第漆拾参 水の神。
「はっ!!」
急激な意識の浮上に大きく目を開いた。
どくりどくりと急かす鼓動がまるで耳許で鳴っているみたく、気持ちの悪い感覚が脳内を占める。
不快に思い、両手で耳を塞ごうとした。
が、その間際、片方の腕に急激な重みが増しそのまま一気に地に引きずられる形で尻もちを着いてしまう。
どうやら雅相は、先程まで立ったまま意識を手放していたようだ。
「ってー……」
地に着いた尻を摩りながら、強く引っ張られた腕を見れば――――そこには、黒露が雅相の腕を掴んだ状態で倒れ伏していた。
顔には大粒の汗をびっしりと張り付かせており、呼吸も浅い。
思わずぎょっと黒露の顔を、食い入るように見る。
その容貌はいつもの猫の姿ではなく、額に一本の白い角を備えて黒髪を頭上で結い上げた人の形をした鬼の姿であった。
苦しそうにする黒露に、暫くおろおろしていた雅相だったが、意を決しそっと手を伸ばせしてみる。
しかし突如、その手を黒露の赤い爪紅の手が勢いよく掴んできたでは無いか。
「ひっ!?」
引きつった声が喉から絞り出され、雅相はそれを必死に振りほどこうとする。
が、ふと黒露がなにか囁き声で言っているのが耳に入った。
そっと黒露の口元へ耳を寄せて聞いてみる。
「てめぇ、なにを、した」
もはや地鳴りの如き低い声で、怒りの言葉を呟いていたのだ。そこでハッと気づく。
黒露からゆらりゆらりと立ち上る怨気の気配だ。
二月前の記憶が一気に蘇り、雅相は今度こそ掴まれている腕を全力で振り解きに掛る。
しかし黒露の方が臂力が強いのか、微動打にしなかった。嫌な汗が滲んでくる。じっとりとして張り付くような汗。
すると、黒露がのそりと伏せっていた顔を上げた。
その顔は疲労困憊といった様相で、丹色の瞳に光が宿っていない。例えるのならば、まるで祖父の瞳のようだ。
「こ、黒露!? どうしたのさ! 一体なにがあったんだよ」
雅相が血相を変えて身体を揺すってみると、黒露は死んだ丹色の目をぎろりと鋭くさせて雅相を睨んだ。
「なにがあった、だあ? てめぇ、己が身体を乗っ取られていたことを知らなかったとは言わせねえからな。くそ、それで、この仕打ちかよ」
そう、腹に重く響く声で黒露はそう言った。
一瞬の間、黒露と雅相の間に静寂が訪れる。そして口火を切ったのは雅相だった。
「え、え? なに、どういうこと?」
全く理解の追いついていない雅相に、黒露は苛立ちを吐き出すように深いため息を吐いた。
そうして再びずるりと地へ落ちていく。どうやら顔を上げるのでさえ辛かったようだ。
「こ、黒露!? しっかりしろ!」
焦りを滲ませ、何度も激しく黒露の身体を揺すってみるが呻き声を上げるばかりだ。
どうしようかと周りを見る雅相は、そこでようやく周囲の景色に目を向けた。
そして雅相は、呆然としてしまった。
「……どこ、ここ?」
辺りは既に闇に覆われ、風に揺られ騒ぐ鬱蒼と生い茂った不気味な森林。
その中に、無数の彩り豊かな淡い光という名の精霊が辺り一面に広がっていた。精霊は鳴虫の奏でる音に呼応するように浮遊している。
足元は整備されているのか、広大な道が木々の合間に一直線に伸びていた。
遠くからは川だろうか? 微かな水の流れる涼やかな音色が聞こえてくる。
「ここは、一体」
雰囲気としては、以前朋の安倍為平とともに組手を行った貴布禰山に近い気もするが、森林なぞどこも似たようなもの。
ただ変わっているところと言えば、雅相から見て、背後の遠方に鳥居があるのが見えたのだ。
比較的新しめの朱色の鳥居のようで、鳥居の内側近くに小さな木板の橋が掛かっており、そこに小川が流れているのだろう。
「こ、こは、貴布禰の宮、の奥」
雅相が当たりを見回していると、不意に黒露が再び呟いた。
パッと黒露を見れば、未だ倒れたままだがごろりと寝返りを打ったのを見るに、少しずつ良くはなっているようだ。
まだ表情は苦しそうにしているが。
すると仰向けとなった黒露が、爪紅の指を天に向けて伸ばす。
