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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

記憶の奴隷

作者: 小城

 『犬』を見て、あなたは、何を思い出すだろうか。昔、飼っていた犬。今、飼っている犬。昔、噛みつかれた犬。などなど、何を思い出すかは、人によって様々であろう。

 それでは、『昔、飼っていた犬』という言葉を見て、思い出すものは、何だろうか。その答えは、一人一人異なるであろう。

 普段、我々は、何かを見て、記憶を辿るということを、無意識に、自動的に行っている。

 しかし、記憶というものは、有限である。あなたの記憶というものは、絶対的なものではなく、例えば、あなたの部屋に転がっている持ち物と同じである。記憶というものは、自ら得たもの、と、期せずして、得たものが、あるが、それは、言うなれば、あなたの部屋の中に、自分で買った物と、誰かから、押し付けられた物が、ごっちゃになって存在しているようなものである。しかし、商品の大半が、そうであるように、記憶というものも、自分で選んで、それを買ったとしても、大半は、誰かの手を介在したものに過ぎないということである。

 あなたが、あなたの部屋を自分好みに改装したつもりだとしても、よく見ると、それを、構成している物の大半は、他人によって、構成された物に過ぎないのと、同じように、あなたは、あなたというものを、あなた自身が構成しているように思っていたとしても、そのあなたを構成しているあなたという記憶の大半は、おそらく、期せずして、あなたが得た経験に基づいた記憶ではないだろうか。

 あなたが『あなた』と言われて思い出すあなた。それは、『犬』と言われたときに、自分の部屋に、散らばっている物の中から、有り合わせの『犬』を持って来るようなものである。

 あなたが『あなた』と言われてあなたを思い出すこと。あなたが『犬』と言われて、犬を思い出すこと。それらは、絶対的なことではなく、ただ、それが、そこに置いてあっただけに過ぎない。あなたが見たものと、あなたが思い出したものの間には、決して、何か、重要な、関連性があるというわけではなく、ただ、それが、近くに置いてあっただけに過ぎないのであり、我々は、ただ、それを受容し、それに満足しているに過ぎないのである。

 だから、例えば、あなたが、何かを見て、何かを思い出したとき、それを、受け容れられず、満足できないものだとしても、あくまで、それは、絶対的なものではなく、ただそれが、近くにあっただけに過ぎないのである。それと同じように、あなたという存在も、また、決して、絶対的なものではないのである。


セルアセンブリ

 背に、刃渡り3尺の直刀を背負い、柿渋染の装束を着ているのは、黒子と呼ばれる者である。黒子とは、固有名詞では、なく、普通名詞であり、彼と同じような、3尺の直刀を背負い、柿渋染の装束を着た者で、暗殺、偵察、侵入を生業とする職業の者たちの総称である。

「…。」

 闇夜の洋館に侵入した黒子は、大広間に面した六つの扉の内、右側3つの一番手前の扉を開けた。

「…。」

 その中は、教会堂となっており、月明かりが照らす正面のステンドグラスに向かって、四人掛けの背もたれのない長椅子が、左右3つずつ、計六つ置かれている。ステンドグラスの真ん中には、奥の部屋へと続く、扉が備わっていた。

「…。」

 ほんの微かな物音を察知して、元来た扉を通り、黒子は、教会堂から出た。そして、隣の扉を開けて、中へ入る。その中は、物置のようになっていた。その一隅から、天井板を外し、黒子は、天井裏へ出た。

「…。」

 隣へ移動し、天井板の隙間から、教会堂の様子を窺った。

「…。」

 ステンドグラスの扉から、両角を生やした牛頭人身のミノタウロスの如き、獣物が出て来た。その獣物は、長椅子の間を通って、入口の扉から、大広間に出ようとした。そのとき、入口で、黒子が設置した小型爆弾のセンサーが反応し、小爆発が起きた。

「…。」

 黒子は、天井裏から、下へ降りると、倒れている怪物の、喉を刃渡り3尺の直刀で突いた。

「…。」

 小さな身悶えの後、怪物は、息を引き取った。

「お疲れさん。」

 会社のロッカールームで、柿渋染の装束を脱いだ黒子に、白衣を着た檜山が声を掛けた。檜山は、この会社の研究員の一人で、事務係である。檜山は、黒子に茶封筒を渡した。中身は、一万円札が二十枚。合計二十万入っている。

「また、メール見といて。」

 用が住むと檜山は、その場から消えた。私服に着替えて、黒子は、退社した。一殺二十万。黒子の仕事は、獣物処理である。もうすぐ、この職業に就いて、十年になるだろうか。今の会社は、三ヶ所目の職場である。仕事の依頼は、メールで送られて来る。内容は、対象の特徴と場所である。添付ファイルで、地図が送られて来ることもあるが、詳細な物からアバウトな物まで、その時その時で、違う。それ故、この仕事は、現場の職員の技量に負うところが多い。

