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陰と陽の狭間にて。(仮題)  作者: 熨斗月子
二目。憑き物と撫で物
30/82

第弐拾玖 修業編三:神世と龍の息吹。

 


 野宿生活から数日が経った。

 流石に祖父の言いつけを守らないのはいかがなものかと考えた雅相(まさすけ)は、その間朝餉と夕餉以外では黙想に耽っていた。


 幸いなことにここ数日は雨に降られることもなく、存外快適な修行?生活を雅相が送ることができたのも、一重に黒露(こくろ)が世話全般に尽力してくれたこともあるだろう。

 再三思うが、黒露は本当に勿怪で合ってる、よね?と日毎に強く思うようになっていた。


 しかし黙想の最中で一度疑心を抱いてしまえば、自身の内心へ沈思することは愚か、神や先祖と触れ合い思いを馳せることもできないのは言うまでもない。

 祖父が言っていた心身を研ぎ澄ませるなど夢のまた夢で、むしろ荒れに荒れていた。


「だーもう!」


「どうした、突然奇声など上げて?」


 神楽岩の上で黙想していた雅相だったが、雅相は坐していた体勢からばったりと後ろにひっくり返ってしまった。

 そんな雅相の奇声と共に奇行に、首をかしげる雅相の悩みの種である鬼姿の黒露は、神楽岩へと上ってきて様子をうかがってくる。


「何でもない!何日も黙想してると気が滅入って来てるだけ!!」


「なるほど」


 一理あると首肯する黒露に、もはや苛立ちを超えて呆れの吐息が漏れ出てしまう。

 雅相の悩みの種の張本人のくせにと声を大にして伝えたいのに、きっと伝えればはぐらかされるか、最悪世話役をしてくれなくなる恐れがあるため我慢の日々だった。


 そんな岩の上でごろごろと転げ回るという奇行をする雅相に、黒露が何やら閃いた顔をする。


「ならば、休息がてらにここ以外の場所も散策するのはどうだ」


「それ名案!さすが黒露だね!」


 とたんに元気を取り戻して、体を飛び起きさせる雅相に黒露がふと息を漏らした。

 調子のいい奴だと思われても今更である。


「それで、どこに行ってみる?」


「それはお前が決めろ」


 素気無い態度の黒露だが、きっと自由にしろと言いたいのかもしれない。

 まだ呪印によって縛られて一月も経っていないが、存外彼の態度は分かりやすかった。


 ならばと、どこへ行こうか考える雅相だが、ふとあることを思い出した。


(そういえば、ここって岩戸山(いわとやま)の近くなんだっけ)


 祖父にここへ連れてこられた時に教えてもらった、この場所がなんなのかというかなりの有力な情報。

 陰陽寮で見た差図で、岩戸山が現在どこに属しているのかぐらいはある程度把握している。


「なら、近くにある神社へ行ってみたいかな」


「近くの神社?」


 訳が分からないと首をかしげる黒露。


「岩戸山があるってことは、ここが丹後の*加佐郡(かさこほり)なのは分かるけど、どの辺なのか知りたいから聞き込みみたいな?」


「ほう、村へは行ってはいけないが神社ならばと。考えたものだな」


 力強く頷くと、黒露が折角結った髪を大げさに乱すほど撫でまわしてくる。

 物凄く童扱いされて今にも雅相の堪忍袋の緒が切れる寸前だ。


 雅相が神社を選んだ理由としては、こういった山の麓にある村には、太古より村人たちから何かしら信仰篤い神が祀られている神社が付き物だからである。

 無論海が近ければそれに連なる神が祀られていたりする。


「そうだな。俺もこの辺についてはわりと詳しい方だから、一つ教えてやろう」


「本当!?」


 怒りに震える拳はどこへやら。先程の怒りは黒露の言葉によって全て吹き飛んでしまい、雅相は食い気味に黒露へと詰め寄った。

 それに圧倒されて、黒露の顔がやや引き気味である。


「ここから最も近い神社ならば、元伊勢皇大神宮もといせこうたいじんぐうが近いのではないか?」


「元伊勢皇大神宮?」


 《皇大》と付くからには天照大神(天照皇大神)の所縁の地なのは間違いないが、元伊勢ととはどいうことなのだろうか?


