第5章 隠し砦 シルヴァ・カストラⅦ ~銀狼族の客将 ロアン・ヴァリク
「……無駄が多い」
その声が響いた瞬間、銀狼族の戦士の動きが揺れるようにぼやけ、そして次の瞬間、凄まじい衝撃音と共に、三人の戦士が全員地面に崩れ落ちていた。
黒角牛獣人は巨体を倒され、角が地面に深く突き刺さっている。人間種の兵士は膝をつき、肩を押さえて悔しそうに顔を歪めていた。黒豹の獣人は、呻きながら地面を転がっている。
銀狼族の戦士はその中心で、にこやかに笑みを浮かべながら立ち尽くしていた。彼の毛並みは乱れることなく、息も乱れていない。
~本文より
「紹介したい人物がいます。凄腕で頼りになる獣人種です」
ガイルに案内され、ルミナリス、オルクス、ランバートの三人は城塞の地表にある訓練所へ向かった。重い大きな扉をくぐると、広々とした訓練場が目に入る。
訓練広場を取り囲む、騎士団や兵士たちの視線は意外に熱気に満ち、戦場にも似た緊張感がその場を支配していた。
その中心に立つのは、銀色の光沢を持つ見事な毛並みと、冷たい鋼を思わせる青い瞳を持つ銀狼族の戦士だった。その背筋はまっすぐに伸び、見る者全てに圧倒的な威圧感を与え、当の本人は口元には微かな笑みを浮かべ、どこか余裕を漂わせている。
突然、高らかな声が響き渡った。
「どうしたっ、神聖王国連合の盟主たる国兵の力はこんなものか!」
その挑発的な言葉に、場の緊張がさらに高まる。
訓練場の中央では、巨躯の牛獣人の戦士、人間種の筋骨隆々の兵士、そして黒豹獣人の俊敏な戦士——それぞれが抜群の力と技を持つ、腕自慢の兵士たちが、銀狼族の戦士に対峙していた。
三対一の圧倒的優勢のはずが、取り囲んでいる方が緊張の色が隠せない。
銀狼族の戦士はその青い瞳で相手を観察しながら、不敵な笑みを浮かべる。
「かかってこい」
その声を合図に、黒角牛の獣人が地面を震わせながら突進し、鋭い角を振りかざして強烈なぶちかましを仕掛ける。その陰に隠れるようにして、人間種の兵士が素早く間合いを詰め、死角から鋭い蹴りを放ち、同時に、黒豹獣人が壁を蹴って空中から銀狼族の背後を狙う。
絶妙な連携攻撃だ。観衆の兵士たちからも思わず感嘆の声が漏れる。だが、銀狼族の戦士はその場から一歩も動かない。
「……無駄が多い」
その声が響いた瞬間、銀狼族の戦士の動きが揺れるようにぼやけ、そして次の瞬間、凄まじい衝撃音と共に、三人の戦士が全員地面に崩れ落ちていた。
黒角牛獣人は巨体を倒され、角が地面に深く突き刺さっている。人間種の兵士は膝をつき、肩を押さえて悔しそうに顔を歪めていた。黒豹の獣人は、呻きながら地面を転がっている。
銀狼族の戦士はその中心で、にこやかに笑みを浮かべながら立ち尽くしていた。彼の毛並みは乱れることなく、息も乱れていない。
「まあ、こんなところだろう。どうだ、参考になったか?」
その軽い調子にも関わらず、その場にいる全員は、彼の実力を目の当たりにし、沈黙していた。その沈黙を破ったのは、倒れた三人の戦士たちだった。
「まったく……勝てる気がしないな」
「だが、良い稽古になった。感謝する」
「今度、あの技を教えてくれ」
笑顔を見せる彼らに、銀狼族の戦士も朗らかに笑って手を差し伸べた。その笑顔には、戦いの最中に見せた冷徹さは微塵も感じられない。
その様子を眺めていたオルクスは、悪戯な光を眼に煌めかせながら、ルミナリスの耳元に小声で頼み込む。
「面白そうじゃ。ルミナ嬢、少しばかり手を貸してくれんかの? 変幻の魔法を頼みたいのじゃがの」