「主祭神、高龗神が、山に出湧き水の神ならば、ここは山の谷に流れる水の神が鎮座する。同一神であり、龍神だ」
その言葉を聞いて、ここがどこなのかようやく理解した。
その頃には雅相の顔はさあっと青ざめており、血の気が失われている。
つまるところここは、貴布禰の宮にある奥宮。奥宮の主祭神は、高龗神とともに闇龗神を祀っている。途中の中宮には石長比売が鎮座していたはず。
貴布禰の宮は上賀茂社の摂社であるため、賀茂別雷命も祭神としている社だ。まさかそんな所に来ていたとは露知らず……。
しかし、何故貴布禰の宮なのだろうか? いつの間に来てしまったのかと思い悩んでみたが、一つしか該当するものはなかった。
夢の中で出会った男が口にしていたことだ。
“神憑きしやすい体質”。
そしてここまで来た記憶が無いこと。記憶が途切れる寸前に高龗神が現れたこと。そして黒露が堂々と言った、“乗っ取られていた”と語ったこと。
分かりやすく今の状況を説明されている気分であった。
つまり雅相は、高龗神に乗っ取られていたわけだ。ついに神様に体を堂々と乗っ取られたわけで、頭を抱えたくなった。
しかし黒露は、雅相の悩みなぞどうでもいいのか「ん、」と天に掲げていた手を雅相の方へと寄越してきた。
「え、なに?」
その差し向けられた腕の意味が分からず、怪訝な表情をする。
しかし黒露はその問いに答えずにひたすら「ん!」と今度は語気を強めて腕を振った。
そこでようやく理解する。
つまり黒露は、助け起こせよと言いたいのだろう。思わずその童みたいな行動に、ふっと息を漏らして困った奴だと言いたげに見下ろす。
最初からそう言えばいいものを。
やれやれと色白の手を握った瞬間――――全身から力が一気に抜けた心地がした。
がくりと膝が曲がり力が入らない。
顔からも、血の気が引いていっているのか軽く眩暈がする。
辛うじて地に伏せることは免れたものの、地に着いた片膝がガクガクと震えていた。
「なに、これ」
くらりくらりとする視界を精一杯黒露に向ければ、先ほどまで倒れていたはずの黒露はいつの間にか立ち上がっていて、替わるように雅相を見下していた。
口元には、意地の悪い笑みを浮かべている。
「なにって、前に言っただろ。俺は呪印を通してお前から霊力を奪って隠形していると。今回は神気を吸った。まあ妖人の神気は霊力に絡まっているようなものだから、実質霊力も頂いたがな」
「だ、から……一方的に吸引すんな、よ。一言言ってくれってば! もう!」
地団太を踏んで騒ぎたい衝動に駆られるが、今はそれほどの体力は持ち合わせておらず悪態を吐くに留めた。
つまり木の分家の葬送の際、霊力と黒露は言っていたが、あれは実質神気も吸っていたと言うことか。
更に今尚、隠形する度に雅相の霊力と神気を同時に吸っているのだと気付けば「一石二鳥で得だな」と鼻を鳴らす黒露にむかっ腹である。
まあこの俺様な鬼に、何を言っても無駄だし今に始まったことではないため、雅相は大きなため息を一つ吐いて思考を切り替えた。
「これからどうする?」
「無論、ここまで来たのならば奥宮へ行くしかあるまい。お前の中に巣食う高龗神は闇龗神と同一神なのだから、話せば何とかしてくれるだろう」
のそりと重たげに立ち上がってみたはいいが、雅相の目は白けたように眇られていた。
普通に考えて、神様に掛け合うこと自体が烏滸がましい気もするのだが。
しかし神様は神様でもって対処してもらうしかないわけで。
諦めて黒露ととも、生い茂った木々の中にある一本道の先の奥宮を目指して歩を進めていった。
***
「はあ、ここへは天后とともに来る予定だったんだが……予定が狂いまくっている」
ざくりざくり、と砂利を踏む音が鳴る。
隣でなにやら独り言ちている黒露を横目に、雅相は意識の中に出てきた男のことを考えていた。
今でも鮮明に思い出せる、もう一人の雅相と雅相の意識の中に突然侵入してきた男の光景。
確か男はもう一人の雅相に向け、弓を番う素振りをして“何か”でもう一人の雅相を攻撃していた。
これは一体、どういう意図があったのだろうか?
