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陰と陽の狭間にて。(仮題)  作者: 熨斗月子
一目。血に塗れた足元
12/82

第拾壱 呑まれる業火



 


 ――――ふわり、

 狭窄していく視界の中に宵闇で一際淡く目立つ薄桃色の薄手の羽織の端が飛び込んだ。



「若君、お母上様をお連れしてお逃げください。お母上様は水の障壁を張った私室でお眠りになっております」


「て、天后(てんこう)!!お前はどうるす気だ!?」


「貴方をお守りするのが相良(さがら)様に託された私の使命です」


「っだめだ!!そんなの許さない!僕も共に戦う!!」



 よろめきながら天后に食って掛かろうとするが、腕を折られたはずの順風耳(じゅんぷうじ)が懐に突進してきて、勢いのままともに地面に転がっていく。


「何する気だ!」と雅相(まさすけ)が怒鳴り散らすが、順風耳は雅相の声が届いていないのか、そのまま片腕で担ぎ上げて結界方面へと連れ去ってしまう。

 雅相よりも腰ほどしかない小鬼の体にどこからそんな力が出るんだと顔を顰める。



「天后!こいつを止めさせろ!僕も戦う!!安陪邸を守りたいんだ!」


「相良様が定めた後継者を死なせる訳にはまいりません。どうかお聞き分け下さいませ」


「天后!!」


「頼みましたよ順風耳。千里(せんり)の代わりにお役目をお果たしなさい」



 一度も振り返らない天后に雅相は精いっぱい腕を伸ばした。

 しかしその手も思いも何もかもが遥か遠くて届かない。


 雅相にとっての天后は、養母が安陪邸に嫁いで来る前の乳母代わりの母であった。

 物心がついて間もなく生家から祖父に連れられてやってきた本家の安陪邸は、何もかもが未知で、当時の幼い雅相にとっては人間ではないものが沢山うろつく魔窟のような場所であった。

