第4章 追うものと追われる者Ⅱ ~巨神の剣戟
伝説の跡地である巨神の剣戟と言われる谷—― ようやくたどり着いたルミナリスたちは、古代の王家が残した失われし大魔導の力によって眠る避難先を目指し突き進む。疲れ切った一行が行き着く先は——
森への逃避行を始めて二十二日目、一同はようやく森を抜けて、巨神の剣戟と呼ばれる巨大な谷の壮絶な景観に魅入っていた。
天を衝くようにそびえ立つ古代樹の樹海は、まるで神か巨人の剣によって大地ごと切り裂かれたかのように、突然として途絶え、その切り裂かれた谷は、まさに世界の終わりを示すかのように、底が見えない果てなく続く深淵として広がっている。
淵から谷を見下ろすと、その静寂と荒涼さが一層際立つ。樹海の凶悪かつ強力な生命力はここでは感じられず、あらゆるものの生命の息吹が失われ、重く垂れこめているエーテルの霧さえ、この場所には近寄らず、常に漂っているはずの魔力の気配もここではまるで感じられない。
ただただ無の存在が広がるその谷は、まるで、異界への入り口のように思える。
重厚な雲の切れ間に、わずかな陽光が谷の向こう側へと、まるで剣の切っ先のように鋭く、射しこんでいるが、谷底に届くことなく消え去っている。風も吹き荒れることもなく、ただ静寂が支配するのみ。
魂壊の森に蠢く重々しい空気の感じが、途端に無くなっている。
オルクスは谷を見据えたまま、周りに聞こえるように伝えた。
「神か巨人か……はたまた神龍か、いずれにせよ、この谷は何か信じられないほどの力が働いた証よな。感じないかの? ただの谷ではない。ここまで何もないのじゃ。凄まじいわい」
ルミナリスも、谷を見据えたまま静かに頷きつつ、眼前に広がるその光景を分析し、思考領域で考察していた。
鋭い刃で切りつければ、似たような状況は再現できる。
大きさを除けばだが。
そして、魂壊の森の異常な生命力を持つ魔獣や魔蟲、妖霊の類の危険極まりなく且つ強靭な存在達を、どれ一つとして寄せ付けておらず、物質化すらしている高濃度のエーテルすら、消滅させている謎の干渉力は、検知は出来ないまま事象として確認できている。
到底、人の力が及ぶところではないのは明白だ。
一行は息を呑み、その威容に圧倒されていた。
かつて、世界がまだ若く、天地海の領分が誰のものかまだ定まらない時代、神々と巨人と龍の三つの偉大な力が覇権をかけてこの地で激突し、生まれたと伝承にある場所。
谷の淵に立ちながら、彼らはただ目の前に広がる壮大な景色に、底知れぬ恐怖は勿論だが、あわせて強い安堵を感じずにはいられなかった。
避難する先が形となって見えたのだ。
この岩山には様々な忌むべき伝説や言い伝えがあるが、目的地を目にしたことにより、どよめきも起きた。
「あれが、目的地・・・・・・やっと見えた」
「あともう少しの辛抱だ」
「あんな荒涼とした場所で、逃げるところはあるのかしら」
「オルクス様とルミナリスさんを信じましょう」
皆口々にげんなりし、不安を口にする者も多いが、落ちくぼんだ眼窩に久しぶりに生気を取り戻している。
エルハヴェンでの休息の際、食料と水の持ち出しを行ったが、当然足りる筈もなく、食草や果実、昆虫や根菜など、少ない食べ物を、火も使わず食べており、栄養不足の水不足の状況での強行軍で、疲弊しきったところの僅かな希望なのだ。
オルクスは、魔剣の力で飢えと渇きを凌いでおり、その気になれば四十日くらいは水も食料も一切口にしないまま、戦闘が可能らしく、思いの外元気で、ルミナリスは見た目が人間種だが、魔導機兵として飲食は不要であり、同じく、少ない水と食料を僅かに摂取し、魔法で何とか補助していると伝えた。
幸いにしてアルゲントルム人特有の体質であるエーテル吸収は、飢えや渇きに非常に有効であることは、一般的に知られており、誰も疑問に思う事はなかった。
だが、その状態でいるのにも限界である。