「……もしかして、鳴弦?」
思わず吐いてしまった言葉を慌てて塞ごうと手で口を覆う。だが時すでに遅し。
黒露が耳聡く雅相の言葉を拾い上げたようで「鳴弦?」と怪訝な顔で問い返してきた。
「な、何でもない!」
と慌てて取り繕うが、黒露に「闇龗神に取り成すのは一体誰がやると思う?」という脅し紛いな事を言われ、雅相はがっくりと肩を落とした。
確かに神に直談判なんて雅相には絶対出来るわけがない。そんなこと畏れ多すぎる。
それに雅相の今の状態が一体どうなっているのかも、黒露が一番よく理解している風なのだ。
となれば、雅相の状態や助けを乞う際に活躍するのは黒露なのは必定。
観念して、意識が途切れていた間のことを黒露に話すことにした。
意識の中で、もう一人の己が巣食っていること。その中に突如見知らぬ男が乱入してきたこと。
そしてその男が、もう一人の己を弓を番う素振りをして、“何か目に見えないもの”で攻撃していた事を搔い摘んで話した。
「もう一人の、雅相ねぇ」
「そ、そこはいいから。その、僕の意識の中に入ってきた男がしていた動きが、鳴弦の儀に似てるなって」
首を傾げながら考える黒露の真剣な顔に、やや恥ずかしさを覚えるが、歩きつつ男がやっていたことを真似をしてみる。
そうすれば黒露は「確かに似ている」と一つ首肯した。
「なんで鬼である黒露が鳴弦の儀のことを知ってるの?」
疑心の目で黒露を見る雅相なのだが、当の黒露はすすと視線を逸らして「昔の記憶が少しだけ戻ったのかもな」と素気無く言う。
それが本当かは雅相には知りようがないため、「ふうん」と疑いの眼差しをしながらも、この問題は一旦置いておくこととする。
黒露に関しては何もかもが可笑しいので、追及しても無意味だ。いつか黒露が話してくれるらしいのでそれを待つのみである。
すると黒露は、ごほんと一つ咳払いをして再び真剣な顔つきをした。
「そも鳴弦の儀というのは、帝の入浴や病、御子の誕生の際に邪気祓いとともに祝ぐ祭儀だ。お前は帝の御子でもないし状況から鑑みて、もう一人の雅相とやらを穢れと見做し邪気祓いをしたのかもな」
「んー、そう、かも? でもさ、その男じっさまによく似ている人でさ。髪が藤色で、毛先が赤くて変な人だったけど。というか、どこかで見たような……」
うーんと唸りながら天を仰ぐ雅相の傍らで、黒露が「その話は本当か?」と問うてくる。
無論ここで冗談を言ったつもりはないので、雅相は微かに首を縦に振って天を仰いだままちらと黒露を一瞥す。
「そう、か。俺の神気だけが突然ごっそりなくなったのは……。奴め、俺の血に眠る記憶を媒介に呪印を辿って侵入したか。或いは祭儀の折夢祭に近い術でも仕込んでいたのか?」
ぶつぶつとまたもや一人で考え始めた黒露に対して、思わずため息が出てしまう。
そう言えばふと、意識の中で男が言っていた事は他になんだったかなと黒露の独り言を後目に思い出してみる。
『平安を何処より祈願しておる。オン・シラ・バッタ・ニリ・ウン・ソワカ』
聞いたことの無い、どこの諸仏諸尊の真なる言の葉になるのだろうか? 不動明王のそれとも違うし、薬師如来のともまた違う不思議な真言。
「オン・シラ・バッタ・ニリ・ウン・ソワカ」
そっと囁き声で口に出してみた。勿論それで何かが起こるわけもなく。
真言というのは、この国ではこの国古来の神道である神様が諸仏諸尊に化身する時(神仏混淆)、その神様の御力をお借りする際に霊力を捧げて祈る言葉だ。
ある種化身した仏と人を結ぶ呪いに類する。
