第4章 追うものと追われる者Ⅴ ~ 陰の護り手 ヴァンセイル家
侍女たちの秘密
私はあなたが王城に来た時から気にかけていました。帝国やアンドラス等の敵対的国家の者ではなさそうだったので様子見をしておりましたが。私は一介の侍女ですし、貴女の排除を拝命していませんでしたので・・・・・・先走るとはしたないですし、排除のみでは何も得られませんから
陽光が柔らかく降り注ぐ広場は、昨日整備されたばかりの清々しい空気に包まれていた。荒れ果てた広場だが、静けさの中に、整えられた石畳が訓練場としての名残を微かに漂わせている。
ルミナリスと侍女ルルリアは二人きりで話をしていた。
ルルリアの金色の長い髪が陽光を反射して輝き、茶目っ気たっぷりの表情がその若さと無邪気さを装っているように思える。
「あなたの出身地って、魔力に溢れた美しい森や泉がある場所だって聞いたわよ。だけど、そこは魔獣や魔物も活発で、人の往来なんてほとんどないんですって。知り合いの兵隊さんたちが隊列を組んで向かったけど、ものすごく犠牲が出て、引き返したとか。そんな場所を思い出せないなんて、もしかしてあなた、こっちで生まれたんじゃない?」
ルルリアは飾らない笑顔を見せながら、長い髪を指に巻きつける。だが、その言葉の端々に、自然な無邪気さの裏に潜む鋭い意図が感じられた。
ルミナリスはルルリアの言動、言葉の抑揚や言い回し、表情やしぐさなどをつぶさに観察し、警戒するべき点を洗い出していた。この侍女は、若さに似合わず鋼のように鍛えられた体を持ち、その動作には特殊な訓練を受けた者特有のしなやかさがあった。反応の速さ、巧妙な言葉の選び方、そして相手を探るような視線—— それらすべてが、彼女がただの侍女ではないことを示している。
虫型の監視魔導機を張り付けて、ずっと監視をしていたのだ。
反応速度、目配せ、意図的な会話誘導なども含め、おそらく他国の諜報員の類だろう。
「その綺麗な蒼輝髪と碧い瞳、いかにもルナーシルヴァス地方のアルゲントルム人って感じよね。」
ルルリアの手が、不意にルミナリスの髪に伸びた。しかし、その指が触れるよりも早く、ルミナリスは一歩軽やかに後ろへ退いた。動きは静かで滑らかだったが、その瞬間には鋭い緊張感が宿っている。
「……あら、ごめんなさい。嫌な思いさせちゃった?」
ルルリアは気まずそうに舌を出して笑ったが、その瞳にはほんの一瞬、敵意とも取れる何かが浮かんだ。
敵対的行動を選択する可能性があり。重要警戒対象者と認定。
ルミナリスはそう結論づけた。
どこの国の者であるのか、何を目的としているのか。
安全確保のためには、排除も視野に入れなければならないが、同時に、彼女が持つ情報が有益である可能性も捨てきれない。
ルミナリスは表情を崩さず、再び静かに微笑みを返した。まるで、目の前の侍女に警戒などしていないかのように見せながら—— 全ての挙動を見逃さない黄色の領域で、揺るぎない鋭さの観察を続けていた。
「こちらこそ、申し訳ありません。人に触られるのが苦手なのでご容赦ください。それでご承知かもしれませんが・・・・・・私は記憶に障害があり、色々なことを皆様にお尋ねしているのです」
ルルリアはルミナリスの話を笑顔で聞きながら手を後ろ手にまわした。
そこへ、物陰からオルクスがどこで積んできたのか木苺の実を沢山抱えて、ゆるりと姿を顕し、気安く声を掛ける。
「古代の大魔導は至れり尽くせりじゃな。とても滋養に溢れておる。何よりも甘くて美味じゃ。ルミナリス嬢にルルリア嬢、お主らもどうかの? 特にルルリア嬢、その妙な殺気を捨てて、口直しにどうじゃ?」
オルクスは陽気な雰囲気のまま、無手であり大剣を所持していない。
若き侍女は、ルミナリスとオルクスに挟まれるように退路を塞がれているのに気づき、逃げる隙を伺った。
にこにこ笑顔のままのオルクスではあるが、当然そこには隙などあるはずもなく、棒立ちしているだけで大いなる威圧を放っている。
ルミナリスは初めから警戒を強めており、両手で魔法の杖を握りしめている。
ルルリアは、ふう、とため息をついて苦笑した。
「英雄様と機転の利く魔法使いを相手に、どうこう出来るって思いあがれるほど、馬鹿じゃないの。あたしは帝国の回し者ではないので、降参するから生命だけは見逃してくれないかしら?」
「それは内容次第じゃな。敵であれば容赦は出来ぬぞ」
オルクスは木苺を頬張りながら、頭上を見るように促した。上空にふわふわと魔剣アシュラムがうっすらと光を放ちながら浮かんでいる。
ルミナリスは自分の探知をすり抜けて宙に浮かんでいる魔剣のその様子を、確認研究用に詳細に記憶域にとどめた。
どのような手段を用いて探知をすり抜けたのか?
