第漆拾漆 太刀祈て鬼は舞う。
次更新→たぶんおそらくきっと来月
「良くここがわかったな。藤の狐も、俺と同様に匂いか何かで辿ってきた口か?」
そう黒露の鋭い牙が覗く艶やかな唇が、歪に笑みを象る。その様はまさに、人ならざ
る者の持つ怪しげな異質さで。
だのに気配は凍てつくほどに鋭く、闇に浮かぶ丹色の瞳は殺気を帯びていた。
しかし相良は、黒露を一瞥するに留め構わず黒露の足元に転がる男子の方へと屈みこんでしまう。
「晴職。また無茶をしたんだね」
優しい声音で話しかけるが、当の晴職は素気無い態度で顔を逸らした。が、相良がその痛ましいほどに腫れ上がった頬に触れれば、途端に険しい表情をする。
怪我の具合をみるに、どの傷も致命傷は避けられてはいるが、吐血していることを鑑みるに内腑を損傷している恐れがある。心が痛むほどの量だ。
とはいえ、晴職の金の瞳を見る限りだとそれもまた杞憂に終わろう。
相良が「動けそうかい?」と訊ねるが、晴職は無言で小さく首を振る。痙攣する様から察するに、背を損傷したと見るのが妥当か。
晴職の背後にある木の不自然な痕や倒れ方からして、恐らく木に激突したものとみられる。
「何故、御前がこのような、夜更けの山奥にいらっしゃるのです」
晴職の荒い息から零れる言葉には、明かに動揺と猜疑心の色を含んでいて。細く消えるような息が相良の口から零れる。
「私に窘められた程度で、常に冷静な君がまさか無謀なことはすまいと高を括っていたのだが。念を入れ君の衣に式符を貼っていた」
「案の定無謀のことをしてくれたがね」そう言い置き、晴職の背に相良が手を伸ばせば、かさりと乾いた音を立てる人形の紙を晴職の眼前に差し出した。
式符は持ち主と式が霊力で繋がっているため、持ち主の霊力に合わせた範囲まで索敵できるという有効活用もできるのだ。その式符が、相良の手の中で青い炎に包まれ灰に帰す。
「だが私がこの山に来ること自体は、既に決まっていた事。故に君が気負うことではない。これもまた運命なのだから」
全く理解が及んでいないのか、晴職は口をぽかりと開けて呆然とする。そのあどけない表情が、どうしても昔の忘れがたい人物と重なってしまい、相良の瞳は自然と閉じていた。
今は亡き後見人を務め育ててくれた人物。その瞳は晴職と同様に悪意なぞ持たぬように星を浮かべた鈍色の瞳。
もう会えない、会いたくないと相反する情が戸愚呂を巻いて今でも相良を苦しめる。
「それで、君は以前私に誓ひし事を反故にする心算なのかな?」
気を紛らわすかの如く、相良は次に黒露へ視線を同じくする。その表情は常と変わらぬ貼り付いた笑みだった。
「何の話だ」
「惚けてはいけないよ。丹後より戻ってきた晩に、君は私に明言したはずだ」
反応するように、黒露の眉根が大きく跳ね上がる。
「俺は、お前を裏切った覚えなどない。ただ雅相に仇成す晴職と手合わせしていただけだ」
「晴職は安倍一族だ。安倍晴明公の子吉平公から続く正当な子孫。そして、庶流派の一つ晴範党の次当主でもある。私が何を言いたいのか、分かるかい」
「晴範党?」
相良の言葉に、こてり黒露の首が傾く。
「知らぬのならばそれで良い。式は式らしく、己に課された使命を全うしなさい」
その言葉を皮切りに、相良は佩用している太刀を抜刀した。月光を吸収するように鈍く輝く反りのある刀身。そこには呪具として用いられているのか、妖艶さを孕む美しささえある。
太刀を引き抜いた相良は、太刀をゆるり片手で持つと――――音もなく斬り上げた。
「くっ……!」
突然のことであったものの、黒露は反射的に身体を傾け難を逃れる。
先程まで殺気一つ覗かせていなかったというに、突然の攻撃だったのだ。黒露の動揺と言ったら冷汗がどっと噴く程である。
