第8章 禍根Ⅲ ~ 小さな逃亡者
男の子は驚いた表情を浮かべて、必死な顔で首を横に振った。
「違うよっ、違う。誰もいない、ぼくだけだよっ」
「大丈夫です。私たちは酷いことはしません。貴方を助けたいだけです。それにほら……私も秘密を打ち明けましょう」
ルミナリスは一部、髪の染料を魔法で解いた。
エーテルのほのかな光が、青く輝き銀色の髪を美しく際立だせる。
「お、お姉ちゃん、王国の魔法使いの人? アルゲなんとかだよね?」
~本文より
港町ベリスティア。まっとうな人々が近寄らないその路地裏に、潮の香と魚の腐臭が入り混じり、霧がゆっくりと辺りを覆っていた。
朽ちた倉庫の隅で、濡れた服を震わせながら、人間種の男の子が息を殺して蹲っていた。
身形はあまりよくなく、栄養価も足りていないようでやせ細っており、右手からは血を流し怪我までしている。
魔導機兵であるルミナリスは勿論だが、夜目の利くルルリアも当然の如く気付いており、怯えて焦った状態のただならない様子に、通りすがりではあったが声をかけようと足を向けた。
と、其処へ、
「いたぞっ、ガキを見つけた!」
「逃がすなよ」
あわただしい音をまき散らしながら、帝国の青猪の獣人兵士達が手に手に戦斧や槍を構えてやってきた。その数三人。
残忍な笑みを浮かべながら、逃げられないように男の子の周りをしっかりと固めている。
ルミナリスは、獣人兵士たちの布陣を見て、粗暴で粗野だけではない、しっかりとした軍事訓練を受けている熟練の兵士であることを認識していた。
子供相手ではあるが隙は無く、違う角度からそれぞれ一斉に襲えるような集団戦闘の動きをしている。
青猪の獣人は頑健な躰と強力な力をその四肢に秘め、俊敏に三日三晩休まずに動けるただでさえ厄介な相手なのだ。あれでは、熟練の兵士でも切り抜けるのは難しいだろう。
人間種の子供をいたぶることに興奮と歓びを感じているようだ。
ルルリアは帝国の獣人兵士をみて介入することに躊躇った。
今や神聖王国連合に与する者として、帝国相手に危ない橋を渡ることは出来ない。
あの子には申し訳ないが、そのまま見捨てようと意を決めたところに、
「お待ちください」
ルミナリスが鋭く声をあげた。
助けるのは当たり前だ、とその姿に言われたような気がして、ルルリアは苦笑を浮かべた。
(そうよね。王城の時から自分がやばくても関係ないんだよね。そういう娘だった)
獣人たちの武骨な手が届く寸前、男の子と獣人兵士たちの間に迷いなく入っていくルミナリスを追いかけ、ルルリアも間に入った。
「何だ。お前たちはっ。このガキの仲間かっ」
ものすごい剣幕で声をあげる青猪の獣人兵に、表情一つ変えることなく、ルミナリスは淡々と答えた。
「いいえ、違います。仲間ではありません。でも、このような小さい子供に何故武器を振るうのですか? 凶器の類は持っていないようですし、魔法も使えないようですが?」
余りにも淡々と告げるので、獣人兵達も少しばかり鼻白み、眼をぱちくりしている。
ここを逃がす手はない。
ルルリアが手早く懐から金貨の袋を取り出し、低く囁く。
「物見遊山のゴルデンオスト商会よ。ほらあたしたちの滞在許可証……」
そう言って、ゴルデンオストの身分証も見せつけ、併せて金貨を五枚握らせた。
そもそもゴルデンオスト商会の身分証の威力は大陸全土でとても高い。その上での金貨だ。
「……見逃してあげてよ。こんな子供じゃない。手柄にもならないわ。忘れてあげて」
兵士はその金貨を確かめ、鼻を鳴らして握りしめたが、まだまだ搾り取れると思い、
「こいつは反帝国の反乱分子とつながりがあるんだ。これっぽっちで見逃せるとは思うなよ」
そうさらに凄みを増して見せる。
ルルリアが相手を丸め込もうと口を開きかけた時、ルミナリスが、
「今、魔導機兵はいないのですね? 機兵は休憩を必要としていないので、わざと置いてきた、つまり今は公務ではない、と言いう事ですよね? 帝国法に従い、近くの魔導機兵にアリシノーズの保護を訴えますが、それでも良いですか?」
はっきりとそして淡々と告げた。
ルミナリスとルルリアの姿をじろりと睨みつけた後、獣人兵の三人は目配せをし、
「ちっ、しょうがねえ。今は見逃してやる」
というボスらしき獣人兵の声で、その場を後にした。
青猪の獣人兵たちが去ったのを見届け、ルミナリスはそっと膝を折り、蹲ったままの男の子に静かに声をかけた。