破壊され故障している箇所は多く機能不備だらけではあるが、探知機能の破損は黄色の領域であり、質量を持つ物体の移動検知には何ら問題が無い。
しかし、宙に浮いている魔剣の現状は視認感知してはいるが、他の探知機能では確認できていない。なにかしらの干渉障害なのだろうが、感知不能なのは解決すべき早急な問題だ。
現状の問題点と解決補正について、別の思考領域で開始しながら、ルルリアへの注視も怠らない。
戦闘になったなら即座に結界を構築し、瞬間的に何もできないよう拘束するべく行動展開用の演算は完了している。貴重な情報源となりえる人物は、可能な限り生かしておきたいというのがルミナリスの考えであった。
すぐさま魔法の杖を両手で握り構え、ルミナリスの躰と魔法の杖に魔力が巡り、青白い光を放った。
魔法使いが持っていたこの杖の魔力調整はもう完全に済んでいる。
破壊され大幅な機能低下をしている魔法の宝玉の欠片に残る微力な魔力をかき集め、体内の魔晶石で補填しながら使用しているので、大きな魔法は使えない。
しかし、内装されている判断補佐機能で、魔法展開速度は速く正確に行える。
「嫌だぁ、降参するって言ったじゃない。そもそも、赤の他人を守ることは当然っていう顔をして魔導機兵から助けてくれた女の子に、危害を加えるような下種じゃないわよ。わたし・・・・・・」
ルルリアはそう言いながら、袖から小さな小瓶を取り出し、思い切り地面に叩きつけた。
中身は多少眠くなりやすいありふれた香辛料に、破壊されることで効力を発揮する魔法陣が描かれ、視覚や五感を奪い昏倒させる魔法具で一時的な目くらましでもある。
が、小瓶は壊れる直前にルミナリスの結界魔法で覆われ、気が付けば右手に木苺を握らされ、手足が障壁魔法で覆われて拘束されていた。
ルルリアはあまりに一瞬の出来事で目を白黒させている。
「あー、あなた達さ。可愛い侍女をさ、どうしたいの?」
「そうじゃのー、死なぬとはいえ毒物魔法道具を使う間者じゃしな。面倒なら首を刎ねようかの。ルミナ嬢ちゃんはどう思う?」
ルミナリスはじっと若い侍女の顔を見つめていた。
「憑依型や変身魔法などではなさそうです。許よりどこかの国の間諜でしょうから、何か有益な情報を持ち合わせているかと。その提供次第で決めて良いかと思います」
抑揚のあまりない感情を見せない発言にギョッとしつつも、ルルリアは必死に笑みを浮かべた。
「素直に言うわ。私は武人の家系で、幼いころから戦いの訓練を受けていたの。水の大地、シルヴァベヌラにあるマケドン国の・・・・・・」
ドンドンと杖を二回、ルミナリスが突いた。否の徴しである。
「いいえ、違います。城の書庫の本の記述にあった、かの地にいるマケドン人の如何なる特徴にも貴方は該当していません。マケドン国があるシルヴァベヌラ大陸全域に範囲を広げても、水と農耕の肥沃な大地に暮らす人たちの特徴、黒い髪に光に強い茶色の瞳すら、いずれも該当しておりません」
オルクスは木苺をつまみながら、感情を荒げることなく喋った。
「嘘はついてもばれるから、止めておくことじゃな。お主の人生の今後がかかっておる」
と首の後ろをわざとらしくさすった。
若い侍女ルルリアは「はあぁ」とため息を大きくついて、
「参った。捕まった相手が良くなかったねー。お伽話の大英雄とお勉強と魔法が得意なアルゲントルム人だし仕方ないか。本当のことを白状するよ。あたしはゴルデンオスト商会の密偵の一人。ただの情報集めの女でさ、もともと敵対的行動なんか考えていないよ」
とケロリとした表情で伝えてきた。
途端に朗らかだったオルクスから凄まじい殺気が溢れ、ルミナリスは瞬間的に跳び下がると、防御結界を張った。危機感知機能が緊急作動している。
「お主、この城塞の秘密は誰かに漏らしたのかの?」