「…。」

 黒子に記憶はない。昔は、昔のことも覚えていただろうが、この仕事をやるに連れて、過去の記憶は、段々と思い出せなくなっていった。それだけ、今の職業に定着してきたといえるのかも知れない。黒子は、この職業に就く前は、ビル内の警護の仕事をしていた。しかし、ビル内の警護は、活動も少なく、マンネリ化しやすかったので、三年を経ずして、辞めた。そのあと、黒子の職業に就いた。夜間活動Ⅰ(ファースト)の資格を持っていたので、それも転職に有利だった。

 黒子は、自営業ではない。税金や社会保険の類は、会社が支払っている。それらを、差し引いて、現在の会社は、一殺二十万という、報酬となっている。依頼は、月に十二、三件来る。その中から、自分で選んで、受注する。依頼を承諾したら、期日までに遂行する。会社へ行き、装束に着替えて、必要な備品を持って現場へ向かう。基本、直行、直帰は、禁止。就業規則にも書いてあった。黒子が、受けるのは、ひと月に二、三件である。それくらいであっても、生活に困ることはなく、十分余裕はできた。

 黒子は、依頼遂行の日以外は、家にいる。ほとんど外に出ることはない。そして、パソコンで、小説を書いている。黒子は、いつか、自分が書いた小説が賞を取ることを夢見ていた。

「…。」

 メールが届いた。場所は、自宅から、少し離れた所。獣物は、四つん這いで、地面を這う。添付ファイルの地図は、アバウトで、倉庫のような間取りだった。黒子は、そのメールはスルーした。仕事よりも、今、書いている小説を完成させたい。仕事の後は、小説がはかどらない。記憶の混濁と感性の変換が起こっていた。それは、二、三日で治る。しかし、仕事に行くと、小説の筋が途切れてしまい、アイデアがなくなってしまう。なので、黒子は、自由に仕事の日を選択できる今の職業に就いたのであった。

「…。」

 アイデアが行き詰まると、黒子は眠る。そうして、夢を見る。見た夢がアイデアになることがあった。余計な情報は、黒子の意識を阻害するので、黒子の部屋には、インターネットに接続されたパソコン以外のメディアはない。それでも、何の不自由もなく、生活していた。

「…。」

 黒子が、今、書いている小説は、獣物とそれに恋した姫のラブロマンスである。その執筆のきりが良いところで、黒子は、就寝する。そして、夢を見る。夢を見て、朝、目覚めると、世界が変わる。黒子の感性は、昨夜の様相を失い。昨日は、尊いと思っていたものが、今日、見ると、何とも感じなくなっている。対象自体は、変わりないのだが、それを受け取る黒子の意思とは別の感覚が変わってしまうのである。

「…。」

 昨夜は、美しく、この世の輝きであると感じていたものが、今朝、起きてみると、単なる物としてしか見えない。そのようなとき、黒子は、己が、一体、何者なのかと思う。それでも、黒子は、小説を書き始める。いつから小説を書いていたのかは、覚えていない。しかし、小説を書くことによって、黒子は、自分という存在を繋ぎ止めようとしていた。

「…。」

 そうして、今までに、完成した作品を読み返してみる。しかし、黒子には、どうして、そのような作品を書いたのかという感覚的動機は、思い出せない。そこには、ただ物語の筋があるだけである。


Aversion and desire for beasts

「…。」

 ビルディングのエレベーターを降りた先には、葉の茂った観葉植物が置いてある。黒子が降りた23階のフロアーは、日中は、保険会社の事務所となっている。が、深更を過ぎた今は、非常灯の明かりが、オレンジ色に輝き。近代的システムの中に、迷い込んだブヨが一匹、非常灯の明かりに舞っているだけである。黒子は、パソコンの置かれたデスクを縫って行く。観葉植物が植わっている鉢植えの土が、妙に、この場にそぐわない物のように、ボソボソとした表面を、オレンジ色の光に照らしていた。

「…。」

 洗面所の扉が開いている。黒子は、デスクの陰に、すっと隠れた。中から、爪の伸びた長い毛の獣物が出て来た。黒子は、デスクの陰から、消音機能の付いた拳銃を取り出し、二発。獣物の胸に、弾丸を打ちこんだ。獣物が倒れると、傍らに寄っていき、直刀で、喉を突いた。

「お疲れさん。」

 会社のロッカールームで、黒子が着替えていると、白衣を着た檜山が来て、茶封筒を渡した。

「また、メール見といて。」

 それだけ言って、檜山は消えた。茶封筒の中身は、二十万、入っていた。黒子は退社した。翌日は、家で小説を書いた。

 翌月、柿渋染の装束を着て、直刀を背負い、海が見える丘の上にある別荘に向かった。闇夜の庭園の噴水には、三日月が浮いていた。庭に面したテラスの窓は開いていた。そこから内へ侵入すると、室内の壁に同化した。

「…。」

 階段から、音がした。ひとつ、ふたつ、みっつと、一歩一歩、粘つくような、足音とともに、粘液状の塊が、自立して、階段を下りてきた。粘液塊は、黒子には気付かず、横を通り抜けて、キッチンの方へ向かった。

