第弐拾陸 葬儀(五)
「あ、あのじっさま……」
「焼香の際に、あの三人の遺体をよく見ておくのだよ」
すれ違いざまに祖父を呼び止めようと思ったが、それは叶うことなく祖父は藤色の髪をなびかせながら先ほどまで座していた己の席へと戻っていった。
祖父が言い残していった三人の遺体とは、安部分家の壽実、吉和、平匡のことである。
出遅れた雅相と養父が共に戻ったころには既に読経が始まっていたが、それらも済めばあとは焼香をあげるのみだ。
(いい、そびれちゃったな)
この瞬間が祖父に話しかけられる好機だと踏んだ雅相だったが、当てが外れてしまった。
ふうと息を吐き出して気を取り直し、雅相は木の分家の式神に促されるまま焼香をあげる列へと入る。
「黒露、ちゃんとついてきてる?」
「ふん、」
黒露が鼻を鳴らした方へと視線を下げてみると、黒猫はそっぽを向いたまま雅相の隣を並行していた。
もしかしたら狐の匂いが濃すぎて、雅相にも見えないように隠形でもして逃げるかと思っていたが、存外肝は座っているようだ。
というか勿怪がこんなに利口だとは思わなかった。
いや、中身が菅原家の傑物である、菅原倖人だから人間味があるのかもしれない。
……あれ?その前に、黒露が菅原倖人だということをそもそも聞いていない。
二人が同じ呪印によって縛られているからそう決めつけているが、一応確認はした方がいいだろう。
が、しかし、雅相の全ての考え事は焼香を上げる順番が回ってきたことによって全て霧散していく。
(焼香って結構緊張する)
雅相の目の前にあるのは、三番目に殺された安倍平匡の遺体だった。
無論その隣、そのまた隣に二人の遺体が納められている棺があるのだが、実質一人での焼香なので自然と後ろに控える一族たちの視線が集中するわけで。
その視線がまるで棘のように雅相を見ている気配がしていた。
値踏みされているんだろうなと、しくじらないように緊張した面持ちで、墨色の長い数珠を持ってそれぞれに一礼をした後、遺体にも合掌して一礼した。
棺の中を覗いてみれば、遺体には死に化粧が施されており、とても死人だとは思えないほどの綺麗な顔で眠りついているようだった。
「雅相、この男をもっと注視してみろ」
「は?死人の顔をもっとよく見ろだって?」
流石に黒露との会話を聞かれるの不味いので、こそこそと声を潜める。
しかし、黒露は雅相以外には見えないように隠形しているため、声を潜めずに早くしろと急かしてくるためなんとも理不尽極まりない。
仕方がないと誰にも悟られないように細く息を吐き出せば、黒露に言われるがまま、瞬きを一切せずに平匡の遺体を注視してみた。
少しして、ぼんやりと彼の遺体を包み込むように二種の何かの光が浮かび上がってきたのだ。
「翡翠色のは、霊力かな」
「そうだ、陰陽師ならば見えて当然だがな。その他にも何か見えないか?」
「一々癇に障ることを……」
苛立ちに眉根がひくついてしてしまうが、ここで口論になるのは得策ではないので雅相が折れるはめとなる。
兎にも角にも、さらに集中してみていけば――――なんと、翡翠色の霊力の他にも黄金色の淡い光が霊力に織り交じっているではないか。
「なんか黄金色の光が霊力の中に交じってる。少しだけだけど」
「それが、今回俺が標的に値すると踏んで狙いを定めた奴の基準だ。四人とも神気を保有している」
「じんき?て、神様が保有しているっていう、あれ?」
そうだと頷く黒露。
いやいやいや、なんでこの人がそんな大層どころのものではないものを持ち合わせているんだ。
第一、神気は神様しか体内に宿せない代物であり、陰陽師が祝詞や真言を奏上して霊力を捧げることによって、はじめてお借りできる神力のことだ。なので普通の人間が体内で保持できるわけがない。
「なんで普通の人が神気なんて」
「知らん。だが少なくとも、白狐の後胤の影響だろうな」
そういえば祖父が、安倍家は白狐の後胤だとか言っていたようないなかったような。
祖父の人を食べたという衝撃告白とか、安倍晴明の話で白狐自体の話がもはや霞みつつあった。
ここで考えても詮無いことなので、雅相は次の遺体に進み寄ってみる。次に棺に納められていたのは、吉和の遺体だった。だが、
「あれ、棺の蓋閉じられてる」
何故か彼の棺だけがきっちりと蓋をされて中が見えないようにされていた。
不思議に思いながら二連に折り重ねた数珠を持って焼香を上げながら、吉和の神気も確認してみる。