言葉は穏やかだが、真なる武人の放つ殺気をその身に受け、恐怖のあまりルルリアは目を見開き、脂汗を流していた。
無意識に避けようとする目線を無理矢理オルクスに合わせ、震える声で微笑みながら伝えた。
「も、漏らしていない、と仮定してだけど・・・・・・アタシの生き残る道はあるのかしら?」
「さて、どうじゃろうな? 売り買いできるものならば何にでも値札を付ける商会の間者よ。仮に漏らしていないとして、ここの情報は随分と高値がつきそうじゃし、お前さんがここの情報を売らん保証は無い。もとよりそういう存在。で、あればじゃ・・・・・」
オルクスは木苺を近くの器に移して、手を拭きながらゆっくりと若い侍女へと近づいた。
「帝国なんぞにここの情報を知られ、強襲を受けたりしたら、仲良くみんなあの世逝き。だったら、さっさとお主の始末をつけてしまった方が簡単じゃろ」
魔剣アシュラムがするりとオルクスの手に収まり、オルクスは剣先をピタリとルルリアの喉元に突きつける。
「お主を生かす理由を儂に寄越せ。得心の行くものでなければ、お主の躰は灰になり、魂はアシュラムの餌食じゃな」
淡々と脅すオルクスには何の気負いもなく、ためらいもなく言葉通り実行するであろうと、ルミナリスは判断した。
それは同じくルルリアにも十分に伝わっているようで、呼吸・動悸・瞳孔反射に極緊張状態が散見されている。
「王城から逃げるのが精いっぱいだったから、まだ何もしてないし、これからする気もない。今はここが何処かもわからないから・・・・・・」
ドンドンと二回またルミナリスが杖を突いた。
「そんなことはありえません。フレイヤ様お願い致します」
侍女長フレイヤが柱の陰から颯爽と現れた。手には大き目の革袋を持っており、中から鈍い金色の金属の枠で覆われた透明なクリスタルの玉を取り出した。
「はい。如何なるものでもお望みの商品はこちらに・・・・・・であっていたかしら? ゴルデンオストの売り文句は」
エーテルの波がまとわりついて美しくきらめいているこの機械の金属の枠には、帝国の紋様「鷲と歯車」が刻印されていた。
帝国の軍仕様の探査用魔導球儀『エーテリア・ロクス』だ。
大気中に漂う魔法触媒エーテルの濃度を感知し、そのエーテルに魔力波を反射したものを映像として球体の上に展開する、帝国仕様の軍事偵察用品で、冒険者が使う大まかないい加減なものではない。
「流石は世界を股にかけるゴルデンオストね。随分と良い装備を末端の諜報員にまでなんて、羨ましい限りです。ただ帝国の軍事機密に当たるこの機械を配って回れる程の在庫があるのは何故なのかしら?」
柔和に微笑むフレイヤの眼光は鋭く、只の侍女長には見えない。
「フレイヤ様・・・・・・? まさか、フレイヤ様は・・・・・・」
驚きの表情を浮かべているルルリアの表情を横目で見ながら、フレイヤはいつも通りの静かな眼差しで佇んでいる。
「何か勘違いをなされているようですね。私は王国の王宮勤めですよ。多少の訓練は受けていて当然でしょう? ああ、イラーナは陽気な人ですから気付いてはいないと思いますよ。それくらいあなたはお上手でした。ただ私はあなたが王城に来た時から気にかけていました。帝国やアンドラス等の敵対的国家の者ではなさそうだったので様子見をしておりましたが。私は一介の侍女ですし、貴女の排除を拝命していませんでしたので・・・・・・先走るとはしたないですし、排除のみでは何も得られませんから」
フレイヤは風に吹かれ乱れた髪を抑えながら、いつもの通り厳しくも穏やかな表情だ。
何枚も上手であるその様子に、ルルリアは押し黙ってしまった。
「さて、ゴルデンオスト商会の密偵が帝国印の高いおもちゃを持っているのは、何故かの? 納得のいく説明を上手くせい。嘘をついても構わぬが、儂の魔剣は嘘を見抜き、その際、お主は生き永らえることはない故、しっかりと答えよ」
