第2話 ある元男爵家令嬢の悲劇
馬を預けたアリスはコランチェのギルドを訪れた。
受付で用事を伝え奥の部屋に通されると髪を三つ編みにした小太りの中年男性だった。
「おいおい、こんな早く届けてくれるとかマジかよ。半端ねぇな。ご苦労だった。俺はここのギルド長で元看板娘のエルマーってもんだ」
「うぇ!?か、看板娘!?」
アリスは思わず聞き返していた。
『看板娘』と言えば基本的には女性の事を指す。『娘』と関しているのだが当然だ。
だが今目の前にいるのはどう考えても男性だ。
「おいおい、半端ねぇな。その口癖、懐かしいなぁ。お前、リゼットの娘だろ?」
「え、お母さんをを知ってるの?」
「お前の母親が住んでた頃は現役看板娘だったからな。ついでに言えばお前の親父とはマブダチを超えたオーガダチって奴だからな」
「オーガダチ……」
そこで思い出した。
そう言えば父親が古い知り合いに『看板娘』を自称しているファンキーな男が居たと。
なるほど、彼がそのファンキーな男なのだろう。
この濃さは確かに父親とは相性がいいかもしれないので親友であるのもある意味納得だとアリスは思ったのだった。
「ナナシはよー、本当に半端ねぇダチだったぜ?」
そこから1時間程父親の半端ねぇエピソードを聞かせられたアリスだが確かに両親がこの街で繰り広げたエピソードは半端ないなと思った。
逃亡犯の捕縛から始まり凄まじいスピードでランクを上げていき、名物であったミアガラッハの動く城を崩壊させ……中々の暴れっぷりだ。
そして当時、『期待の大型新人ハーレム』と揶揄されていたが現在の状況を考えるとその通りになっているのだからこれまた苦笑した。
「まあ、そういうわけでわざわざ遠くまでありがとうよ。宿の方はこっちでいい所を手配させてもらうからゆっくりしていってくれ」
「うわぁ、ありがとう!あっ、そうだ。実はちょっと行ってみたいところがあるんだけど……」
□
それからしばらくして、アリスは町はずれにある一軒の小さな家の前に居た。
「親父……いや、マスターが定期的に補修をしてくれてるんだけどやっぱり大分痛んでるんだよね」
エミールと名乗った青年はどうも先ほど会ったエルマーの息子らしい。
正直あまり似ていないので彼は母親似なのだろうと勝手に納得することにした。
「ナナシさんの事はよくマスターが話していたよ。みんな急に居なくなってしまって随分と寂しかったって」
「へぇ~、そうなんだ」
外観を見て回る。
ここに両親達が暮らしていたと考えると高揚感があった。
中に入ることも出来るという事で見せてもらうことにした。
随分と埃まみれになっていたが中にある家具などは当時のままだった。
台所を見てここで自分の母が料理を作っていたのか、とか色々と想いを馳せながら見回っていく。
ある部屋に入ると置いてあるものから察するにここは父親が過ごした部屋だろうと推測できた。
この部屋で母達とロマンスが……無かったというのは既に聞いている。
どうも父親は自分がまさか彼女たちから好意をを抱かれているなど夢にも思っていなかった様でこの家ではそういったロマンスは起きなかったのだ。
ふと、床に小さな彫像が落ちている事に気づく。
「あ、これって……」
レム家の子ども達が持っている魔道具と同じものだった。
「持って行って構わないよ。この家の持ち主は今もリゼットさんって事になってるしね。『出る』家なんで誰も住もうと思わないそうなんだ」
「うぇ?ああ、それって隣の部屋でくつろいでいるおじさんの事?」
アリスの言葉にエミールが固まる。
「み、見えるの?」
「割と普通にね。だってウチの家にも小さい女の子の霊が住み着いてるからね」
「そ、そうなんだ。何という伝説の男ってのは娘も半端ないんだな……」
エミールが冷や汗を流す。
そう、アリス自身も父親に負けず劣らずの『半端ない』経歴の持ち主だ。
アリスが所属する『ルイス猟団』は外国へ行くことも多いがそこで色々な事件に巻き込まれている。
それこそ一歩間違えば国家転覆を招くような現場にも足を運んだことがあるくらいだ。
一通り家の中を見回ったアリスはエミールに宿の場所を聞くと礼を言い歩き出そうとする。