(うーん、木の当主のよりもさらに微量しか感じ取れないや)
と言うより、根本的に霊力がほぼ感じ取れないためその影響だろうか。
色は海色を彷彿とさせるため、おそらく水の属性だったのではないかと推測できる。
なんだか良く分らないまま最後に残っている壽実の遺体が納められている櫃へと歩み寄った。
――――いや、正確には歩み寄ろうとした。
「どうした雅相」
「全身が、針に刺されているみたいで痛い。そっちに近寄りたくない」
一瞥してくる黒露は何故そんなに平然とその遺体に近寄れるのか不思議でならないほど、今の雅相の全身には何か不思議な攻撃を受けていた。
「ほう。雅相を護る加護を揺らがすほどとはな。今後の参考になるな」
黒露がくつくつと低く笑っているが、雅相にとっては笑い事ではない。
「あれ、ねえもしかしてじっさまが僕から感じているのって」
「あぁ、お察しの通り神気だ。それも特殊な、な」
「うそぉ」
とどのつまり、雅相もすでに神気を持っていたことになる訳で、もはや人の枠組みからかけ離れているということになる。
でもいつからなのか、生まれたときからなのか、はたまた突如ぽっとでてきたのかは不明だ。
いや、祖父が雅相の傍に近付くと苦しみ出したのはごく最近なため、後者なのだろうが。
取り敢えず一刻も早くこの場を立ち去りたいがために、さっさと焼香の手順を終わらせて祖父の元へと向かう。
しかしこの肌がひりつくような感覚、どこかで一度味わったような気がしなくもないのだが、何故かどこでだったかは思い出せなかった。
「戻ったね」
待っていたとばかりに、雅相が祖父の隣へ座すと祖父は伏せていた顔を雅相と黒露へと移した。
どうやら黒露は祖父にも見える様にしたようだ。隠形ってそんな器用に人を選んで姿を見せたりできたっけ?
そんなことよりも雅相は、今どうしても祖父に伝えなければならないことがあった。
「僕、その」
「どうだった。神気は感じ取れたのかい?」
雅相が祖父に謝罪を述べようと勇気を振り絞って声を出したが、やはり祖父の言葉に遮られて再度言葉を飲み込んでしまう。
口をぎゅっと引き結んで、祖父の言葉にこくりと頷いた。
「あの三人は、安倍家の中でも特に異質な存在でね。彼らは稀児だったんだ」
「まれこ?何それ」
どうやら黒露も稀児とやらを知らなかったようで、首をかしげていた。
「稀児と言うのは、何かしらの力を有して生まれる特異体質の者の事を言うんだ。特に力の強い者から生まれる妖人が持ち合わせていることが多い」
となると、白狐は神に近しい存在の眷属なため力の強い勿怪に該当するわけで。
しかしそれでは矛盾が生じてしまう。白狐の後胤は安部一族全員該当するのだから、この場にいる全ての者から神気を感じないと辻褄が合わないのだ。
しかし雅相が神気を感じ取れるのは、実質あの三人の遺体からのみである。
「安倍家は白狐の後胤なのに、なんであの三人だけからしか神気を感じないの?おかしいよ」
「雅相、先祖返りと言う言葉を知っているかい?」
「先祖返り?」
俗にいう、血の繋がった過去の先祖の遺伝、形質を持って生まれることだと雅相は記憶している。
「あの三人は狐の血が偶々濃かったようでね、誰ぞの安倍家先祖の力を持って生まれたんだ。だからこそ、我々覚醒者とも違うし他の安倍の子たちとも違う存在になる。故に稀児なのだ」
「なら、他の安倍の人たちはなんで神気持ってないの?」
「血の薄まりのせいだろうね。何百年も色んな血を取り入れれば、何れ狐の血が薄まって人の血へと変わってしまうのは仕方のないことさ」
確かに近親婚でもしない限りは血が薄まってしまうのも仕方がない。だが、そうなると雅相や祖父のような覚醒者とはいったい何なのかという話なわけで。
「なんか、覚醒者だとか稀児だとか、良く分んなくなってきたや」
「……覚醒者は、元来遺伝子の中に眠る狐の血が条件により解放される者の事であり、血が薄かろうと濃かろうと関係ない。稀児は、生まれ持った能力、と言ったところだね」
呆れ交じりの吐息を吐き出す祖父が懇切丁寧に説明してくれる。流石陰陽頭なだけあり、人に教えることが上手いなと感心してしまう雅相だった。
「そういえば、なんでじっさまの神気は感じないの?」
「あぁ、普段は術で封じているからだよ」
「へ?」
思わず間抜けな声が出る。だって祖父からは呪いの気配が微塵もしないのに、呪術をかけているだなんて有得ないではないか。
呪術を行使する際、必ず霊力を使うため使用者の属性の残滓が残るものなのだ。
