第7章 暁の楔(クネウス・アウローラエ)Ⅴ ~ 旅路の先 港町ベリスティア
港の桟橋、大通り、町の門……目立つすべての場所には、帝国の紋章を刻んだ魔導機兵と、帝国に仕える獣人種の警備兵が睨みを利かせている。かつての自由さと活気は、今や管理された平穏の名の下に、人間種に向け整列された景色へと塗り替えられていた。
町から少し離れた丘の上に立つ三つの影がその様子を覗き込んでいた。
ルミナリスは掌に魔法陣を浮かべ、遠見の魔法で町の様子をオルクスとルルリアに投影して見せていた。
「まあ、当然じゃな。ここまで来るにも帝国の眼を逃れるのに、かなり手間取ったからのう。……予想よりも随分と厳しい。難儀じゃの」
~本文より
港町ベリスティア—— 王国随一の交易港として賑わい、あらゆる種族と文化が交わる自由都市であった。
帝国領となった今でもその賑わいは絶えることなく、更に発展し続けている。
物資も人も溢れ、戦の影を忘れさせるほどに活気が戻って、港には大小の船がひしめき合い、桟橋には魚や香料、色鮮やかな布を扱う店が立ち並ぶ。異国の言葉が潮風に混じって飛び交い、通りには旅人と商人が交差し、人々の顔には喜びと生活の熱が戻っているように見えた。
しかしその賑わいには、明らかに以前とは違う。
王国の紋様はもはや何処にもなく、代わって至る所に掲げられているのは——金の王冠と歯車の紋章、クレデンティウム帝国の旗印。かつてこの町に溢れていた獣人種や魔人種の姿は激減し、人間種アリシノーズばかりが目立つ。特に魔人種は、まるで存在自体が許されぬように、その姿を見かけることはほぼなくなっていた。
港の桟橋、大通り、町の門……目立つすべての場所には、帝国の紋章を刻んだ魔導機兵と、帝国に仕える獣人種の警備兵が睨みを利かせている。かつての自由さと活気は、今や管理された平穏の名の下に、人間種に向け整列された景色へと塗り替えられていた。
町から少し離れた丘の上に立つ三つの影がその様子を覗き込んでいた。
ルミナリスは掌に魔法陣を浮かべ、遠見の魔法で町の様子をオルクスとルルリアに投影して見せていた。
「まあ、当然じゃな。ここまで来るにも帝国の眼を逃れるのに、かなり手間取ったからのう。……予想よりも随分と厳しい。難儀じゃの」
オルクスが腕を組みながら唸る。
「はい。見た目を変える幻惑魔法は、魔導機兵には通用しませんし……魔導機兵への魔晶石による干渉も、獣人種の警備兵には無力です。町の警備としては、非常に良い配置と判じます」
ルミナリスは至極冷静に言葉を発した。
「獣人だけなら、袖の下を渡せば何とかなりそうだけど……あれじゃあ、どうしようもないね」
ルルリアが肩をすくめながらも、鋭い眼差しで投影された町を見つめていた。
どうやって、ベリスティアへと潜り込むか。
ルミナリスの思案は深まっていた。
ルミナリス一人であれば、獣人への幻惑魔法と、魔導機兵への将官命令で問題なく潜入できる。
しかし、自分が魔導機兵で、将官機であるという、絶対に知られてはならない事実は、オルクスにもルルリアにも明かせない。
勝手に行動することもできない。
風が丘を撫で、海の香りと鉄の匂いを混ぜて通り過ぎる。
ベリスティア——そこに、真実を知るアルゲントルム人の占い師がいる。だがその町は、三人にとって容易に踏み込める場所ではなかった。
とそこに、赤黒い塗装の大型魔導機車が六台、車列を造り蒸気をなびかせ停まっているのをルミナリスが見つけた。表には“ゴルデンオスト商会”の金の枝を加えた小鳥の紋章が煌めいている。