「丹後の地には逸話が多くある。古くは神代より、崇神天皇(すじんてんのう)の頃まで共に*同床共殿をしていた天照大神を畏怖した彼の者は、己の血縁の者に託し、鎮座地を求めて各地を巡らせるにあたり、弐番目に遷座(せんざ)させた地だ」


「あっ日本書紀に少しだけ記載されてる豊鍬入姫命とよすきいりひめのみことから始まる伊勢までの巡歴のことだね。天照大神と豊受大神(とようけのおおかみ)の遷座巡りだっけ?」


「あぁ」


 感心したと言わんばかりにうんうん頷く黒露。

 雅相の驚きはそこではない。何故勿怪のくせに皇族の記録を知っているかである。

 それも真反対に位置する高天原の最高神のことである。

 もっとも忌み嫌いことだろうに不思議でならない。


 怨気と神気は対であり、交わることが永劫にないものだ。

 故に伝承によると、伊邪那美命(いざなみのみこと)須佐之男命(すさのおのみこと)が治める黄泉の瘴気(しょうき)を《怨気》と呼び、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・天照大神の治める高天原の輝きを《神気》と呼ぶようになったらしい。

 まあ所詮神代の話なので、本当かどうかは定かではない。


「元伊勢皇大神宮は、その候補地と言われる*吉佐宮(よさのみや)の一つだ」


「へえ、黒露って物知りだね。そんな事どこで知ったの?」


 しかし無論黒露がそれを素直に言うはずがない訳で、彼はわざとらしくごほんごほんと咳払いをして、どこでもいいだろと言葉を濁した。

 明かに黒露が何かしら隠しているのは自明の理である。


 疑心に眇めた眼差しで雅相が見据える中、黒露はごまかす様に先を急がせたのだった。



 ***



「あれ、それなら熊野神社(くまのじんじゃ)も近かったんじゃない?」


「いや、流石にここからでは日の入りまで戻れん。それに」


「それに?」


 しかし黒露はそれ以上のことは口にせずに首を横に振った。

 あの場所から出立した二人は、現在話しながら木々の生い茂る獣道を上っている最中であった。

 しかしところどころ人が通った痕跡が見受けられ、もしかしたらあの場所にあった崖に建つ社をたまに参拝しに行っているのかもしれない。果たして何を祀っているのやらか。


「見えてきたな」


「え?」


 先導する黒露が前を指差す。

 どうやらこの上り坂を上がり切ると何かがあるようだ。


 鬱蒼とする木々の木漏れ日を突き進んでいくと、ようやく木々たちが開けていき、広大な地が顔を出した。


「あの注連縄の取り付けられた石鳥居の、向こうの錐形(きりがた)の山が岩戸山だ」


「わあ!初めて見た」


 澄み渡った雲一つない空の下に広がるのは、木々がまるで眼前を避ける様に開け放たれた向こうに雄大に立つ美しい山であった。

 あの場所が神々の痕跡が残る逸話があるのなら、彼の山もまた聖山と呼ぶにふさわしいものだろう。


「岩戸山の傍には、酒呑童子(しゅてんどうじ)を討伐した伝説の残る有名な三上山(大江山)が近くにある」


「あ!だから僕、岩戸山を知ってたんだ」


 三上山と言う単語でようやく岩戸山を何で知っていたか思い出した雅相は、生温い風を受けて視界を遮る前髪を払った。


「懐かしいな。いや、それほど経っていないか?」


 目を細める黒露は、微かに笑っていた。

 しかし雅相が見ていることに気付くと、彼は急激に顔を逸らして先を急ぐ。

 やはり何かしらの記憶があるのは間違いないだろう。

 しかしそれを切り出すのは、今の雅相の情ではまだ準備ができていないため無言で後を追った。


 そうして、またしばらく黒露と共に緩やかな下り坂を歩いていけば、再び木々の合間から広大な土地が開けていき何やら沢山の社やら建物が鎮座している場所に出た。


「ここがもしかして、元伊勢皇大神宮?」


「そうだ」


 元伊勢皇大神宮に二人が到着したころには日も下りへと差し掛かったころだった。

 少しずつ暑さが和らいでくる頃ではあるものの、まだまだ暑いために頬を伝う汗を手で拭う。

 それにしても、存外こんなに近くに神社らしきものがあるとは意外だった。


 雅相がぐるりと周囲を見渡してみると、大きな拝殿らしきものやら、本殿らしき後ろにある伊勢神宮でみるような茅葺の神明造をした建物も見えた。もしかすると本殿かもしれない。