ルミナリスは不思議そうにオルクスを見上げた。
「手を貸す? どういうことでしょうか?」
「儂の耳と顔じゃ。エルフの爺じゃと分からんよう姿を誤魔化したいのじゃよ」
ルミナリスは杖をトンっと一つ突くと、彼女は片手を掲げ、先端がぼんやりと光を帯びた杖をオルクスに差し向け、姿を少し変えた。
オルクスの耳は人間種の丸みを帯びた耳となり、緑眼の色は茶色となって、どこから見ても人間種の老兵となっていた。
その姿を見たランバートが、オルクスに心配そうに告げる。
「オルクス様、まさか年甲斐もなく参加されるつもりですか?」
「なあに、怪我せんように気を付けるよ。ガイル殿、よろしいの?」
最早半分脅迫である。ガイルは苦笑して頷いた。
「お手柔らかにお願い致します。オルクス師。紹介したいのがあの銀狼族のロアン殿です。貴重な戦力ですので、怪我の無いようお願いします」
「うむ。任せておけ」
オルクスが、周辺の兵士たちをかき分け、大きな声で銀狼族の戦士に呼びかけた。
「ロアン殿。少し宜しいか。儂にも少々付き合ってくれんかの?」
その言葉に、ロアンは興味深そうに眉を上げた。鋭い青い瞳がオルクスを見据える。
一瞬にしてオルクスが只ものではないと見抜き身構えた。その様子にオルクスは満足げに頷いている。
「ご老人。ずいぶんと腕に覚えがあるようだ」
「いやいや、ただの老いぼれじゃ。だが、年寄りには年寄りなりの積み重ねた技がある。ほんの腕試しじゃよ」
その言葉に場がざわめく。兵士たちの視線が集中し、訓練場にどよめきが起きた。
ガイルは呆れたように肩をすくめると、大声をあげた。
「焔鳥の刃騎士団団長、ガイル・エストレインが見届け人となる」
オルクスは構わず、すたすたと訓練場の中央へ進み出ると、軽く肩を回して準備運動を始めた。
「王国兵の老いぼれの意地を見せたいだけじゃよ。それに、ロアン殿の腕前がどれほどかを確かめたくての」
ロアンは静かに笑う。
「油断すると怪我をしそうだ。全力で行くぞ。ご老体」
ロアンが低く唸るように言葉を放つと、瞬く間に間合いを詰めた。その動きはまるで風のように速く、巨大な体躯とは思えない軽やかさを伴っている。その青い瞳は獲物を見据える捕食者のように冷たい。踏み込む一歩は大地を揺らし、爪先は獲物を捕らえるための鋭さを秘めていた。
だが姿勢は正しく、どこか高貴な気配すら漂っている。
オルクスは一瞬たりとも目を逸らさず、軽い身のこなしでロアンの繰り出す拳をかわし、にこやかな笑みをロアンに向けた。
「やっぱりか……様子見はここまでだ」
ロアンの繰り出す蹴りを交えた連続攻撃は鋭く、力強く、研ぎ澄まされ、息つく暇もないほどだが、オルクスは無駄のない僅かな動きで、全ての技を見切り回避している。
その姿に、騎士団や兵士の観衆は、皆、驚きの声を上げていた。
「おい、あの老人……動きが尋常じゃないぞ。」
「まるで副団長のような……いや、それ以上かもしれん」
ロアンの拳がオルクスの肩をかすめた瞬間、オルクスが素早く一歩踏み込み、ロアンの横腹に掌打の一撃を軽く放つ。その攻撃は見た目には力強くなかったが、的確に急所を捉え、大抵のものは悶絶する一撃を決めた。
だが、ロアンはわずかに顔を歪めるにとどめた。
「ふむ、流石じゃの。これではお主の力を引き出せぬか」
オルクスが挑発するように、動きを止めて笑うと、ロアンは唇を引き結び、息を整えた。
「ここまで、あしらわれるとは……やはり貴殿は……生半可は届かないか」