然れどそのまま距離を取った黒露が気がついた時には、既にその場にいたはずの相良は忽然と消え失せてしまっていた。
「くそっいつの間に!」
突如として居なくなった相良を追い、黒露は素早く目を配り、耳を澄ませ、狐の匂いを嗅ぎ分け、山にいる数多の生ある者の気配から一つに絞るように感覚を研ぎ澄ませていく。
そうして黒露の視線が定めた先は、真正面であった。
「はっお前の居所なぞ既に知れている。今すぐその無駄な隠形を解け!」
鳥のさえずり一つしない静けさの中で、やや低い黒露の声だけが反響した。とはいえ、その声が正面を突き進む人物に動揺を与えることはなく。
そこにいるはずの相良と思しき靄のかかった人影は、相良と同じ白藍を薄くまといながらゆったり黒露との距離を詰めていった。
「俺はお前を裏切ってなどいない! 雅相に聞いてみろ。お前なら今すぐにでも雅相の匂いを辿って確認しに行けるはずだ!!」
徐々に焦り始める黒露。だが相良は無言で、太刀を片手に迫った。なんの光も映し出さない、靄に浮き出た無感情な黒い眼で。
この二月でよく目にした、感情の見えぬ相良の瞳に声音。だのに今は常よりも目の前の男からは情が削がれたように感じられた。
僅かな違和感。ただ黒露の勘違いとも言える些細な変化。
つ、と汗が顎を撫でるのも構わず、黒露は相良を注視する。足取り、体の機微、ゆるりと頭上高く上げられていく腕の筋の動きを逐一見逃さぬように。
「月明かりが邪魔だ」
無論相良の腕が頭上に上げられれば黒露の視線もそちらに引き寄せられるわけで。薄雲より顔を出す眩い月明かりが視界を薄く覆う。
「穢悪伎疫鬼余、現世爾留勿止急爾罷往登追給」
一瞬のことであった。黒露が月に僅かばかり気取られた隙に相良が掲げていた太刀を少し逸らしたのだ。
ハッと気づいたと同時に、黒露の目には鋭い痛みが走り意識が一寸眩む。
「ぐうっ!」
黒露の怯んだ一瞬の隙を突き、相良が一気に間合いを詰める。
迫る白藍の靄――――。
来る相良の攻撃を何とか往なすために、黒露は構えようとした。
その時、今度は背後から眼前にある気配と全く同じ気配が突如湧き上がってきたではないか。
「なんだ!?」
前方にある気配よりも尋常ではなく、突如噴出した膨大な霊力と絡まった神気。紛うことなき今目の前にいるはずの男のものだ。
「ちっ」
挟撃されてはまずいと咄嗟に横へ逸れ、身を潜めようと暗闇に転がり込む。されど一難去ってまた一難。
ようやく黒露の視界が戻り始めた中で垣間見た光景は、眼前に迫った冴え冴えと燃え上がる青い炎であった。
「くっそ、お……!!」
今度は体勢が悪いため受け止めざるを得ず、龍神の如き荒々しく押し寄せる青い炎を長爪でもって相対す。
だが黒露は、ぢりぢりと爪紅を焼く青い炎を臂力のみで軌道を逸らし、凪いで事なきを得た。
「少しは、俺の話を聞け! この大空け野郎!」
眉を吊り上げ黒露が声を荒らげる。そんな黒露の有様は、相良の炎を真っ向に受けたせいで鳳仙花の爪紅も腕も焼け爛れていて実に痛ましい。
対する炎の後方で佇む人物は、ぼんやりと己が手に持つ太刀の刀身を眺めていた。藤の髪に金の瞳を持つ男、紛うことなき安倍相良がそこに居た。
「やはりまだ、己の神気を御しきれなんだか」
静かな声で、まるでこの場所には太刀と己しかいないとばかりに刀身を見つめる相良。しかしそこへ同じ容貌をしたもう一人の相良が歩み寄り、同じ容貌で太刀を眺める男に一揖する。
「面目ありません我主様。あの鬼の意識を完全にこちらへ繋ぎ止めておけなかった私の失態にございます」
「いや、お前は良く働いてくれた。下がりなさい」
同じ上背で、同じ表情で、同じ声で、同じ仕草で相良らがぼそぼそと会話をする異様な光景。
黒露が怪訝な顔で語らう二人の男を注視していると、一揖していた男が淡い光を全身にまとったかと思えば、その姿は札に変化していた。
