第3章 魂壊の森踏破行Ⅳ ~浄玻璃の結晶石
追跡部隊の事は露知らず、ルミナリス一行は、古代大魔導に守られた道行ではあったが、休まずに動くことには限界を感じ始めていた。
魂壊の森で、ルミナリスたちは決断をする——。
数万年の時を経てもなお、呪われた地として存在し、静まり返る〝魂壊の森″は、巨竜戦争の記憶をその深奥に宿している。
伝説によれば、この地には神々、巨人、神龍、そして神獣が、幾度も壮絶な争いを繰り広げた。やがて沢山の命が絶え、崩れ落ちた彼らの遺骸や想念が、森の奥深くに埋もれ、凝り固まり、森全体に歪んだ高濃度のエーテルをもたらしたという。
事実、この異様な濃度のエーテルは、全ての生命、存在、魔法、因果律すら激しく乱す。
神々や大精霊の加護も、異界の魔力や悪魔の力も、神獣の神秘的な守護ですら、森の中では迷子のように力を失う。
この地に生きる魔獣や植物たちもまた異常濃度のエーテルにより、異様、歪な進化を遂げており、植物に蟲、小型に大型魔獣、肉体を失ったもの共の想念すら、そこにある全てが異常な特異能力を持ち、そのうえ、神獣にすら襲いかかるような高威力の謎の力を操る。
命あるものはこの森を、近づけば死より恐ろしい運命が待つ場所として、恐れ続けてきた。
死しても無事にはいられない—— それが〝魂壊の森″なのだと、皆がいう。
だが、今、ルミナリスたち一行の歩む、古代大魔導の小径は、種々の危険から守られており、比較的穏やかに皆、歩みを進めていた。
浄玻璃の結晶石—— 古代魔導の加護を宿したこの小さな石が、彼らの道を照らし、安全な道を生み出している。
巨木たちは絡み合い、身をよじらせながら堅固な根を壁として、小径を包み込み、魔獣の侵入を固く拒んでいる。
結晶石の光が照らす術式を、ルミナリスが手を加えたことにより、地面から這い出してくるものたちも、石の放つ神聖な力に阻まれ、影を潜めている。
静寂の中、まるで森の中の聖域のように、彼らを抱きしめていた。
神聖魔法の光が届く範囲は明るく見通しも良く、一行は極めて整然と進んでいた。
如何に帝国の追跡部隊が有能でも、この大魔導の御かげで、足跡一つすら、見つけることは容易ではないだろう。
古の力と異界の残響が、すべての痕跡をかき消してしまうかのように、ここは世界から断絶された隠れ里のようであった。
だが、一見して安全に思われたこの道も、試練の地であることに違いはない。
森には生物としての必須である水も食料もほとんど存在せず、かつて食べられたであろう植物も、長年のエーテルの侵食により変質し、食するには適さないものばかりだ。
わずかに残る食べられる葉も、緑を覆う異様な輝きを放ち、触れる者に不安を与える。
「皆さん。僅かばかりですが、安全な水です。少しずつ召し上がってください」
ルミナリスは魔法の杖を使い、空気から少しずつ水を取り出し、手のひらに置かれた大きな葉を器代わりに、溜めては皆に振舞っていた。
「さあ、貴女も召し上がってください」
と、他人の心配ばかりで、自分で水を飲もうとしないルミナリスに、年かさの侍女長が、
「魔法使い様こそ、お召し上がりくださいませ。昨晩より、お水を他人に差し出しているばかりではございませんか」
厳しく優しくたしなめた。
ルミナリス自身は魔導機兵であり、人間種であるアルゲントルムの少女の姿をとっているものの、実際には水も食料も不要だ。
しかし、その内容を告げるわけにもいかない。
「アルゲントルム人は、青く輝く銀の髪を持ち、エーテルを躰に取り込めるゆえ、少しくらい飲み食いせずとも平気じゃと聞いておったが……どうやら、それは訓練ではなく、生まれつきの性質らしいのう。たいしたものじゃ」
そう、オルクスが言葉を発しながら、ルミナリスに優しい目を向けた。
「でもな、ルミナ嬢。少しくらいは平気じゃとはいえ、飲まなければ躰を労わる事は出来ん。他のものばかりではなく、自分も大事にせよ」
「オルクス様こそ、魔剣アシュラムの加護があるから、飲まず食わずは平気だとおっしゃり、何も手を付けられておりません。私は少しばかりのお水は頂いていますが、オルクス様はからっきしではありませんか。そちらの方が問題だと存じますが」
オルクスは魔剣アシュラムの加護により、不眠不休のまま渇きも飢えも感じることなく進む。十日もの間、飲食を忘れて戦場を駆け抜けることができるという彼の肉体には、生物の限界を超えた異なる法則が存在している。
「いや・・・・・・な。その—— 儂はそもそもエルフじゃしな。精霊人種は人間種の理は当てはまらん、化け物みたいなものじゃ。儂のことは忘れてよい」
ルミナリスとオルクスの会話を見ていた侍女長は、どのような状態でも崩れない背筋をまっすぐにのばしたまま、
「お二人とも、御心遣いに深く深く感謝したします」
それ以上は言葉を交えず、優雅に会釈している。