「あっ、そうだ。もしよかったら今夜食事でもどうかな?その、色々と君の話を聞きたいなって」
「んー?別に聞かせられるような楽しい話はないしなぁ。てわけでごめんねぇ」
アリスは手をひらひらさせながら立ち去った。
その様子を見ながらエミールは塩を掛けられた青菜のごとくしゅんと肩を落とす。
「うーん、やっぱりダメかぁ……」
□□
アリスは街中を歩き回った。
この通りを母が通ったのだろうかとか色々と自分のルーツとなる土地を見て回る中、アリスは前から来た男に気づかずぶつかってしまう。
「うえっ!?ご、ごめんなさい」
「やれやれ、どこを見て歩いているんだ。全く、これだから平民は……」
高圧的な態度をした長髪の男性はアリスを睨みつける。
「気を付ける事だ。本来なら私にぶつかる事は不敬にあたるのだよ。何せ私はこの国を治めていた王族の末裔なのだからね」
「うぇ!?」
「ふふっ、驚くのも無理はないな。まあ、そういう事で君の様な平民とは血統も生まれも違うのだ。今後は気をつけなさい」
男はそう言うとアリスの背を向け立ち去った。
後姿を眺めながらアリスは呟く。
「うぇ~、驚いたな。まさか『親戚』に出会うなんて。嫌な人だけどあんなのも居たんだね」
ナダ王国時代の統治者であったグラナダ王家は母リゼットの出自であるイリス王家とは親戚関係にある。
ただし、先ほどの男は実際にはグラナダ王家には属してなどいなかった。
本当のグラナダ王家出身者は確かにアリスの身近にいる。
義理の母であるメイシーの妹、エミリーの夫であるディークがそうなのだ。
尤も、本人が公表していないしする気も無いので知る者は少ない。
アリスの父親で親友であるナナシでさえ知らないのだ。
「でも別に王族血統だから偉いってわけじゃないのになぁ……何かちょっとムカっとくるなぁ。何処か酒場で一杯やろうかな……」
中々にダメ人間な台詞を吐きながらアリスは酒場を探すのだった。
□□□
町外れにある遺跡跡。
先ほど、アリスとぶつかって高圧的な態度を取った男が居た。
名はサルスという。
彼はひとりの女性と抱き合っていた。
相手はアリスをこの街に案内してくれたミリエットだ。
「よく来てくれたね。会えてうれしいよ」
二人はしばらく愛の言葉を交わし合う。
そしてサルスが懐から封のされた小さな箱を取り出した。
「これは?」
「君への贈り物が入っている。私達の新たなスタートに相応しい贈り物さ」
「それってもしかして……」
サルスは人差し指を唇の前に立ててそれ以上の言葉を制する。
「でもこれは特殊な封印がされていて簡単に開けることは出来ないんだ」
「えっ、どうすれば……」
「この街のギルドは女神教の教会と合体しているだろう?それでね。あそこの噴水には聖なる水が使われているのさ。そこへこれを放り込めば封印は解かれる」
「聖なる水……」
「だから明日朝一番で開けてみてくれ。そしたら君の答えを聞かせて欲しい。こんな回りくどい事をしてごめんよ、ミリエッタ。君は未来の王妃に相応しい女性だよ」
「うん……」
名前はミリエットなんだけどなぁ。
そんな言葉を飲み込み彼女は箱を受け取った。
この中に彼との未来が詰まっている。そう考えると心が躍り些末なことなど気にならなくなった。
ミリエットが立ち去った後、サルスはぺっと地面に唾を吐く。
彼の元へ部下と思われる男たちが集まる。
「これだから頭がお花畑な世間知らずの没落貴族は……まあ、おかげで最小限の犠牲で革命の狼煙があげれるがな」
「サルス様、あの箱は?」
「あの箱の中には魔法が仕込まれている。一定量の水で濡れると大爆発を引き起こしギルドの連中を皆殺しにする。私達は支配者たちが居なくなった街を統治し、新たなナダ王国を建立するわけだ。お前達には中枢の要職を任せるからな。しっかりと働いてくれよ」
男たちの笑い声が森に響く。
その様子を見ていたひとりの少年が居た。
ミリエットと共に行動を共にしていた少年で名をドニと言った。
彼はちょっとした好奇心でミリエットとその恋人の逢瀬を覗きに来たのだがとんでもない事を聞いてしまった。
このままでは優しい彼女がギルドを襲撃した凶悪犯にされてしまう。
ドニは男達に気づかれぬよう、ミリエットを追いかけた。
