忍び寄る影③
久遠女学園中等部二年、木島かおり。
身長は百五十センチ。スレンダーな体型に、少し茶色がかった髪を軽く巻いている。
読者モデルを何度か経験したこともあり、クラスでもひときわ目を引く存在だ。自信に満ちた笑顔と、ほんの少し気取った仕草が、彼女の魅力を引き立てていた。
けれど、最近はちょっとした悩みを抱えていた。
数ヶ月前、とある雑誌の撮影に参加した際、カメラマンの助手をしていた高校生のアルバイト──須藤要くんと連絡先を交換した。
最初は軽い雑談程度だったやりとりが、次第に増えていき、最近では日に何度もメッセージが届くようになっていた。
「……めんどくさい」
かおりはスマホをベッドに放り出し、ため息をついた。
嫌いというわけではない。むしろ最初はちょっとだけドキドキしていたし、大人っぽい彼とのやりとりが嬉しくもあった。
だけど、こうも頻繁に来ると、どうにも重たく感じてしまう。気軽なやり取りのはずが、いつの間にか“義務”のようになっていたのだ。
そんなある日、「小さな願い」の噂を聞いた。
──紙に願いごとを書いて枕の下に入れて眠ると、翌朝、その紙が消えていて願いが叶う。
どこかのクラスで話題になっていたのを耳にしたのだ。
「ふーん、そんな噂、ほんとにあるんだ」
半信半疑、というより、ほとんど冗談として受け取っていた。
けれど、その夜──
ベッドに潜り込もうとした時、机の上に置かれたメモ帳が目に入り、ふと悪戯心が芽生えた。
「……じゃあ、試してみよっかな」
かおりはペンを取り、さらさらと文字を走らせた。
《要くんからラインがもう来ませんように》
それを三つ折りにして、枕の下にそっと滑り込ませる。
「まあ、どうせ何も起こらないだろうけど」
そうつぶやいて、くすりと笑った。
まるで占いのような気分だった。
ほんの気まぐれ。ちょっとしたストレスのはけ口。
そんな軽い気持ちだったのだ。
◆
朝、目を覚ました木島かおりは、ぼんやりとした頭で枕の下に手を差し入れた。
指先に触れたのは、昨夜入れたはずの小さなメモ紙。
「……あ、ちゃんと残ってる」
安心したように取り出してみると、そこには昨夜と同じ文字がそのまま記されていた。
《要くんからラインがもう来ませんように》
「うーん、失敗したのかな。ま、そんな簡単にいくわけないか」
苦笑しながら紙を折り畳もうとした瞬間、かおりの眉がわずかにひそむ。
「……あれ?」
紙から、ふわりとした熱のようなものが伝わってきた。
それはほんのわずかな温もり。けれど、確かに何かがそこに宿っているような──不思議な違和感だった。
まるで紙に何かが溜まっているような、そんな感覚。
でも、それが何を意味するのかまでは分からなかった。
かおりは小さく首を傾げ、そのまま紙を机の上に置いた。
◆
その日、かおりのスマホは一度も鳴らなかった。
朝、寮を出て登校し、授業を受け、友人たちと昼食を取り──放課後、雑談に花を咲かせながら帰ってくる。
そして、自室のベッドに寝転んだ瞬間、ふとした疑問が胸をよぎった。
「……あれ、そういえば今日、要くんから一度もメッセージ来てなくない?」
スマホを手に取り、履歴を確認する。
最後の通知は、昨夜のもの。
それ以降、何も届いていない。
「偶然、かな……?」
眉を寄せながらも、かおりの口元には自然と笑みが浮かんだ。
思い出したのは、昨夜のメモ。
まさか、そんな──
でも。
「……え、すごくない? これ、もしかして──」
自分でも信じられないような顔で笑ってしまう。
信じていなかったはずの噂が、現実になった気がして。
胸の奥が、ほんの少しだけふわりと軽くなるような、そんな気分だった。
◆
数日後。
かおりは再び、あの紙を引っ張り出して見てみた。
──文字は、残っていた。
けれど、紙からはあの時感じた熱も、何も感じなかった。
「……あれ?」
軽く指先で触れてみても、ただの紙。どこにでもある、普通のメモ用紙。
あのときの不思議な感覚は、もうどこにもなかった。
「えっ……すごくない? まさか、本当に叶ったの?」
小さな声で笑って、かおりはその紙を机に置いた。
心のどこかで、ぞくりとするような感覚があったけれど──その正体には気づかないまま。
知らなかった。
願いが叶うと、紙が消えるという噂は──間違いであることを。
本当は、願いが叶うと──
紙に込められた念だけが、静かに、確かに、消えていくのだということを。