それによって、呪いをかけられた者などがいれば、陰陽師ならばすぐにその残滓を察知できる仕組みとなっている。
「残滓を残す奴は未熟な呪術者の証だ。よく覚えておけ」
そういうのは黒露で、祖父は苦笑いを浮かべていた。
なんだか釈然としないが、祖父の表情が物語っているため黒露の話は正しいのだろうと思い、わかったと首肯する。
「それともう一つ。この機会にお前に伝えておかなければならないことがある」
「え?なに?」
今まで穏やかだった祖父の周辺の雰囲気が、祖父が目を閉じたことにより一変する。
まるで雅相を威圧してくるような、重苦しくて肺の中に岩でも取り込んだ様にずっしりとしていてまともに呼吸もままならない。
ごくりと固唾を飲み込んで祖父の言葉を待っていると、程なくして祖父の瞳が見開かれる。
だが、いつもの黒く塗りつぶされた瞳ではない、雅相を一心に見据える祖父の瞳は、満月を思わせるほどに輝く金色の瞳であった。
「お前は今、神気が駄々洩れなことは理解できているかい?」
「あ、うん。そのせいで、じっさまが苦しんでるってことは理解してる」
「いや、私が苦しんでいるのは……まあ、いい。その話は後だ」
祖父はこほんと咳払いをして、話を切り替える。
心なしか、少し顔色が悪そうな気がしてならない。
やはり雅相の神気にあてられてしまい、先ほど雅相が味わったような神気に刺されるような感覚に襲われているのでは?
「お前は、尋常ではない神気をその身から常に放出している。故に、このままでは見鬼の才を持つものにどのような影響を及ぼすか計り知れないんだ」
「え!?」
「まあ、俺や藤の狐ならば遮断する術があるから一時の間は問題ないが、未熟な奴らの集まる場所に今のお前を放り込めば、何かしらは起きるだろうな」
「そうなの!?というか、陰陽寮のこと知ってるんだね」
そ、そんな名は知らないとわざとらしく変な咳きでごまかす黒露は置いておいて、祖父がするりと人差し指と中指を雅相に向けて提示してくる。
「お前に与えられているのは二択。その神気を永遠に封じるか、私のように術で一時的に封じるか、だ」
「俺のおすすめは後者だ。今後役立つ」
「黒露。口を慎みなさい」
祖父に窘められているくせに、何故だかちょっと嬉しそうににゃあ、と鳴いて尻尾を振る黒露。
どこで可愛げを出しているんだ。
「神気を永遠に封じる術は、安倍晴明が我々子孫のために残した秘術。稀児であったあの三人も、長い月日をかけて神気を封じつつあった。まあ、壽実は途中で怠けてしまったようだけれど」
なるほど、それで壽実の遺体だけほかの二人に比べて神気があんなに駄々洩れていた訳なのか。何てはた迷惑な。人のこと全く言えない状態だけれども。
「そして、私のように術で一時的に神気を抑える方法だが、これも長い月日をかけて鍛錬が必要だ。お前は、どちらを選ぶ?」
「えっと、」
どうやらこの案件に関しては、今ここで答えを出さなければならないようで、祖父の金の瞳が一切逸らされることなく雅相を射抜いてくる。
祖父の金の瞳だけでも何が起きているのかと混乱しているのに、さらに迫られる神気の将来。
だが黒露の話では今後役に立つとの話。一体どう今後役に立つのかは分からないところではあるが。
(でも、じっさまの役に立てる代物になりそうなものなら)
答えは聞かされた瞬間から決まっていた。
「僕は、この神気を役立たせたい」
「決まりだな」
「よくも余計なことを。君のせいだよ、全く」
頭が痛いと蟀谷をもむ祖父だが、当の黒露は嬉々として雅相の周りをうろついている。
そこへ養父が、三人分の麦湯の入った茶碗を盆にのせてうきうきにやってきた。夏至の代表的な風物だ。
すると祖父が、一度目を伏せてゆっくりともう一度瞼を押し上げる。その時には先程の満月のように美しい金の瞳は跡形も無くなっており、いつもの黒く塗りつぶされた眼の色に戻っていた。
(な、なんだったんだ?)
先程の金の瞳に関しては気になる所だが、果たして今ここで聞いてもいいものなのかと思い悩んで、結果的に自邸で後日聞くことにした。
「あぁ、丁度いい。吉房、雅相の旅支度を設いてやってはくれないかい」
「え?旅支度、ですか。御養父様」
雅相も訳が分からず、一度養父と眼を合わせて共に首をひねった。
「雅相を、半月ほど山の中へ放り込む」
「「は、はいいいいい!!?」」
その瞬間、厳かに行われていた葬儀の中に二人分の絶叫が轟いたのだった。




