クラリスとつばさと、夜鳴き倉庫の怪
久遠女学園の中庭。その隅にひっそりと建つ古い倉庫の前で、新倉つばさは首を傾げた。
「……また、聞こえた気がするんだけどなぁ」
夕方の風が揺れる木々の向こうから、微かに子供の泣き声が届いたような気がしたのだ。だが、耳を澄ませても何も聞こえない。
不安と好奇心が入り混じったまま、つばさが歩き出そうとした、そのときだった。
「きゃー! 運命の出会いっぽい予感〜♪」
ひらひらとスカートを揺らしながら、ひとりの少女がつばさの前に現れた。
その少女──桐嶋・クラリス・聖蘭は、すらりとした長身に、流れるような金茶色の髪、まるでハーフモデルのような顔立ちだった。
制服の上着がピシリと張り詰めており、ボタンがいまにも悲鳴を上げそうだ。スカートは規定よりほんの少し短く、絶対領域がまぶしい。
──臙脂色のリボンタイ。
つばさは、それを見てすぐに気づいた。
(あのリボン……玲子先輩と同じ色。ってことは、この人も二年生……!?)
年上だとわかって、一瞬ひるんだが、それ以上に気になるのは彼女の言動だった。
「あ、あの……どちら様ですか?」
「ふふん♪ よくぞ聞いてくれました! 私は桐嶋・クラリス・聖蘭。この学園の平和を守る──K.G.S.の部長ですっ!」
「……K.G.S.って……」
つばさは息を呑んだ。
「あの、秘密結社の!?」
「秘密結社言うな〜〜っ!!」
クラリスは即座に突っ込んだ。
「そんな怪しい団体じゃないです! れっきとした、久遠女学園 女学生霊学研究会ですっ!」
「霊学……え? 本当にそんな部あるんですか?」
「あるんです! この学園に眠る怪異を解き明かす、選ばれし乙女たちの集い……」
つばさはじりじりと後ずさる。
「ええと、信じたい気持ちはあるんですけど……なんか、言ってることが……」
「信用できない? ふふ〜ん♪ では証明してみせましょう!」
クラリスはぐいっとつばさの手を取り、倉庫の扉を開ける。
「ここ、中庭倉庫ですよね? わたし、さっきまでこの中から泣き声が聞こえてたんです!」
「なるほど、そういうことなら、まさに今、調査開始ですっ!」
扉を開けると、埃と古い木材の匂いが鼻をつく。中は物が積まれており、明かりも弱い。
「うーん、特に何も……」
そう言いかけたつばさの目の前で、クラリスが足元のぬいぐるみを──
「──ふにゅっ」
踏んだ。
「ちょっ、クラリス先輩!? 何踏んでるんですかっ!?」
「ごめん、気づかなかった……あっ」
その瞬間。
倉庫内に、かすれた子供の泣き声が響き渡った。
「……うぇぇぇ……ぐすっ……」
「……今、聞こえましたよね!? ねっ!?」
「だから言ったじゃないですかっ! さっきから泣いてるんです!」
「よしっ! ではまず、落ち着いてお祈りを──」
クラリスは胸元から十字架を取り出し、そっと掲げる。
「……おおいなる加護の元に、汝の迷える魂を──」
「やっぱり……クリスチャンだったんですね」
つばさは納得したようにうなずく。
「って、除霊で十字架って、本当にやるんだ……!」
「うん、やるよ〜。あと仏教系もやるし♪」
「……え、え? 仏教!? どっちなんですか!?」
「だいじょーぶ、全部カバーしてるから!」
「なにその宗派の垣根ぶち破る系スタイル!? 万能型ですかぁ!?」
クラリスは十字架を握りしめ、目を閉じて唱えはじめた。
「オン……アロリキャソワ──」
「びええええええん!!」
倉庫内に響き渡る泣き声。真言の音をかき消すほどのボリュームだ。
「も、もう、うるさくて真言が聞こえない〜!」
「いや、聞こえないのこっちですよ!? っていうか途中で止めないでくださいよぉ!!」
つばさが全力でツッコむ。
「うーん……これ無理だわ〜」
クラリスはあっさりと十字架をしまい、くるりと踵を返す。
「え、え!? クラリス先輩!? まさか……泣いてる子を放置する気ですか!?」
「違うってば! これは、一度引いて態勢を立て直すっていう作戦的なアレだよ? たぶん!」
「たぶんって言いましたよね!?!? 全然信じられないんですけどぉ!!」
つばさの悲鳴のようなツッコミに、クラリスは苦笑してもう一度倉庫の中心へ。
「ふふ〜ん……じゃあ、ちゃんとやるね」
クラリスは十字架を胸元にかかげ、そっと目を閉じた。
先ほどまでの呑気な空気はそこになく、倉庫の空気がぴんと張りつめていく。
「──《神縁・曼陀羅ノ結戒》」
囁くような詠唱の声が、倉庫の空間を震わせた。
同時に、床の下からふわりと白い光が浮かび上がる。
光は曼陀羅の紋様を描きながら、静かに、しかし確かな意志をもって広がっていく。
「これより、迷える縁を結び、癒し、還します……」
クラリスの足元に光輪が現れ、それがゆっくりと回転を始めた。
光は十字架を中心に、天と地を繋ぐように立ち昇り、やがて倉庫全体が淡い金色に包まれていく。
不思議と風もないのに、つばさの髪がふわりと揺れた。
息を呑む。
さっきまでのポンコツぶりが嘘のように、クラリスは──神聖な“何か”の化身のように、そこに立っていた。
「オン・アロリキャ・ソワカ──」
真言が唱えられた瞬間、倉庫内の空気が静謐に染まり、泣き声はぴたりと止んだ。
しばしの沈黙ののち、ぽとり、と。
ひとつの古びたぬいぐるみが、クラリスの足元に落ちた。
その布地は、どこか名残惜しげに、微かに揺れていた。
──終わったのだ。
静寂の中、つばさは倉庫の片隅に落ちた古びたぬいぐるみを見た。
「……もしかして、このぬいぐるみが依り代だったんですか?」
クラリスはそっとそれを拾い上げ、微笑んだ。
「うん。この子、寂しかったのかもしれないね」
その優しい横顔に、つばさは思わず見とれた。
(変な人だけど……なんだか、あったかい)
「ねぇ、あなた。K.G.S.に、来てみない?」
その言葉が、つばさの胸に静かに響いた。
(……もしかしたら、わたし、また変な世界に踏み込んじゃったかも)
──こうして、“縁”の力をめぐる新たな日常が、少しずつ始まっていくのだった。