「だ……誰?」
「大丈夫。この人たちは、助けてくれる。お姉ちゃん、僕、ちゃんと王国の大人の人連れてきたから」
エルは姉に駆け寄り、姉は弟をぎゅっと抱きしめた。少女ノエルは戸惑いながらも兄の寝台を振り返り、小さく震えながら呟く。
「……お兄ちゃん、きのうから、あんまり動かないの。息も、熱も、変で……!」
ノエルの叫びに応えるかのように、ルミナリスは静かにカイルに近づき、魔導探査の術式を展開した。青白いエーテル光が、彼の体内を細やかに浮かび上がらせる。
「……傷口から炎症を起こしていますが、一番の問題は魔導弾丸の破片が体内に在って、魔力阻害を起こしながら、肋間から血管を伝って心臓の付近にまで達していることです。私の魔法では治せませんし、これ以上の遅れは致命的です。魔法と外科的手術で取り除くしかありません。今すぐにです」
「今すぐって、手術……ここで?」
ルルリアが声を潜めて問うと、ルミナリスは短く頷いた。
「はい。ただし……道具と薬品が不可欠です。薬は手持ちで何とかなりますが、手術道具が……静止式血環固定盤と、高精度の共振針が必要になります。それらが無いと手の打ちようがありません。魔導弾丸は御存じだとは思いますが、生物の魔力を阻害しながら、それらを操る脳や魔力溜まりの心臓を破壊します。一刻の猶予もありません。私は今から延命の術式を展開します。調達をお願いできますか?」
ルルリアは頷いて、囁くように返した。
「ゴルデンオストの車はまだいるはず。直ぐに当たってみる」
「いや、それは止めておいた方がいい」
ルルリアはいきなり声を掛けられて驚くと同時に、振り向き相手を気絶させる術式を刻んだ薬の小瓶を投げつけた。間髪入れない反応であったが、声の主は投げつけた小瓶を難なく受け止めていた。
危険な相手だ。
小動物すら感知するルミナリスの探査魔法を潜り抜け、誰にもここまで気配を感じさせない相手。本気で投げた魔法の小瓶をあっさり受け止めた身体能力。腕の立つ探索者か暗殺家業の、ろくでもない奴らの一人だろう。
ルルリアは、咄嗟にエルとノエルを庇い立て前に立つと、相手に殺気を叩き込んで襲い掛かろうとした。
「待て待て、敵じゃない。エル、ノエル、誤解を解いてくれ」
被っていたフードを外し、顔を露わにしたのは人間種の青年だった。
褐色の肌に切れ長の灰色の瞳。顔立ちは端正ではあるが、鋭くそして寂しげな気配を纏っていた。精悍な短く刈った黒髪、傷だらけの腕、そして第四等民を示す刻印が左の手首に刻まれている。
「この人は大丈夫。昔からのお父さんの知合いです」
ノエルの顔が少しばかり明るく輝く。
「ヴァルド兄ちゃん、ライル兄ちゃんが大変なんだ」
「そうか……マリウスさんのことは任せておけと言ったのに、無茶をしたのだな……馬鹿者め」
ヴァルドと言われた青年は、両手をあげながら、他意は無いとルルリアとルミナリスに示しつつ、横たわるライルに近づいた。
「なあ、魔法使いさん。さっきの奴があれば、コイツの生命は助かるのだな?」
思いのこもった静かな声だった。
ルミナリスは声紋を分析し、心理的に嘘はないだろうと断定した。
「はい。ですが、時間が経過すればするほど危険は増大します。私の魔法では心臓に迫る異物を取り除くことができません」
青年は無言で立ち上がった。
「帝国も必死にこの子たちを探している。ゴルデンオストにも手は回っているのは間違いない。リシュタ家は金になるから売られるぞ。止めておけ。この先の帝国の〈第七兵舎〉に医局がある。大したものはないので、夜間監視が薄くなる時間があるから、其処から頂いて出来るだけ早く戻る。燈明の芯が燃え尽きるより早くに戻れるだろう」
「……あなたは?」
「……俺はヴァルド。ただの第四等民だ。覚えなくていい。後これを返しておく」
その声には、どこか諦めたような温かさがあった。そう告げると魔法の小瓶を近くのテーブルに置き闇へと走り消えた。
あどけなさがまだ残る重傷者一人と、まだまだ幼い姉弟が生き永らえて、帝国に捕まっていなかったのは、あのヴァルドという青年の御蔭だろう。
時間は限られている。ルミナリスはヴァルドに拭いようのない強い違和感を覚えながらも、即座に延命治療となる魔導術式を展開した。
ルルリアはノエルとエル姉弟を落ち着かせるための場所を探し、食べ物を与えて落ち着かせると、ルミナリスとの確認の後、鞄からいくつかの薬の小瓶を手にして、蓋を開け匂いを嗅ぎ、薬品の効能を確認分析、魔法で調合を開始した。
——命の火は、まだ消えていない。だがそれは、奇跡ではなく、生きようとする意志と技術と、助けたいと思う願いに支えられた灯火だ。
次回 港町のルミナリスに迫ろうとするイザベラを描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ほんの少しでも面白く読んで頂けたら、幸いです。




