第5章 隠し砦 シルヴァ・カストラⅠ~ ベルセクオール部隊総司令 ロド・グリム
漆黒のマントを翻すその姿は、まるで闇が滴っているかの如く、夜そのものが具現化したかのように美しい姿と、一部の隙も無い立ち居振舞いの男だった。同時に強い不安を感じさせる無言の圧力を立ち昇らせていたよ。
黒曜石のような研ぎ澄まされた瞳から放たれた一瞥は、そこにいる者すべての心を刺し貫き、誰もが息を飲んでいた。
皆が黙り込んで、そして恐れた。
皇帝の—— 全てを知った上でなお踏みつけている覇者の気風を。
~本文より
ベルセクオール隊総司令ロド・グリムは、誇り高き銀狼族にして、偉大なるサルディアン王国の王狼であった。光を束ね生命を育む女神の守護獣『神獣ルーンヴァルカン』を祖と仰ぐ銀狼族は、獣人種を束ねる五王家の一角であり、その存在自体が神の如く、獣人種の誰もが畏敬をもって接する一族の一人である。
そんな大英雄も今や帝国のベルセクオール部隊を率いる将官として、帝国に造反するかつての仲間や同胞を追い詰めている部隊の総司令でもある。
裏切り者に兄殺し、同族殺しの汚名を受けながら、ロドは来る日も来る日も帝国の敵を追跡し、これを討滅していた。
獣人種の生存。
その為だけに自分の名誉や誇りをかなぐり捨てて、皇帝の軍門に下ったのだ。
今日も最前線に近い簡易指揮所の広いテントの中で、作戦承認と実行の様子を確認している。
「閣下、魔眼隊から応援要請が出ております。付近に展開中の長腕隊と黒牙隊の二部隊を要望しておりますが、如何致しましょう?」
副官の大地熊族のノビリスが大きい掌と鋭い爪に似合わない、人間種用のティーカップに淹れた香り立つ蒼花茶を器用に差し出しながら、笑みが零れるくらいの柔らかく可愛い声で尋ねてきた。
「どうやら、大物を補足したようですが、今回の応援要請について、少しばかり不純だと思われますので、ご裁可を頂戴したいのです」
ノビリスはまだ子熊少女だったころ、地母神の力をその身に宿す、極めて希少な獣人種として、帝国に囚われ実験素体とされようとしたところをロドに助けられて以来、ロドを支えると決意し、副官にまで上り詰めた努力の獣人である。
ロドはお茶を一口味わうと、静かに優しい笑みを浮かべた。
「うん。旨い。ノビリスの淹れたお茶は矢張り格別だ。それで猟襲部隊のエースの要請がどう不純なのか?」
ノビリスはこげ茶色の体毛に覆われた頬を緩めながら、唇からこぼれた牙を慌ててなおすと、すぐさま自戒をし、はきはきとした言葉で報告を続ける。
「隊長ゼイロスは、以前の手柄を横取りにされた意趣返しを企んでいるものと思われます。長腕隊は魔人種のみですし、黒牙隊は黒獅子族と剣虎族の編成ですから、共同作戦など端から期待するわけもなく、失敗はもとより、両部隊の人的被害すら期待している可能性が高いと判断しました」
「成程。獲物を弱らせたところを、横からかっさらおうという訳だな。ゼイロスらしい」
ロド・グリムは楽しそうな顔で銀の毛並みを撫でつけた。
「要請には応えようか。テラ・インペリウス・セクタを破壊してのけた相手だ。強力な戦力はいくらあっても良いだろう。敵は私が良く知る御仁だろうし、一筋縄ではいかん。何をどうしてもそれなりの被害は出るよ。いずれ、私自身が赴くことになるだろうしね」
「ええっ、御自らですか? 敵はそれほどの相手なのでしょうか?」
「ああ、そうだな。君はまだ若いから知らないだろうが、私は一度、神聖王国連合と共同で帝国皇帝陛下へ、恐れ多くも直接襲撃を試みたことが有ってね。その時に一緒に戦った連合の英雄が今回の相手で間違いない。知略謀略はこちらが上だが、それらをひっくり返す英雄の資質ってやつが、かの御仁にはある」
「閣下にそこまでの思いを抱かせるとは、恐ろしいお方が相手なのですね」
「いいや、決して恐ろしい御仁ではない。何方かというと、寂しい御方かな。ノビリスもお伽話で聞いたことが有るだろう。名はオルクス・フルミニス殿。神聖王国連合のエルフ族の大剣士であり伝説の大英雄だよ」
ロドは遠い眼をして、銀狼族の誇りを、王狼としての自負を打ち砕かれたあの日を思い出していた。
あの日—— それは魂の一片を引き裂かれるような思いをした日であった。
激しく叩きつける雨は、我らが選び取った最後の賭けを祝福しているのか、あるいは哀しみの為弔っているのか、分からぬまま降り注いでいた。冷たく鋭い雨滴が頬を叩くたび、私の中で募るものは覚悟と焦燥、そしてこれから迎える運命の重みだった。