オルクスがアシュラムをルルリアに剣先を向けて手放した。
魔剣はそのまま、ぴたりと空中にとどまり、切っ先を鼻先に狙いすましたまま、落ちもせず動きもしない。
ルルリアは瞬き一つせず、全体を見ていた。
「商売の伝手で、帝国から軍需品の一部を横流ししてもらっているの。情報はまだ、どこにも伝えていない。何度も言うけど生命を救ってもらった恩義まで、金に換えるほど腐っていないわ。まあ、アタシは密偵だし、信用できないだろうから、好きにしなよ」
オルクスはその様子に頷き、ふう、と一息吐いて、手を合わせて指で印を作る。
「魔剣アシュラムよ。覗くものを打ち砕けっ」
ルルリアはその声を聴いて覚悟を決めたが、どこか遠くで悲鳴のようなものが聞こえたと思ったら、とどめを刺されるどころか、不意に心持が軽くなり、体も軽やかになったような気がして、目をぱちくりしていた。
「え? 今の・・・・・・何?」
ルミナリスが杖を3回地面に突き鳴らすとよく通る声で、その場の皆にわかるように伝えた。
「貴方の躰に潜り込んでいた霊鬼、通称を潜り鬼、その断末魔です。間諜や密偵の類であればご存知ではないでしょうか?」
「ええ、よく知っているわ。特定対象者を監視し、裏切った時には呪殺する妖霊ってところまでね。長く憑りつかれていると徐々に衰弱し、最終的には死を迎えて同じような潜り鬼になる。あいつらは、あたしを・・・・・・死んでも構わないと・・・・・・それどころか死んだ後も利用しようとしていたのね・・・・・・」
ルルリアは悔し気に歯噛みした後、顔を上げきっとした眦で、大きくはっきりと告げた。
「いいわ。せいせいした。あたしがただの間抜けだったってことだから。ねえ、始末したいなら始末してもらっていいけど、あたしのゴルデンオストの情報と情報網を捨てることになるよ。値万金の情報を色々持っているのは事実だし、その情報を買ってくれないかしら? お代はあたしの命ってことで、どう?」
剣を突き付けているオルクスの殺気が見る見るうちに膨れ上がり、物理的な風をはらんで、その場にいるものを無言にした。
「先ほども尋ねた。何をもって信じろというのじゃ。間者よ」
並の者なら失神するであろう気当たりを、顔を引きつらせ冷や汗をかきながらも、ルルリアは真正面から受け止めた。
「あたしの知識と言葉と、あと色々持ち合わせている道具の全部・・・・・・それで足りなければ、慰み者だけは嫌だから、首を刎ねたらどう?」
「相解かった」
ルミナリスとオルクスは互いに目配せすると頷きあった。
「是とします」
「よかろう」
オルクスの殺気は消え、ルミナリスは一歩下がって、侍女長フレイヤに目をやった。
フレイヤはルルリアに歩み寄ると、静かに語りかける。
「他のお二人と違い、私が小心者で慎重なのはあなたもご存知でしょう? 私は確証を求めます」
エプロンの内側から掌に隠れるくらいの小さな短剣を取り出し、ルルリアによく見えるよう差し出した。
「これは王国に仕える私たち一族一人一人に手渡される誓いの短剣です。私の本当の名はフレイヤ・フレイ・ヴァンセイル。マクシュハエル王国のヴァンセイル家はご存知ですか?」
ルルリアはヴァンセイルの名を聞いて、目を見開いて驚いていた。
王国に派遣される際、ゴルデンオスト商会から、敵対的行動は決してとってはならないと念を押された組織の名称であったからだ。
ルミナリスは、この聞き覚えのない家名を記憶域で検索照合し、要注意組織と但し書きのある記録内容を確認した。
マクシュハエル王国の暗部を司るヴァンセイル家は、長きに渡り王国を影から支えてきた組織の総称であり、帝国は重要な侵攻計画を何度も台無しにされ、暗殺や破壊など妨害を受けた記録が百二十三もあり、かなり煮え湯を飲まされている。
尋ね回った話の中でも、数々の噂の中にすら名前すら出ず、その実態を知るものは殆どいない秘匿組織で、その秘密は徹底的に守られている。
