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陰と陽の狭間にて。(仮題)  作者: 熨斗月子
一目。血に塗れた足元
19/82

第拾捌 式名は。

 


 早朝、昨夜の雨が嘘のように止んでおり、辺りは微かに残る雨の匂いと澄んだ爽やかな匂いに包まれていた。

 遠くから鐘の音が響く中、昨夜祖父に言われた通りに日の入りとともに自邸の裏庭にある《泉》にて雅相(まさすけ)は穢れを落とすためにやってきていた。

 泉は狭い裏庭の敷地にあり、普段は安倍晴明が施したとされる強力な隠形術で隠された安部宗家の人間だけが使える場所だ。


 そこは宗家の人間が穢れを落とす場所であったり、年中冷たい清水を利用した修練の場でもある。

 近くには吹きっ晒しで苔むした東屋が建造されており、邸から続く石畳が足元を誘導してくれる。

 これは万が一部外者が殺風景で観賞用の小池がない違和感に気付かないようにと目くらましを兼ねているらしい。

 無論東屋に関してはその他にも使い方はある。


 雅相は脱いだ狩衣と単と小袖を東屋の壁が円形にくり抜かれた穴に引っ掛け、湯帷子(ゆかたびら)に袖を通す。

 そうして菖蒲草がぷかぷか浮かぶ泉に身を沈めてみれば、邸中に響きそうなほどの野太い声が雅相の喉から絞り出された。



「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁづめだいよ゛おおおお!!」



 身体を大仰に震わせながらも、必死に耐えて泉の一番深い場所である中央まで歩いていく。

 あまりにも振動が大きすぎて泉の波紋が大きく波立つのはご愛嬌だ。

 なんせ雅相はこの泉を利用するのが指で数えられるほどしかない。

 まあ慣れないのも無理はないと言いたいところだが、泉から逃げてきたツケでもある。


 徐々に顔面から血の気が引いていく感覚を覚える。

 が、ここは意地でも祖父の言いつけを守らなければ、体裁が保てないというもの。謎の矜持(プライド)を胸に抱えて、内心でさっさと時間よ進めと願うのだった。


 そんな雅相に迫るのそりとした足音。

 足音の持ち主は、雨で湿った石畳を軽やかな足取りで飛び越えていくが、当の雅相は己の限界で頭がいっぱいのようで、全く気付いていなかった。



「あ、足の感覚失くなってきた。これまずいんじゃないかな」


「おい」


「あっ待って鼻水出てきた!どうしようどうしよう!!」


「おい小狐」


「なんだよ今忙しいんだよ!」



 鼻水が流れ出てこないように上を向いたまま振り向けば、そこには予想外にちょこりとお座りする黒猫がじっと雅相を見ていた。

 脳内が一瞬にして真っ白になる。雅相の目の前にはあの黒猫がいて、黒猫はあの滅茶苦茶強い鬼で、それであの鬼は菅原の傑物で。

 脳内が堂々巡りに何度も黒猫の中身が繰り返されていく。それはまるで世の心理のように……。

 そうしてようやく飲み込めた瞬間、一気に顔に熱が集中していき同時に己の情けない恰好を見られた羞恥心が芽生えていく。



「わあああああああ!!」


「うるっせ」


「な、なんでここにいんだよ!てかどうやって分かった!!結界どこいったあああ」


「朝から元気な奴だな」



 黒猫が呆れを含んだようにふんすと鼻息を鳴らす。



「俺とお前は呪印(しゅいん)で全て繋がっている。故にお前の居場所など手に取るように判る。それだけだ」


「し、呪印!?……て何?」


「無知め!」



 くわっと牙を見せる黒猫に思わずびっくりしてしまうが、その後黒猫は懇切丁寧に呪印について雅相にも分かりやすく説明してくる。

 呪印は高位の神が扱うもので、神人が眷属を得る為に使われる呪だとのこと。

 そしてこの呪印は主人から一定の距離離れると、眷属が殺されかけることも。

 だからなのかなんなのかは謎だが、黒猫には主人である雅相の現在地や微かに考えていることも分かるらしい。


(そういえば倖人(ゆきひと)殿も精神と魂魄が繋がってるとか言ってた気がする。だから僕の考えが手に取るように解るって)


 それではた迷惑な、とかなんとかのたまっていたのかと今更ながらに理解して、本当にその通りだと雅相は頭を抱えた。

 いや、その前に神ではないのだけれども、今は考えても無駄だろう。既に色んな非現実的なことが起きているのだから。



「てことは、僕もそっちの居場所とか諸々分かるってことだよね?」


「そうなんじゃないか?耳を傾けて見るといい」



 耳を傾けるとは?物理的に斜めに耳を傾けてみればいいのか、それとも耳を澄ませばいいのかわからず困り顔で黒猫を見れば、黒猫が呆れたように吐息を吐き出し「目を閉じて耳を澄ませろ」と助言をくれた。

