第弐拾弐 葬儀(一)
数日後、都での騒動により三人の亡くなった安倍分家の人達の葬儀の日を迎えた。
どうやらこの葬儀は、祖父が予め占って決めておいたらしく、今更変更は出来ないと言うことで、祖父は病み上がりにも関わらずに、無理を押して参席するのだ、と黒紫色の髪を短く切り揃えた女人の勾陳が前日に教えてくれた。
葬儀の日取りなんて聞かされていない雅相に、それも前日に、だ。
本来ならば日取りなどは占いで決める仕来りとなっており、中々吉日が見つからずに長期で待たされてしまうこともザラではあるが、今回の三人に至っては運が良かったらしく、総代である祖父の負担を軽減するべくまとめて執り行うこととなっていた。
「ねえ黒露、本当についてくるの?」
「当たり前だ。お前から離れると死ぬかもしれんからな」
そんな大袈裟な、と流し目で黒猫に変化している元鬼の黒露をみる雅相だが、実際に先日の黒露の話が本当なら、その可能性も否定はできない、かもしれない。
しかし猫を葬儀に連れてくるなんて(しかも黒猫で尻尾が三又に分れた化け猫)頭がおかしいやつと思われないだろうか?
「そうだ。着いてくるならじっさまにもバレなかったって言う、あの隠行をやってよ」
「俺が?何故?」
心底不思議そうに黒露は首を傾げる。
「いや、ほら。葬儀に猫を連れてくるって絶対変じゃん。ふざけてんのかって思われたくないし。それに猫って高貴な人達が飼う動物なんだよ」
「ここは高貴な一族では無いのか?」
雅相の心臓にグサッと鋭い矢が刺さった感覚がした。
恐らく意図して言ったことでは無いのだろうが、なかなかに堪えてしまう。
「うちは、まあ陰陽師家としては名門だけど、格は、その、低いから。うん」
「そうか、道理でこの家は人より式の方が多く働いている訳だ」
「うぅ……貧乏で悪かったな」
実際問題本当に人を雇うことが出来ないほど困窮しているのかは知らないが、黒露の言う通り安倍宗家には主人に仕える家人や臣下はほぼいない。
だから最初この家に来た時は、余りにも人気が無さすぎて怯えていたけど、今は式である彼らとも、雅相は気さくに話せる程度には心を開いていた。
故に今現在、黒露と話しながら祖父が使役する式の一人である、雅相の側付きの短い黒髪に金の瞳を持つ少年の《ひさめ》に身を任せて、*素服を着付けしてもらっていたりする。
ちなみに雅相からみて今回の三人は近親と言っても程遠いため、なるだけ黒よりも薄目の色味の衣裳を選んで欲しいとひさめに頼んでいた。
雅相は黒露からそっぽを向いて、どんどん仕上がっていく自身の衣裳を一瞥すると、あっとした顔をした。
「ねえひさめ、そういえばこの時期だったよね?僕がここへ来たばかりの頃に、ひさめに追いかけられて泉に落ちたのって」
「ええ、確かそうです。懐かしいですねぇ。あの頃はそれはもう、面白いもの……コホン、元気に逃げ回る若様に構って差し上げねばと追いかけたのは、まるで昨日のことのよう」
「本当にひさめっていい性格してるよね」
果てなんのことか?と言いたげに首を傾げて、ぼんやりとした瞳で雅相を見据えてくるひさめ。明らかに小莫迦にした顔である
因みに鬼が襲撃してきたあの日は、全ての式を式符に戻して天后が持ち歩いていたため、邸で何が起きていたのかは式たち全員、詳しくは知らない。
まあ世の中知らなくていいことって沢山あるよね(自分の失敗を見られたくないとか)
雅相が長い溜息を吐き出している内に、どうやら着付けが終わったらしく、ひさめにとん、と軽く背を押された。
「できましたよ」
「有難う、ひさめ」
後ろに控えるひさめに向けて二っと笑ってやれば、ひさめが僅かに口角を上げる。
幼い時は雅相もひさめも同じくらいの背丈だったのに、気付けば雅相はひさめを追い越してしまっていた。
まあ式は人ではないし、成長もしないため当然ひさめの上背も変わらないのは当然ではあるが。だからって、彼らに情がない訳では無いのだ。
人に近いようで非なる存在、と言ったところか。
「今日は安倍分家方へ若様のお披露目でもあるのですから、御主人様に恥をかかせぬようシャキッとするように」
「わ、わかってるよ」
「そ、れ、か、ら」
いきなりずずいっと前傾姿勢に迫ってきたひさめに、雅相は尻込みする。
「御主人様と、ちゃぁんと!仲直りすること!」
「う゛っ」
ひさめの言う通りで、釣殿の一件から未だに祖父と雅相は、一度も顔を合わせてはいなかった。
なのでこの葬儀でようやく数日ぶりに顔を突き合わせることになる。
「分かってる。分かってるよ」
まるで自分に言い聞かせるように何度も言葉を繰り返す。
雅相とて祖父とこのまま溝を作っていて良いはずがないのは理解していた。
しかし過去見の件も含めると、どうしてもまだ情に余裕が持てないため、戸惑って踏ん切りが着いていないのが現状だったり。