また手で悉曇梵語を表すのも、言葉だけでなく仏と人を結ぶための行為に近い。
真言は人と仏を呪いで結び、仏を象った梵字を手で表す行為は仏と人の互いの御力を奉ずる。と、陰陽寮では教えられた。
なので、真言のみ唱えたところで何か起こるわけがない。
「雅相、何か言ったか?」
「え!? 何も!」
不意に黒露から声をかけられてしまい、思わず焦って上擦った声で答えた。
だがそうは問屋が卸さないとばかりに、じっとりとした眼差しで黒露が疑ってくる。何かほかに話題はないかと、グルグル頭を回す。
「そ、そういえば夢の中に出てきた男が、僕を外で心配して待ってる御方がいるって言ってたんだけど、もしかして黒露のことなの?」
そして唯一出てきた話題を提供はできたが、雅相の目は大いに泳いでいた。
まさか、黒露が心配していたのだとしたら、ちょっと嬉しいというかなんといか。外も内も鬼みたいな黒露も、心配するんだなと思えてしまったのだ。
「……まあ、俺とお前は呪印で繋がってるし、己の生死が掛かっているのだから当然だろ」
だが黒露から返ってきた言葉は、つっけんどんなものだった。
黒露の言い分は非常に理解出来る。でも、なんだかガックリとしてしまった。
そうこうと話している内に、貴布禰の宮奥宮の正門に到着する。
築地塀に囲われて、真中には唯一出入りできる*棟門があるが、門は閉ざされ中に入ること叶わず。
「どうする?」
何気なく黒露へ視線を向けてみれば、黒露が無遠慮に歩を進めて石の階を上がって門に片手を着いた。
それから突如訪れる、静寂の一時。
しばらくして、門は古い木の軋む音を響かせながらゆるりと開いて行くではないか。
何事かと、境内にいる誰かが開けたのかとじっと見る。
が、さすがにこの夜更けに人など居るはずもなく。前方は無人であった。
「誰もいないのに、門が勝手に開いた……」
思わず目を瞬かせる雅相に対し、黒露はいたって平然とした態度で中へと入ろうとする。
慌てて雅相も中へと入ろうと黒露の後に続いていくが、そこで黒露がくるりと身を翻してきた。
急に止ってきたため、危うく黒露の背に追突しかけたが辛うじて難は逃れる。
だが、怪訝に見上げた先には、黒露の険しげな顔があった。
「いいか、お前に一つ忠告しておく。ここから先は不浄を嫌う神の域だ。無論、陰陽師も卜占や祓でたまに訪れるだろうが、陰陽師の性質をよくよく考えろよ。今回は俺が居るから大目に見てやるがな」
険しい顔つきのまま黒露の口から出たのは、一息に捲し立てた言葉の羅列であった。
余りの速さに目が回りそうになるが、必死に黒露からの忠告に何度も頷く。
それを見届けて一安心したのか、再び黒露は前を向いて門中へと入っていった。
――――だが雅相の表情は、一向に晴てはいなかった。
なんせ忠告してきた相手が黒露なのだ。穢れそのものである鬼だ。
当然黒露もまた宮へ出入りすべきではないはずなのに、堂々と貴布禰の宮を闊歩している。
更に言えば、“黒露がいるから宮に出入りできる”理由が分からない。
眉間にシワを刻みながら、前を歩く黒露を見据えた。
「久々に顔を見せに来てくれたかと思えば、随分な挨拶をしてくれるものね」
じっと黒露の背に集中していると、不意によく通る澄んだ高い声が響く。
視線を彷徨わせてみれば、広い境内の一角にある石塊の上に誰かが乗っているではないか。
目をギョッとさせてその石塊と座っている人物を交互に見比べた。
記憶によれば、貴布禰の宮にある聖遺物だったはずだ。
「そちらこそ、先日は随分な挨拶をしておいてよくもおめおめと仰せになられる」