重傷者が命を繋げられるよう医療用品はない中で、移動しながら手持ちの薬や薬草から抽出した生薬などで、ルミナリスが延命処置を行い、オルクスが回復魔法をかけることにより、どうにか持ちこたえられていた。
オルクスには森の精霊の加護があるが、その恩恵とて万能ではない。
この地にある精霊たちの意思に反する存在、例えば荒ぶる魔獣や、浄玻の楔が役目を果たせぬ場所では、加護は霧散し、妖霊たちの牙が旅人を狙う。それでも今まで犠牲者を出さずに進めたのは、ひとえに全員の用心深さと緊張感の賜物だった。しかし、その代償は大きく、全員、身も心もすり減り、疲労の影が仲間たちに漂う。
壊れた魔導機兵はその性能の維持すら危うい状態であり、伝説の英雄オルクスとて例外ではなく、年老いたその身に蓄積された疲労は隠しようがなかった。
さらに、この谷—— 〝無″が支配するこの場所では、どんな異変が待ち構えているか誰にもわからない。
しかし、石板が示す先は、谷の淵に沿った道筋を真っ直ぐ。
「森を突き進むよりは、見通しが良い分マシじゃろうな。」
オルクスはそんな軽口を叩きながら、恐れを微塵も感じさせない足取りで、谷の淵へと歩みを進める。その背にはその場にいる他の者にはない、永き旅路を歩み、乗り越えてきた者がもつ頼もしさが顕れている。
危険要素は確認できていないが、ルミナリスは念のために、周囲の状況を探るべく魔力波を放った。
その瞬間、探知の魔力波が消えた。完全に、何の痕跡も残さずに。
「……オルクス様、お待ちください。今すぐ、防御結界を展開します。効果は期待できないかもしれませんが、この谷の無の力は今もなお機能しているようです。何が起こるかわかりません」
そう言うとルミナリスはすぐに結界の展開に取り掛かる。その真摯な声にオルクスは振り返り、いたずらっぽい笑みを浮かべて石板を掲げた。
「懸念はその通りのようじゃが、どうやら案外悪くないかもしれんぞ」
掲げられた石板は淡い光を放ち始める。その光は風となり、周囲にうねるように広がっていった。柔らかな魔力の風はオルクスの体を包み込むと、まるで仲間たちを呼ぶかのように優しく彼らの周りにも広がり、全員を包み込んでいく。
その光の風に触れた瞬間、ルミナリスは感じた——これはただの魔力ではない。失われた古代魔法の技術により、エーテルが凝縮された守りのヴェールだ。機械である自分さえ『守るべき存在』として識別している。
守りのヴェールを解析学習できれば、防御の幅が飛躍的に上がる。
ルミナリスは並列思考を駆使し、その仕組みを解析しながらも、一方で周囲の警戒を怠らない。
オルクスは魔剣を手に、慎重に前方を進みながら安全を確認して進んでいる。
しかし、谷の淵には風の音も鳥の声もなく、ただ彼らの足音だけが乾いた岩肌に響くのみ。魂壊の森に溢れていた魔獣の唸り声や陰に潜む蠢くものたちの気配もなく、全きの静寂の中、光の風は柔らかな守りを続け、冷たい谷底から仲間たちを包み込み続けていた。ここにあるのは、ほんの一瞬の平穏と、それを突き破るかもしれない未知への緊張感だった。
オルクスは石板を片手に軽やかな足取りで進んでいたが、ふと立ち止まると、仲間たちに軽く手を上げて進軍を止めた。そして振り返り、ルミナリスに尋ねる。
「さて、このあたりに入口があるはずだが……どうじゃ、ルミナリス? 何か掴めたか?」
その声に応じるように、魔導機蟲で周囲を探査していたルミナリスは、静かに杖を地面にトンと叩きつけ、短く頷いた。
「この岩柱の陰に、魔法陣で隠された洞穴の入口があります。」
答えると同時に、ルミナリスは侯爵の腕輪を岩柱の平らな表面にかざした。すると、王家の紋章がはっきりと浮かび上がり、隠されていた洞窟の入口が露わになり、同時に洞穴の中に走る青白い炎が、進むべき道を幽玄に照らし出した。
「よし、先に行く。皆は後に続け。ルミナ嬢、殿を頼む」
軽く周囲を見渡しながら、オルクスは剣を抜いて慎重に洞窟内へと歩を進めた。