ひさめに責められている中、傍らで呑気に欠伸をしている黒露を流し目で見ていると、他の式から祖父たちの支度が出来たとの声が掛かった。
雅相は嘆息すると、憂鬱な面持ちでひさめを伴い、外へと出るのだった。
***
ガラガラと車輪が地を踏む音が響く。
雅相は前簾の開け放たれている前方を無気力に眺めていた。
現在は祖父と養父で相乗りし、雅相だけが乗った合計二台の牛車で葬儀の執り行われる予定の木の分家へと向かっている道中であった。
胡座をした膝に黒露を乗せてぼうっとしていると、こんこんと外から側面を叩く音がする。
「若様、久方振りの牛車は如何ですか?」
「駄目かも。気持ち悪い吐きそう」
雅相がそんなことを言ったせいか、唐突に小窓から投げ入れられたのは手布だった。
つまりこれで凌げということか。薄情なヤツめ。
「ねえひさめ」
「はい、なんでしょうか?」
「うちってなんで下級貴族なのに、二台も車なんて持ってるんだろうね」
そんな至極単純な質問をしたせいか、ひさめからの返答は返ってこない。
安倍家自体は確かに格は低いが、祖父が陰陽頭であり、従五位下という*位階であるためにギリギリ殿上人入りしているせいでもあった。
故に宗家は大切な行事ごとの際は、威厳と体裁を示すために稀に牛車を使う。もちろん出仕の時は使わないけど。
折角退屈しのぎに声をかけたのに返答がないのは寂しいので、雅相は溜息を吐きつつ話題を切り替えることにした。
「そういえば、邸がいつの間にか綺麗になってたんだけど、アレは何があったの?」
視線を移して、小さな小窓から見える景色へと目移りしてみる。
外はとてもよく晴れており、あの騒動があったとはとても思えないほど、怨気の欠片もなくいつも通りの風景に戻っていた。
「邸の修復は、旦那様がお戻りになられた後にご尽力されておられましたよ」
「養父様が?」
小窓から隣を歩くひさめを見据えれば、ひさめも雅相を上目遣いに見てきてこくりと頷く。
「……なんだよそれ」
まるで除け者にされた気分だった。
壊したのは雅相自身なのに、それを手伝わせようともしないなんて。
むうと唸る雅相に対して、外からプッと軽く吹き出す声がした。
「旦那様は何でも一人でやってしまおうとする御人ですからねぇ。仕方ありませんよ」
「まあ、そうだけどさ」
ひさめに言われてみれば確かにそうだ。なんでもソツなくこなす養父は、とても優秀ではあるものの、人を中々頼ろうとはしない。
故に養父の職場での文机周りは、常に木簡やら巻物やら書やらが山のように積まれていたりする。
雅相だったらきっとすぐ投げ出してしまうだろう。
「でもだからってさ……」
「はいはい、文句は後で私が聞きますから。木の分家に到着しましたよ」
そうこうと雅相がブツブツ文句を垂れている間に、宗家からそんなに遠くない場所にある木の分家に到着していた。
前から順序だてて牛車に連なる牛飼童や車副(付き人)の式たちが立ち止まっていく。
「若様、お降りなさるご準備を」
「はいはい分かったよ」
やれやれと言った感じで雅相が返すと、*榻を置いて待機していたひさめがじろりと睨んでくる。
その余りの鋭い目付きに思わず頬が引き攣ってしまう。
「くれぐれも、御主人様に恥をかかせないように」
「分かってるって。心配性だなひさめは」
微塵もそんなことは思っていない。むしろ雅相は、ひさめのことを小言の多いうるさい小姑並みの奴だと認識していた。
渋々ひさめに手伝ってもらって、沓を履いて降りてみれば、既に祖父と養父が降りて雅相のことを待っていた。
(僕だけ除け者にして、二人で何話してたんだろ)
本来牛車は4人乗りなのが基本だが、祖父は養父に話があるとかで雅相を牛車に一人で乗せたのだ。
確かにあの二人なら色々と秘事などあるだろうから仕方ないけど、やはりあまり気分のいいものではなかった。
二人には気付かれない程度に短く息を吐き出せば、手招きする養父に雅相は黒露を連れて小走りに掛け寄った。
注釈
素服……古代~奈良時代ごろまでは喪服=素地(白)の麻布だったが、平安時代になると貴族界隈では唐時代の喪服を真似たことで(中国唐時代の喪服は錫衰(高級麻の素地)だったが、色が字面の錫色を連想した日本は、墨色系統と勘違いしたらしい)亡くなった方に近しいものほど色が濃い黒色の衣裳という謎ルールになっていく。因みに庶民は江戸期まで白だった。
位階……官職を持つものに必ずある品階のこと。位ともいう。基本的には地位、身分の序列、等級といった意味になる。(今回祖父の位である従五位下は中流階級ギリギリ入るほど(昇殿できるため地下人ではない)。養父は特例として庶子扱いのため従八位上スタートだった(蔭位の制))
榻……牛車から牛を外したとき、車の轅(前方に長く出た、平行な二本の棒)の軛(轅を繋げた横棒。牛たちの首元に当たる奴)を支え、乗り降りに際しては踏み台とする台。