「はっなるほどな。式に己を変化させて囮とし、俺を奇襲したわけか。式を殺されようとも俺を消したかったんだな。呪印で繋がっている雅相の身命もろとも」
苦虫を噛み潰したような顔で黒露が言うが、相良は何処吹く風と式符を袖に仕舞っていく。
「そのようなことはないよ。君の身命が私如きに消されるのならばそれもまた運命。雅相の運命もそれまでということなのだから」
「運命運命と、随分とご大層な詭弁だな」
不快げに黒露が言葉を吐き捨てる。その眇めた目に映るのは、相良が仕舞う式符に注がれていて。
「さて、今一度君に問おう。君は一体何者なんだい? 安倍に仇なすものなのかな」
不意に問われて弾む視線。黒露が目にしたのは、丹後より戻ってきた夜にも見た眼であった。
暗闇にも勝るほど濃い色味に、どこか不安げに揺れる切れ長で物憂げな黒――――。
強い意志を含んでいるのに、黒露から見ればその奥ではまるで迷子のように頼りなげに何かを探しているよう。
「……俺は」
言葉が全て出る前に、喉の奥へと言葉を一度仕舞い込む。
伝えたい言葉は山程あるのに胃の腑へ溶け行き、後ろめたさに視線を少し逸らしてしまう。それでも黒露なりに言わなければと意を決し相良を今一度見据える。
「俺は、お前の敵じゃない。俺から言えることは、それだけだ」
相良の放つ鋭さに負けじと、凛とした声音で相対す。真っ直ぐと、淀む眼差しを捉えて。
内心に秘めた想いが僅かばかりでも漏れて、届けと懇願するように。
たが黒露の思いとは裏腹に、相良の視線が鋭さを増す。
「真にそれが君の応えと」
その手に握られた太刀が重たげに音を立て、黒露へ無遠慮に突きつけられた。
「その程度で我が一族に傷をつけた託言となるというのかい?」
「は、」
黒露の面食らったような表情は、やがて空いた口さえ閉ざされていく。
「……俺は、雅相の式という扱いだ。雅相に刃を向けられたため小狐を攻撃したに過ぎない。そも此度は、単に安倍の身内同士での諍いに発展したと言うだけだろ」
そう言えば、相良の形良い眉がひくりと持ち上がった。
「雅相と晴職との諍いだからこそ、殊更に許されぬのだよ。鬼神殿」
その瞬間、相良の体勢は緩やかに低くなり、間を置かずして地を一気に蹴り上げた。凶刃の向かう先は、まず首だ。
相良は低い姿勢のまま片腕で持つ太刀を緩やかに軌道を上げていき、黒露を斜に斬り上げる。
「ちっどういう、意味だよ!!」
すかさず黒露は後退って斬撃を躱す。が、相良はさらに逃がすまいと踏み込めばすかさず太刀を両の手で握り、素早く袈裟斬りに転じて追撃を行う。
「安倍の話だ。君の知る必要のない事だよ」
鋭刃が月光や風をも裂く錯覚さえ覚えるほどの速さで黒露に迫る。
なれど黒露は短い吐息と共に寸でのところで身を捩り、相良の太刀は地を抉るに留めた。
「戯言言ってんじゃねえ! こちとら意味もなく命脅かされてんだよ。安倍一族でないからと除け者なんざ道理が通るかよ!!」
然れどそう吠える黒露は防戦一方。
太刀の追撃は呼吸の間を与えず次々と繰り出されていく。
「確かに、君が安倍一族ではないとは言い切れないね。なんせ雅相の式なのだから」
「くそっ!」
雨のように降り注ぐ相良の青い炎をまとった攻撃が黒露を圧倒する。徐々に黒露は押されて行き、次第に傷も増えていった。しかしその傷も、常よりも遅い速度ではあるものの緩やかに癒えていくが。
「なるほど。君と初めて相見えた日もそうだったが、斯様な芸当ができるということは、やはり*宮中三殿の八神の内から出た祟神の類なのではないかい?」
「っだから、鬼神だっつってんだろう、があっ!」
黒露が言葉を皮切りに、今度は勢い良く相良へ飛び掛かる。それでも尚相良は軽やかに躱し「ふふ、さあそれはどうなのだろうね」と戦場にそぐわぬ微笑みを向けた。
