第3話 存在しない部室は、踊りだす
――面倒なことになったわね。
桐嶋・クラリス・聖蘭は、学園本館三階、K.G.S.の部室で紅茶を口に運びながら、内心でため息をついていた。
窓の外では、午後の陽射しに照らされて中庭がきらきらと輝いている。平和そのものの光景だ。少なくとも、表向きは。
「……で?」
カップをソーサーに戻し、向かいの少女を見る。
「それで? 今度は『存在しない部室』?」
部室の中央で、腕を組んで立っているのは佐々木葵だった。中等部時代から見慣れた、少しだけ硬い表情。
「はい。昨日、星蘭と一緒に確認しました」
「確認した、って……」
「確かにありました。地図にも記録にも存在しない教室が」
クラリスは目を細める。
「……ふぅん」
その反応に、隣で書類を整理していた玲子が苦笑した。
「その顔、絶対ろくなこと考えてないでしょ? クラリス」
「失礼ね、玲子。わたくしはいつだって学園の平和を――」
「その結果がいつも騒動なんでしょ」
ぴしゃり、と切られる。
クラリスは肩をすくめた。
「でもね? 葵。あなたと星蘭が人の気配を感じたって話、そこが一番重要じゃない?」
「……ええ」
「存在しない部室、って噂は前からある。でも今回は誰かがいた。それに、部室じゃなくて教室だった」
クラリスは立ち上がり、ホワイトボードにさらさらと書き込んでいく。
・存在しない部室
・だが今回は教室
・人の気配あり
・残留思念のみ
「つまり――」
振り返り、楽しそうに微笑んだ。
「これは新種。学園七不思議のアップデート案件よ」
「……言い方が軽いです」
葵がじっと睨む。
「軽くしないとやってられないでしょ? こういうのは」
そして。
クラリスは、その軽さのまま――
うっかりやらかした。
「じゃあ、K.G.S.として正式に調査告知を出しましょうか」
「告知?」
「ええ。『存在しない部室の正体を最初に確認した者には――』」
指を立てる。
「霊的報酬あり、って!」
「……ちょっと待って、クラリス!」
玲子が即座に止めに入った。
「それ、絶対話が変な方向に広がるじゃないの」
「大丈夫よ、玲子。ちょっとした刺激を――」
「それが一番危険なんでしょ!」
だが、時すでに遅し。
***
噂というものは、学園では生き物のように増殖する。
「ねえねえ、聞いた?」
「存在しない部室、見つけたら何かもらえるらしいよ」
「え、何それ? 願いが叶うとか?」
「霊的なやつでしょ? ポイントとか!」
尾ひれは、瞬く間についた。
いつの間にか、
・最初に入った者には祝福
・封縁乙女からの褒賞
・願いがひとつ叶う
――などという話にまで進化している。
「……誰がそんなこと言ったんですか」
北浜星蘭は、こめかみを押さえた。
昼休み。高等部一年の教室。
隣の席で、芹沢朱音が楽しそうに身を乗り出してくる。
「ねえ星蘭! これ、絶対あれでしょ? 昨日言ってたやつ!」
「違います。話が三段階くらい飛躍してますよ?」
「でもさ、最初に見つけた人に霊的賞金って!」
「言ってません。そんな制度ありません」
ぴしゃり、と切るが、朱音はへこたれない。
「でも燃えるよね~。学園ミステリー!」
「あなた、楽しんでますよね」
「うん!」
即答だった。
星蘭は小さくため息をつく。
(……まったく。クラリス先輩、何を考えてるんですか)
ふと、廊下を見る。
向こうから歩いてくる、よく知った横顔。
佐々木葵。
黒髪の長さも、背の高さも、自分とよく似ている。違うのは、葵の纏う空気が、少しだけ静かで、影を含んでいること。
目が合う。
葵は小さく頷いた。
(……やっぱり、あなただけは分かってますよね)
星蘭は、胸の奥でそう思った。
***
そして。
騒動は、本物を引き寄せる。
「――ほう?」
中庭のベンチ。
黒いフリルの日傘の下で、ひとりの少女が微笑んだ。
腰まで届く漆黒のロングウェーブ。
学園公認のゴシックロリータ。
「存在しない部室……最初に辿り着いた者に、褒賞?」
いつもの日課――
《詞縁・言ノ調律》による学園内の不穏な動きの調査。
周囲の縁に残る無数の「言葉の残響」の中から、ひときわ面白い響きを拾い上げる。
くすり、と唇を歪めた。
「面白い冗談ね」
立ち上がり、スカートを翻す。
「それを仕組んだのが誰であれ――」
瞳が、冷たく光った。
「最強への挑戦状と、受け取るわ」
神薙美海。
自称最強の封縁乙女。
黒薔薇の断罪者は、静かに歩き出した。
その先にあるのが、
ただの噂か、
それとも――本物の怪異か。
それを決めるのは。
風か、弓か、言霊か。
そして。
騒動の中心で、桐嶋・クラリス・聖蘭は――
「……あら?」
くしゃみをひとつ。
「なんだか、とっても嫌な予感がするわ!?」
――すでに手遅れだった。
***
つづく




