表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/70

Chapter.62

 風呂からあがって部屋へ戻ると、華鈴はまだいなかった。

「準備しとくか……」

 通勤バッグの中から、包装された細長い箱を取り出す。

 縄張りを主張する犬のようで情けないなと思いつつも、少しだけ、独占欲が湧き出てきて購入を決めた。

 初対面のときとは明らかに感情の変化があるキイロに、少しの対抗意識があるのは否めない。

 選ぶ権利は華鈴にあるけど、絶対に譲れないものだってあるのだ。

 コンコンとノック音が聞こえる。背中側に箱を隠し

「はーい」

 ベッドに座ったままで返答すると、ドアが開いて華鈴が顔を見せた。

「ただいま」

「おかえり」

「待った?」

「んー? うん。おいで」一緑は隣のスペースをぽんぽん叩いて華鈴を呼んだ。

「うん」

 呼ばれた華鈴はいつでも少し照れつつ、そっと隣に座る。

 一緑はその顔も、仕草も大好きで、いつも同じ呼び方をしてしまう。

「夜ごはんありがとう。美味しかった」

「それは良かったです」

 ふふ、と微笑む華鈴に、一緑は身を寄せた。

「華鈴」

「ん?」

「手ぇ出して?」

「うん」

 華鈴が出した両掌の上に、一緑は隠していた箱を置く。

「ホワイトデーのお返し。貰ってください」

「ありがとうございます」

 二人でお辞儀しあって、小さく笑う。

「開けていい?」

「もちろん。見てみて?」

「うん」

 華鈴は腿の上に箱を置き、丁寧に包みを開けていく。

 ベロア張りのケースの中には、一緑が散々悩んで選んだ、ホースシューモチーフのペンダントが入っていた。

 シルバーのチェーンにペンダントトップが付いていて、蹄鉄の形に添って小さな石が、中心に大きな石が配置されている。

「わ、キレイ! 可愛い!」

「本物じゃなくてジルコニアやねんけど」

 さすがに本物のダイヤモンドは気持ちが重いかと怖気づいて、価格的にも手頃なほうを選んだ。

「全然! すごく嬉しい! ありがとう!」

 言葉通りの心底嬉しそうな笑顔になって、華鈴が一緑を見つめた。

「着けてみる?」

「うん。お願いしていい?」

「うん」

 一緑がペンダントをケースから取り出す。留め具を外して、背中を向けた華鈴の首にかけた。まだ少し湿っている髪が艶めかしい。

「どうかな」

 一緑のほうを向き、華鈴が首をかしげる。

「可愛い」

 ペンダントを着けていようといまいと可愛いのだけど、贈ったペンダントを嬉しそうに身に着けている華鈴は相当可愛い。

「鏡見てくる」

 弾んだ声で言って立ち上がり、メタルラックの前に移動する。身だしなみを整えるための鏡を見て、華鈴が笑みを広げた。

「可愛いね」

 そのままの表情で振り向いた華鈴に、一緑の心が射貫かれる。

「もー、ほんまにさー」照れたような苦笑を浮かべ、ベッドから立ち上がるとそのまま華鈴を抱きしめた。「可愛すぎるやろ」

「い、いのり、く…」

 一緑はそのまま身をかがめて、はだけさせた華鈴の首筋に唇を押し当てた。

「だ、め……!」

 一緑を離そうと身体を押すが、力の差は歴然で敵わない。

 唇を押し付けたまま強く吸って、ゆっくり離す。華鈴の肌に赤い(あと)がついたのを確認して、満足そうにもう一度同じ個所にキスを落とした。

 一緑は嬉しそうに「俺の、ってシルシ」つぶやいて、微笑みかける。

「もう!」

 華鈴は怒った顔を見せて一緑をにらむが、一緑は嬉しそうな笑顔のまま、華鈴を抱きしめた。

「……ばか……」

「うん」

 ふてくされたように言った華鈴が可愛くて、一緑はますます愛しくなって抱きしめる腕に力を込めた。

「ごめん」言葉とは裏腹な甘い声に、くすくすと笑い声が混じる。

 華鈴もつられてふと笑い、温かな胸に身体を預けた。


* * *


 通りすがりにふと香るフローラル。けれどその身体には縄張りを主張する赤い(あざ)。メイクで隠しているが、それでも消し切れていない。

 誰も気付いていないそれに、瞬間で視線を奪われた。

 このときばかりは目ざとい自分に憎しみを感じる。


 主人は知らない二人の秘密を身にまとい、主人から贈られた枷を首に巻いている彼女は、いまなにを思っているのだろう。


 手に入らないことは承知の上――それでもあの夜のことを思い出す。

 あのままどこかへ(さら)っていたら、いま彼女は自分の腕の中にいたのだろうか。


 子供じみた妄想と執着。

 自分から湧き出ているとは思えないその感情を、職業病(いつもの癖)で観察してしまう。

 これまでと変わらず書いているはずの文章にも、それはにじみ出るらしい。他人から見たら、作家として成長をしたように感じるそうだ。


 予想外に沸いた感情に気付かないふりもできず、胸に抱き続けながら今日も何気ない顔で過ごす。

 嫉妬心はない。独占欲もない。

 子供のころ読んだ童話のように、あれはすっぱいぶどうだから手に入れなくていい、などとも思わない。

 ただ彼女が幸せそうに笑っていればそれでいい。

 苦しみ、(つら)いなら、そのときそっと近くにいられればいい。


 彼女が健やかに過ごせていれば、それだけでいい。


 今日も隣に寄り添う二人を見ながら、二人と同じように笑って暮らす。

 そんな日が訪れるとは思っていなかった自分にとって、それすら意外で、幸せだ。


 だから、できる限り長く見守っていこうと、密やかに決めた。

 もう、ただそれだけで、いい――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