まるで黒露と釣でも楽しみながら談笑している風体だ。
そしてその笑みとは似つかわしくない速度で、空いている手でもって黒露を捕らえようと試みる。
「はっ! そう簡単に掴まってやるか。莫迦が」
相良の鋭い手をひらりと避ければ、黒露は警戒心も顕に相良から距離を取った。
「何故そのような哀しいことを言うんだい。私はただ、世話を焼いてくれたあの時の礼をさせてほしいだけなんだよ?」
「お前の矜持に対する敵討の間違いだろ」
相良の虚空を掻く手は、そのまま緩やかに逃れた黒露へと差し出される。その表情は先程よりも笑みは深く、ぞっとするほどの美を持つ奥で血に飢えた獣を隠しているのが透けて見えた。
黒露が思わず内心身震いしてしまうほどに。
ただここで一つ、黒露の中で湧き上がる疑問があった。
そも何故相良が黒露に襲い掛かってくるのか、だ。百歩譲って雅相を殺しにきているのならば、普通は黒露ではなく真っ先に雅相を殺すほうが手っ取り早いはずだ。
それなのにそうはせず、式である黒露を殺しにかかっている。力量が分からずとも、雅相に神気の操り方を教えている時点で雅相よりも上なのは分かり切っているのに。
思考の海に沈みこみながら、再開する相良からの猛追を躱していく。
「俺の何が彼奴を惹きつける? いや、気に食わないの間違いか」
まず考え無ければならないのは、雅相よりも先に黒露を消す理由だろう。
思い当たる点と言えば、今の安倍の内情をある程度理解していることが勘付かれている辺りだ。
言うなれば未だ地に伏している晴職と、雅相と共にいるはずの為平と雅相の状態だろう。
雅相はすでに周知の事実として、残る二人が覚醒状態にあるという点。
さらに以前相良の口より聞かされた”覚醒者が同時に複数いた場合共食いする”という話。そして相良が朝餉の場で言った、安倍晴明と吉平の話。
「……なるほど。今ここで、お前は雅相を食わせるのか。それともお前自身が食うのか」
つまるところ、雅相とあわよくば為平諸共葬り去る算段なのではなかろうか。そう考えに至ってしまったら、次第に黒露の口角が上がった。
「年月が人を変える、か」
人の心が移ろい易いのは世の常だ。百年と経ればどんな人間も変わり果てるは誰とて例外はない。ただこの件で疑問はまだあった。
晴職の覚醒だ。
為平の覚醒については、既に予兆はあった。だが晴職については初対面時で既に覚醒状態だったのだ。
為平と雅相の前例を考えれば、直近に覚醒した可能性が極めて高い。では何時、誰に当てられたかという話なのだが。
「もっと私に集中しなさい。黒露」
「はっ! お断りだ」
思考の海に溺れかけていた黒露を引き戻す声が怒気を孕んで降り注ぐ。無論その声の持ち主は相良だ。
そして三度ぶつかる白藍と獄炎色。
交ざり合いぶつかり合いながら、夜をも照らす鮮やかな紅色へと昇華して行く。
「お前が、こんなに動ける奴だったとはな」
然れどその攻防もそう長くは続かず。黒露の呼吸は浅くなり始め、息も上がり始めていた。
対する相良は、息一つ乱さず白銀の太刀を片腕のみで自在に操り、青い炎を仕掛ける。「ちっ」と、舌を打ちたくなる程に表情の変わらない男だ。
そして相良より繰り出される青い業火を黒露は怨気で相殺しようと試みた時――――。
「はっ、が……!」
突如として、一際大きく脈動する心の臓。
それと同時に砂の塊が砕けていくように、ほろりほろりと爪が崩れ始めたのだ。そのため相良の炎を凪ぐこと叶わず、真面に食らってしまった。
炎の勢いは凄まじく、黒露を飲み込む青い炎はそのまま津波の如く押し流していき、後ろでの木に激突させ黒露が動かぬよう磔とする。
「があああ゛あ゛あ゛っ!!」
あまりの激痛に、噴き出す汗と共に絶叫する。青い炎の触れる箇所が皮膚を焼き、黒露の再生する能力をも凌駕し喰らい尽くそうとした。
