Chapter.59
「ホントは私が予約すべきだったよね」
店員がテーブルを去るや、華鈴が言った。
「え? ええのよ別に。俺が久しぶりに華鈴とデートしたかっただけなんやから」
一緑は笑いながら華鈴を見つめる。
「……ありがとう」
少し照れくさそうに笑って、華鈴も一緑を見つめ返した。
ビルの二階にあるカジュアルなレストランは、全面ガラス張りの窓から東京の夜景が一望できる。ライトアップされたレトロな駅舎が都会のビル群と相まって幻想的だ。
店内側に目を向けると、広いオープンキッチンで料理を作っている光景が見える。フランベの豪快な炎や、繊細な盛り付けをしているときのシェフの表情を眺めていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
二人はそれぞれメインを一品ずつ注文し、シェアすることにした。
一緑は“豚肩ロースの炙り”、華鈴は“本日の魚料理”をチョイスする。他に、きのことエビのアヒージョと、炙りレタスのシーザーサラダを追加してオーダーを終える。
「デザートは良かったん?」
「食べてみて、余裕があったらにしたいかな」
「せやな。帰りにどっか寄って買って、家で食べてもええしな」
「そうだね。ちょっと、おなかと相談する」
「うん。そうしよ」
料理が運ばれて来るまでの間、今日の出来事や赤菜邸のことなどを談笑する。
スパークリングワインで乾杯をして、ディナーの時間を楽しんだ。
* * *
「はぁ、おなかいっぱい」
頬を仄赤く染め、華鈴が腹部をさする。
「美味かったし、ボリュームもすごかったなぁ」
「うん。大満足。素敵なお店だった。ありがとね」
「うん。一緒に来れて良かったわぁ」華鈴の目の前で一緑が嬉しそうに笑う。「あ、ごめん、ちょっと席外すな」
「ん。行ってらっしゃい」
スマホを持って席を立つ一緑を見送り、隣の椅子に置かれている紙袋を見やる。
(いつ渡そうかな……)
このあと違う家に帰るのならこの場で渡すしかないけれど、一緒の家に帰るのだし、飲食店で食べ物を堂々と渡すのも気が引ける。
プレゼントを持っているとわからないようにバッグに忍ばせたつもりだけど、察しの良い一緑のことだから、きっと気付いているはずだ。
この先の行動やシチュエーションを予想して、シミュレーションしてみる。
ここで渡すと、家に帰るまでの間、ずっと荷物を持たせることになる。だったら帰宅してから渡したほうが一緑の面倒は少なくなる。
家を出るとき持ってくるのを忘れたことにしておけばいいか、と考えて、この場で渡すのをやめた。
ほどなくして、一緑が席に戻ってくる。
「ごめん、お待たせ」
「ううん?」
「じゃあ……」
そろそろ帰るのかな? と華鈴が思い帰り支度を始めようとするが、
「はい」
一緑がテーブルの上に手を出した。
「ん?」
「ちょーだい? チョコ」一緑は満面の笑みで華鈴を見つめた。
「えっ」
「あるんでしょ? なかったら俺、恥ずかしいんやけど」少し苦笑する一緑に
「……荷物になっちゃうよ?」心配そうに華鈴が聞いた。
「そういうのは、迷惑な贈り物のとき気にするもんで、嬉しいものに対しては思わないの」ふっと笑って、目を細めた。「いつくれんのかなーって楽しみにしててんけど」
その笑顔に後押しされて、華鈴はかたわらのバッグから小さな紙袋を取り出し、一緑の手のひらにそっと置いた。
「……貰ってください」
「もちろん。ありがとう」
心底嬉しそうな笑顔を見せて、袋の中を覗く。
「うわぁ、可愛いなぁ。緑やし!」
チョコのパッケージを見て、更に嬉しそうな笑顔を見せる。
「開けるんは家でするな?」
「うん、ありがとう」
「こっちこそありがとう。開けるん楽しみやな~」
弾むように言って、自分のバッグの中にしまった。
「あとね、これ……」華鈴がおずおずとピロー箱を追加で差し出す。
「え、嬉しい! 開けていい?」
「うん」
キラキラと瞳を輝かせて、一緑が横ふたを開ける。中に手を入れるや
「うわ、なにこれ、ふわふわやん」
一緑は驚いて、しばらく手触りを楽しんでからそっと取り出す。それはターコイズブルーのカシミヤのマフラーだった。
「めっちゃいい色~」