ゴルデンオスト商会—— 大陸をまたぎ、帝国や諸王国とも取引を行う、表の商業組織と裏の諜報網等非合法の組織の顔を併せ持つ巨大商会。その名の下では、日用品に魔導武具、南国の果実に大魔導禁書に至るまで、ありとあらゆるものを取り扱い、ルルリアの古巣でもある。
ルルリアもさすがに見落とさない。
「あれはゴルデンオストの車輪部隊ね。探す手間が省けた。よおし、オルクス様。今からあたしが商会の元密偵で良かったと感謝しますよ。見ていてください。ルミナちゃんもね。おチビちゃんは無理か」
と、笑顔を残し、大型魔導機車へと声を掛けながら走り寄る。ルルリアはその商会の隊商責任者—— 皺深い目元に油の染み込んだ外套を羽織った男と、短く言葉を交わしていた。
「……なるほど。物騒な連れがいるってわけだが、何か証拠は?」
問いかける男に対して、ルルリアは一歩前へ出て、さりげなく外套の袖口を捲ると、指先で二度、掌を叩き、親指を逆に返して小指に触れた。一瞬の仕草。それは商会密偵同士が使う——“沈黙を保ち、報告は後に”を意味する動作だった。
さらにルルリアは、軽く唇を歪めてこう囁いた。
「“カッシェの雨は静かに降る”……お分かりかしら?」
その言葉に、男の目が鋭く光った。
それはゴルデンオスト商会において、重い意味を持つ。
「……車輪の向こう側……“オパリム”か……」
男は僅かに息を呑むと、周囲を見回し、声を潜めた。
「わかった。言葉は要らん。お前さんが“誰の命令”で動いているのかも聞かんよ……その代わり、ちょっとした“儲かる未来”を教えてくれねえか?」
「未来? ああ……」
ルルリアは微笑み、手にした小型の銀色の板盤をひらひらと掲げる。
「帝国製造、ロクスの制御魔導板の中枢。差し込めば使えるものよ」
男は苦笑し、懐から金色の商会の紋様が入った商会用通行証を三枚指で弾くように渡してきた。
「さすがだな……。“流れ”を読める人間は、商会でもそうそういねえ。後ろの奴の荷台に乗れ。衣装もそこにある。お前たちは芸人一座で対応する。資金は荷台にある金貨袋一つ持っていけ」
通行証を懐に収めたルルリアは、何も言わずに一礼し、ルミナリスたちの許へと足を向けた。
オルクスは、遠巻きにエルフのよく見える眼で一部始終を見ていた。苦みを帯びた疑念が、喉元に重く溜まる。
「……売ってはおらぬだろうな」
囁きが、こだまする。
だがその声に、そっと応じたのは、隣で赤子を抱いていたルミナリスだった。
「違います。あの行動は“味方”を通すためのもの。嘘でも、裏切りでもありません。……彼女は“元”です。ゴルデンオストの元密偵。でも今は、王国の未来とオルクス様、そしてこの私を導くために、身を晒しているのです」
その確信に満ちた口調に、オルクスは沈黙する。
やがて、ルルリアが扉を開けて戻ってくる。
「ほい、通行証も手に入れた。さあ、行くよ」
「……余裕そうだな」
「当然。—— だって、あんた達の命預かってんだもの」
口元だけ笑うルルリアのその瞳の奥に、オルクスは言いようのない深さを見た。
石畳の街道に並ぶ商隊の車列。その最後尾に、ひときわ古びた魔導機車が連なっていた。車輪の軋みと共に、外れかけた鉄の格子がカラカラと音を立てる。中には一人の男が鎖で縛られ、道化のような赤と金の衣装を纏って座っていた。
その男—— オルクスは、檻の中で退屈そうにため息を吐いた。
「……にしても、随分と懐かしい手口を使ってくれるのう、ルルリア」
「ええ、だからこそね。あんたみたいなエルフの囚人を見世物にすれば、伝説の守護剣聖なんて誰も勘違いしないでしょ。下手な芸でも、一つや二つ打ってもらうからそのつもりで。荷物の中から楽器か何か見繕ってね」