その瞳—— 精霊人の証である緑色の眼には、魔力の粒子が光の粒として映る。洞窟内に展開された無数の魔法陣が、金色の輝きを放ちながら浮かび上がる様子は、まるで夜空に無数の星が散りばめられたかのように美しく煌めいている。
ほとんどの者には見えるどころか感じ取ることもできない魔法陣が、幾重にも重なり合いながら互いに影響を及ぼし、いまだ魔力を失うことなく機能していることにも驚嘆と賛美を隠せない。
「おお……これはなんと壮麗で見事な魔法陣じゃ。」
オルクスの声は感嘆に満ちていた。洞窟内を守護するために描かれた古の魔法陣は、優雅さと威圧感を兼ね備えた芸術そのもので、細やかな筆致で幾何学的な文様が描かれ、魔力の流れが織物のように複雑に絡み合っている。
その意匠は、侵入者を迎え撃つための冷酷な仕掛けでありながら、あまりにも美しく、そして繊細だった。
「こんなにも精緻な魔法陣とは恐れ入る……まさしく古代の大魔導士が創り上げた芸術品じゃな。」
目を凝らし、オルクスは一つ一つの紋様に込められた意図を読み解くように見入る。それは命を奪うために設計された殺戮の罠であるはずなのに、その洗練された美しさは時代を超えた神秘すら感じさせた。
「皆、迂闊に動くなよ。」
振り返りながら、仲間たちに警告するオルクスの表情は真剣そのものだった。
「これは……なんと素晴らしく、そしてこの上なく危険じゃ。ルミナリス嬢、鍵を頼む。」
その声は静かだが、どこか誇らしげで、同時に緊張に満ちていた。洞窟内の空気が張り詰める中、ルミナリスが再び腕輪を掲げ、慎重に作業を進める。古代の魔法が刻まれた場所に息づく緊張感と神秘。その空間は、生死の狭間で織りなす儚くも美しい劇場であった。
「はい。お待ちください」
ルミナリスが腕輪をかざすと、魔法陣がうねり壁の一部に淡い光の波紋が広がり、まるで水面を拡がる波紋のように形を変え、柔らかな光に包まれた扉を現した。その扉は静かな輝きを放ちながらゆっくりと開き、陽光に満ちた新たな風景を映し出す。
目の前には、伝説と化していた、古代の大魔導の“旅の扉”が作り出す光景が広がっていた。
高くそびえる岩山の中にぽっかりと空いた空間。その中心には時の流れを感じさせる古ぼけた石造りの城塞が鎮座し、その周囲には豊かな果樹園や整備された畑、清らかな小川が流れている。その小川には小魚が泳ぎ、鳥たちのさえずりが微かに聞こえてきた。
ルミナリスは思考領域の全てを解析に回して、眼を離せず、オルクスは驚きと共に歓喜の笑顔を浮かべていた。
「神代の失われし大魔導を、この目にすることが叶うとはのう。長生きはするものじゃの」
呆気に取られて声一つ発せない皆を尻目に、例によって、臆することもなく、オルクスはすたすたと中にはいると、周囲を見渡し、大きな笑顔を浮かべた。
「皆、ここは良さそうじゃな。早う来い」
ルミナリスは分析眼の百眼を使い、辺りを確認していたが、
「皆さま、この扉をくぐれば鍵の紋章が授印され、出入りも問題なく出来るようになります。まずは進んでください」
と、それぞれの耳元にはっきりと届く声で話しかけた。
「これでようやく一息つける」
「水も食べ物もたくさん・・・・・・」
吸い込まれるように進む全員を見送りながら、ルミナリスは刻まれている文字を読み上げた。
「アルカヌム・カストルム・・・・・・秘密の城塞。ここの人達の隠れ家には最適解です。しばらくは傷が癒えるまで隠れていてもらいましょう。しかし、古代の大魔導がこれほどとは、認識の差異があるようです。脅威の設定を赤の領域に変更します」
ルミナリスが入ると扉が風景に溶け込み、完全に消え入って、入り口はただの冷たい岩肌へと戻り、様々な魔法陣が蠢いてやがて真っ暗で静かな洞窟となった。
次回は追跡急襲部隊が迫り来ます。
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