第漆拾伍 嗤う金の瞳。
次回→今月~来月中
「一体、なにが?」
土煙の立ち込める中から現れたのは、口や額などから血を流す全身傷だらけの男子であった。
目は獲物を狩る鷹の如き鋭い金の眼、口元には獰猛な笑みが象られて歪んでいる。
――――ぞくりと、背筋が粟立った。
雅相を見ているわけではないのに、男子のまとう雰囲気が尋常ではなく雅相を射抜いているような錯覚を起こしたのだ。
恐怖とともにじっとりとした汗が滲む。
「流石、私が目を付けた勿怪なだけはある。手柄を早く立てるため、絶対に逃がしはしない」
恐怖に息を呑む雅相とは裏腹に、傷だらけの満身創痍な男子は血を拭いながら覚束ない足取りで一歩を踏む出す。
が、何故か男子の動きはたった一歩目で止めたのだ。
そのままゆるりとした動作で、雅相と静観する黒露へと顔が向けられた。
「……ここにも、勿怪?」
そう呟かれた途端、背を支えてくれていた黒露の腕に力が入るのが伝わる。
そっと一瞥してみれば、黒露の顔はいつもの余裕あるものとは異なり、まるで目の前の男子は敵だと認識したように丹色の目が眇められていた。
双方に走る緊張感。
しかれど男子は、無遠慮にゆらりゆらりと距離を縮めてきた。
「っ待ってくれ!」
まさか、黒露に危害を加えられるのではないかと思い、痛みと恐怖で震える足に力を入れて勢いよく立ち上がり、二人の視線を遮る。
居てもたってもいられなかった。
雅相の唯一の式である黒露を、敵だと認識されることが。
無論前触れなく立ち上がってしまったため、前後からの視線をひしひしと感じて痛い。
それでも、こちらへ向かってくる男子の視線を黒露から外したかった。
「え、えっと……。僕は安倍雅相。安倍家嫡流の後継者なんだ。都にいるのだから、安倍家くらいは分かる、よね?」
だが咄嗟の行動ゆえに何を言えばいいか思いつかず、最終的には自己紹介をする羽目となる。
自己紹介も、頬が引きつって不格好だろう笑みも、こちらはお前の敵ではないよと歩み寄る姿勢を示すためだ。
しかし伝わってくれと内心懇願する雅相の思いは届かず、男子は歩みを緩めることはなかった。
代わりに変化したのは、今まで獰猛な笑みをたたえていた口が、真一文字で虚無な表情に変わったくらいだろうか。
その無表情の顔が、瞬きすらしない目がまっすぐに雅相を見据えて歩み寄ってくることに、距離を縮められる毎に雅相の喉が引くつく。
「こ、こっちは僕の式神の鬼。よ、よろしくな。そっちは?」
上ずった声になりながらでも自己紹介を続けたが、男子からの返答は一切なく……。最終的には手の届く距離にまで縮められてしまう。
しかし近くで対峙したことにより分かったことは、上背は雅相よりも頭一つ低く、幼い顔立ちをしていた。
しかれど見上げてくる金の瞳は、童のするようなものではなく殺気を放ちながら睨むもので。
雅相は、思わずごくりとつばを飲み込んだ。
「べの……ちゃくりゅ……すけ」
するとようやく男子の口元が僅かに蠢いたのを見止めた雅相は、「え? なに」と思わず聞き耳を立てた。
だが何か言っているのは口の動きでわかるのだが、あまりにも声が小さすぎて良く聞き取れない。
さらに男子の上背に合わせて身を屈めれば、一言一句逃さぬように耳を傾けてみる。
雅相よりも体格が下だということは、つまり元服したての可能性が極めて高い。であれば、雅相よりも年下だと思い至っての判断だった。
仮に襲い掛かって来たとて、いくら落ちこぼれと名高い雅相だろうと年少の者に負けるわけがないという自負。
……だが、それが間違いであったと気付くには僅かに遅かった。
雅相がぐっと身を乗り出した瞬間、男子の口が急激に口が裂けるのではというほど弧を描いたのだ。
「ひっ」
あまりの恐怖に身を離そうとするには遅く、勢いよく雅相は首を小さな手で鷲掴みにされる。
