第2章 王都陥落Ⅲ ~ 魔剣アシュラムの誓い
オルクスと王家の縁の始まり。オルクスはそのことを忘れることなく、剣を振るう。ルミナリスは伝説の英雄にすがりつく避難民に理を語るが——
遠くで地鳴りが響き渡り、天井から小石がぱらぱらと降ってきた。
何か大きな建造物が破壊されたか、倒壊したのだろう。
オルクスは周囲をざっと見渡し、怪我人の状態や、ここにいる者たちの風体・人数を確認してから、ルミナリスへ静かに問う。
「大変な思いをしただろうが、すぐさま次の手を打たねばならん。ここからの脱出の手立ては、あるのか?」
ルミナリスは静かに頷き、
「こちらへ」
と、少し離れた石碑へと案内した。
王家の紋章だけが刻まれた、のっぺりとした石板。
ルミナリスが腕輪を取り出して近づけると、文字と図面、地図が光となって浮かび上がる。
図面には、丸い果実のような形をした乗り物への乗り方と、水底に潜むドラゴンの姿をした魔獣が描かれていた。
その魔法船に刻まれた魔法陣に印なき者は、魔獣に襲われる――そういう仕掛けなのだろう。
王族の逃げ道としては、ありがちな仕掛けだ。
「ここに書いてある通りですと、あの奈落へ、この“魔法船”に乗って落ちれば、この地図に示された場所に出るようです。……まずは魔法船をご覧ください」
ルミナリスが水路沿いの壁の奥へ案内すると、かがり火に照らされて浮かび上がったのは、先ほどの乗り物らしきものの、無残な残骸だった。
翡翠色の半透明の外殻は割れたり外れたりして、床に散乱している。丸い果実のような船体は、百合の花を模した魔法金属の台座に据えられ、近くを流れる水路にそのまま落ちて奈落へ向かう仕組みになっているらしい。
だが、その大半は台座から外れ落ち、壊れていた。
「手入れもされず、あまりにも長く放置されていたのでしょう。使用に耐えうるものは三つだけ。あとはどれも、ご覧の通りです。一隻に乗れるのは四人まで。今ここには、剣士様の赤子のお連れを含めて十七人……赤子は抱えてもらうとしても、あと、三人は諦めてもらわないといけません」
魔法使いの少女は、真っ直ぐに老エルフを見つめながら、小さな宝玉をひとつ手渡した。
「これは、あの船に乗るための鍵です。オルクス様用に一つ、お渡ししておきます。赤子のお連れ様と、そのお供にされたい方を、ご一緒にお願いします」
淡々と語りながらも、声にはわずかな揺れがある。
老エルフのオルクスは、その青い瞳をじっと見つめて尋ねた。
「先ほどの人数だが、勘定が合わん。魔法使い殿が算術を知らぬわけもあるまい。……お主、端から死ぬ気か?」
ルミナリスは、魔法使いがよく用いる意思表示の作法で応じた。杖の石突を地面に打ち付け、その回数で答えるのだ。一度なら肯定、二度なら否定。
彼女が杖を打ちつけた回数は二度――意味は「否」である。
そうして、残る鍵の玉三つを小さな袋に入れ、そのままそっとオルクスへ手渡した。
「オルクス様にお預けいたします。どのみち、全員は乗れません。怪我の程度が重く動けない方がお一人。その方は、残念ですが外さざるをえません。私は自分の魔法で、何とかします。……これで二人。それでもまだ、あと二人は残る者が必要です。事情を説明し、誰が乗り、誰が残るのかは、皆様ご自身に決めていただこうと思います。この鍵は、乗船することになった方へ、お渡しください。オルクス様のお言葉なら、皆も耳を傾けやすいでしょうから」
「流石は魔法使い、理路整然としておるな。……しかし、お主、本当に何とかなるのか?」
ルミナリスは、その問いにきょとんとした顔を返した。
自分が乗らないことは、当然の前提だと言わんばかりに。
「私は身を護る魔法・魔術をいくつか習得しておりますし、魔法防具も装備しています。脱出の手立ても、いくらか見当がつきます。あの図にある魔獣に襲われさえしなければ、身を守る術はあります。……私の優先順位は、一番低くて構いません」
その言葉には、一片のためらいもない。
静かな決意。
それは悲壮感ではなく、透明な“確信”だった。
オルクスは、その瞳の奥に宿る何かを見た。
それは希望でも恐怖でもなく、ただ純粋な意志の光だ。
「そうか……お主は、死に急いでおるわけではないのだな?」
「私には、為さねばならない使命があります。この身を投げ捨てるのは、まだまだできません。……使命のためにも、最善を尽くします。もし、私が魔獣に襲われましたなら、その時は――お助けくださいますか?」
オルクスは頷くと、剣を手に取り、片膝をついた。
「ならば、我が魔剣アシュラムにかけて誓おう。傍らに汝がある限り、その身が危うき時、刃を振るい、その身を守らん。――アシュラムの輝きよ、誓いを為せ」
剣が青白く光り、澄んだ音をひとつ立てた。
魔剣アシュラムの誓い。