□□□□
宿屋でミリエットは箱を撫でていた。
ここにサルスとの未来が入っている。
没落し、親とも死に別れ宛もなく森で暮らしていた時、彼に出会った。
グラナダ王家の末裔と名乗った彼はミリエットに優しくしてくれ彼女は瞬く間に恋に落ちてしまった。
彼はいずれナダ王国を再建すると言っていた。
その暁には是非とも彼女を王妃として迎えたい。
そんな甘言をミリエットはすっかり信じてしまっていた。
だからだろう。王家の者なのに没落したミリエットの生家、旧バルテュス男爵邸を根城にしている事やそもそもそこに住んでいるなら何故ミリエットを迎えないのかなど幾つもの矛盾があるのに……
明日、遂にロクな事が無かった自分の人生が報われるのだ。
思えば今日、気前のいい旅人に出会ってこうやって野宿ではなくそれなりに普通の宿屋に泊まることが出来た。
自分の人生は好調していっているに違いない。
するとどこかへ出かけていたドニが血相を変えて部屋に入って来た。
「ドニ。どうしたの?」
その表情に他のベッドではねていた他の少年たちも動きを止めた。
「ミリィ姉ちゃん。その箱をこっちに」
「ダメよ。これは大切なものなの。私の未来がここに」
「違う。姉ちゃんはあいつに騙されてるんだ。その中にはそんなもの入ってないんだ!」
ドニはミリエットに飛びかかり揉み合いになる。
「頼むから!おいらを信じてくれ!このままじゃ」
「嫌だ!何で私が幸せになるのを邪魔するの?絶対嫌ッ!!」
揉み合いの中、花瓶が倒れ水がテーブルから滴る。
そしてミリエットの手から離れ転がった小箱は滴る水にさらされ光り出す。
「あっ!!」
ドニは咄嗟に小箱に覆いかぶさる。
少しでも被害を抑えるために。
寄り添いながら生きて来た、自分にとって大切な家族を守る為に……
□□□□
「うへへ、コランチェの地酒美味しかったなぁ」
あまり飲み過ぎるなと言われているし、この街は知らない土地。
流石に酔い潰れるのはまずいと思い、数杯だけ飲み酒場を後にした。
後は宿屋のご飯でも頂くとしよう。いい宿を紹介してくれたらしいから食事も良いものが期待できると歩いていると轟音と共に地が揺れた。
「うぇ!?爆発!?」
アリスは火柱が立ちのぼる一角へ急いだ。
現場は阿鼻叫喚の地獄と化しており唖然としているとがれきの中に見知った顔を見つける。
自分をこの街まで連れて来てくれていたミリエットだ。
「ミリィちゃん!?」
アリスはがれきをどけミリエットを抱えると炎から逃れて安全な場所に運ぶ。
そして全身を確認し木の枠などが身体に深く刺さっていることに気づく。
身体も一部が吹き飛ばされている状態でこのままでは長くないのはすぐ分かった。
「アリスさん……?」
アリスに気づいたミリエットは大粒の涙を流しながら嗚咽を始めた。
「騙されてた……私のせいで、私のせいでみんな……」
「喋っちゃダメだよ。今、治療するから。確かポーチに治療用のポーションが……」
ミリエットは溢れる感情のままサルスとのことなどを息も絶え絶えに話し始めた。
傷口からの出血が段々と多くなり口から元血を始めた。
(ああ、これはもう…………)
泣きながら何度も同じことを言い続ける彼女の姿にアリスは姉を重ねていた。
あの日、姉が上級生に乱暴された日。浴室で自分達に身体を洗われながら姉は壊れた様にずっと同じことを繰り返していた。
姉は何とか生きて今は恋人も出来、壊されかけた人生を取り戻しつつある。
だが一歩間違えばもしかしたら……姉が生きていな未来があったかもしれない。
「ごめん。みんな、ごめん……私が馬鹿だったから。だからこんな事に……」
「ッ!自分を……自分を責めないで。君は悪くない。リリィは悪くない」
気づかない内に姉の名を呼んでいた。
やがて言葉を失い静かに息を引き取った少女の亡骸を抱きアリスは血が出る程歯を食いしばった。
『どうする、アリス?』
声が聞こえて来た。
自分にしか聞こえない、自分にだけ聞こえればいい声だ。
アリスは少女の血を指につけ自分の唇に紅を差した。
「決まってるよ。報いは受けてもらう。行こう、『チェシア』」
憎しみのこもった声と共に立ち上がったアリスは静かに夜の闇へと消えていった。