ぶっ殺す
「おいぶっ殺すぞゴラ」
呟いてみる。隣室にいる母の後ろ姿はパソコンに向かっている。耳には届いていないようだった。
たまに乱暴な言葉を言ってみたくなる。誰に言っているのでもない。何となくそういう気持ちが起こってくるだけだ。できるなら声を抑えることなく、思い切り巻き舌を使って恫喝してやりたい。
普段なるべく穏やかに過ごそうと心掛けている反動かもしれない。何か爆弾のようなものを仕掛けてやりたい気持ちになる。そういう気持ちは誰にでもあるものではないのだろうか?
こんな思い出がある。
まだ祖父が生きていた頃、祖父の家の廊下で「ぶっ飛ばせ! ぶっ飛ばせ!」とリズムをつけて気持ち良く歌っていたことがあった。居間でそれを聞いていた祖父は、悪い言葉だと僕を窘めた。
「『ぶっ飛ばせ』はいけない。」
「飛ばせ、ならいいですか?」
「それならいい。」
「飛ばせ! 飛ばせ!」僕はまた歌い出した。どこにも飛ばないような気がした。『ぶっ』が付いていたから良かったのだ。すぐにつまらなくなって歌うのをやめた。
乱暴な言葉には、何か途轍もないエネルギーが秘められているものだ。その魅力は幼い頃も今も変わらない。いつの日か広いホールのような場所で思いっ切り「ぶっ殺す」と叫んでみたいものだ。




