第1話 存在しない部室 前編
放課後の校舎には、二種類の静けさがある。
一つは、生徒たちが去ったあとの、ただの空白。
もう一つは――そこに残ってしまったものが、息を潜める静けさ。
北浜星蘭は、後者の気配を、風の止まり方で感じ取っていた。
高等部校舎三階。
美術室と資料室の間。
本来なら、壁しかないはずの場所に、夕日が不自然な影を落としている。
扉の形をした、影。
肩甲骨のあたりまで伸びた黒髪が、歩みに合わせて揺れる。
前髪は眉の上で揃えられ、古風な巫女を思わせる顔立ちは、年相応の幼さを残しつつも、どこか近寄りがたい凛とした空気をまとっていた。
「……やっぱり、ですね」
星蘭は小さく息を吐く。
痩せた体躯。
制服の上からでも分かるほど華奢な肩。
――だからこそ、軽んじられるのは慣れている。
だが、その足取りに迷いはなかった。
ここには、風がない。
正確には、風が拒まれている。
「存在しない部室、ですか。七不思議にしては、ずいぶん陰湿ですよ?」
独り言のように呟きながら、星蘭は一歩、影へ近づく。
胸の奥に、ざらついた感覚が走った。
――ここにいたかった。
――でも、いられなかった。
誰かの感情が、風に乗れず、淀みになっている。
「……放置は論外ですね」
その瞬間だった。
「やっぱり、星蘭でしたか」
背後から、落ち着いた声。
振り返ると、廊下の向こうに佐々木葵が立っていた。
星蘭と同じ身長。
だが印象は、まるで違う。
葵は静かで、内向きで、風よりも溜める気配を持つ少女だ。
弓を持つ手は強く、けれど引き金を引くことに躊躇を知っている。
「……あなた」
星蘭は眉をひそめる。
「また、首を突っ込んでいるんですか。危険ですよ?」
語尾の「ですよ?」が、自然と相手を牽制する。
葵は気分を害した様子もなく、淡々と返した。
「星蘭も、同じことをしてる」
「わたしは、対処できます」
即答だった。
「あなたは……まだ、無理をする段階じゃないですよ?」
一族の誇り。
自分は祓う側だという確信。
それが、星蘭の背筋をまっすぐに保っている。
だが葵は、視線を逸らさない。
「ここにいるのは、妖魔じゃない。居場所を奪われた人の念……近い」
星蘭は、わずかに息を詰めた。
――同じだ。
自分が風で感じ取った違和感と、葵の直感は、同じ場所を指している。
その時。
壁の向こうから、かすかな声がした。
言葉にならない、けれど確かに“人”の気配。
星蘭は、一歩踏み出していた。
「……行きます」
手首を掴まれる。
葵だった。
「待って。中は、たぶん――」
「分かっています」
星蘭は、はっきりと言い切る。
「だから、送るんです。縫い止められたままにしておく方が、よほど残酷ですよ?」
その言葉に応じるように、影が輪郭を持ち始める。
古びた木製の扉。
懐かしさと、息苦しさが同時に押し寄せる。
風が、完全に止んだ。
「……行きましょう」
二人は並んで、扉を押し開けた。




