第7章 暁の楔(クネウス・アウローラエ)Ⅵ ~ 噂と真
「私が聞いていた話は、……心配事がある人は獣人種人間種関係なく、たしかにその占い師に会えているのですが、帝国軍、あるいは犯罪組織など……利用しようとした者達“迷わざる者”は誰一人、占い師に会えていないようです」
「……あんた、今なんて?」
ルルリアの目が一瞬だけ鋭くなる。
「さらに—— その占い師の“姿”が、語る者によって異なっているのです。あの方達は老婆と言っておりましたが、あそこの老紳士は金髪の少女、あそこの踊り子は美しい魚人種だと語っていました」
~本文より
港町ベリスティアに入って、ルミナリスとルルリアは、オルクスに王子を託し宿を後にした。
変装用の耳までしっかり隠す毛糸の帽子を、耳がかゆい頭がかゆいと文句を言うオルクスに、無理矢理かぶせ、孫の面倒を見るおじいちゃんに仕立てたのだが、お伽話の大英雄は意外に子煩悩のようで、それはそれでお気に入りらしい。
ルミナリスとルルリアに対し、抱っこしながら、生命の息吹がどうのこうのと高説が始まりそうだったので、さっさと出てきたというのが正しい。
目指すは南宿場通りの表から外れた石畳の小路の一角にある酒場〈夜明けのグロッグ〉だ。店構えもしっかりとして食べ物の種類も豊富で、沢山の船乗りや地元のものまで、王国びいきの多くが入り浸っているという。宿の主人のお勧めの場所だ。
昼間から開け放たれた扉の向こうでは、酔客たちの笑い声と喧騒が混じり合い、潮と酒と香辛料が入り混じった独特の匂いが満ちている。
「まずはこういう場所から、ってね。酒場は喋りたがりが多いから、何もしなくても噂が転がってくるよ」
ルルリアは慣れた調子で扉をくぐり、空いていた丸テーブルに滑るように腰を下ろす。ルミナリスも後に続くが、その黒く染められた髪と地味な装束は、普段とはまるで別人のようだ。
「それにしても……あまり清潔とは言えません」
「文句言わない。情報ってのは、こういう埃の中から金貨を拾い上げるもんなの。まあたまにだけどね」
ルルリアが店主のいかつい虎獣人に銀貨を滑らせ、酒とつまみを頼む間、ルミナリスは微かに視線を走らせる。
(数十名の人間種、獣人種、混血種が混在。会話断片:陸路封鎖、帝国の新税、魚の値上がり、南沿岸の異変、占い師……)
ルミナリスは誰にも気づかれず、情報を収集し始めた。通常の視覚とは異なる、熱と声紋、心拍と魔力の微動を読み取る補助視覚が世界を色分けしていく。
(発話解析……感情高揚反応、想起負荷、心拍数と視線変化……この者たちの言は、作話ではなく、実体験による記憶の再生と断定……)
カウンター奥、数人の漁師風の男たちが話す内容に、百眼を使用し、いくつも漂う声の波に同時に耳を合わせた。途端に必要な会話を拾い上げる。
「……あの女占い、また当てやがったってさ……」
「今度は“夜の海に現れる金眼の獣を見よ”だってさ。マジで昨日、岸近くにでっけぇ魚影が浮いていたらしい。聖獣様だったらしいぞ」
「この前の“黒い火が空に昇る”ってのも、港の倉庫が爆発した日とぴったりだったし……気味悪いくらいだ……でも、万が一って皆逃げ出したから、怪我人いねえって」
該当者の情動変化、語調、記憶誘起反応—— 本物と断定。
「……“占い師”は実在するようです。ただの噂ではありません。実体験に基づいた記憶の再生と判断できます」
声は穏やかだが、その眼は確信を帯びている。
「……いや、すごぉい」
ルルリアは目を細め、わずかに驚いたように息を漏らす。
「まだ、酒の一杯も飲み干してないってのに。……流石は魔法使い……ってより、やっぱあんたが特別なんだろうね。でもまあ、早いに越したことはない。どの人? 場所、聞いてくる」
ルミナリスが軽く目線を送る。その視線の先には、海の男たちが肩を並べて笑い合い酒を酌み交わしていた。
ルルリアは立ち上がり、自然な気配でその場に近づくと、柔らかな笑みを浮かべ、気さくに声をかけた。