「大丈夫。もう誰も、あなたを傷つけません」
その声にびくりと反応し、ゆっくりと顔を上げる。淡い栗色の髪と青灰色の瞳、頬は汚れていたが、涙で濡れた目が、怯えの奥に微かに安堵の色を宿していた。
ルルリアは周囲を一瞥し、誰かが見ていないかを確認しながら、そっと毛布代わりの布を引き寄せて少年に掛けた。
「歩ける? ここに長くいないほうがいい」
少年はこくりとうなずいた。が、足元はふらついており、立ち上がるにも躊躇っている。
「……抱くよ」
ルルリアがそう言って子供を抱き上げようとしたところで、ルミナリスが自然な手つきで男の子のぼろぼろのカバンを手にした。
「その手では血が付きます。私が担ぎましょう」
ルルリアは一瞬だけ視線を合わせ、声も出さずに目で頷くと、すぐに路地裏の抜け道へと足を向けた。
二人は並んで歩いた。霧に包まれた細い道を、息を潜めながら。
ルルリアがぽつりと呟く。
「……やるじゃない。ああいう場面で、魔導機兵を切り出すなんて……度胸がすごい」
ルミナリスは黙っていたが、やがて小さく口を開く。
「……私はただ、できる限り“人間らしい”やり方をしたいだけです」
その言葉に、ルルリアは目を細めた。どこか、胸の奥に引っかかる感覚。どこかで——かつて、似たような言葉を、誰かが言っていたような。
「…… 帝国皇帝レヴィ・ハジェル……の言い回しだったっけ?」
ポソリとルルリアが呟いた名前に、ルミナリスは目の表情を少しばかり変えたが、顔は変わらず声も上げず、男の子の傷を魔法で癒しつつ静かに進んだ。
男の子は少しの沈黙のあと、かすれた声で恐る恐る呟いた。
「……なんで、助けてくれたの? ぼくなんかを……家も無くて……何もないよ。さっきも食べ物を盗もうとして、あいつらにやられたんだ……」
ルミナリスは、粗末なカバンの中にある果物を認識していた。身は熟す前のもので何とか食べられる程度のものを大事そうに密やかに隠し持っている。
「誰かの為ですよね……盗んだのは……少なくても自分の為じゃない。貴方が持っているものがその証拠です」
男の子は驚いた表情を浮かべて、必死な顔で首を横に振った。
「違うよっ、違う。誰もいない、ぼくだけだよっ」
「大丈夫です。私たちは酷いことはしません。貴方を助けたいだけです。それにほら……私も秘密を打ち明けましょう」
ルミナリスは一部、髪の染料を魔法で解いた。
エーテルのほのかな光が、青く輝き銀色の髪を美しく際立だせる。
「お、お姉ちゃん、王国の魔法使いの人? アルゲなんとかだよね?」
驚いた表情を浮かべる幼い顔に、ルルリアが真顔で真っ直ぐに覗き込んだ。
「あたしたちは帝国じゃない。でもこのことは内緒、誰にも言っちゃダメ。いい? でないとキミもキミが助けたい人も助けられないから。ね? わかった?」
「ぼくは、一人だって——」
ルルリアは男の子の頭を抱きしめた。強く、そして優しく。
「元はちゃんとしたとこの家の子だろ? 戦争で追い詰められたのはあたしもだよ。だからよくわかる。キミはよく頑張っている……今だけは特別、少しだけ……手助けしてやるさ。だから……安心して甘えなよ」
「だか……ら……ぼくは——」
「ああ、もういい、もういいんだ」
男の子は口に手を当てて、声を殺し震えながら泣き始めた。
「……だめだって……怖い人がおおいから……だめだって……お姉ちゃんが……でもでもお兄ちゃんが……お兄ちゃんが……怖い人に襲われて——」
声を殺しながら泣きじゃくる男の子の頭をなでながら、ルルリアは、ルミナリスにはこれ以上の深入りしないよう釘を刺そうとしたが、
「貴女だけで、助けようとすることは今後の行動に支障を招く恐れがあります。私はこの子を保護しますし、ルルリアさんも安全確保のために単独行動は控えてください。よろしいですね?」
先にルミナリスが口を開き、有無を言わさないその内容に、告げる言葉を失くしてしまった。
「……はあ、そうだよね。そう来るよね。だって、あんただもんね」
ルルリアは思いの外、優しい眼差しで男の子の頭をまた撫でた。
「キミ、あたしたちが出来ることはしてみるよ。話してくれる? お兄ちゃんのこと」
泣きながらも男の子の瞳に明るい光が点る。
次回、小さな男の子との出会いがルミナリスたちの運命を大きく動かします。
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