第6章 焔の刃Ⅱ ~ 騎士団の覚悟とルミナリス
ガイルは、妻のエリナの肩を抱き、幼い息子のレオンの手をつないだまま、二人をじっと見つめていた。エリナの瞳には涙が溢れていたが、決して声を上げることはなかった。自分が泣いてしまえば、夫の決意に水を差してしまうと心配してのことだ。レオンはまだ幼く、父親の決意の意味を完全には理解していない。それでも、幼いながらに何かが違うことを感じ取り、父の手を強く握りしめ、必死に声をかけている。
「ねえ、一緒にいくよね。父様も一緒に行くよね?」
ガイルは涙で曇りかける眼を必死にこらえ、その小さな手を優しく包み込み、柔らかい声で息子に語りかけた。
~本文より抜粋
「もう一度言う。間もなくここは戦場となる。食料も水も住まいも心配の要らない場所へと共に向かいたいものは、もういないのか?」
ランバートの声がシルヴァ・カストラに響いている。避難民を何れ戦場となるこの場所に留めおくのは憐れだ。ランバートは何か別の狙いも秘めて、非戦闘員をアルカヌム・カストルムへと受け入れることにし、移動を開始していた。
騎士団の家族に、銀狼族の勇将ロアンと一部の有能な王国兵達も、その中に含まれていた。
一度移動すればもう戻れないことは皆、わかっている。
中にはアルカヌム・カストルムに移動することを、頑なに拒み、数々の説得にも応じず、シルヴァ・カストラに残る者たちもいた。心底疲れ果てているのだろう。
あわただしい雰囲気の中、別れの時が静かに訪れていた。
夜明け前の冷たい空気が城塞の石壁を包み込み、かすかな霧が地表を漂っている。避難民たちは少しでも荷物を軽くしようと最小限の持ち物を手に、沈黙の中で移動の準備を進めていた。彼らの顔には疲労と恐怖の色が浮かびつつも、どこかで希望の光を求める必死さが感じられる。
シルヴァ・カストラに残る者たちは、立ち去る者達を恨めし気に或いは万感の思いを込めて、眺め送り出している。
ガイルは、妻のエリナの肩を抱き、幼い息子のレオンの手をつないだまま、二人をじっと見つめていた。エリナの瞳には涙が溢れていたが、決して声を上げることはなかった。自分が泣いてしまえば、夫の決意に水を差してしまうと心配してのことだ。レオンはまだ幼く、父親の決意の意味を完全には理解していない。それでも、幼いながらに何かが違うことを感じ取り、父の手を強く握りしめ、必死に声をかけている。
「ねえ、一緒にいくよね。父様も一緒に行くよね?」
ガイルは涙で曇りかける眼を必死にこらえ、その小さな手を優しく包み込み、柔らかい声で息子に語りかけた。
「レオン、お前は強い子だ。お母さんを頼む。しっかりと、元気で大きくなれよ。人の悪意には恐れず立ち向かえる強い子になれ。お前の中にはエストレインの血が流れている。騎士の勇気と誇りを忘れないでくれ。ほら、これを渡そう。父さんの大事なものだ」
ガイルは自分が父から受けついだ、騎士の証の指輪を外して、革ひもに通し、幼い息子の首にかけた。
「前から欲しがっていただろう。騎士の証だ……レオン、今からお前は立派な騎士だ。元気でな」
レオンは黙ったまま涙をこらえ、うなずいた。ガイルはその小さな頭を撫でると、エリナの方に目を向ける。彼女の瞳は何も言わずにすべてを語っていた。
「エレナ・・・・・・・・・・・・済まない。頼む」
ガイルはその瞳に一瞬だけ微笑みを浮かべ、強く彼女を抱きしめた。その強さと優しさに、エレナの肩がわずかに震えたが、彼女もまた涙を拭って静かに頷いた。
その様子を見守っていたロアンが、一歩前に出てガイルの肩に手を置いた。
「……辛いものだな。だが、俺も共に向かう。だから——」
ガイルは短く頷くと、ロアンの腕を軽く小突く。
「お前なら、エレナとレオンを守ってくれると信じている。ロアン、お前に託すのは家族だけじゃない。王国の未来そのものだ。……頼む」
ガイルのかすれる声に、ロアンの瞳が一瞬揺らいだが、すぐにそれを抑え、静かに答えた。
「必ず、この生命がある限り。そして、お前の戦いの意味を、伝え続けよう。偉大なる騎士ガイル・エストレイン」
二人の戦士は最後にしっかりと握手を交わし、互いの背中を叩き合った。その瞬間、彼らの間には言葉を超えた理解と覚悟が確かに存在していた。
ロアンはエレナとレオンの二人を促し、旅の扉へと向かう。
レオンは、不意に泣きながら父に走り寄ろうとし、エレナに抱きかかえられ、扉の向こうに泣き声と共に消えていった。
ガイルは、万感の思いを込めてその様子を見送っていた。声も上げず涙もこぼさず、優しさと希望の光をその瞳に刻みつけるように見送っていた。
その固く握りしめた拳だけが、小さく震え続けていた。
ルミナリスの百眼は、その時の全てを静かに記録していた。その場の全員の表情、言葉、そして沈黙さえも細部まで克明に捉えている。
記録しながら検証しているルミナリスの思考領域に、論理的思考では説明しきれない、乱れがずっと生じており、その内容を考察していた。
問い、人間という種族は、なぜここまでして他者のために犠牲を払うのだろう?
