外伝 同類は、気付く
放課後の中等部校舎は、昼間の喧騒が嘘のように穏やかだった。
窓から差し込む西日が廊下を橙色に染め、磨かれた床がやわらかく光を返している。渡り廊下には部活へ向かう生徒の足音が時折響き、風に揺れるカーテンがさらりと鳴った。
そんな中を、並んで歩く二人の少女。中峰陽子と七瀬麻衣だ。
「……ねえ、陽子」
前を向いたまま、麻衣が低く声を落とす。
「うん?」
陽子は、何の警戒もなく首を傾げた。
「気付いてないよね?」
「何が?」
その無防備さに、麻衣は小さく息を吐く。
――ほら。
柱の影が、わずかに揺れ、黒い布地が一瞬だけ覗き、すぐに引っ込む。
「……あー」
麻衣は遠い目をした。
(あれは完全に張ってる人の動きだ)
尾行慣れした者特有の、間合いの取り方。姿を見せすぎず、離れすぎない。絶妙に不自然。
***
数メートル離れた柱の陰。神薙美海は、息を潜めていた。
黒いゴシックロリータのフリルが、夕日の中で沈む影のように溶け込む。
「……異常なし」
誰に聞かせるでもなく、低く呟く。
視線の先には、笑いながら歩く陽子の姿。
――先日の事件。
影の部屋。怪異。封じられた空間。
そして、クラリスとの衝突。
終わったはずなのに、美海の中ではまだ終わっていない。
「でも油断はできない」
拳を握る。
「ワタシが見ていれば、二度と何も起きない」
その真剣さは本物だった。
ただし姿勢は完全に不審者である。
***
「陽子」
「うん?」
「今ね」
麻衣は前を向いたまま、何気ない調子で言った。
「美海お姉様、三本目の柱の後ろ」
「え?」
陽子が素直に振り向く。
そこには誰もいない。
だが、植え込みの影がわずかに揺れ、黒いフリルが一瞬だけ消えた。
「……」
「……」
「…………」
「ええええ!?」
陽子の悲鳴が、静かな廊下に響いた。
***
「な、なんで!?」
慌てて辺りを見回す陽子。
「気付いてなかったの?」
麻衣は半眼で答える。
「三日前からだよ?」
「三日!?」
「うん」
さらり。
「完璧に尾行の距離感」
「び、尾行って言わないで!」
***
植え込みの影。
「……バレたかしら」
美海は小さく呟いた。
表情は冷静を装っているが、耳がほんのり赤い。
(気付かれないように距離を保っていたのに)
その横から、ひょいと顔が現れる。
「美海お姉様」
「!?」
いつの間にか麻衣が立っていた。
「……何かしら」
平静を取り戻した声。
「その動き、分かります」
「?」
「私も昔、クラリス部長でやりましたから」
胸を張る。
美海、無言。
「物陰から見守るの、楽しいですよね」
「楽しくないわよ!?」
即答だった。
「これは安全確認よ」
「はいはい」
にやにやと笑う麻衣。
***
「お姉様」
追いついた陽子が、不安そうに見上げる。
「心配してくれてるのは嬉しいけど……」
夕日を受けて、その表情が柔らかく揺れる。
「ちゃんと一緒に歩いてくれた方が安心します」
沈黙。
美海の瞳が、わずかに揺れた。
「……それは」
「お姉様、柱の影から半身出てる方が危ないです」
麻衣、容赦なし。
「……」
完全に正論だった。
***
「分かったわ」
小さなため息。
「今日は一緒に帰る」
「やった」
陽子が無邪気に笑う。
その笑顔に、美海は一瞬だけ視線を逸らした。
「ただし」
「はい?」
「距離は一定」
「何の!?」
***
三人で歩き出す帰り道。
西日が校庭を長く染め、風が制服の裾を揺らす。
だが。
麻衣は横目で確認した。
(近い)
陽子と美海の距離、ほぼゼロ。
「一定とはいったい……」
「……これが一定よ」
真顔だった。
***
そのとき、突風が吹いた。
美海のスカートがふわりと揺れる。
たなびく黒いスカートの奥に除く、目に眩しい純白のパンツ。
そして。小さな刺繍。
――黒薔薇。
「……あ」
麻衣の目が止まる。
「…………」
ゆっくりと視線を上げる。
「美海お姉様」
「何かしら」
麻衣は、にこりと。
それはそれは屈託のない、素敵な笑顔で呟いた。
「黒薔薇、素敵です」
空気が止まった。
陽子が一瞬で真っ赤になる。
「ま、麻衣!?」
美海の頬が、かすかに染まる。
「……忘れなさい」
「無理です」
「ふーん。<詞縁・記憶曖昧ノ句>」
「待って! 待って!! 言いませんから!! あと何ですかその適当な術!」
麻衣、即座に土下座。
「クラリス部長にも言いません!」
「当たり前よ!!」
陽子は、さらに赤くなる。
やがて。
「……陽子」
「は、はい?」
「この子」
「はい」
「口は軽いけど、悪意はないわね」
麻衣、地味に傷つく。
「……なら」
術が解ける。
「今回だけよ」
「ありがとうございます美海お姉様!」
***
再び歩き出す三人。
「でも陽子」
麻衣が小声で囁く。
「やっぱりあれ、ストーカー」
「違う!!」
そのやり取りを聞きながら。
美海は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
(見守るのも、悪くない)
ただし次からは――
もう少し目立たない方法を考えよう。
たぶん無理だけど。




