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陰と陽の狭間にて。(仮題)  作者: 熨斗月子
二目。憑き物と撫で物
61/82

第伍拾漆:生い立ち。(告)

 

「え、どな、た」

 ふと声のしたほうを向けば、突然のことに身動きが取れなかった朋の行信(ゆきみち)の赤みがかった目が、六合を凝視していた。


「名は六合(りくごう)。それ以上、言うことはない」


安倍晴明(あべのせいめい)の代からずっといる十二天将のうちの一座なんだ。普段は隠形してるから、行信が会うのは初めてだよな」


 あまりのぶっきらぼうな六合に、たまらず雅相(まさすけ)が補足を入れた。


 そうすれば、辛うじて理解してくれたのか、行信がゆっくりと頷いて、「宜しくお願いします」とだけ小声で呟く。


 しかし対する六合は、青みのある松葉色の瞳を行信から逸らしてしまった。


相良(さがら)、既に一時(にじかん)以上経っている。もう休め」


「まだ、だめ、だ」

 いつも以上に小声になった祖父が顔を上げると、御簾越しから差し込む陽の光に照らされた顔には、大粒の汗が張り付いていた。


「むろん、安倍晴明も、自ら招き入れた産物ではない。曾祖父の母である白狐の葛の葉と、父安倍益材(あべのますき)の出会いは……本当に、偶然だったんだ」


「じっさま、六合の言う通り無理しないで休もう?」


 しかし祖父は、首を左右に振って苦悶の表情で行信を見やる。


 まるで、二人の人物の誤解を招かないようにしている風だ。


「ただ、偶然あの頃に彼が生まれて、安倍家が北家と親密であったために彼の力が露見した。そこに、北家が彼の力を利用して、式家を退かせたが故に……ぐっ」


 息も絶え絶えに祖父がさらに言葉を紡ぐ。


 それが、雅相自身のせいだと分かっているからこそ、雅相は必死にこらえて、代わりに膝に置く手を白くなるほど握り締めた。


「のちに、その不思議な力を、危惧或いは欲した数多の陰陽家たちが、人の情で生まれる勿怪(もっけ)に手を出してしまい、蘆屋道満(あしやどうまん)らが世に出てしまった」


 言いたかったことを言い切ったように、祖父はゆっくりと深呼吸を行いながら瞼を閉じた。


 その時微かに雅相の目に映った祖父の瞳は、葬儀の時見た、あの黄金の色味の瞳が伏せられていく瞬間だった。


「だ、から、倖人(ゆきひと)と……蘆屋家を、一緒に、しないで、やってくれ。他ならぬ、君には、特に」


 祖父の代わりに、行信の様子をうかがおうと目を向ければ、隣で顔を俯けていた行信が薄ら口を開いた。


「――――僕は、今も昔も変わらずご先祖様を尊敬しております」


 行信の“僕”と発した言葉に、若干の違和感を覚えて眉をひそめつつ、雅相は静かに行信の声に耳を傾ける。


「だからこそ、貴方の口から、僕の先祖を晒し者にした貴方から、先祖の汚名返上の機会がありそうな話は聞きたくなかった」


 表情までは俯いていて分からない。


 しかしそれでも、言葉の端々から伝わる嫌悪の乗った声は祖父を尊敬している、いつもの行信のものではなかった。


 言い換えれば、殺意を飛ばしている気さえするのだ。


「僕は、陰陽頭様も情の奥底より尊敬しております。それと同時に、同じくらい貴方を憎んでます。腸が、煮えくり返るほどに」


「ゆ、行信!? なんでそんな!」


 あまりの衝撃的なことに、思わず叫ぶ雅相。


 だが、行信の耳に雅相の声が届いていないのか、彼は俯けたまま淡々と続けた。


「貴方は、僕の先祖と知己だったと書で知りました。互いに、幼名で呼び合うほど親しげであった、と」


「……あぁ」

 雅相にとっては寝耳に水な話であった。


 行信とともに菅原倖人(すがわらのゆきひと)の日記を見ていたが、祖父と朋であったという記述はなかったように思う。


 日記に頻繁に出てくる、()()()()()()は雅相もたまに目にしていたが、それが誰を指すのかまでは今まで分からなかった。


 つまり、その二人分の幼名がそれぞれ倖人と祖父のものだったのだろう。

 しかし、何故幼名なんて行信が知っていたのかは謎である。


「懐かしいね。もう、今の者たちでは、私と倖人が知己だった、など知らないだろうと、思っていたのだが」


「そうでしょうね。僕も、先祖の日記を見なければ、全く知らなかったと思います。そんなこと、陰陽寮の記録にはでてきませんし、百年前を知る者なんて、今は貴方くらいしかいませんでしょうから」