 なるほどと雅相は言われた通りに目をぎゅっと瞑り、ゆっくり呼吸を整えて五感を研ぎ澄ませていく。


 ――――そうして暗闇の視界に浮かび上がったのは、墨のように黒が混ざったどろどろとした焔が不規則に佇んでいた。

 そんな焔の中には星のように光が瞬く黄金の焔が潜んでおり、二色の焔が静かに主張してくる。



「えっこれがそのーあのーソレ?」


「何が言いたいのかわからん」


「ごめん僕もよく分かんない」


「莫迦め!」



「そんな言い方ないだろ!」と大声を張って詰め寄りかけたが、今は未だ穢れを落としてる最中なのを思い出し、口惜しげに黒猫を睨み付ける。

 でも確かに主語がないから黒猫に指摘されるのも致し方ないだろう。まあ、だからこそ痛い所を突かれて腹立たしい訳なのだが。


 頭の整理が追いつかない中で日増しに増えていく新たな出来事に、流石の雅相も疲れていた。

 しかし雅相なりに理解していかなければ祖父たちに遅れを取っていく訳で……。でもそのどれもが悩ましい事ばかりで。

 雅相は苛立たし気についに自身の髪をぐしゃぐしゃにしてしまう。



「あーもう!最近考えること多くて嫌になる」


「なんだお前、脳筋か?」


「脳筋違う!こう見えても全く身体鍛えたことないからな!」


「それは自慢になるのか?」



 思わず確かに、と納得しかけたがそこは理性が働いてぐっと頷くのを堪えた。……あ、危ない、危うく莫迦にされていることを肯定しかけるところだった。

 気持ちを切り替えるように激しく首を左右に振って、雅相は別の話題へ変えることにした。



「そ、それよりも。これから長い付き合いになりそうなんだから、そろそろ《鬼としての名》を教えてよ。黒猫って言うの結構言いにくいんだ」


「俺の名?」



 黒猫の問いに「うん」と返して頷けば、黒猫はあっけらかんとした態度で「ない」と即答してくる。

 正確にはこの黒猫の本当の名は《菅原倖人》ではあるのだが、あの謎の白い空間で本人が言うなと念押しして脅してくるほど禁じられたため、雅相なりに考えて、鬼としての名を聞いたのだが……当てが外れてしまった。


 だからと言ってこのまま黒猫呼び名なのも言いにくい。

 悩ましいと思いながら眉間のシワを揉みつつ考えていると、「おい」と黒猫が雅相を呼ぶ。



「ならばお前が俺に名を与えればいいだろ」


「僕が?」


「そうとも。枠組みは眷属だが、言い換えれば俺はお前の式神みたいなものだ。式神は使役者を得た際、別名を与えられるのは知っているだろう?」



 確かにその通りだ。

 一例をあげれば、昔天后(てんこう)が安倍晴明に式神として使役されることになった際、晴明が十二天将としての名以外に《天姫(てんき)》という名を与えてくれたという話を以前当人の口から聞いたことがある。

 別名は式神となる者にとって特別な意味があるらしく、中々教えてくれないのだとか?

 どんな意味があるのかは分からないけれど、天后が自身の別名を炎縳(えんてん)にしか呼ばせないことを考えても、そういう事なのだろう。


 形は歪でちょっと違うとはいえ、黒猫と雅相は傍から見たら式神と使役者だ。ならば雅相が黒猫に名を与えてもさして不思議はない、はず?


 そうするとどんな別名がいいかになってくる。

 大概はその見た目から付けられるらしいが、この場合黒猫としての外見か、それとも鬼の時の外見かで悩んでしまう。

 しかし鬼の外見で別名を考えるとしたら、中々あの見た目で想像するのは難しいだろう。ならば今猫の姿なのだから、黒猫の外観で考えるのが手っ取り早い。そうなると毛玉とか?もしくは鬼猫なんてどうか?いやいやなんかしっくりこない。


 なんて悶々と悩みながら無意識にじろじろと見回していると、黒猫が「変質者みたいな目でみるな」ときつく睨みつけてきた。酷い言い草である。



「うーん。なら、黒露(こくろ)なんてのはどう?」


「ほう?してその意味は?」


「んーなんて言えばいいかな。その黒い毛並みが朝露に反射して綺麗だなって。それでその目は露の雫みたいにきらきらしてたから赤露(あかつゆ)黒露(くろつゆ)で悩んだ結果、語呂が良いのは音読みで黒露かなって。なんか格好よくない?僕名付けの才能あるよね?」