「あらまあ。以前よりも随分と可愛げが無くなったこと」
しかし黒露は何事もなく人? のいる方へ歩いていき、石塊の横にある大きな中央拝殿の高欄に何食わぬ顔で寄りかかった。
なんと畏れ多いことを。
雅相も倣って、戦々恐々と黒露の隣に居並んでみる。
無論拝殿に寄りかかったりはしない。
「私がここへ来た目的は既にお分かりですよね?」
腕組みをして、不遜な態度で問う黒露の視線の先にいるのは――――雫に触れた鮮やかな露草色の髪が特徴的な、同系色の壺装束に似た格好をする女人であった。
その瞳は夕日が目を日差しで射刺すように鋭く燃え、形良い唇は挑発的に吊り上がっている。
「そう急くものではないわ。それより其方、いつも共に居た者らは如何したの? それに其方の父より賜りし物も全て持っていないように見受けられるけど」
「貴女の知る必要のない事ですよ」
「ほんに可愛げが無くなった」と嘆く女人は、何やら黒露のことを殊の外知っているふうな口振りであった。
しかも二人のやり取りは、身内と接するものに近く雅相は目を丸くせざるを得ない。
この人が一体何者なのかとムッスリした顔で隣に腰かける黒露の袖を軽く引っ張り、早く紹介しろと促してみる。
そうすれば黒露は一つ咳払いをし「それより」と続けた。
「闇龗神、今は私の共はこの者のみです。高龗神を通して存じ上げておいでですよね? ……雅相、挨拶を」
嫌な予感はしていたが、当然の如く黒露の口から出た神様の名前に思考が止まりかける。
辛うじて「あ、あべの、まさすけです」とたどたどしくはあるが、諱を言って深揖できたことは褒めて頂きたいものだ。
「斯様な子狐が、月の尊のお気に召した者ね」
雅相がおどおどと挨拶したのに対し、闇龗神は袖で口元を隠しながらくすりと笑った。
隣にいる黒露の、ほっとした吐息を漏らすところを見るに、機嫌を損ねたりはされていないようだ。
すると闇龗神は、人離れした白い手をちょいちょいとして雅相に来るよう促す。
どうしようかと黒露を見るが、否応なくそっと背を押されてしまった。後には引けない状況だ。
「あらまあ、そう。其方、不思議な器をしているのね。それに、魂魄も神仏を受け入れられる程に大きく……神気もあって、並の神であれば耐えられるみたい。月の尊がお気に召す理由ね」
おずおずと近寄れば、闇龗神は雅相の手を取り、燃える夕日色の瞳で何やら雅相の手をじっくりと見る。
居た堪れなさと、色々と聞き捨てならない単語が並べ立てられ、思わず雅相の肩がびくりと上がった。
月の尊というと、確か闇龗神と同一神である高龗神が月読命であると言っていたはずだ。まさか三貴子に気に入られていたとは露知らず。
神様に気に入られるなど恐ろしすぎてゾッとする。
「……あぁ、そういうこと。其方、だ」
整った顔が徐々に訝しげになり、ついに何かを突き止めたのか闇龗神がやや沈み気味の声で何かを言おうとした。
その刹那――――奥深く、位置的に貴布禰山から木が幾つも倒れるような地響きがした。
何事かと一斉に三人が視線を投げる中、貴布禰山の方から土煙が舞い、再び木がなぎ倒される様が目に飛び込む。
「何事?」
闇龗神が険しげに顔を歪める中、呆然とする雅相の鼻腔に風に乗って何かの気配と匂いが掠めていく。
その気配と匂いに、雅相は目を見張った。
「……為平」
数日前に行方をくらませたままの朋、庶流に当たる安倍為平のものであった。
注釈
棟門…… 本柱を2本立て棟を高く上げ、屋根を切妻造りにした平入りの門。 寺院の 塔頭や公家の邸宅などに用いた。