計画は、完璧なまでに練り上げたつもりだった。
この地において、「黄金の爪」と呼ばれるガルヴァーニア強国の降伏を装い、帝国皇帝レヴィ・ハジェルを誘い出す。そのための使者には、国を象徴する存在—— 王女リセリアを立て、彼女をもって帝国の疑念を完全に覆し誘い出しには成功した。
我らの狙いが万が一露見していようが、なにものに変えても、何が何でも、皇帝が調印の場に現れた瞬間、我らの手でその命を断つ。
それこそが、この戦争の膠着を破る唯一の手段だとそう信じていた。
もし、成功していたら、それはかなっただろうと、今でも確信している。
帝国の皇帝の護衛に対抗し、暗殺の襲撃を成功させるため、神聖王国連合、そして様々な種族の英雄たちの力を秘密裏に結集できた。
どうやって集めたかって? 黄金や秘宝や秘術、それらを携え私自身が交渉に赴いたのだよ。
その御かげかどうかは分からないが、白銀の豹族レオバルディス、翠明鹿王ファナリルア、剣牙虎族の戦士ガインなど一騎当千以上の戦士や勇士が、種族や国家の枠を超え集まった。
皆頼もしく、再び揃う事もないであろう、反帝国の旗印のもと、錚々たる顔ぶればかりだった。
その中に、かの御仁、魔剣アシュラムを振るうエルフの大英雄オルクス、その人の姿もあった。
御尊顔は知らなかったが、選りすぐりの戦士たちが一様に緊張し敬意を払う相手を見逃すことは無いし、直ぐにわかったよ。
「お主がロド・グリムその人じゃな。銀色の毛並みが評判どおりじゃの。儂はオルクス・フルミニス。王国のエルフの魔剣使いじゃ。よろしく頼む」
飄々としたその雰囲気の中に、鋼の芯が真っ直ぐに通っている。
私の鼻が、強者の匂いを感じ取って、少しばかり興奮したことを覚えている。
帝国皇帝—— レヴィ・ハジェル。
その存在には抗えぬ威圧があり、その姿を想像するたび、私の中には得体の知れない恐れと、奇妙なほどの尊敬も入り交じっていたのだが、こちらの陣容にはオルクス殿も加え、負けることなどありえないと愚かしくもそう考えてしまった。
そして、黒雲の下、雨音と共に、黒鉄の兵士たちが帝国の旗のもとに集う音が、徐々に近づいてきた。
その中心に立つ—— 皇帝の姿を目にする時、我が魂は何を感じるのだろうか?
抜かりないよう入念に再確認をしながらも、そんなことをぼんやりと考えていた。
何かしら予感めいたものがあったのかもしれない。
帝国の強さはそのまま魔導機兵の強さだ。
人間種そのものは極極一部の者を除いて、脆弱で直接戦闘には不向きであり、我らの爪牙には到底遠く及ばない。瞬きを三度くらいする時間で皇帝の首は我らのものとなる。
これは皇帝陛下に会う前の我々の考え方だった。
調印式が行われるガルヴ城の内外に、襲撃者たちは銘々に与えられた役割に従い、熟練の兵士ですら眼の前にいても見つけられない位に気配を絶って、配置に就いていた。
給仕や召使たちには暗殺や隠密に優れた獣人種たちをあてがい、皇帝を捕殺する必勝の包囲網は完成している。
三年かけてこの策を練り上げ、周到に準備を重ねたのだ。
大丈夫だ。失敗はあり得ない。
皇帝の一行が間もなく到着する。そこで幕引きだ。
常に沈着冷静を装ってはいたが、今度ばかりはいつもと違い、何故か気がはやってしょうがなかった。
降りしきる冷たい雨が石造りの天窓を打ち、広がる大広間の静寂と相まって、何故か心をわずかにかき乱していた。たかが、雨音なのに—— その音はまるで、天が嘆き、地がその息を潜めるような、異様な緊張感を漂わせていた。
磨き抜かれた金亀石の床が仄暗く光を返し、静寂の中で唯一生きた気配を示しているかのように鈍く輝いていたよ。
そして、大広間の扉がゆっくりと開かれ、辺りが異質な静けさに包まれた。
扉の向こうから現れたのは、人間種の長身の男だ。
レヴィ・ハジェル。クレデンティウム帝国皇帝。
漆黒のマントを翻すその姿は、まるで闇が滴っているかの如く、夜そのものが具現化したかのように美しい姿と、一部の隙も無い立ち居振舞いの男だった。同時に強い不安を感じさせる無言の圧力を立ち昇らせていたよ。
黒曜石のような研ぎ澄まされた瞳から放たれた一瞥は、そこにいる者すべての心を刺し貫き、誰もが息を飲んでいた。
皆が黙り込んで、そして恐れた。
皇帝の—— 全てを知った上でなお踏みつけている覇者の気風を。
何だ、この感覚は……。
私は思わず、己の胸元に爪を立てた。銀の体毛が自然と逆立ったのを覚えているよ。
あれは—— 何だ? 我々は何に挑もうとしている?