「いや?安直で誰にでも思い着きそうな名だな」


「ひどい!悩んで悩みまくって考えたのに!」



 がっくりと肩を落として、気に入ってもらえなかった悲しさと才能があるとか自らで言ってしまった羞恥心に今にも泉に沈みこみたい気分になる。いや沈み込んだ。

 しかし一生懸命に考えて思いついた別名を変える気は雅相の中には生憎と持ち合わせてはいない。ということで、今日今この時を持って黒猫は《黒露》で決定である。異論は受け付けません。


 顔半分が沈んだ水の中で、いじけたようにぶくぶくと泡立たせながら「黒露で決定だから」と確固たる意思をみせる。


 安直だとか莫迦にされたからにはなにか異論を唱えられるかと思っていた雅相だったが、その予想は別の意味で裏切られる形となる。


 なんと、黒露が体勢を低くして来たかと思えば――――突如雅相の頭上に軽やかに飛び乗ってきたのだ。

 余りの急な出来事に硬直してしまい、雅相の全身が微動だに出来なくなる。



「そう不貞腐れるな。存外その別名が気に入っている。故に今日から俺は黒露と名乗ってやろう。光栄に思えよ?小狐」


「えっあ、はい。あ、うん」


「なんだその微妙な生返事は?」



 てしてしとふさふさの三又の尻尾で雅相の頬を攻撃してくるが、生憎とただ毛玉に打たれているだけなので痛くも痒くもない。

 しかしまさか黒猫が黒露という名を気に入ってくれた事が予想外だった。

 嬉しさは勿論あるのだが、気を遣ってくれたのではという複雑な思いもある訳で、どんな顔をすればいいかに悩んでしまう。


 それを察したのか、それとも雅相の情をきいたのか黒露が「気に入ったのには間違いないからな」と発して、さらに尻尾攻撃が高速連打攻撃になった。めちゃくちゃ鬱陶しいことこの上ない。



「えーと、気に入って貰えたのなら良かったよ。うん」


「疑り深い奴め」


「それは自覚ある」



 やはり雅相の情が聞こえていたようで、黒露の鋭い突っ込みに流石の雅相も苦笑いを浮かべてしまう。

 そんな雅相の顔を頭上から至近距離で覗き込んでくる黒露。

 余りにも近い距離に大きな赤い目が視界に映り込んできて、思わず体が仰け反りかけたが、頭上にいるため無意味である。



「な、なに?」


「お前の名も教えろ」


「え、今更?」


無知蒙昧(むちもうまい)な使役者め。自らの名を言霊に乗せるからこその意味があるのだぞ」



 あながち間違ってはいない言い分なだけに、いらっとしそうになりはしたものの、これ以上の醜態を晒す訳には行かないため「そうなんだ」と頬をひくつかせながら大人な対応?で応じるのだった。



「僕は安倍雅相。どうせ勿怪に諱とかそんなの関係ないから、雅相って呼んでよ」


「いいだろう。これからは小狐改め安倍家の未熟者と呼ばせてもらう」


「雅相だってば!!」



 ほんの少し前に醜態を晒さないと決めて大人な対応で応えたのがどこへやら、雅相は憤慨するように水の中で地団駄を踏む。

 そうすると勢いよく水飛沫が飛び散る訳で、黒露が濡れないように暴れる雅相の髪に力いっぱいしがみついて、爪を立てられた痛みに更に痛い!と雅相が悲鳴を上げて暴れて、更にさらに……ともはや混沌(カオス)である。


 しばらくしてようやく無駄な争いを止めた二人だったが、ぜえはあと息切れを起こしていた。



「おい」


「おいじゃない。まさ、すけ!!」


「そんな事はどうでもいいが、藤の狐が清め終わったら釣殿に来るようにと言っていたぞ。行かなくていいのか?」


「……は?」



 全くどうでも良くはないのだが、それはそれ、これはこれ。今一番重要なことを言われた気がしてならないのだ。

 雅相は一瞬ぽかんとしてしまったが、酸素の行き渡らない脳を必死に回転させて黒露の言葉を反芻する。


 そうしてようやく理解すれば、黒露を振り落とす勢いで泉から這い出た。



「なんで今更そんなこと言うんだよ莫迦やろおおおおお!!」



 湯帷子(ゆかたびら)を脱ぎ捨て、急いで身支度を整えれば、ぐしゃぐしゃな髪を梳くために自室へと大急ぎで戻るのだった。


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