 最初は怖くて人のぬくもりが殆ど感じられない安陪邸が怖くて私室に閉じこもっていた。

 ――――でも、それを救い出してくれたのが天后だった。


 慈愛に満ちた穏やかな微笑みで、天后は何度も雅相の名を呼び、その温かな腕の中でゆらゆらと揺さぶられ、何度も包み込んでくれた天后。

 養母とはまた違う、分け隔てなく接してくれた天后(はは)を失う訳にはいかなかった。



「天后待って!!いやだ!一人にしないで!!」


「……貴方はお一人ではありませんよ。昔も今も」


「話は終いか?ならばこちらから行くぞ」



 鬼が天后に向けて素早い動きでその長く紅い爪を突き出す。

 それに対し天后は得意の水の障壁で防ぐ、がやはり鬼の前では脆くも崩れてしまう。

 しかし、それを見越してか水の障壁が崩れるのと同時に、天后はくるりと舞を踊るように障壁から這い出ると鬼に向けて水の球をいくつも打ち放っていく。



「ほぉ、呪言なしとはやるな。流石は神の末席に連なるものと言ったところか」


「お褒めにあずかり光栄ですわ。それで、貴方様は一体何者で?」


「さあな。俺にはとんと記憶がないものでな。黄泉の者であったということしか記憶にない」



 言葉を交わす程度に鬼は余裕を有しており、天后の放った水の球を軽やかな身のこなしで避けていく。

 しかしすべてを躱し切るのは無理だったようで、鬼の纏う衣を水の球がいくつも掠めて衣の端が溶けていた。



「……やはり数では押されてしまうな」


「あら、それでは数で押させていただかなければですね」


「ふん、猪口才(ちょこざい)なことだ」



 天后が追い打つようにさらに結印を結べば、指先からいくつもの大きな水の球が出現し鬼を呑み込まんと襲い掛かる。

 しかし、当の鬼はにたりと口を歪めるとおもむろに地面に向けて金刀の効力が続く指で逆から描く九字紋を線引いていく。



「四縦五横、禹為徐道嗤尤避兵、令吾周遍天下帰還、故嚮吾者死、留吾者亡、急々如律令」


「っ何故陰陽道の九字紋をご存じで?」


「さあな。なんとなくだ」



 瞬間、九字紋の浮かぶ地面が真っ赤に発光し鬼の眼前で天后の攻撃が全て液体と化し溶けて地面へ散っていく。

 さらに真っ赤に煌々と光を放つ九字紋の範囲は広がっていき、天后の足元まで到達すると――――地面がぬかるんだ様に足を絡めとっていく。


 必死にもがいて抜け出そうとするも、腐り落ちたような皮膚から覗く骨の手の者たちが天后の足をしっかりと離さぬよう掴み地面へ縫い付けていた。



「あ、うぁ……!これはっ黄泉の眷属!?」


「察しがいいな。黄泉の魑魅魍魎どもだ」



 五芒星も九字紋も全て逆にして行使する邪術。

 その効力もまた術者に依存するとはいえ、神をも凌駕するほどの力を有していることに、天后の顔に焦りと恐怖が滲み出てくる。



「いやっお放しなさい!纏わりつかないでっ炎縳(えんてん)、えんてんっ!!」


「……?」



 天后が苦しみ藻掻く中で無意識に《炎縳》の名を口にした途端、鬼の形の良い眉が大きく跳ね上がった。

 そして考え込むように口に手を当てて独り言ち始める。まるでその仕草は何か心当たりがあるような……。


 が、そんな隙を見せてしまった鬼にすかさず攻撃を仕掛けた者がいた。



「天后を、離せえ!!」


「っ!!」


「若君!!何故!?」



 小刀を手にして突っ込できたのは、紛れもなく先程順風耳に引きずられて行ったはずの雅相(まさすけ)だった。

 おもむろに小刀を鬼に向かって突き刺そうとするも、まともに刃を扱ったことの無い雅相では、足腰に力が入らず弱々しい攻撃となってしまう。


 しかし、雅相が握る小刀は何を隠そう天后の眷属である順風耳の神器のため、ただの小刀ではなかった。

 小刀は雅相の手からするりと抜け出し、先程とは打って変わって雅相の走る速さよりも倍の猛進ぶりを見せたのだ。



「なっえちょっと!?小刀って宙に浮くもんなのか!」


「ギギギギ!」


「順風耳何言ってるかわかんない!!」



 雅相の後ろに控えていた順風耳が何か言っているようだが、まず人の言の葉ではないため敢えなく意思疎通は不可能だと理解してしまう。

 ――――順風耳と雅相は天后に突き放された後、しばらくは結界の手前で押し問答を繰り広げていたが、やがて天后の劣勢に二人の《天后を助ける》という意志が合致し共闘しているのである。

 意思疎通は……計れないまでも、共通認識で二人は連携?出来ていたのだ。


 突進してくる小刀を軽やかに鬼が躱していくが、小刀はをどこまでも鬼のいく先々を追尾していく。



「天后!言う事聞かなくて済まない!でも、やっぱり天后だけ置いていくのは絶対無理だ!!」


「若君……」


「だから!皆であの鬼を倒して、安倍邸を守ろう!!さっき援護要請の札を上空に放ったから勝てそうになくても、誰かが来るまで粘るんだ!」



 天后と鬼が同時に宵闇が覆う天霧りの空を見上げる。

 そこには、小さな青白い光がパチパチと弾けて今にも空の中へ溶けて消えそうな火花の残骸が瞬いていた。


 それを目にして、天后が張り詰めていた吐息を吐き出して僅かに穏やかに微笑む。

 しかし鬼は……どこまで行っても表情筋の一つも動かさない無表情であった。



「援護が来る前にさっさと殺すか。遊びすぎたな」


「っ!!」



 鬼が追尾してくる小刀を素早く手でつかみ取れば、瞬く間に濃厚な怨気が掴んだ手から吹き上がり小刀をドロドロに溶かしてしまう。

 流石の順風耳もそれを目のあたりにして驚いた風な雰囲気を出していた。

 まさか神器が簡単につかまれた挙句、溶かされたのだから無理もない。それほどまでにこの鬼は強大で他の勿怪とは比べられないほどの怨気を保有していることになる。


 そして鬼は素早く移動すると、雅相の背後にいる順風耳目掛けて怨気を手から大量に噴出した。



「眷属などやめてまた其方の自我を取り戻すのだ」


「掛けまくも 畏き祓処(はらひど)大神等(おほかみたち) 万の枉事(まがごと) 罪 穢 を(はら)ひ給ひ清め給へと 畏み畏みも拝み奉らくと(まを)す」



 しかし雅相がそれをさせまいと*祓詞(はらえのことば)を唱えれば、順風耳の身に降りかかろうとしていた怨気が霧散していき雅相と順風耳の二人を透明な結界が覆い穢れを退ける。


 思わず苛立ち気に鬼が舌打ちを打つ。

 そして鬼が何かに気づいたようにふいに天后の方へ顔を差し向ければ――――黄泉の手に絡め捕られていたはずの女人の姿はすでに無くなっていた。

 集中が途切れてしまい九字紋の効果が切れてしまったのだ。



「……我ながら面倒な性質で困るな。しかし、俺の怨気を防ぐとは、先ほどとは打って変わり見違えるようじゃないか小狐よ」


「はあ、ぜっ……それ、はどう、も」



 未だに余力のある鬼が雅相を見下ろすが、雅相自身はすでに満身創痍に近かった。

 一日に使用していい霊力の限界がきているのだ。

 鬼と戦う前にもすでに勿怪を祓ったりしていたために霊力の消耗が激しく、且つ霊力を多く奉げる祝詞や真言ばかり行使していたために貯蓄していた霊力がなくなり十分な霊力が血と共に行き渡らず全身が重怠気で鉛のように手足が重い。