車の中から顔を出したルルリアが、軽口でここぞとばかりオルクスに口撃する。いつぞやの意趣返しだろう。
その横では、黒く染め上げた髪を首元で纏め、地味な灰色のローブに身を包んだルミナリスが、赤子を胸に抱いて静かに佇んでいた。
やがて商隊が、ベリスティアの外門に差し掛かる。
高くそびえる石の壁。その前には魔導機兵が二体、まるで彫像のように無表情に立ち、門前には帝国旗を肩章に刻んだ獣人種の衛兵が三人。厳しい目を細めながら、商隊の列を一つひとつ確認している。
「はい、次。ゴルデンオスト商会か? 通行証を――……ん?」
車の最後尾に目を止めた衛兵が、わずかに眉を吊り上げた。檻の中のオルクスを見やり、不信の色を露わにする。
「囚人……? これは何だ。旅芸人か?」
「その通りですわ、隊長さん」
前へ進み出たルルリアが、涼しい顔で応じる。
「港町の広場で見世物にする予定の芸人でしてね。目を引くでしょ? このご時世ですから、娯楽くらい用意しないと。——ほら、あの顔を見てよ。エルフだから黙ってれば気高そうだけど、実は笑わせるのが得意なのよ」
にやりと笑い、肩をすくめて見せる。
「お連れのあんたらは?」
「私は書き手の演出家。ゴルデンオストで筆を売っているの。で、そっちは小道具係兼乳母。ほら、赤子も一緒に移動してんの。面倒でしょ?」
獣人の衛兵が眉をしかめ、警備機兵に促す。
「おい、此奴らを照合確認してくれ」
魔導機兵の赤い眼が、ゆるりと回転音を立てて、それぞれを見つめ、顔躰持ち物の全てに至るまで、魔力波を用いて、走査を開始した。
一瞬の静寂に緊張が走る。
オルクスは何時でも飛び出せるよう、隠している魔剣アシュラムの柄に手を添えた。
ルミナリスは、何も言わず。ただ一瞬、視線を合わせ、魔導機兵を見返し、魔導機兵の思考領域へ侵入した。
(……識別認識、再構築完了。無害対象認識指示。帝国一般四等市民、保護対象認識記録、警備中枢へ認識共有命令、実行中……完了)
魔導機兵の内部で処理された情報は、たちまち町に居る全ての魔導機兵に共有されていく。
「アリシノーズ第四等民とエルフ第五等民と確認。各自行動の自由を保障」
魔導機兵はそのまま、そう発して、ゆっくりと視線を逸らしていく。
「……ふん、まあいい。騒ぎを起こすなよ。それと港の中は厳戒体制だ。自分たちの船以外には近づくな」
獣人の衛兵が通行証に軽く目を通し、無造作にルルリアへ返す。
ルルリアは丁寧に頭を下げると、車へと戻りながら小声で囁いた。
「……さて、次は占い師探しね」
「芸人役はこのままか?」
檻の中からオルクスが鎖をじゃらじゃらさせながら皮肉気に呟く。
その音を聞いて、王子がうきゃあと声を上げ笑顔を浮かべた
「ええ、王子さまも気に入ったんですって、もうしばらくそのままでお願いね」
ベリスティア潜入は成功した。
だが安堵は一瞬に過ぎなかった。
港町を満たす喧騒の下では、帝国の影が脈動し続けている。赤子の笑い声に微笑んだのも束の間、三人は互いに視線を交わし、次の一歩を見据えていた。
この雑踏のどこかに、アルゲントルムの血を引く者がいる。
そして、そこには避けては通れぬ因縁が眠っている。
——それは導きか、それとも罠か。
港の鐘が高らかに鳴り響く中、三人の影は人波に溶けていった。
ベリスティアで待つのは、真実か、それともさらなる災いか。
次回、ルミナリスとルルリアは酒場で有力な情報を集めます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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