第1話 鏡の中
「う~、ちょっと飲み過ぎたなぁ」
トイレに起きたアリスは洗面所の前で唸る。
昨日は晩御飯をギルドの酒場で摂って、そこで酒を飲み始めて気づけば閉店時間になっていた。
足元がふらついていた所、姉が恋人を連れて迎えに来てくれその人におぶられながら家まで帰った。
途中、姉の小言があったが正直あまり覚えていない。
顔を洗い鏡を見るとそこには当然自分の顔があった。
だがその顔は、二日酔いに苦しむ自分とは違い『笑って』いた。
『ねぇアリス、『あいつ』は何処に行ったんだろうね。早く見つけないと。二度とリリィを傷つけさせない為にも』
鏡の中の自分に語り掛けられアリスはため息と共に鏡の中の自分を睨みつけた。
「うるさい、『チェシア』。そんなのわかってるよ。それに、お前がリリィの事を口にするな!」
『何で邪険にするの?『わたし』とお前は一緒なのにさ、わかってるよね?『あいつ』が生きている限り大事な姉さんの幸せがいつ脅かされるか分かったものじゃない』
「あいつは殺す。絶対に見つけ出して二度とリリィの前に現れない様にするんだ。ボクの考えは変わってない」
『それでいいんだよ。せいぜいその決意、忘れない様にね』
鏡を前にした応酬が続く中、不意に背後から声を掛けられた。
「姉ちゃん?誰と話してるの?」
鏡には寝間着姿の妹、メールが映っていた。
「うぇ~、ちょっと飲みすぎちゃって…………ひとり反省会、かな?」
先ほどまでの殺意を宿した表情が嘘のように表情を緩めたアリスは少し情けない姉を演じ始める。
「もう、お母さんも怒ってたよ。毎回飲み過ぎて潰れて迎えに来て貰うんだから。今回はリリィ姉ちゃんがユリウスさんと迎えに行ってくれてたよ」
「うぇへへ、リリィ姉もユリウスと仲良くやってるみたいだね。良かった」
そう、それでいいのだ。
姉の事はあの男に託した。彼なら間違いなく姉を幸せにしてくれる。
ならば自分の役目は姉の平穏を守る事。
この先待つ幸せな人生を曇らせない為にも障害を排除することだ。
それがあの時、姉を守れなかった自分にできる贖罪。
その為ならこの手がいくら汚れようと構わない。
きっと死んだとしても女神様の居るという天には還れない。
「それでボクは構わない」
「え?何、アリス姉ちゃん?」
「うぇへへ、何でもないよ。ところでさ、ちょっとフラフラするから部屋まで送ってぇ……」
「も~!だから飲み過ぎはダメだって言ってるのに。大丈夫、お水いる?」
「うぇへへ……」
妹に肩を貸され笑いながらアリスは部屋へと戻っていくのだった。
□
翌朝、朝食の席での母親達による小言を聞き終えたアリスは自信が所属する『ルイス猟団』の詰め所にやって来ていた。
「おお、チェシア。お前また酒場で酔い潰れてたらしいな」
団長であるドードーは父親とパーティを組んでいた盟友で彼自身も異世界からの転生者である。
若い頃は魔法使いのパートナーが居たのだが色々あって破局したらしく独身である。
「うぇへへ、またやっちゃいました~。ていうか何で団長知ってるのさ?」
「ツケの請求書がウチに来た。とりあえず建て替えといたから後で返せよ?親父さんには黙っててやるから」
「あー………」
そう言えばツケの請求先はこの場所にしていた。
以前、家に請求が来てそれを見た母親からこっぴどく叱られて以来、彼女は猟団の詰め所を請求先にしていた。
「ていうかお前の飲み過ぎは何とかならんのか?成人してるんだから自由ではあるが度が過ぎると監督不行届で俺がリゼットさんに怒られるんだがな……」
この手の小言は毎回なのでアリスはややうんざりしていた。それでなくとも二日酔いで頭が痛いし気分も優れない。
二日酔い用のポーションを飲んではいるが効果が出て来るのにもう少し時間がかかるだろう。
「おい、アリス。聞いてるのか?」
「うーん。それじゃあさ、団長が抱いたりしてくれたらそっちの方に夢中になっちゃってボク、お酒止められるかもよ?」
「なっ!?」
「ふふっ、ダメかなぁ?ボク、結構身体には自信がある方だし尽くす系かも…………って痛っ!!」
言っている最中にドードーの拳骨が落ちた。
彼の顔は少し赤くなっていた。
「あのなぁ。おむつの頃から知ってるんだぞ?そんな奴に情欲を抱けるか。ていうか抱いたら俺が親父さんに殺されるわ!!」
「酷いなぁ団長ってもしかして暴力亭主系?」
「雷親父系だ。全く、色仕掛けとか姑息な事ばかり覚えやがって……これマジで何とかしないと俺がナナシさんに怒られちまう……全く、知り合いの娘なんぞ預かるんじゃなかった」
少し痛い思いをしたが話題を反らすことには成功した。
