小さな願い(後編)
まじないの棚の前で、涼子が本をめくっていた。
「これなんか面白いよ。『枕の下に入れる紙のおまじない』、だって」
「それって、さっきの子たちが言ってたやつ?」
「たぶん。ほら、ここ」
涼子が指さしたページには、手書きのような文字でこう書かれていた。
『紙に一つだけ願いを書く。枕の下に入れて眠ること。翌朝、紙が無くなっていたら願いは叶う』
「ほんとに消えるの?」
「そりゃまあ、寝てる間にベッドから落ちるんじゃない? ボクなら踏んづけてそう」
「信じてないのに読むのは好きだよね? こういうの」
「ロマンは好きなんだよ、ロマンは」
涼子が本を戻そうとしたとき、その後ろの棚に葵が目を留める。
「これ……ちょっと古そうな資料だけど」
表紙の色があせた、図書館でもあまり読まれていなさそうな本だった。ページをめくると、中には民俗信仰や地域伝承の話が、短くまとめられている。
「『願いごとの伝承にみる禁忌』? なんか、タイトルからして嫌な予感しかしないんだけど」
「ここ、見て」
葵が静かに読み上げる。
「『願いを二つ口にすれば、縁は裂け、巡りは止まる』」
「……呪いじゃん」
「願いと呪いって、実は似てるのかもね」
葵の言葉に、涼子が顔を向ける。
「似てる?」
「どっちも、強い想いを誰かに向けて放つでしょ。言葉にして、形にして、届いてほしいって思う……それって、向け方次第で、願いにも呪いにもなるのかも」
そう言って葵は、本をそっと閉じた。
ひらひらと舞い上がったページの端が、静かな空気を切った。
◆
翌朝。
教室の窓から差し込む光が、きのうよりも白く冷たい。
涼子と葵は一緒に登校し、廊下でロッカーを閉じると、教室に入る前にふと立ち止まった。
階段の踊り場で、数人の中等部の生徒たちが話しているのが耳に入った。
「──マジで、あの子今日も来てなかったよ」
「だって願ったじゃん、“ちょっとくらい風邪ひけばいいのに”って」
「ほんとに休むとかウケる。やっぱ“枕のおまじない”効くんじゃない?」
「やば、罪悪感ある〜……でもちょっとスカッとしたかも」
「だよねー。てか私、次はあの子の告白失敗しますようにって書こうかな〜」
涼子と葵は目を合わせた。
「……今の、聞いた?」
「うん……なんか……昨日のときとは、雰囲気が違う」
「うっかりした軽口かもしれないけど、それが叶ったら……」
「……それ、もう“願い”じゃなくて」
言いかけて、葵は口をつぐむ。
ふと視線を感じて振り返るが、そこには誰もいない。ただ冷たい風が、廊下の奥からすうっと吹き抜けていった。
それは、まるで誰かが確かに通ったかのような気配だった。
どこかで、静かに歯車がきしみながら回り出している──そんな音が聞こえたような気がした。