「今、王国は滅びましたが、ヴァンセイル家は未だ健在です。この意味はわかりますね? さて、この短剣ですが・・・・・・誓いの短剣という名がつくのには理由があります。オルクス様ご覧いただけますか?」
フレイヤが手渡した短剣は、オルクスが持つ魔剣アシュラムと似た刻印があった。
「魂に刻み込む呪いの紋様・・・・・・良くないものじゃ。誓いが魂に刻まれる故、死んでも呪いは解けぬ。神々の恩寵をもってしても救えぬ、自分を血肉も魂も丸ごと差し出すことと同義じゃな」
と少しばかり表情を曇らせて短剣を返した。
「わかりやすく有難うございます。これがヴァンセイル家の秘密の一つでございます。オルクス様とルミナリス様は王国の人々の為にその身を賭して戦って下さった覚悟のあるお方々。もちろん私もです。では、ルルリアさん、貴女にも同じ覚悟を誓って頂きましょう。無理やりにでも・・・・・・」
フレイヤは短剣の刃をフレイヤの手のひらに当てると、そのまますっと引いて血を短剣に纏わせた。
「さて、お言葉を発してください。『己の魂とヴァンセイルの祖霊にかけて誓う。秘密を守り、誠をもって王国と王国の民の為に尽くす』と。ただこれだけで、貴女の命は救われます。宜しいですね?」
ルルリアは否と言おうものなら、即時に処分されるであろうことは理解していた。
「わかった。誓うわ。己の魂とヴァンセイルの祖霊にかけて誓う。秘密を守り、誠をもって王国と王国の民の為に尽くす・・・・・・これでいいかし・・・・・・ら?」
ルルリアがそう告げると短剣が緑の炎を噴き上げ、頭頂からつま先まで全身全てを余すことなく包み込み、炎は輝きを残しながら消えた。
フレイヤはその様子を見て満足げに頷くと誓いの短剣をルルリアに握らせて、後ろに下がると、遠巻きにルミナリスとオルクスに声を掛けた。
「これで誓いの儀は為しました。ルルリアの拘束を解いて自由にしてやって下さいませ。その後、私との戦いの準備のほどをお忘れなくお願いいたします」
ルミナリスは静かにフレイヤを見つめ、手にした杖を握りしめる指先に力がこもった。彼女の視線が淡く輝き、百眼がフレイヤの体を余すところなく捉える。
「フレイヤさん。魔力が変異し暴走しかけています。直ぐに魔力を抑えてください。このままだと肉体に変質を起こしてしまいます」
ルミナリスの百眼は的確にフレイヤの変貌を捉えていた。
魔力の波が大きくうねり周辺に漂うエーテルが影響を受け、そのエーテルが肉体に変化を及ぼし始めている。
ルミナリスの声は鋭さと焦燥を帯び、まるで彼女自身の内部で蠢く未知の感情が滲み出ているかのようだった。しかし、その言葉にフレイヤは穏やかに首を振り、手に握った封じ石を見せながら微笑む。
「ありがとうございます。ですが、私は既に誓約を破り、秘密を洩らしました。その代償として獣魔と化す運命にあります。この身があさましい姿となり牙を剥いたとしても、ルミナリス様とオルクス様ならば、きっと容易く討ち果たすでしょう。どうか、憐れと思し召しを下さいませ」
その声は、どこまでも静かで、覚悟を秘めた重みがあった。疲れた表情の奥に宿る悲哀の色がルミナリスの百眼に鮮明に映り込む。ヴァンセイル家の秘密を守るため、幾度となく繰り返されてきた犠牲の歴史が、彼女のその姿に凝縮されているかのようだった。
その瞬間、ルミナリスの中に奇妙な乱れが生じた。頭脳に記憶域を巡る不規則な信号。並列思考の走査によって、それは形を成す。
───穏やかな声。優しい微笑み。かつての記憶か、それとも幻影か。
『貴女には魂があり……心の痛みがあるのです。貴女には貴女の役割があります。私のために、大切な時間をこれ以上失わせないでください。進むのです……その心のままに……』