ほくそ笑んでいるとドードーはため息を吐き、仕事の話を始めた。
「実は先日壊滅させた盗賊のアジトで見つかった品なんだがな。遠くの街で捜索依頼が出されていたものらしくてそっちのギルドが運んできて欲しいって言って来てるんだ。それで、お前に行ってもらおうかと思ってな」
「えー。そんなのあっちが取りに来てくれたらいいのに」
「まあ、そう言うな。あっちも忙しいんだろ」
「うーん……ていうか何でボクが」
「お前はあの街に縁が有るから丁度いいかと思ってな。その場所ってのはコランチェなんだ」
コランチェ、という名前にアリスは反応した。
そこはかつてアリスの両親が出会い住んでいた街であり義理の母親であるアンジェラの故郷でもある。
つまりは自分のルーツでもある場所だ。
「よしっ!その仕事引き受けたよ!!」
ギルドに届ける品を受け取りマジックポーチに収納すると厩舎につないであった愛馬ジャンヌにまたがりとコランチェ目掛け勢いよく飛び出していった。
その様子を唖然としながら眺めていたドードーはため息をつく。
「あのバカ。馬車でも手配してやろうと思ったのに……トラブルを起こさなければいいんだが……」
□□
アリスの愛馬であるジャンヌは『アレイオン』という種類の魔法馬だ。
通常の馬と比べると無尽蔵とも思えるほどの体力を持ち休憩を挟みながら1日に150km程移動できる。
出発して翌日にはアスコーナ地方、旧王国時代にミアガラッハ辺境伯領と呼ばれていた土地に足を踏み入れていた。
少しペースを落とし朝の森を抜けていく途中、不意に気配を感じ馬を止めさせた。
警戒の姿勢を見せる中、木の上から網が投擲され降り注ぐ。
「やった!捕まえたぞ!!」
木の陰からフードで顔を隠した小さな影が3つ出て来て網に近づいていくが網の中には誰も居ない事に気づく。
「ど、何処に行ったんだ!?」
3人が動揺する中、上空から急降下してきたアリスがひとりを地面に押さえつけナイフを取り出し突き立てようとするが……
「うぇ!?子ども?」
抑えつけた相手が子どもであることに気づき手を緩めた。
直後、女性の怒鳴り声が聞こえる。
「あんた達!また追いはぎの真似事なんかして!!」
年の頃で言うと少し幼さが残る15くらいの少女が立っていた。
□□□
「本当にごめんなさい!この子達にはちゃんと言っておきますからどうか勘弁を」
必死で謝る少女を見て、アリスは少し気の毒になった。
少女と一緒に頭を下げている子どもたちはそれぞれ10にも満たないような少年たちであった。
「いやまぁ、別にいいよ。ちょっと驚いたけど……ていうか君達はこんな所で何をしてるの?」
「それは……」
少女はミリエットという名前らしい。
元はバルテュス男爵家の令嬢だったが戦争が終わると同時に男爵家は時代の変化に適応できず没落。
ストローンという街で商売して生計を立てていたが結局は廃業し家族とも離散したという。
少年たちはモンスターに襲われたり病気などで親を亡くし行き場を亡くした子供たちだった。
今は旅芸人の様な事をしながら生活しているらしい。
「だけど生活が苦しくて追いはぎの真似をね……」
「本当にごめんなさい。あんた達。人様を傷つける様な真似をしちゃダメだってあれ程言ってるじゃない」
しゅんとへこむ少年たちを見てアリスはしばらく思考した。
「あのさ、君たちこの辺の地理に詳しい?ボク、コランチェって所に行きたいんだけど迷っちゃったんだ。それで、良ければ案内してくれないかな?報酬は払うからさ」
実際の所、アリスの方向感覚は抜群であり適当に走ってもコランチェにはすぐ着くだろう。
これはアリスなりに精一杯考えた結果だ。
お金を渡すのは簡単だがそれは彼女らのプライドを傷つけることになるかもしれない。
だからあくまで契約関係を経て何か助けが出来ないかと思い至ったのだ。
「えっと……いいですよ。丁度、私達もあの街へ用事がありましたから」
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「ここがお父さん達が過ごした想い出の街……」
数時間後、アリス達はコランチェの街に到着した。
首都であるノウムベリアーノに比べればこじんまりとした地方都市だが活気はそこそこあった。
「ありがとうね。それじゃあこれ、お礼だから」
アリスはミリィ達に礼を言うとそれなりの金額を渡す。
「え?こんなに……?」
驚くミリィだったが気づいた時にはアリスの姿は何処に無かった。
「あら不思議、摩訶不思議。気づけば姿は消えてました」
離れた丘から彼女らの見ていたアリスは少し満足げに笑うと馬を止める場所を探し動き出すのだった。