「…。」

 黒子は、ポケットから濃硫酸の瓶を取り出して、蓋を開けると、粘液隗の後を追った。キッチンでくつろぐ粘液隗の傍に寄って、瓶に入った濃硫酸をかけた。

「…。」

 辺りに、粘液を散らばらせながら、苦しむ塊を尻目に、黒子は、直刀で、粘液隗の核を突いた。

「お疲れさん。」

 ロッカールームに檜山がやって来て、茶封筒を渡す。

「メール見といて。」

 それだけ言って消える。着替えを済ませた黒子は、帰る前に、事務所へ寄った。

「すみません。今度の依頼、直帰したいんですが、いいすか?」

 事務所には、檜山がいた。

「良いけど、直行、直帰は、自己責任になるよ。」

「別に良いす。」

「なら、制服、袋に入れて持ってって。直行、直帰にしとくから。給料、どうする?振り込みか、その次払いになるけど。」

「次で良いす。」

 黒子は、ロッカールームへ戻り、備品の制服入れに柿渋染の制服と直刀を入れた。

「備品、持ってって良いすか?」

「良いよ。後で、事務所寄って。署名欲しいから。」

 備品の中から、小型爆弾とスモーク弾、ガスマスクを袋に入れた。

「ここに、名前書いてもらっていい。」

「名前…。」

 久しく書いたことがなかったので、忘れていた。が、なんとなく思い出して、書いた。

「薬、持ってくかい?」

「薬?」

「うん。」

「いや。大丈夫す。」

「そう。」

黒子は退社した。

「…。」

 黒子が書く小説の中の姫は、獣物に恋をした。それは、何故なのか、黒子には分からない。しかし、ある夜、そのアイデアを夢の中で見て、黒子は、小説を執筆し始めた。基本、獣物は、嫌悪の対象である。獣物は、身近に存在しているが、獣物という存在が、いつ、どこで、どのようにして、生まれたのか、黒子は知らない。ただ、黒子は、それを処理して、金をもらっているだけである。

「…。」

 三階建ての木造アパート。その203号室の浴槽に、毛の生えた獣物が、とぐろを巻いていた。深更、柿渋染の装束と直刀を身に付けて、黒子は、浴室の扉を開けた。中に、スモーク弾を投げ込む。黒子は、ガスマスクを被ると、浴室の中に入り、浴槽に小型爆弾を投下し、蓋をした。小さい破裂音の後に、蓋を開けると、獣物は爆散していた。

「…。」

 黒子は、直帰した。


一殺多生 ~ペンは人を殺す~

 翌朝、目覚めると、黒子は、獣物の姿をしていた。

「…。」

 昨夜は、仕事から直帰して、シャワーを浴びた後、3時間程、小説を書いて就寝した。

「…。」

 姿をどう見ても、獣物である。感覚的にも、それが、分かった。一瞬、何が起こったのか、分からなかった。私の意思は、昨日に引き続いて、私が私であることを示唆しているのであるが、今までとは、打って変わり、感覚だけでなく、全体的な姿までも、朝、目覚めると変わってしまっていた。

「…。」

 獣物は、窓から外を見た。外は、獣物だらけであった。その光景は、見慣れたものであるが、それを見る側の感性が、いつもと違っていた。獣物はパソコンの前に座った。

「…。」

 小説のファイルを開いた。しかし、1時間経っても、2時間経っても、続きは書けない。思い浮かばなかった。何の為に書いていたのか、何故書いていたのか。何の目的で書いていたのかは、分かる。しかし、獣物になった今は、その目的には、何の意味も価値も感じなくなっていた。

「…。」

 予定された次の仕事まで、ふた月程ある。その間、ふだんは、パソコンに向かって、小説を書いていた。しかし、この2ヶ月の間は、獣物は、何もすることなく、無為に時を過ごした。そうしている間に、何故、自分が獣物になったのか、分かるような気がしてきた。過去の記憶が、復元されているような感覚であった。始めの1ヶ月が過ぎた辺りから、不思議なことに、窓から外を眺めると、獣物の姿が人間に見えることがあった。そして、徐々に、その数は増えて行った。今まで、獣物に見えていたものが人間に、人間に見えていたものが獣物に見える。自分の姿というものも、結局、人間なのか、獣物なのか、曖昧な感覚になった。

「お疲れさん。」

 ふた月ぶりに、檜山からもらった茶封筒の中身は、四十万が入っていた。

「また、メール見といて。」

 柿渋染の装束と直刀をロッカールームにしまい、黒子は退社した。巷の噂では、黒子は、会社から出るときに、浴びる玄関の明かりに、記憶を操作し、改竄する粒子が含まれているとも、会社から送られて来るメールファイルに、潜在知覚を刺激する特殊な暗号映像が秘められており、それが、黒子の脳と網膜に影響を与えるなどと言われている。黒子は、今でも、柿渋染の装束を着て、直刀を背負い、ひと月に二、三件の、獣物処理を受注している。それ以外は、外に出ることはなく、夜寝る前と、朝、起きたときで、感性が変容し、過去の記憶を、曖昧にしながら、いつか、書いた小説が賞を取ることを夢見て、パソコンで、小説を執筆している。それでも、時に、自分が何者なのか、人間なのか、獣物なのか、不特定多数の中の一人なのか、尊重する人格を兼ね備えた個人なのか。一体、何なのか、分からないでいるのである。

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