 二人の会話に耳を傾けながら、そっと雅相が視線を移動させた先は、ずっと身動き一つしない黒猫の方であった。


 だが黒露(こくろ)は、赤い瞳を眠たそうに細めていた。暢気だ。


 それを睥睨した目で雅相が見ていると、祖父がなにやら袖の中へ手を入れて、一冊の古ぼけた書を取り出したのを目の端に捉える。


「君に、これを直接返そうと思って、ずっと持っていた」

「あっ」

「それ、雅相に持ってかれた先祖の日記……」


 雅相が驚く中で、ぼろぼろの今にも紐が切れそうな書を、行信が祖父から受け取る。


 そして、行信は書の表紙を震える手でなぞって、そっと胸に大事そうに抱えた。


 それを見て、苦し気に吐息を零す祖父が薄く笑む。


「とても、倖人らしいものだった。流麗な筆致に、箇条書きに整えられた内容。それとは裏腹に、彼の性格はとげだらけだったのを、思い出したよ」


「どういう、ことですか?」

 眉をしかめて問いかける行信。

 対する祖父は、何かを思い出すように視線を室の誰もいない方に向けていた。


「倖人は、美しげな容貌に似つかわず、言動が荒々しい人でね。だが、それとは反対に、芸事に長けており、特に琴を弾かせれば追随を許さないほどの、繊細で手練た男だった」


 祖父の声だけが響く室の中で、突如ダンッと何かを叩きつけたような音が木霊する。


 驚きに音の出所へと振り向けば、行信が歯を剥き出しにして床を叩いていたのだ。


「だったら、先祖のことをそんなに知っているのなら、何故晒し首になんてしたんです! 知己なら、そうなる前に止められたはずでしょう!!」


 祖父を支える六合の目が徐々に細く眇められていく。

 まるで射殺さんばかりの、松の葉色の瞳で行信を見ていた。


 そんなことなど、露ほども知らないだろう祖父が、か細く「そうだね」と呟く。


「私が、もっとよく、彼を見ていれば……」


「いや。あれは、当時のお前では手に余る出来事だった。晴明も、そう言っていただろう」


 口惜し気に顔を歪ませる祖父を諭すように、六合が祖父の背を擦っていた。

 六合の意外な行動を垣間見て、驚く他ない雅相である。


 ずっと中立的な立場だと思っていたが、どうやら六合も祖父の傍を離れない青龍(せいりゅう)寄りなのかもしれない。


「そんなの、言いわけでしかない!!」


 二人の意外な一面を目の当たりにして呆けていると、隣にいる行信が良く響く声で再び怒鳴った。


 情の準備ができていなかったせいで、雅相の肩が驚きにビクンと跳ね上がる。


「結局は、貴方は先祖の首を踏み台にして、功績を得たじゃないですか! これは明確な事実だ!」


「なんだと……?」

 底冷えしそうなほどに低い声が、六合の口から漏れる。

 今までとは段違いな、明瞭に怒気を孕んだ声音であった。


「当事者でもないうぬに、何が分かる」


「分かりませんよ、えぇ。でも、陰陽寮の記録が淡々とそう物語ってるんです。陰陽頭様が、勝利を収めた、とね」


 行信の嘲笑の色を含んだ声音に、六合の表情がどんどん不動明王さながらの怒りの形相へと変貌していく。


 流石に止めなければ、と思いはするものの……まず雅相は、六合の止め方を知らない。


 更におまけでいえば、行信のこんな乱暴な物言いをする姿も見たことがなかったため、戸惑って止めあぐねていた。


 助け船にと黒露に視線を下げれば、黒猫はやはり暢気に毛づくろいをしている。


「やめ、なさ、い。六合」

 そこに分け入ったのは、意識も朦朧としている祖父であった。


「す、べては、私の、不徳の致す、ところ、だ」


「違う、お前は最善を尽くした。気負う必要は無い」


「なにが最善だ! 菅原倖人の首を斬り落とし、晒し首にして得た功績が最善だと言うんですか!?」


 喚き散らす行信に、身を乗り出しかける六合。すかさず雅相が体ごと割って入って「二人ともやめろ!」と全力で止めに入る。


 どう見ても、今日の話し合いはこれ以上続けるのは不可能だろう。


「じ、じっさまも体調が優れなさそうだし、今日はもうこの辺でお開きにしよう? な?」


 冷や汗を滲ませながら笑みを張りつけて、交互に行信と六合に顔を向ける。


 そうすれば、行信は歯がゆそうに奥歯をかみ締めてこくりと頷く。

 一方の六合も、返事はなかったものの顔を逸らした。