その声は、暖かさと共にルミナリスの内部へと流れ込んできた。巫女姿の女性が、静かに微笑むその姿が一瞬だけ浮かび上がり、消える。異常が無い胸部の奥底から何かが湧き上がり、彼女は自分が「動揺している」という事実を、認識せざるを得なかった。
「私は……知っている。この感覚を……。そして、同じ過ちを繰り返すわけにはいかない……」
目の前のフレイヤの決意に、自らの未知の信号が呼応しているのだ。自分の中で生まれつつある、機械には無縁であるはずの「感情」という信号。
その時、肩に軽く触れる感触があった。オルクスだった。
「ルミナ嬢、儂も思いは同じじゃ。何とか死なせずに助けてみせる。お主も泣きそうな顔をするな。その切れる頭で、策を考えてくれ。」
「泣きそうな顔?」
ルミナリスは思わず驚き、意識を内側へと向ける。そんな表情を浮かべているはずがない。彼女はただフレイヤを救う方法を思考しているだけだった。だが、自らの手が微かに震えているのに気づく。
その震えが、自分の中に芽生えつつある何かの象徴であると気づいた瞬間、ルミナリスは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。そして決意を込めて目を開き、杖を握り直す。
「フレイヤさん、まだ間に合います。私たちは、あなたの命も、あなたの未来も、見捨てたりはしません」
その言葉は、初めて機械ではなく、一人の存在として紡がれた彼女の心からの声だった。
ルミナリスは魔法の杖を強く握りしめ、魔力を込める。
目的はフレイヤの安全確保である。確実な方法は魔力の暴走を抑えている封印石の容量を底上げし、暴走の核となる咽頭部・胸部・腹部・両手・両足の渦巻いている魔力だまりを吸収させれば何とかなる。
封印石の底上げはオルクスの魔剣アシュラムの力を使えば問題なく実行可能だが、七か所同時に魔力たまりを結界魔法で正確に捉えきれるかは、フレイヤの動き次第だ。
封印石の力の底上げを行う魔法陣の組み立てと、魔力溜まりへの結界魔法による干渉への演算を二つ同時に行いながら、魔力だまりの核を見極める。
フレイヤが暴れ始めるとこの作戦に関する支障は赤の領域に達する。
並列思考を走らせ、どのように対応するか演算を開始したところに、オルクスから声がかかった。
「ルミナ嬢、儂は何をすればフレイヤ嬢を助けられる? 指示を頼む」
当然のように助けられると確信のあるその言葉に、ルミナリスは背中を押された。
「封印石の魔力受容量を引き上げしたいのです。この魔法陣をあの石へ刻印できるでしょうか?」
オルクスはルミナリスが魔法の杖で浮かび上がらせた魔法陣を緑の瞳で受け止め、アシュラムで中空にいくつも同じ紋様を浮かび上がらせ、
「必ずややり遂げる、任せておけっ。フレイヤ殿、今少し耐え忍べよっ」
フレイヤの鋭い爪が生えた足が革のブーツを突き破り、腕や顔に赤黒い獣毛が生え始め、体が二回りも大きくなり、侍女服を引き裂いて獣毛に覆われ始めている。
封印石がか細い光を額から吸い取っており、顔はまだかろうじて変化は始まっていない。
フレイヤは刃物のような鉤爪を封印石に食い込ませながら震えていた。
「長くは持ちません。獣魔になりきる前に早く滅して下さいませ」
ルミナリスは、フレイヤの変化の速さに救出の成功率を赤の領域にまで下げると、その成功率を上げるために、すべての魔力を魔力だまり七か所同時干渉へと回し、結果、ルルリアの拘束を解き、機能維持の残量を無視してまで、魔力を全てフレイヤへと注いだ。
そこに演算は介されていない。
「私は諦めはしませんっ」
叫ぶルミナリスを尻目に、体の自由を取り戻したルルリアの目がきらりと光る。
次回、ルミナリスたちが侍女長を救うべく奮闘します。
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