「がっう、」
ぎちぎちと、爪が皮膚に食い込む音が響く。
ぎしぎしと、首の骨が軋む音が鳴る。
呼吸が乱れ、必死に男子の手を外そうと引っ掻くが、男子は微動だにせず力を強めていく。
尋常ではない握力に、このままでは簡単に首をへし折られるのではと血の気が引いていった。
「まさすけ……ちゃくりゅう……。ふふ、いいところにみつけた」
「は、なせ……!」
雅相が藻掻くうち、咄嗟に背後にいた黒露が男子の腕を斬ろうとしたのが目の端に映ったが――――それは叶わず。
男子は黒露の僅かな動きに逸早く気付き、雅相の首を掴んだまま素早く後退したのだ。
そこから黒露はさらに踏み込み、幾たびもの長爪による追撃が繰り広げられるが、男子は全てを躱し黒露から距離を取る。
「ちっ面倒な」
後方より黒露が特大の舌を打つが、今の雅相には寸分も入りはしなかった。
耳鳴りがひどく、また黒露と男子の攻防の際に激しく揺すぶられてしまったため、ぐわりぐわりと眩暈を起こしており、顔から血の気が抜けて思考さえも鈍り始めたのだ。
あまりの気持ち悪さに、胃の腑から熱いものまでせり上がってくる始末である。
「間抜けな奴。大方、人を見た目で判断して近付いてきたんだろう? 嫡流も落ちぶれたものだ」
「う゛ぐ……っ」
あがいてもがいて、首を掴む腕を掴み返しても何も起きない。爪を食い込ませてみても男子の笑みは崩れない。
むしろ、雅相は自身が付けた傷を凝視した。なんと、爪痕や傷が少しずつ塞がっていっているではないか。
勿論この傾向に、覚えがあった。
(治癒の能力!? まさか、白狐か!)
雅相自身にも覚えは幾度もあったし、祖父の話でも霊狐は傷を癒す力を持っていると言っていた。
それに、祖父自身が葬送の際に見せた金の瞳と同じなのだ。
勿論黒露のように鬼の再生能力という例外もあるかもしれないが、そうではないと脳が直感で訴えてくる。
それを早く黒露に伝えたいのだが、雅相の口から出るのは泡や唾ばかりであった。
「ねえ私のこと分かるかな? あはは、分かるわけないよねえ。安倍氏長者であるあの男に大切に匿われていた秘蔵っ子だものねえ? 陰陽学生の落ちこぼれ殿」
「な、でし……て」
呂律の回らなくなってきた口で、必死に紡ぐ言葉はごくわずか。
呼吸もできず次第に喉が引つき始め、必死に息を吸おうと真魚の如く口をはくはくさせる。
「弱いなあ。よわいなあ。よわすぎるなあ。ちゃくりゅうってこんなものなんだねえ。あはははは!!」
「あ゛、がっ」
男子の甲高い声が、近くに居るはずなのに遠くで聞こえた。
喉が絞まる。息ができない。恐ろしいほどの臂力に、次第に力も抜けていき思考が白んでいく。
今度こそもういいかな、と力を抜き雅相が白目を剥き始めた――――その時。
「がはっ!!」
突然、男子が悲鳴を上げたのだ。
と同時に、身体がぐんっと引っ張られる感覚を起こしたかと思えば、次にやってきたのは激しい痛みが雅相を襲う。
全身を打ち付けたようで、身体中から悲鳴が上がる。
だがその代償に得たのは、息であった。
急激に肺腑に空気が入り込んできて、思わずむせてしまう。さらにいえば、なにやらざらついた空気のようだ。
「ごほっ……う゛っえ゛ぇ」
胃の腑からせり上がっていたものが次々と吐き出されていく。
どうやら砂煙を吸い込んだようで、ざらついた肺腑がより一層後押しする形で気分は最悪だ。
涙目になりながら一通り胃の腑を空にすれば、ごろりと寝転んだ。
(空。僕、生きてる)
耳に届くのは、浅い呼吸と鳴り虫たちの声。そして眼前に広がる、精霊たちの浮かぶ森を突き抜けた先の星が瞬く夜空。
――――生きていた。
命運尽きたとばかり思っていたが、どうやら此度も生き残ってしまったようだ。
これでようやく楽になると思っていたのに。