「お兄さんたち、さっきの話、つい聞こえちゃったんだけど……占い師のこと、すっごく興味あってさ。ちょっと教えてくれない?」
男たちは一瞬驚いた顔をしたが、すぐににやけた表情に変わり、彼女の言葉に釣られて笑いがこぼれる。
「なんだ、しょうがねぇな。面白かったら、一杯おごれよ?」
「面白かったら、一杯と……おつまみもつけちゃおう」
「ほぅ、そいつは太っ腹だ。金回りがいいのか?」
「金なんてあったら、もっといいとこで飲んでるさ。なけなしだよ」
ざっくばらんな笑いと軽口が飛び交い、ルルリアはまるで旧知の友人であるかのように、男たちの輪に自然と溶け込んでいった。
離れた席からその様子を見ていたルミナリスは、ルルリアの見事な懐柔ぶりに、ほんのわずか微笑を浮かべた。
会話の誘導、相手の心情を読んだタイミングの取り方、声のトーンと表情の操り方。
“人心掌握”の技術見本として、記憶領域へそのやり取りの全てを収めながら、静かに呟いた。
「……特別なのは、ルルリアさんですね」
酒場の賑わいの中、ルルリアは笑い声に包まれながら、荒くれ男たちから話を引き出していた。
ルミナリスはそんな様子を静かに観察しながら、酒場に居る全員の耳に届いた情報の中から特定の会話を抜き取り、分析機能で検証を更に重ねていた。そこへ男たちの笑い声に混ざってルルリアが、軽やかにルミナリスの元へ戻ってきた。
「場所も時も聞き出した。場所は“海神の洞窟”で、“涙の満ちる夜”にだけ現れるんだって」
再び盃を口元へ運ぶふりをしながら、ルミナリスは低くルルリアに囁く。
「私が聞いていた話は、……心配事がある人は獣人種人間種関係なく、たしかにその占い師に会えているのですが、帝国軍、あるいは犯罪組織など……利用しようとした者達“迷わざる者”は誰一人、占い師に会えていないようです」
「……あんた、今なんて?」
ルルリアの目が一瞬だけ鋭くなる。
「さらに—— その占い師の“姿”が、語る者によって異なっているのです。あの方達は老婆と言っておりましたが、あそこの老紳士は金髪の少女、あそこの踊り子は美しい魚人種だと語っていました」
「まるで、相手に応じて姿を変える……?」
ルミナリスは頷いた。
「あるいは、見る側の“心の形”がそのまま投影される……そんな、魔法的存在の可能性もあります」
「ほんっと、あんたと一緒にいると背筋がゾクゾクするような話ばっかだね。——でも、面白い。確かに本物ってことか」
ルミナリスは静かに頷いた。
「涙の満ちる夜まではあと二日。それまで待ちましょう」
「そうね、そうしようか。それとそろそろ戻らないと……おじいちゃんが癇癪を起すよ」
夜も更け、宿の一室ではオルクスが窓際に座り、赤子を寝かしつけながら、街の外の空をぼんやりと眺めていた。
扉が開き、やや赤い顔のルルリアに問いかけた。
「……裏で商会と繋がってはおらぬよな? ルルリア……」
「またそれ?」
ルルリアは疲れたように肩をすくめ、微笑みながらルミナリスの肩を軽く叩いた。
「この子が“平気”って言ってくれてんですよ。それに、あたしが裏切ったりしたら、ヴァンセイルの呪いで、獣魔にもうとっくに変化してますって」
ルミナリスは小さく微笑み、言葉を添える。
「ルルリアは“敵”ではありません。少なくとも今のところは」
「もう信じてよ。おじいちゃん。今のところは、ね」
「“今のところ”は、か……まあ、信じておこう」
オルクスは小さくため息をついた。
「……やれやれ、年若い女ってやつは本当に、何を考えておるのか。じじいには読めんな」
次回、占い師を尋ねるルミナリスに、託されるものが判明します。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
色々まだまだですが、しっかりと書いていきますので、また読んでいただくと嬉しいです。