解、種族保存の欲求が、自身の生存本能を上回った為と結論。
補足、生命保存の放棄という事象に対し、感情を分析し加味……。
理論では理解できても、感情の部分を完全に理解することはできない。
目の前にいるガイル、エリナ、レオン、そしてロアンの姿は、単なる義務感や理性を超えた感情というものの何かがそこにある。
そして—— 自分がそのことに〝哀しい″と感じているとしか思えないと結論していることに驚いてもいた。
ランバートが静かに近づき、ガイルの肩を軽く叩く。
その顔は青白く、目の奥には深い苦悩が浮かび、ここにきて急に老け込んでいる。
「ガイル……こんなことを僕が言うのは筋違いだけど、無理はするなよ。君がいないと、この砦の士気も保てなくなるんだからな」
その言葉を口にした瞬間、ランバートの喉元に吐き気が込み上げた。彼の策略がガイルたちを破滅に追いやったことへの罪悪感が、まるで毒のように彼の内側を蝕んでいる。握った拳は白く震え、眼は血走り、青白い顔の唇の端は嚙み切れて血が滲んでいる。
しかし、それでも表面上の平静を保とうと必死だった。
ガイルはランバートの様子を察し、微笑みを返しながら答えた。
「お前こそ、ちゃんと生き延びろ。王国を再建するのはお前の知恵が必要だからな。俺たちはしっかりと役目を果たす。焔鳥の刃騎士団の名誉にかけて」
その言葉にランバートは更に唇を強く噛み締め、かろうじて頷いた。
その会話に、オルクスが低く笑いながら割って入る。
「お主らが命を賭けるのなら、儂もこの老骨を燃やしてやろう。爺じゃが、まだまだ役には立てるじゃろ? な」
その目にその姿に、長年戦い続けた者だけが持つ深い哀しみと覚悟が宿る、オルクスの冗談混じりの言葉に、場の緊張が少しだけ和らいだ。
オルクスが笑顔のまま言葉をつづける。
「ガイル、そして、焔鳥の刃たる騎士たちよ。お主たちのその武勇は誇るべきものだ。その名をきっと語り継ごう」
ガイルもまた、笑いながら応えた。
「伝説の大英雄、オルクス師が語り継いでくださるのなら、これ以上の栄誉はありません」
最後の戦いに向けての士気を鼓舞するガイルの声が、城塞に響き渡った。
「仲間たちよ! 我らはここで終わるために集ったのではない! 王国の未来を守るため、この場に立っているのだ。今日、この剣が折れようとも、我らの意志は折れない! 我らは焔鳥の刃、命尽きるその瞬間まで、燃え続けるのだ!」
その声に、兵士たちは剣を掲げ、力強く応えた。彼らの目には恐怖も絶望もなく、ただ誇りと覚悟が宿っていた。
ルミナリスはその光景を記録しながら、再び呟いた。
これが人間の「強さ」なのだろうか?
その瞬間、思考領域の中に一つの決意が芽生えた。それが何であるかはまだ曖昧だったが、少なくともこの戦いの結末を見届けたい。そう思う気持ちだった。
一歩、ガイルの下へ踏み出そうとしたルミナリスの前に、優しい眼をしたオルクスが立ちはだかり、ルミナリスを旅の扉へと促した。
「ルミナ嬢。共に参ろう。これ以上、見送る我らはここに残ってはいられぬ。この戦場はガイルのものじゃ。余人が口を挟んではならぬ。お主が助けたいと願っても、それは叶えられん。この先の為すべきことを考え、己の使命を、役割を考え、こらえてくれ—— 頼む」
オルクスが何故自分の行動を制限し、何故詫びをいれてくるのか?
ルミナリスの思考領域が、回答を求めて演算を開始したその時、
「オルクス師、ルミナリス様。他にも苦しむ者達が大勢います。勝手を申しますが、お力添えを願いたい— 彼らに希望を……生きる力を広めて下さい。皆、行くぞ」
騎士団と残った兵士たちが整列し、剣や槍を捧げる。
「我ら、焔鳥の刃騎士団、この刃と名誉と誇りをもって」
「我ら王国兵士の誇りにかけて」
「民の安寧と王国の未来のために……捧げー剣」
足を一つ大きく鳴らし、剣を掲げたままのガイルと焔鳥の刃騎士団、王国兵士の皆が、それぞれの思いを乗せた視線で、別れを告げていた。
オルクスは、魔剣アシュラムを構え、
「汝らの魂、その勲、わが生に刻まん」
と、剣士らしく、その生きざまを讃える別れを返していた。
その時、ルミナリスは「哀しい」という揺らぎを否応なく認めざるを得なかった。記録は冷静に進んでいるのに、思考領域の奥で痛みに似た感情が確かに芽生えているのを、止めることができなかった。
生命が失われないよう、何とかしたい—— ただそれだけの、とても強い思いであった。
次回、攻め入るベルセクオール部隊の前に焔鳥の刃が立ちはだかります。
読んでいただいて、とても嬉しいです。
読み進めてもらえるよう頑張ります。