だが雅相の胸中には、また死ねなかった残念な気持ちの裏に、僅かな安堵感も交ざっていた。
殺してくれと願う反面、死にたくないという矛盾。
これはなんなのだろうかと、うまく回らない思考で考えてみたが、やはり分かるはずもなく。
諦めて少しずつ呼吸を繰り返し、今は早鐘を打つ心の臓を落ち着かせていく。
が、その息が一瞬にして止まり、雅相は大きく目を見開いた。
「為平の気配と匂いが間近にする……!」
その匂いの先を辿って行けば、遠くで血塗れの男子と巨躯の獣が互いに距離を見計らっている緊張状態の場面であった。
月に照らされた薄金の毛並み。月光に反射する鋭い瞳に、全てを憎むかの如き唸り声を出す牙の生えた獣の口。
今日の夢の中で雅相が“為平”と呼んだ、巨躯の狐が男子と対峙していたのだ。
「雅相、大事ないか?」
「黒露! あの狐、為平だ。夢で僕が為平と呼んでいた狐と同じ容姿なんだよ。それに匂いと気配も為平のものだ。為平で間違いない!」
後方よりようやく雅相の元までやってきた黒露に一言文句を言いたいところだったが、今はそれどころではない。
興奮しきりの雅相が指し示す方に黒露も視線を向けると、丹色の瞳をすっと細めた。
「……そうだな。正しく為平に相違なさそうだ」
「じゃあ! じゃあ早く為平を元に戻す方法を!」
勢いよく起き上がった雅相だったが、一瞬にしてその頭上にずしりとした重みが襲来する。
黒露の白い手の仕業だ。
黒露が力任せに雅相の頭を押さえつけてきたのだ。
はやく為平のところへ向かおうと邪魔をする手を引きはがしにかかるが、無論退かせられるはずもなく。
なにをするとばかり、雅相はキッと黒露を睨みつける。
「なんだよ! 早く為平の所に」
「その前に、お前の敵であるもう一方をまずなんとかしないと話は進まんだろ」
が、出かかった言葉を喉で押し留めた。
確かに黒露の言う通りだ。為平をどうにかする前に、まずは雅相の敵だろう為平と対峙する男子をなんとかしなければ、おちおち為平に集中できない。
それに黒露の動きを読んだり、足も素早いのだから早めに対処しておかないと厄介なことになるのは確実だ。
「でも、なんとかするって言ってもどうやって?」
「二手に分かれる」
「は!?」という絶叫に近い声を上げたのと同じくして、強烈な風が雅相の背を煽る。
突然の衝撃と反応が遅れてしまったがために、「えぶっ」と変な声とともに体が前のめりに倒れ、顔面が膝小僧に向けて熱烈な拝礼を行うはめとなった。
「っつう……なに、今の?」
「そんなに話す時間はないようだな」
あまりの痛さに涙が出そうになる。
だが額の痛みを堪えて、黒露の指す方へと顔を向ければ、今度は磊落したような地鳴りが轟き周囲の空気を震わせた。
――――巨躯の狐と見知らぬ男子が、遂に動き出したのだ。
男子は数枚の式符を袖より取り出し、ばら撒きながら並行して呪符で狐の動きを制しようとする。
しかし狐は呪符を容易く叩き落とし、男子の間合いを詰めていった。
狐の爪と呪符が触れる際に、再び強烈な風が吹き荒び、雷鳴の如き音が鳴り響く。
「うわっ! なんだよ、これ……!」
「奴らの攻撃に含まれる神気と神気がぶつかり合っている影響だ。まあ、この程度の神気のぶつかり合いならば都は滅ばん。安心しろ」
「基準がおかしい!!」
ただそこで雅相ははた、と気付く。
黒露は、“神気と神気のぶつかり合い”だと言ったのだ。
それがどういう意味か。
「まさか、二人とも覚醒している?」
正確には、男子がそうなのかは分からない。
覚醒した白狐が持つという“治癒の能力”を見せつけられたのだから、同族の恐れがあるとは思う。
が、反面雅相自身は、一族の中であの男子を見た事がないのだ。もしかすると、安倍一族以外にも白狐の後胤がいるのかもしれない。
或いは他にも、神気を持つ存在と人が交わった妖人なのか。