「行信、門まで送るよ」

「……ありがとう」

 そう言って、行信を先導して室を出ようと立ち上がると、雅相は戸に手をかけた。


「待って、おくれ。行信、」

 しかし急に掛かった声に、行信も雅相の後に続こうと外へ出かけていた足をぴたりと止める。

 雅相が声のした方へと振り向けば、祖父が肩で息をしながらこちらを見ていた。


「君に、ひとつだけ、頼みがある」

「……なんでしょう」

 祖父の方を見ずに、素気無く返す行信。

 ちらりと視線だけで朋を見れば、歯痒そうにしていた表情はすでに抜け落ちて、無になっていた。


「こんな、ことを頼むのは、とても、厚かましいと思っている。だが」


 祖父を支える六合の制止も聞かず、祖父は胸を押さえながら微かに身を乗りだす。

 その()()()()()()、暗く塗られた瞳に滲む切迫した表情に、雅相は見ていられずに行信の袖をつん、と引っ張って合図をした。


 袖を引っ張られたことに気づいた行信は、一度雅相に視線を送ると、雅相の示す視線の意味に気付き、渋々と言った感じで祖父に向き直る。


「どうか、私と共に、倖人の、墓参りに赴いては、くれぬだろうか」


 静かな室で、唯一祖父の荒い息だけが巡る。さほど広くない室に五人(正確には四人と一匹)もいるというのに、だ。

 それもそのはずで、祖父以外の皆が動きを止めて固まってしまったのだ。


 祖父の言っている意味が率直に言って分からなかった。一同が石像のように固まる最中で、それに反論するように、口火を切ったのは行信であった。


「なに、言ってるんですか。菅原倖人は、羅城門前に打ち捨てられて、首を晒されて、鴉たちの餌にされたと、記録に」


 行信の言葉に同意するように、雅相もこくこくと首を上下させる。

 陰陽寮の記録では、大内裏側にある朱雀門の対の存在として建つ羅城門前に、胴は地面に打ち捨てられ首は台に晒されていたとあった。


 ――――羅城門というのは、都の間では魔窟とも呼ばれている場所で、人が絶対に寄り付かない、陰気が漂い勿怪たちの住処となっている場所でもある。

 故に、夜廻で定期的に立ち寄って勿怪を祓っている要所でもあった。


「詳しいことは()()()()言えないが、彼の胴と首は別の場所に埋葬している」


「何故、そんなこと、を?」

 困惑の色の強い声音で行信が問うが、全くその通りだ。何故自ら編纂したという陰陽寮の記録に、わざわざウソを記載したのかが分からない。

 それに仮に話が本当ならば、羅城門に放置されていた倖人の骸を無断で持ち去ったということなのだから、知られれば安倍家は厳罰に処されるだろう。


 そんなことまだ務め出して二年ほどの雅相でもわかるのに、祖父が知らないなんて有得ない。

 祖父の言葉の意図が全く理解できずに、雅相はごくりと固唾を飲んで凝視する。


「私の、唯一の……朋、だか、ら」

 そして、静かな室に祖父の消え入りそうな声が、まるで一つ一つの語句を慈しむようにゆっくりと紡ぐ。


 それにピクリと動きのあった影が視界の端に映り、そちらを辿ってみる。

 行き着いた先には、先ほどまで暢気にしていた黒露が赤い目をぱちぱち瞬かせている姿であった。


 その黒露が、何を思ってか微かに口を開いて隠形を解こうとする。ギョッとした雅相がとっさにそれを止めようと動きだす、が――――。


「分かりました」

 雅相の動きと、黒露の口の動きが止まったのは同時だった。

 驚きに目を見開いて行信の方をぎこちなく振り返れば、彼は打って変わって祖父を真直ぐな眼差しで見据えていた。


「行きます。貴方と共に、先祖の墓参りに」


「ゆ、行信、本当にいい、のか? だって、陰陽道では、死は穢れで……」


 おずおずと身を引きながら、雅相は歯切れ悪く行信を当惑した様子で見やる。

 しかし、行信は雅相が何を言いたかったのか理解してくれたようで「うん」とだけ頷く。


 もともと唐より伝来した陰陽道自体には死生観そのものは存在したのだが、古来よりこの国で信仰されている神道の影響で、陰陽道もまた死は不浄であると説かれていったのだ。

 それにより、陰陽道を主とする都では*三不浄を嫌がるため、墓参りなんて以ての外だった。

 だからこそ、雅相はそれを危惧して問い返したのだ。


 が、行信の決意した表情を見るに、杞憂に終わってしまったのだけれども。