立てた誓いを果たせば果たすほど、魔剣はその力を増し、持ち主にさらなる加護を与える。
だが、一度でも誓約を違えれば、躰ごと魂を取り込まれ、魔剣の養分とされる。
すべてを滅ぼし断ち切るための力を秘めた、呪われた誓いの剣――まさしく魔剣である。
そして何より、その魔剣を見事に振るう老エルフも、只者ではなかった。
やや離れた場所で項垂れていた兵士が、剣の誓いを聞きつけて興奮した様子で近寄ってくる。
「あ、あなた様は……伝説のオルクス・フルミニス様なのですか? 救国の英雄の話は本当だったのですね。神や悪魔すら討滅する魔剣アシュラムを振るう、エルフの大剣士……お願いです。この国の危機を、私たちの命を、どうかお救いください!」
兵士は持っていた槍を取り落とし、ひざまずいて手を組み、神に祈るように祈り始めた。
それを聞きつけた他の避難民たちも、ざわめきながら口々に叫ぶ。
「魔剣アシュラム……伝説のエルフの英雄、オルクス様……」
「これで、助かる……」
「私の家族の、家族の仇を取ってくださいませ!」
「死にたくないんですっ。子どもが家で待っているんです。お願いです、お助けください!」
押し寄せる信仰にも似た熱。
それは、絶望に溺れた人々の、最後の理性の火だった。
オルクスは目を伏せ、深く息を吐く。
神ではない自分に何を祈ろうが、何も救えぬ。
己の剣が救うのは、“生きる覚悟”を持った者のみ。
籠の中の赤子が小さく身じろぎし、守護の神玉が淡い光を放って、オルクスの手を温めた。
(……友よ。約束は、まだ果たされておらん)
遠い記憶が、鮮やかに蘇る。
『オルクス、俺は王国を継ぐよ。これ以上、誰かの哀しみがこの地に溢れるのは沢山だ。ちゃんと飯を食えて、夜はぐっすり眠れて……そんな、当たり前のことを当たり前にできる国にしてみせる』
『しかし、俺はいつ死ぬか分からん、ただの人間種だし、寿命も短い。兄上と同じ、弱い人間だ。自分の妻子すら満足に守れる自信がない。だからお前に頼みたい。お前が守る価値があると感じたなら、俺の代わりに……守ってくれないか?』
『立派な国が出来上がったなら、考えてやる』
『ああ、約束する。立派な国を興してやるさ。誰もが腹いっぱい飯を食えて、ぐっすり眠れる、そんな国をな』
『――魔剣アシュラムに誓う。お前が約定通り、立派な王国を造り上げたなら、俺は剣となり、お前の国と子らを危難から守るために、剣を振う』
遥か昔、マクシュハエル王国が荒れ果てていた時代。
国王となった友に向けて交わした、魂の盟約。
五百年前、王国を興した王の言葉。
その願いが、今もなお、オルクスの剣を動かしている。
オルクスの視線が鋭さを増し、剣を握る指先にかすかな殺気が走る。
――守るためには、邪魔なものは切り捨てねばならぬ。
魂の盟約は、何があろうとも果たす。
そう覚悟を決め、戦場に満ちるどす黒い殺意すら帯びた気配を全身にまとい始めた、その時、
「皆さん。お待ちください。私の話を聞いてください」
ルミナリスが、はっきりとした、よく通る声で人々を諫めた。
「私は……自分が何者なのか、よく分かりません。名前と、自分が為すべきことだけしか思い出せない、記憶が混濁した魔法使いです。……だから、このお方がどのような方なのかも、思い出せませんし、分かりません。ただ一つ、神様ではないことだけは分かります。よくご覧ください。魔導機兵との戦いで、手傷を負っておられるのが分かるはずです」
ルミナリスは魔法の杖を掲げ、オルクスの姿を明るく照らし出した。
服はあちこち焦げ付き破れ、ところどころから血が滲んでいる。
「皆さんが何にすがろうとも、それは自由です。ですが、ご自身の命の選択を他人に預けてしまえば、ただ奪われるばかりです。……私は、自分の名前しか思い出せません。魔力も決して高くありませんし、大魔法など使えません。それでも、細やかな魔法でも、守れるものは守り抜こうと考えています。 お願いです。少しでも長く、一人でも多く生き残るための方策を――その機会を掴む覚悟を、どうか持ってください」
強くもなく、感情的でもなく、ただ淡々と、しかし朗々と紡がれる言葉。
その言の葉は、取り乱していた人々の心に、静かに染み込んでいく。
いつしか皆、黙して聞き入っていた。
「ああ、あんたの言うとおりだ。死にそうなところを助けてもらって、伝説の剣士様を目の前にして、少々のぼせ上がっていた。……すまなかった。ありがとうよ、お嬢ちゃん。オルクス様、ご無礼をお許しくだ――」
兵士の言葉は最後まで紡がれることなかった。
突如の炸裂音と共に悲鳴を上げる暇すらなく、壁ごと吹き飛ばされた。
この時、避難民との合流は、新たな死地を招きます。
次回はルミナリスとオルクスの逃避行を描きます。