だが雅相が一番気になったのは、やはり為平の方だった。
黒露の言い方では、為平も神気を持った存在だと言うことになる。ほんの少し前までは、その気配さえ微塵も感じさせていなかったのに。
詰まるところ為平が化生したあの姿は、祖父が話してくれた安倍晴明の化生した話と同じ姿になった、ということだろうか。
「とにかく、俺が間に入って分断する。その後は俺があの小さいのをさっさと片付けるから、お前はそれまでアレの相手をしていろ。いいな?」
「分かった。黒露が来るまでなんとか為平の足止めをしてるよ」
あくまでできる限り、であるが。
内心為平の足止めができるかと不安で仕方がないが、やらなければあとで黒露にどんな文句を言われるかわかったものでは無い。
緊張した面持ちで、真っ直ぐに黒露を見据えながら雅相は固く頷く。
それを認めた黒露は、目にも止まらぬ早さで駆け出して行ってしまった。
激しくぶつかり合うあの二人の合間に割り込む勇気があるのは、さすが黒露と言ったところか。
それに堂々と入り込む当たり、あの状況を何とかできるという自信の表れなため、黒露の実力を考えただけで恐ろしい。
雅相も遅れまいと立ち上がるが、一瞬の激痛に襲われ顔を歪めてしまう。
「っまだ、完全に治りきってないのか」
足を見れば、ふさがり始めてはいるものの足に力を入れると、傷口から血が滲むほどに治りは遅い。
それでも先程のように、黒露に担いでもらわなければならないほど動けないわけでもないが……。
闘いの前に、不安の残る部分である。
(黒露に、僕の神気少し返せって言えばよかったかな)
なんて思っても後の祭りだが、思わずため息が出た。
こんな緊張するはずの場面でさえ、暢気なことを考えてしまう己の言動に対して、だ。
気を引き締め直すように頬を両手で二度叩けば、静かに混戦状態となった前方を見据える。
「先見で見た状況だって変わったんだ。なら、きっと為平を助けられる未来だってあるはずだ。絶対に」
祖父に殺させることも、ましてや雅相や黒露の手で殺めることも、式として使役することもなく為平を“人”に戻す方法がきっとある。
その方法は、今は思いつかないが……捕縛してから考えればいいのだ。
そう己に言い聞かせて、雅相も黒露の後を追いかけた。
唐突!?陰陽師小ネタ~素人徒然日記(注釈がない場合のみ)
〜実は官人陰陽師は本来、“霊”なんて祓わない〜
Q:でも仏教入ってるよね? 怨霊対処できるよね?有名だよ?
A:入っております。でも門外漢なんです(^-^;
陰陽師のお仕事と言えば天文・卜・暦になります。いわゆる当時は最先端の技術官人ですね。
そこから時代が流れて、陰陽師のお仕事に組み込まれていくのがケガレや怪異の祓や調伏です。
ケガレや怪異はいわゆる不吉なこと(烏の糞ついたとか鼠めっちゃ出た! とか、血が!? とか)で、陰陽師はこの変事が何を指すのか卜って祓いをしました。(本当はケガレは神道の分野なので、これも陰陽師のお仕事じゃない。でも貴族たちにやれと言われて組み込まれてしまいました;)
あとは延命長寿の祈祷だとか。
なので、怨霊が出ても僧侶にバトンタッチ! が基本。陰陽師? 怨霊や悪霊の正体を卜で判断するのがお仕事です。
それが変化(安倍晴明説話などによる変化)して伝わったのが、今の私たちのイメージする陰陽師像になります。
結論! 陰陽師は僧侶でも神官でも霊媒師でも占い師でもない、当時最先端のことを沢山学んでいた官人!現代の職内容で一番近いのは気象予報士? さらに言うと、政府直轄の下で働く気象予報士となります。
以上。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次の更新(いつものように激おそ)をお待ちいただけましたら幸いです<(_ _)>