 だが、そんな雅相を見やった鬼が目を細めて突如口を歪ませると愉快そうに嗤ったのだ。



「お前……そうか、()()()だったか。これは面白い」


「っなにを、言って」


「お前が覚醒して死ぬか、それともせずにして死ぬのか試してやる。俺が直に試すんだ、有難く思うんだな小狐」



 鬼が軽やかな足取りで結界に護られている雅相に近付けば、ブツブツと左手に向けて何かを唱えて一閃した。瞬間、鬼の怨気を防いでいた結界は容易く割られてしまい効力をなくして溶けていった。


 何が起きたのか理解できず硬直する雅相に鬼がおもむろに左手を伸ばすと、その子供の細く小さな白い首を強引に掴み取って締め上げる。



「あ゛、は……!」


「若君をお放しなさい!!」


「煩い邪魔するな」



 すかさず天后の水の球がいくつも鬼を襲うが、鬼が空いた右手を振りかざすと、瞬く間に水の球が弾けて地面へ散っていく。

 それを見越していたかのように順風耳が追撃に打って出る。

 雅相に一本駄目にされてはいるが、残りの小刀で猛追したのだ。


 が、しかし。



「邪魔をするなと言っている。慌てずとも全員黄泉へ送ってやる」


「ギッ!?」


「じ……ぅ、じ。ごほ」



 素早い動きで順風耳が鬼に切りかかるも、鬼が順風耳に向けてふっと息を吐き出した刹那、濃霧のような赤黒い怨気がぶわりと吹き出し順風耳を飲み込む。

 だが天后の水の障壁が間を置かずして順風耳を囲い、怨気を吸わずに事なきを得たのだった。



 しかし、怨気を浴びた障壁は防いだ直後にはどろりと溶けてしまう。



「……はあ、はあ、このままでは相良様への負担が増していってしまう。なんとか、しなければ」


「ギッギッ」


「分かっていますわ。早く若君をお助けせねば。ですが手だてが」



 天后はもともと十二天将の中では水を司る神であるが、他の将と比べてしまうと攻撃はやや劣り得意とした神ではなかった。

 故に随神である千里眼と順風耳がもっぱら攻撃を補うために天后に使役されていた。

 護りと遠距離に特化した天后自身にとって、今回の戦いは近接が多いために非常にやりにくい相手であった。



「炎縳……私は一体どうすれば」



 手だての見つからず美しい顔を歪ませる天后に変わって、順風耳が雅相を助け出そうと再び追撃を開始する。

 先程まで暴れて藻掻いていた雅相が、徐々に力と生気を失って行っていることにいち早く感づいたからだ。


 だが、順風耳の攻撃はどれもこれもが全て鬼に妨げられてしまい、終いには鬱陶し気に投げ飛ばされてしまう。



「じ……かはっ……」


「まだ覚醒しないのか。ならばこれはどうだ?」



 鬼が左腕にぐっと力を入れた瞬間、どろりとした赤黒い怨気の業火が雅相をぐばりと覆い呑み込む。

 手が足が顔が臓腑が全てが焼けて爛れていくような堪え切れないほどの熱を全身に感じ、劈くほどの叫声をとどろかせた。



「あぁぁああ゛あ゛あ゛あ゛!!熱い!焼ける!痛い!!いやだ!!はなせはなせはなせ助けて!!!」



 藻掻いて、藻掻いて爪を立てて、生爪が剥がれて血が吹き出るほど鬼の腕を引っ掻いても何故か鬼は怪我をした瞬間から再生していく。

 皮膚が爛れていく、業火によって爛れた箇所から怨気が這いずりながら雅相の体内に入り込んでくる。

 霊力と魂魄の中に例えようのない気持ちの悪い感触が伝わってきて、胃の腑からせり上がってくる何かを勢いよく吐き出せば、全ては鮮血だった。

 このままいけば、雅相は霊力と魂魄が怨気に侵されて――――死ぬ。


 まだ何も成し得ていないのに、まだやりたいことがいっぱいあるのに。まだ……あの人に、聞きたいことが、あるのに。

 注釈


 祓詞……神事の前に必ず行われる祓の時に唱えられる祝詞の一種。

 古事記や日本書紀に出てくる伊邪那岐神が死者の国へ行き心身が穢れたため、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎがはら)と言う場所、海水を浴びて禊を行った際にその時に多くの祓戸の神々が生まれたと言われている。

 この祓戸の神々には多くの罪や穢れを清める力があり、その神力が備わっているとされる祓詞を唱えれば、心身が清められると言われる。

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