「もちろん雅相も、くるんだよね?」

「へい!?」

 行信の突然の返しに、上ずった声が雅相の口から漏れた。


「まさか、雅相は私の先祖の墓参りがいやだ、何て言わないよね」

「ま、まさか」

 上ずった声は継続して、行信の睨みつけてくる声に喉がひくっとなる。

 安倍家には古くよりある様々な書物が所蔵されているため、それに慣れ親しんできた一族たちは、どちらかといえば死を穢れだとは強くは思っていない者が多い。雅相もその一人のため、問題はないぞと示すように首を激しく上下に振って肯定した。


「感謝する、ふたりとも」

 話がまとまったのを見届けて、祖父が口を開く。視線を戻せば、祖父が先程よりも肩の荷が下りたような柔らかな表情を浮かべていた。

 恐らく、行信が倖人の墓参りに同行してくれるのか分からず、気を張っていたのかもしれない。


 それほどまでに、行信の同行は不可欠なのだろうとは思いつつも、苦労の堪えない祖父にため息が零れそうになる。


「仔細は、追ってまたこちらより文を寄越すから、少し待っていてくれ」

「分かりました」

 再び無表情に戻った行信に、祖父が苦し気にしながらも優しく微笑んだ。

 きっと、朋の墓参りに子孫が来てくれるのがよほどうれしいと見える。


 そんな、二人を何とも言えない表情で雅相は見つめた。


 だが、六合からの「早く行け」と言わんばかりの痛いほどの視線を感じて、雅相はそそくさと行信を伴って祖父の私室を後にするのだった。



「今日は、来てくれてありがとな。行信」

 門の前までやってくると、雅相は後ろにいる行信に振り返る。

 足元には、いつも傍にいるはずの黒猫は居らず、どうやらあのまま祖父の室に居残ったようだ。

 なんだか足元に気配がなくて、少しそわついてしまう。


「気にしないで。私も、私の知らないことがたくさん聞けて良かったと思ってるから」

 雅相がそわそわしていることに気付かない行信は、無を張り付けたままで口元だけを微かに上げた。


 どうみても目が一切笑っていない朋に、若干の不安を感じて少しだけ視線をずらし「そっか」と返答する。


「でも、さ。じっさまも、悪気があって、その、行信の先祖を斬り捨てたワケじゃないってことは、分かってほしい、かな」


「……そうだね。でなきゃ、危険を冒してまで埋葬なんてしないだろうし」

 それは、そうだろう。祖父にとって唯一の朋ならば、なおさら手に掛けたくはなかっただろうし、首を晒すなんてどれほど辛かっただろうか。

 以前に夢で見た祖父の過去でだって、倖人の首をはねた後、泣き崩れていたのは鮮明に今でも思い出せる。


 本当ならば、そのことを話してあげた方が行信もあそこまで祖父に怒らなかったかも知れなかったが、過去見は誰にも打ち明けていないため、結局は理解してもらえないのが口惜しい。


 耐えるように、そっと拳を握っていたら――――不意に、秋の香りが漂う温い風が、二人の合間を吹き抜けていった。


「君も含めて、安倍の人たちってさ」

 まるで風の通り道が見えているかのように、行信が天を仰ぐ。

 すでに空は燃えるような茜色に差し掛かっており、遠くから闇色が迫っていた。


「なんで、寂しい人ばかりがいる一族、なんだろうね」

 空を見る隙間からちらと行信に視線を配る。

 朋の横顔は、茜の色味と真っ白な蒼白な肌色が重なって、この世のものとは思えない浮いた存在に映った。

 そのまま消えてしまうのではないかと、よく分からない不安がまた膨らんで、口を開こうとするが勇気が出ずに雅相は口を閉ざす。


「私はね、雅相のこと、一番理解しているつもりだったから、少し――――寂しかったよ」

「っゆき」

 ついには、ぶわりと一気に膨らんだ不安に突き動かされるように、雅相はとっさに行信に手を伸ばす。

 しかしその手は、行信が身を翻してしまったことによって虚空を掴む。


 そしてそのまま、行信は一度だけ振り返って「また陰陽寮で」と雅相に手を振ると、その後は闇色に飲まれながら帰って行ってしまったのだった。

注釈

三不浄……人間・動物の死と出産、女性の生理の事を指す。

特に死と血は忌み嫌われていた。(触穢思想(しょくえしそう)

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