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機械少女の涙は蒼穹に還る ~メガリマギアの灯火  作者: しきもとえいき
第15章 潮喰みの航路

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Ⅱ ~潮牙商会

声音は低く、殺気を押し殺している。

 むしろ抑えられているぶんだけ、なお危うかった。


 ルルリアは視線を逸らさない。


「南帳房、灰印の三列目。車輪の向こうオバリム。紹介元は外縁交易」


 その名を出した途端、気配が変わった。


~ 本文より

 船着場は静かだった。

 人影はない。


 船は二隻。

 ひとつは腹の低い沿岸船。もうひとつは細身で、異様に船首の長い快速船。どちらも見た目は地味だが、帆も船腹も、いざとなればただの商船では済まぬ機動を見せそうな匂いがある。


 干された網の下、倉庫脇、船影、潮溜まりの向こう。

 視界に入らぬところに、複数の目が潜んでいる気配だけがあった。


 ルミナリスが静かに分析を走らせる。


 熱源、七。

 うち三は高所。二は倉庫内。二は水際。

 武装魔力反応あり。魔導銃、短弩、鉤槍、湾刀。

 要警戒—— 黄色の領域。


 オルクスは表情を変えない。

 わずかに視線を動かしただけだった。


 一歩踏み出したのは、ルルリアだった。

 一度だけ潮の匂いを吸い込む。

 湿った塩気の奥に、黒油、干魚、濡れ縄、古い血の匂いが混じっている。


 懐かしいとは思わないが、忘れてもいないもの。


 こういう場所では、先に名乗った方が負ける。

 必要なのは、届くべき相手にだけ届く言葉だ。


 ルルリアは桟橋の先、無人に見える船影へ向かって、語り掛けるように言った。


「潮が黒けりゃ、疼く牙は何を噛む? 牙に何を与える?」


 波が杭を打つ音だけが、ぴしゃり、ぴしゃりと返る。


 ルルリアは黙ったまま待っていた。

 符牒は、投げたあとの間にこそ意味がある。

 次の瞬間、倉庫の陰から何かが動いた。


 海獣人だった。


 長身だが、立ち方が人間と違う。重心が低く、全身が波の揺れに慣れている。

 濡れたような黒青の肌のところどころに、鱗とも魔導文様痕ともつかぬ光沢があった。頬から耳の下にかけては、薄く裂けたような鰓痕。背には短い銛。腰には鉈めいた湾刀。首には牙の飾りが揺れている。


 その目は、暗い海底のように冷たかった。


「腐った潮なら、牙は肉を裂き、骨をかじり取る」


 返答はあった。

 だがそれは、迎えの言葉ではなかった。


 ルルリアは、その瞬間に悟った。

 相手の目の色が、さらに一段深く沈んだからだ。


「その符牒を、どこで覚えた」


 声音は低く、殺気を押し殺している。

 むしろ抑えられているぶんだけ、なお危うかった。


 ルルリアは視線を逸らさない。


「南帳房、灰印の三列目。車輪の向こうオバリム。紹介元は外縁交易」


 その名を出した途端、気配が変わった。


 見えない高所で、何かがきしむ。

 倉庫の陰で靴底が半歩ずれる。

 水際の殺気が、潮に溶ける寸前まで膨らんだ。


 ルミナリスの百眼に、敵意判定の数値が跳ね上がる。


「敵意が増しています。警戒してください」


 そう告げながらも、彼女はまだ杖を上げなかった。

 指を添えるだけに留める。


 海獣人はぴくりとも動いていない。

 だが、その静止こそが最も危険だった。


「……ゴルデンオスト」


 その言葉は吐き捨てるのでも、嘲るのでもなかった。

 もっと悪い。

 飲み込めぬ毒を、舌の上で確かめるような言い方だった。


 オルクスの指が、腰の剣に触れる。

 抜いてはいない。だが、いつでも斬れる距離にある。


 海獣人が一歩、前へ出た。


「小娘。ひとつだけ教えてやる」


 その声は低く、妙に澄んでいた。


「ここでその名を出して、まだ首が繋がってるのは、俺がいま考えてるからだ」


 ルルリアの喉がわずかに鳴る。

 それでも引かなかった。


「考える余地があるなら、まだ完全な敵じゃない。商談の機会はあるってことでしょ?」


「ほざくな」


 短い一言。

 だがその一音で、周囲の気配がさらに張った。


「ゴルデンオストは、潮を読むふりをして他人の海を売る。海路を買い、仲間を秤にかけ、沈むと分かってる船にも笑って旗を振る。あの商会の筋を名乗る奴は、客じゃない。災いだ」


 その言い方で分かった。

 これは商売上の不和ではない。

 身内を殺された者の憎悪だ。


「……なら、どうして撃ってこないの」


 ルルリアはゆっくり言った。


「そこいらに、いろいろ潜んでるのに」


 海獣人は吐き捨てるように答えた。


「お前だけなら、今ごろ海の底で魚の餌だ。話を聞いてやってるのは、後ろにいる女のお蔭だ」


 水かきのある指が、ルミナリスを指す。


「お前」


 海獣人の目が細まる。


「アルゲントルム魔法人だな」


 ルミナリスは一切身動ぎをしなかった。

 真っすぐにその視線を受け止める。


「なぜそう判断したのですか」


「俺と頭は、昔、王国の海兵としてひとりの女と共に戦ったことがある」


 海獣人の声音が、ほんのわずかに変わる。

 殺意が消えたわけではない。だが、その底に別の色が混じった。


「太陽の乙女、ソラデア・アルクス。——あの物騒な魔法使いだ」


 ルミナリスの瞳が、わずかに揺れる。


「あの女には、命を助けられた恩がある。だから、そっくりなその顔をすぐには斬らずに眺めている」


 そう言いながらも、海獣人の殺気は完全には消えない。

 ただ、今はそれを呑み込んでいるだけだ。


 ルルリアは、ルミナリスとオルクスへ一瞬だけ視線を送ると、両手をゆっくり上げて一歩前へ出た。


「私は今、ゴルデンオストの使いじゃない」


 海風が、後ろに束ねた髪を横へ払う。


「あそこに拾われて、使われて、見限った側」


 海獣人の目が細まる。


「証明は」


「あるわけないでしょ」


 ルルリアは即答した。


「でも、あなたたちに信じさせることができるものはある」


 穏やかに、しかしはっきりと、怯えなど見せず、辺りに聞こえるように声を張り上げた。


「今から出す。だから、撃たないで」


次回、ルルリアの交渉と海獣人たちの取引を描きます。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

感謝申し上げます。

また是非、お目にかかれるよう、しっかりと描いていきます。

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