「何故防ぐことに徹する」
そこへ近付く相良の表情は、不快げにしわを眉間に幾重も刻むもので。
相良がくいと太刀を動かす仕草に合わせ、青い炎が黒露の顎を捉えた。が、顎さえもまた白く旎く煙を上げながら焼け爛れていく。
だが黒露は、激痛により歪む顔をこそすれど応えることはなかった。
「何故何も申さない。君は火性故に私の水性に飲み込まれようとしているのだよ? 命乞いなり最期の足掻きなりしてみなさい」
それでもなお、託言の一つも黒露は言わなかった。
いよいよと防ぐ腕もほろりと崩れた時、固く閉ざされていた薄い唇から紡がれた言葉は。
「うる、せえ。近寄ってくんじゃねえ。菖蒲に混じった、甘ったるい匂いが、癪に障るんだよ」
――――挑発、であった。
さらには相良の方へぐっと寄せられた黒露の顏には、状況に不釣り合いな尊大な笑みが象られていて。
浅い息に混じる掠れ声が、やけに相良の鼓膜に反響する。その醜悪な声で紡がれた理解し難い言葉に、相良の脳が反芻出来ず数瞬の間静寂が訪れた。
木々がざざめく声の中、ようやく相良の思考が明るげになり始めていた折、黒露が待っていたとばかりに顔に嘲笑を乗せて追い打つ。
「趣味の悪い、破邪の、薫物だって……んだろ」
刹那、黒露の身体が浮遊したかと思えば、思い切り地面へと叩き付けられていた。黒露自身、己の身に何が起きたのかさえ理解出来ぬ間のことであった。
背や後頭部など背後から走る激痛と明滅する視界。
散り散りとなった思考を必死にかき集め素早く理解しようとするが、次手は相良の方が早かった。
「がはっ!?」
地を揺るがす程の振動が、黒露の腹部を貫いたのだ。その腹部に伸びる代物は、相良が手にする太刀で黒露の血を浴びて尚鈍く輝いていた。
腹部から迸る灼熱の波、傷口よりじわりじわりと侵食する激痛。
血が鼻や口からごぼりと溢れ出す。
「何が、言いたい」
相良の戦慄く声に、黒露は霞む視界の中で薄く口角を上げ、これが応えだと無言で主張した。
真直ぐと、揺らむ余燼のような焔を目に携え――――。
「何故、この状況下で私を挑発する! 何故寄りにもよってこの香を……!」
目の前が赤く燃え盛るように、眠っていた怒りが競り上がるように、相良は全身の血が沸騰するのを感じていた。
それと同時に、相良の情の奥底で常に降り注いでいた後悔の雨さえもが主張するように大きく響いてくる。
あの日朋の首を掻き切った時に、彼の血や温もりさえも洗い流した雨音が。
「何故だ、何故だ何故倖人を侮辱した!!」
何処かで降る雨音を悲痛な叫びで消そうとも、雨の音は鳴り止まず。
この雨はきっと、朋の怒りを体現しているのだ。
何故助けてくれなかったのか、何故もっと早く周囲の異変に気付いてくれなかったのかと。
あの日どうすれば救えたのかと、相良は今でも苛んでいた。
「許さぬ。断じて許さぬ。倖人を侮辱するものは、何人も」
何十年と責め立てる雨音から、朋の呪から、曾祖父の呪から、相良の情は蝕まれ続けていた。すり減ってすり減って、それでも大切な二人の願いを叶えるために耐えて生き抜いていた。
それが今、極限にまで押さえ付けられていた感情が、黒露に箍を蹴り上げられたことにより噴出し顕となる。
「我が愛刀で切り刻み、灰も残さぬほど焼き尽くしてくれる……っ!!」
そうして相良は熱に浮かされるままに太刀を引き抜いた。その瞬間、僅かに視界に入った黒露の表情は――――。
穏やかで、相良を慈しむように微かに笑む姿であった。
注釈
宮中三殿の八神の内から出た祟神の類……遷却崇神祭の意
実際に使用された形跡はなく、主に災禍の原因となる祟神を祀るもの。主に祓ったりするのではなく、一時的に京外に還すものになる。
ここまでお読み頂きありがとうございます<(_ _)>




