第13章 神の花を求めてⅠ ~灰色の帰還
月光を削り出して形にしたかのような、静かな輝き。
それが姿を現した瞬間、周囲の空気が変わった。
城塞の石壁にもたれていた獣人兵たちが、息を呑む。
小さく交わされていた囁きが止み、場にいた誰もが、オルクスの掌へ視線を吸い寄せられた。
「……銀月の、爪」
ロアンの声は掠れていた。
~本文より
高い岩山に囲まれた大地。
神々と精霊に祝福され、大いなる加護の宿るその地に築かれた秘密の城塞——アルカヌム・カストルム。
ルミナリス一行はオルクスの要請により、再びそこへ戻ってきた。
ロドとの約束を果たすため。雪原の勇士にして銀狼族の勇士、ロアンに会うためであった。
「そうか……相も変わらず、全てを抱え込んで独りで逝ったのか。ロドさんらしい」
銀狼族のロアンは、オルクスからその最期を聞くと、悲しみを押し殺すように青空を見上げた。
「オルクス殿。ロドさんの死に顔はどんなだった?」
「ああ、満足げな安らかな顔であったよ。世界の脅威となりうる敵を、斃したのじゃから、満足であったろう」
オルクスはロドの死に顔を浮かべながら、戦士として、ほんの少し羨望の入った声で返した。
「そうか。そうなのか……アンタはアンタで守りたいものを守ったんだな……」
強さを過信し、増長していた若き自分を叩きのめし、道を示してくれた恩師。帝国との戦争で幾度も死地を潜り抜けた戦友。
——そして、ついには袂を分けた仇敵。
「星々の静謐の彼方で、穏やかに過ごしてくれ……ロドさん」
そう呟くロアンに、オルクスは声をかけた。
「お主に渡してくれと預かったものがあるのじゃ」
そう言って、オルクスは懐からひとつの首飾りを取り出した。
銀に近い青白い光を宿した爪を象った、銀狼族が見忘れるはずのないもの。
月光を削り出して形にしたかのような、静かな輝き。
それが姿を現した瞬間、周囲の空気が変わった。
城塞の石壁にもたれていた獣人兵たちが、息を呑む。
小さく交わされていた囁きが止み、場にいた誰もが、オルクスの掌へ視線を吸い寄せられた。
「……銀月の、爪」
ロアンの声は掠れていた。
それが何であるか、知らぬ者などいない。
王狼が王狼たる証。銀狼族の誇り。神獣ルーンの加護を継ぐ資格の象徴。
それを、ロドは最期に手放した。
ロアンはしばらく動かなかった。
差し出された首飾りを見つめたまま、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように立ち尽くしている。
「……俺に、これを?」
ようやく絞り出した声は、戦士ではなく、道を見失ったひとりの男のものだった。
オルクスは頷いた。
「うむ。ロド殿は確かにそう申した。『ロアンに渡せ』とな」
その一言は、刃より深くロアンの胸を裂いたようだった。
ロアンは俯き、強く奥歯を噛みしめた。
肩が、わずかに震えている。
「ふざけるなよ……」
低く漏れた声に、周囲の獣人兵たちが息を詰めた。
「こんなもん……あとは宜しくって、渡せば済む話じゃねえだろ……!」
叫びではなかった。
むしろその逆だった。怒鳴り散らせぬほどの痛みが、押し殺した声を震わせていた。
「あの人は、いつだってそうだ。肝心なことを、最後まで自分の腹ん中に抱え込んで……っ」
ロアンは顔を上げた。
その眼差しの奥にあったのは涙ではない。怒りと、どうしようもない喪失感と、置いていかれた者の絶望だった。
「俺は、まだ……アンタに、アンタに」
その言葉は、最後まで口にならなかった。
代わりに、沈黙していたルミナリスが一歩進み出る。
「私はその場に立ち会ってはいませんが、ロド様は、迷っていないと断言できます」
無機質なはずの声は柔らかく、不思議なほど静かだった。
「あなたに託すと決めていたのはまちがいありません」
ロアンの視線が鋭くルミナリスに向く。
「……どうして、そう言い切れる」
「その首飾りに込められている魔力波が、貴方に近づいたことで活性化しています。それが証拠です」
ルミナリスは淡く輝く銀月の爪を見た。
その魔力の奥に、まだ微かに残る王狼の残滓を百眼で感じ取っていた。
「ロド様は、最期の重みをあなたに投げたのではありません」
ルミナリスはロアンを真っ直ぐ見た。
「次の世代を、未来を守ることをあなたに託したのです」
場の空気が沈む。
獣人兵たちの間に走っていたざわめきが、今度は別の意味で消えていった。
ロアンは目を見開いたまま、しばらく言葉を失っていた。
やがてゆっくりと、震える指先を銀月の爪へ伸ばす。
その瞬間だった。
首飾りが、ほの白く脈打った。
淡い月光のような輝きが、牙の内側から滲み出し、ロアンの指先を包む。
遠く、雪原を渡る狼の遠吠えにも似た音が、誰の耳にも届かぬはずの場所から、確かに響いた。
「……っ」
ロアンが息を呑む。
同時に、その場にいた獣人たちが一斉に顔を上げた。
神獣ルーンの気配。王狼の継承にだけ現れる、銀の神威。
「ロドさん……」
それは呟きであったのか、それとも祈りであったのか。
ロアンは銀月の爪を掌に受けたまま、項垂れる。
受け取ったのは、ただの首飾りではない。
王狼の名。銀狼族の未来。獣人たちの希望と怨嗟。
そのすべてが、片手に収まる小さな爪に封じられていた。
「……俺は」
低く、苦しげな声。
ロアンは空を見上げて告げた。
「強さも、覚悟も、背負ってきたものも……あの人には遠く及ばない。そんな俺に、どうして——」
そこまで言って、ロアンは言葉を飲み込んだ。
その問いを、ぶつけるべき相手はもういない。
石造りの広間に、重い沈黙が落ちる。
「だったら、それを俺によこせっ」
その沈黙を破ったのは、細身で背が高い剣猫族、元ベルセクオール魔眼部隊隊長ゼイロスであった。
次回、ゼイロスと王国兵たちの激突を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これからもしっかりと描いていきますので、またお目に是非かけてください。