「青、好きって言ってたから」
「覚えててくれたん? 嬉しいな~。早速使っていい?」
「もちろん」
華鈴の返答を聞き、すぐに首に巻き「うわ、むっちゃ気持ちいい」頬ずりをするように顔をうずめる。「大事に使うな~、ありがとう~」
「うん」
気に入ってもらえた安堵感から、華鈴も同じように笑顔を見せた。
ターコイズブルーのマフラーは、いつも一緑が着ている黒のチェスターコートに良く映える色合いで、一緑の格好良さを引き出していると華鈴も満足した。
一緑は朝出るときにしていたマフラーを華鈴に巻いて、手を繋ぎ家路につく。
「バレンタインなのに、ご馳走してもらってすみません。ありがとう、ごちそうさまです」
「ええねんて。いつも美味しいご飯作ってもらってるんやし、それに華鈴はまだ学生なんやから、無理しないの」
「じゃあ、就職してお給料もらったら、ごちそうします」
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
一緑は笑って、繋ぐ手に力を込めた。
* * *
帰宅して、ちょうどどちらも空いていた風呂にそれぞれ入る。部屋で待ち合わせをして、チョコの開封式を行った。
「うわー、チョコも緑や~! 可愛いな、よぉ見つけたな」
「えへへ。見つけた瞬間、これしかないって思って」
「嬉しいわ~」
「喜んでもらえたならなによりです」
「そういや、料理上手なのに、チョコは手作りせぇへんよね」
「料理とスイーツ作りはまた違うから……私テキトウだし、お菓子作りって分量とか正確にしないと失敗しやすいから……」
「そーなんや。お菓子は作らんからよぉ知らんかった」
「食べないもんね」
「うん。やろう思ったらできそうやのにな」
「作ったら、食べてくれる?」
「う……ん。そんなに頻繁じゃなかったら」躊躇しながら答える一緑に
「無理しなくていいよ」華鈴が笑いながら返した。
「和菓子なら食べる」
「和菓子のが作るの難しそうだよー」
「そうか。そうやな。まぁ、華鈴からならなんでも嬉しいからええんやけど」嬉しそうに言って、つまんだプラリネ一粒を口に入れた。「ん、あんまし甘くなくて美味しい」
「ほんとに? 良かった。全部違うお茶のフレーバーなんだって」褒められて、華鈴はどこか自慢げだ。
「そーなんや。これは…」口の中に残るチョコを味わいながら「…日本茶かな」首をかしげる。
「うーんと……」華鈴がスマホを立ち上げて、保存していた画像を見た。「あ、そうだね。日本茶とー」
「あ、待って待って? ほかのも当てたい」一緑は水を口に含み飲んで、次の一粒を口に含む。「んー……」口の中でチョコを転がし、溶かしながら味わって。「香ばしい……香ばしいお茶ってなんや……あ、ほうじ茶?」
「ぶぶー、違います」
「えー? じゃああと香ばしいってゆうたら…あ、玄米茶?」
「ぴんぽーん。正解でーす」
「やった!」
思いのほか嬉しそうに笑って、一緑が小さくガッツポーズをした。
(子供みたい)かわいらしくて、華鈴は思わず笑ってしまう。
「子供みたい思ったやろ」
「思った」
即答する華鈴に一緑が苦笑して「ええけどさ」ふてくされたように言って、最後の一粒をつまむ。「これはわかりやすいよな」
「うん。周りにまぶさってるからね」
口に入れた瞬間「うん、抹茶やな」一緑が答える。
「せいかーい」スマホを閉じて華鈴が笑う。
「うん、全部美味かった、ありがとう」一緑は嬉しそうに笑う。「昨日はみんなも喜んでたし、気遣ってくれてありがとうな」
「うん。選ぶの楽しかったから大丈夫」
ふふっと笑った華鈴の隣に一緑が移動して、華鈴の頭を撫でて軽くキスをした。
「…チョコの味した?」
「んー? どうかなぁ」
いたずらっぽく笑う華鈴を、一緑は優しく押し倒す。
「なんの味か、当ててみて」
一緑はゆっくりと華鈴に覆いかぶさり、深く口づけをした。
甘くてほろ苦い抹茶の味が、二人の口内にふわりと広がる。
ちゅっと音を立てて離れた唇をなめて「どうやった?」目を細め、一緑が聞く。
「……一緑くんの味がした」
「なんやそれ」一緑は笑って、もう一度唇を重ねる。
二人は甘い夜を、味わうように堪能した。