 その他にも傍には杉の大木だったり、左右を挟む形で脇宮があったり一段下に末社がずらりと並んでいる。

 ざっとみて八十はあるだろう。八百万神々の例えかと推測できる。


「まあ、社名通りここは天照大神を祀っている」


「じゃあ左右の脇宮は?」


「俺にばかり聞くな。ここに詳しい宮司にでも聞いてこい」


 呆れのため息を吐く黒露に対してぶすくれた顔をする雅相は、拝殿らしき建物の目の前に位置する石の階を降りいく。

 すると、樹皮のまま作られたのだろう鳥居の更に先には、下へと続く幅の広い階が延々と麓に向けて延びていた。


 途中には三本の杉らしき大木が並列しており、それぞれに注連縄で括られて高々と聳え立っている。


「あっもしかしなくても、こっちが正門だったかも」


 やってしまったとうな垂れる雅相は、あとできちんと拝礼することを内心でか誓った。



 そうしてしばらくしてここに代々続くのだろう宮司をとっ捕まえてここについて聞いてみた雅相は、軽やかな足取りで鳥居の前で一揖(いちゆう)する。


「神の在座鳥居に伊禮(いれ)は 此身より日月の宮と安らげくす」


 そして鳥居之祓奏上して勇み足で踏み込む。

 瞬間、先ほどいた場所とは思えないほどに場の雰囲気が一変したのが雅相の全身で感じ取れた。


(これって、やっぱり神域だからだよね)


 火の粉を浴びるようなひり付く感覚を肌で味わいながら、兎にも角にも黒露が待ち構えている拝殿の方へと足を運ぶ。


 なんでもここの神宮を掃除していた村人の話では、先ほどの鳥居はこの世に唯一参基しかない黒木鳥居といい、参道にある三本の杉は麻呂子(まろこ)親王(当麻皇子(たいまのみこ)古墳~飛鳥前期の皇族)が鬼討伐の折に手植したという杉なのだそうだ。


 そして黒露の傍にある拝殿の後ろにある萱葺の神明造の建物が、本殿だと言っていた。

 左右の脇宮は栲機千々姫命たくはたちぢひめのみこと天手力雄命あめのたぢからおのみことを祀っているそうな。

 どちらも*天つ神系統の神様だ。それを早く黒露に伝えてあげたい。


「どうだった?」


「うん。ここが内宮で、なんか色々凄い所なのは分かった。あと、僕たちの修業場所にある社には、櫛御毛奴命(くしみけぬのみこと)櫛岩窓戸命(くしいわまどのみこと)豊岩窓戸命(とよいわまどのみこと)を祀っているんじゃないかって。良く分んないって言ってたよ」


「宮司しっかりしろ」


 とまあ村人があの場所について知らないのは無理もないことなので、雅相は苦笑いを浮かべるほかない。

 ここを管理する者は*川守郷(こうもりごう)か*有道郷(ありじごう)の村人が、務めているとかいないとかで曖昧なのだそうだ。


 ため息をつく黒露が、拝殿の傍にある大木に寄り掛かる。それ、樹齢約千年の龍燈の杉っていう神木です。


「外宮には行ってないけど、天照大神の神気を感じるような気がするよ」


「そうか。それはよかったな」


 厳かな気分に浸る雅相に、何故か憂鬱気に眉間にしわを作る黒露。

 何か気がかりなことでもあるのだろうか?


 話をたっぷりと聞いた弊害で、空はそろそろ黄昏色に染まり始めていた頃合いだった。


「何か、嫌な気を感じる」


「嫌な気?」


 だが黒露はそれ以上語ることはなく、徐に杉から体を離すと踵を返して元来た道を戻り始めた。

 それに倣って雅相も慌てて黒露を追いかける。


「ちょっと!もう帰るのかよ!!」


「当たり前だろう。大禍時も近いし、早々に戻るに越したことはない」


 確かに黒露の言葉には一理ある上に、いくら神聖な場とはいえ未知の場所で何が起きるか分からない。

 しかしもう少しだけ見て回りたい好奇心の勝っている雅相は、納得がいかないと怒り肩で黒露の袖を引っ張る。


 なんせここには、あの和泉式部(いずみしきぶ)の歌塚があるのだ。一目見ておきたいところである。


 しかし、当の黒露は鬱陶しげに袖を払った。


「いいからさっさと戻る」


 雅相に振り返って黒露が睥睨するが――――何故か彼の赤い双眼は雅相の頭上を通り越して違う方へと注がれていた。


「どうしたの?」


「なんで、だ」


 ぽつりと呟く黒露が何に対して言っているのか不思議で、その目線を辿ろうと雅相も後方を振り返った。

 そこで二人が目にした光景は、拝殿の傍にある龍燈の杉がその神木を燃やし尽くすことなく深緋色の炎に包みこまれた不可思議で恐ろしい景色だった。

注釈


 加佐郡……丹後にある五つある郡のうちの一つ。郷は10あり京都の舞鶴や福知山の一部などが属していた。


 同床共殿……神と人とが同じ屋根の下に住んで起居を共にすること。崇神天皇の頃まで皇居内で共に祀られていたのが最後。


 吉佐宮……日本書紀や倭姫命世記に載る元伊勢の一つ。四年間奉斎された地。


 天つ神……高天原にいる(または天降った)神々の総称。対は国つ神。


 川守郷・有道郷……加佐郡に属した郷。

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