エピローグ・第三節 ――北浜星蘭の記録
事件が終わって、しばらく経った。
学園は、何事もなかったかのように日常を取り戻している。
旧棟は相変わらず立ち入り禁止のまま。
問題の廊下も、存在しない部室も、誰の記憶からも少しずつ薄れていった。
だが。
忘れてはいけない、と私は思っている。
これは、ただの怪異ではなかった。
***
今回の怪異の本質は、「場所」ではない。
最初から最後まで、あれは意志だった。
百年前、この学園がまだ形を成す前。
封縁乙女と同じ系譜に連なる、ひとりの退魔師の少女が存在した。
名は、残っていない。
ただ分かっているのは、彼女が極めて高い霊力を持ち、
縁を視、縁を断ち、縁を結ぶことができたということ。
――今の私や、葵と同質の存在。
彼女はある事件をきっかけに、
「あの場所」に閉じ込められた。
封じられたのではない。
縛られたのだ。
人の手によるものだったのか、事故だったのか。
それを知るすべはもはや存在しない。
人の想い、未練、後悔、祈り。
それらを核にして構築された、隔絶空間。
逃げ場のない、完全な孤独。
百年という時間は、あまりにも長すぎた。
***
彼女は、救いを求めた。
けれど、その救いは歪んでいた。
自分が出るためには、代わりが要る。
自分の代わりに、ここに縛られる誰かが。
そのために、彼女は縁を歪めた。
千里子の潜在的な霊力を媒介にし、
朱音の不安に触れ、
葵の願い――愛子の視力を取り戻したいという想いを利用した。
「独りで来い」
あのメッセージは、合理的だった。
この怪異の場所は、不安定だったから。
複数の意志が踏み込めば、崩壊してしまう。
だからこそ、独り。
独りで来て、独りで選ばせる。
その選択の先に、自分の解放があると信じて。
***
私と葵は、それぞれ別の真実に辿り着いた。
私は、「救われたい怪異」ではないことに気づいた。
彼女は、救いを装った加害者だった。
葵は、「奇跡の正体」を見抜いた。
縁を治すのではなく、縁を入れ替える力。
どちらも、真実だった。
だからこそ。
私たちは、あの場所に拒絶された。
あの核へ辿り着く条件は、
単なる理解でも、同情でもなかった。
――選択。
その怪異を「どう終わらせるか」を、自分自身で決めること。
***
美海先輩が暴走したのは、必然だった。
陽子さんを利用されたことは、彼女にとって逆鱗だった。
黒幕は、そこを読み違えた。
だが、あの戦いがあったからこそ、
私と葵は並び立つことができた。
風で言霊を削ぎ、
想いで縁を射抜き、
二人で一つの答えを作る。
<封縁・双ノ連結>。
あれは術ではなく、結果だ。
***
最後に辿り着いたとき。
私と葵は、同じ選択をした。
彼女を救わない。
だが、終わらせる。
縁を断ち、
縁を結び直し、
これ以上、誰も巻き込ませない。
それが、彼女にとって唯一の救いだと信じて。
百年の孤独は消えない。
壊れた心も、元には戻らない。
それでも。
泣いたあの瞬間、
彼女は初めて、「誰か」として存在できたのだと思う。
***
怪異とは、いつも人の心から生まれる。
強すぎる願い。
叶わなかった想い。
そして、独りで抱え続けた痛み。
今回の事件は、その極致だった。
だから私は、記録する。
忘れないために。
同じ過ちを、繰り返さないために。
そして。
隣で歩く、佐々木葵の背中を見て、思う。
――独りでは、答えに辿り着けなかった。
それが、今回のすべてだった。