次の瞬間、ロアンは全力で攻撃を仕掛けた。姿が揺らいで消えると動いている音だけが響く。周囲の兵士たちは思わず後ずさりをしていたが、オルクスは冷静に見極め、流れるような動きで、ロアンの腕をつかむと、そのまま、その巨体を投げ飛ばした。
地面に叩きつけられたロアンは、すぐに身を起こそうとするが、すでにオルクスがその腕を押さえ込み、完全に組み伏せていた。
老剣士の動きは驚くほど滑らかで、一切の無駄がない。
「さて、どうじゃ? これでもまだ王国兵を侮るかの?」
オルクスが冗談めかして告げると、ロアンは一瞬呆然とした後、低い笑い声を漏らした。
「参りました。……前言の撤回と謝罪、そしてご教示のお礼を申し上げます。こんなふうに組み伏せられるとは、子供のころ以来です。伝説の守護剣聖は無手も尋常でなくお強い」
「何じゃ、気付いておったのか」
その言葉に周囲の兵士たちは感嘆の声を上げ、あるものは笑いを漏らし、訓練場には和やかな雰囲気が漂う。
ガイルもまた、深く息を吐きながら肩をすくめた。
「オルクス師、さすがですね……年甲斐もなくとは言え、誰もが納得の結果でしょう」
ロアンも立ち上がりながら、敬意を込めてオルクスに頭を下げた。
「伝説の英雄にお目にかかれて光栄です。オルクス様。ノルディア雪原の銀狼族、ロアン・ヴァリクと申します。以後お手柔らかにお願いします」
その言葉に、オルクスは満足げに笑みを浮かべた。
「任せておくがよい。老いぼれは意外としぶといからの。稽古をしてほしい時は、覚悟しておくことじゃ。儂もな、銀狼族に知り合いがおるが……凄まじく強い戦士じゃった。何かしっておるか?」
ルミナリスは、ロアンの姿と周囲の兵士たちの和やかな空気を静かに見つめていた。
記憶領域には、戦いというものは常に生存を懸けたものとして記録されている。力なき者は淘汰され、勝者だけが次の瞬間へ進む。
戦場では、勝者が敗者に敬意を示すことなどほとんどない。負けることは死と同義であり、勝者はその屍を踏み越えて進むのみ——それが戦いの理と定義されている。
だが、今、眼前で繰り広げられた光景は、訓練とはいえ自分の知る「戦い」とは明らかに異なっていた。
ロアンは敗北した。しかし、その表情にはむしろ、清々しさすら感じられ、オルクスに敗れたことで何かを得たかのような、誇り高き者の表情だった。
戦いを通して互いの力を確かめ、認め合うことに意味があるかのように見える。
ロアンが敗北したのに、笑っている——これは想定外の事象である。
オルクスが年甲斐もなく張り合ったのに、周囲がそれを咎めるどころか、楽しげに笑っている—— これは戦場では見られない反応である。
兵士たちが、まるで家族のように互いの力を認め合い、讃えている。
これは……
戦いとは、生存を懸けた絶対的な優劣の決定ではなく、こうして互いの力を認め合い、高め合う側面を持つものなのだろうか?
ルミナリスは、そっと拳を握りしめた。
「理解不能。ですが、嫌いではありません」
誰に向けたわけでもないその言葉は、ルミナリスの論理思考から大きく外れた、ひどく曖昧なものだが、それでいて確かなものだった。
思考領域が揺らいでいた。
次回、は「祈りの唄」ランバートとルミナリス、ガイルそれぞれの心が交わります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも面白いと思ってくれるよう頑張ります。