まさか、気後れしているのか? 誇り高き銀狼族の王狼が・・・・・・。
否、それ以上の何か—— 言葉では表せない異質な威圧感。それは皇帝から発せられる圧倒的な何か、に自分の野性が告げているのだ。
あれは—— 危険だと。
皇帝が歩を進めるたびに、その足元から冷気が広がるように感じられる。床に映る彼の影は、まるで生きているかのように揺れ動き、その深さに吸い込まれそうだが、その影の奥には不思議な輝きもまた宿っている。
そしてその表情の圧倒的な冷たさの中に燃え盛る強い意志の光—— 絶対者とはよくいったものだ。
「お初にお目にかかる、ロド・グリムとその愚かなる一行よ」
皇帝レヴィ・ハジェルは、出迎えようと歩み寄った王女リセリアを無視して、演壇の中央に一人で歩みより、深みのある声で静かに朗々と語りかけてきた。刺客として潜んでいる我々に、だ。
その声は隠形を使い、或いは姿を消す魔法を使い、建物や人の影、炎の揺らめきの中に隠れていたもの達の耳へとはっきりと届く。
「さて、もてなしを始めよ。面白そうな茶番故、わざわざまかり越したのだ。余はここだ。替え玉などという子供だましはせぬ。さあ、歴戦の勇士たちよ。隠れておっても、余の首は獲れぬ。我こそはと思うものは、手柄とするが良い」
その声に弾けるように、作戦も何もかも忘れて、英雄たちは皇帝に殺到した。
恐らくだが、止められなかったのだろう。皇帝に対する惧れを。
あれを何とかしないといけないという、我々の本能を抑えられなかったのだと思う
飾られていた篝火に同化していた白銀の豹族レオバルディスが皇帝めがけて、焔の姿で噴出し、炎を吹き上げながら、白絶斧を皇帝の頭へと振り下ろした。翠明鹿王ファナリルアは、体中を緑の茨で覆いつくすと、自らの姿を巨大な大樹魔龍に変え、兇悪な牙を嚙み鳴らしながら、かみ砕こうと迫り、剣牙虎族の戦士ガインは潜んでいた床を割って飛び出し、嵐すら断ち切るという嵐絶の剣で皇帝の心臓を貫くべく必殺の突きを放った。
「つまらぬ」
帝国皇帝レヴィ・ハジェルは一言告げ、虫を祓うように片手を振って黒い炎を放ち、襲い来たるもの達を全て、武器ごと灰すら残さず瞬時に焼き尽した。
「我が配下にすら遠く及ばぬ」
その声には冷徹な嘲笑が込められており、場に居合わせた者たちの心を鋭く抉った。
皇帝は眉一つ動かさず、
「どうした? これでは十分なもてなしとは言えぬ。期待外れも甚だしい。愚かも者どもよ、これだけか?」
深淵より湧き上がるような声を響かせ、広間の空気を凍らせた。
その仕草、その言葉に場の獣人種の戦士や闇の暗殺者たちは、練り上げた策を捨て去り、皇帝を仕留めるべく、自らの刃が届かないことを悟りながらも、心に祈りを託し、束の間の隙を彼らの為に掴み取るため、一斉に襲い掛かった。
我らに—— 神獣ルーンの加護を宿した『敵を打ち砕くもの』、銀狼族の王狼、ロド・グリム。そして、神聖王国の守護剣聖にして、伝説そのものとも言える英雄、オルクス・フルミニス。
すべてを、我らに委ねたのだ。
ロドとオルクスの共闘の回想。そしてその後を次回描きます。
読んで頂き有難うございます。読み手があるからこその物語です。嬉しく思います。