道なりは比較的安全とは言え、一行は、皆、飢えと渇きに身を苛まれていた。時折響く魔獣の咆哮、そして森の奥からわき上がる妖霊の嘆き声が、安らぎの夜を奪い、彼らの疲労は日ごとにその身を確実に蝕んでいた。限界に近づく身体を引きずり、夜明けを迎えるたびに、まだ見ぬ希望を信じて一歩を進めていく彼らの姿は、幽鬼のごとく、いつ倒れてもおかしくはない。
「オルクス様。お気づきだとは思いますが、回復休息を行う必要があります。このままでは遭難してしまいます」
小休止している時に、ルミナリスはオルクスへ提案した。
「このあたりにはアルゲントルム人が魂壊の森踏破に使うエルハヴェンという待避基地があるはずです。それを探してきます。人から聞いた情報ですが、飲み水に適した泉に食料もあるらしく、一晩過ごすだけでも、生存率は上がると思います」
「儂も聞いたことはあるが、確か魔法で隠されておるのじゃろう? どうやって見つける?」
「先ほど、この先に、あからさま古代樹が少ない、広場というか草地が有るのを見つけました。エーテルの霧もそこだけ薄まっており、その辺りのどこかに設置されているのは間違いないかと。それほど広範囲ではないので、見つけようはあります」
ルミナリスは自身の杖をかざし、魔法陣を展開した。
「検知用の魔法で周囲を確認しながら、反応する魔法陣を探します」
「多少薄くても、エーテルが垂れ込める危険極まりない場所には変わりないぞ。しかも草地であれば、大型魔獣の類もおるであろう。どのように身を守りながら動く?」
更なるオルクスの問いかけに、
「これを使用します」
ルミナリスは落ち着いた声で、鞄から輝きを放つ浄玻璃の楔を取り出した。
「刻まれていた自壊の魔法陣の特定解析解除ができたものを、複数、確保してあります。これを所持して行動すれば、安全確保は可能であると推察しています。いざとなれば、結界魔法で障壁展開も出来ますので、何とかなります」
危険すぎる森の奥深くへと単独で赴くことを躊躇しない、この魔法使い見習いの少女は、やはり危うい。
どことなく、自分の終わりが来ることを望んでいるかのような気配がする。
オルクスはかつての自分にもまとわりついていた、気になるものを嗅ぎ分けていた。
「ルミナ嬢。お主、いつも危ない事は、自分がやって当たり前なのじゃな。他に適任は見当たらぬかもしれんが、助けを求めようとかは思わぬのか? その浄玻璃の楔もそうじゃ。我らが進んでいる間に、引っこ抜こうといろいろ試したんじゃろ?」
心配げな眼差しを向けるオルクスの表情を、ルミナリスは瞬間分析した。
恐らく、アルゲントルム人の少女の姿をしているので、魔獣などの襲撃による負傷や死亡を心配している。
少女の姿の擬態は成功している。
しかし、このままでは保護するという名目の下、行動の自由を制限しようとする可能性が高まる。
それは、阻止しなければならない。
「今、誰にも余裕が有りませんし、安全確保のためには割り切った運用を行い、被害を最小限度に抑え、生存率を高くすることこそが、最適だと判断しています。オルクス様は全体の安全確保の要です。ですからこそ、皆さまを優先頂き、生存率を上げることこそが大事です。探索はこの環境下でも多少の魔法を行使出来て、対処の知識を有する私が行うべきです」
オルクスは、淡々と当然のことのように告げるルミナリスの、覆りようのない意志の強さを感じ取ると、ふう、と小さくため息を一つ落とし、胸元に下げた革袋から何かを取り出し、ルミナリスへ見せる。
「ルミナ嬢。何かあれば、必ず助けにすぐ駆けつける。その為にもこれを持って行け」
それは、赤く輝く光をほのかに放つ小さな宝玉の欠片だ。
「これはな、ふたご石の欠片じゃ。それを叩きつければ、音と光が儂のもつ片割れの石に伝わり、何かがあったことが分かる。位置も勿論正確にじゃ。すぐさま助けに赴ける便利なものじゃ」
ルミナリスの是非も聞かず、その手に握らせた。
「良いな。儂は我が魔剣にお主を守ると誓うた。誓いには力が宿り、破ればどうなるかくらい判らぬお主でもあるまい。お主に危険が及ぶときは助けにゆく。これは決まり事じゃ」
ルミナリスは、この老剣士が自分を守ろうとしている気持ちが大層固いことを認識し、今後の対応についての再構築事項として、記憶域にしっかりと留めた。
少しばかり思考領域に乱れが走ったが、機能には問題は無い。
「有難うございます。オルクス様。お手間を取らせることが無いように注意いたします」
ルミナリスはそう告げて踵を返し、森の奥へ探索に向い、オルクスは、そんなルミナリスの背中を見送りながら、
「良いかの。命は大事じゃぞ」
と念を押すように声を掛けた。
次回はアルゲントルム人の大魔導の秘儀、魂壊の森での待避所を探し求めて、ルミナリスが動くとき——密やかな秘跡がおこります。
読んでいただいて嬉しいです。これから先もまだまだ続きます。読んでいただければ幸いです。




