Chapter.53
華鈴は玄関のドアを開け、室内に入る。
「ただいま帰りましたー」
誰かいるかわからないけれど、いつからか習慣となった挨拶をして、靴を脱ぐ。そのままシューズボックスに入れて、リビングへ……と、目の前に突然、大きな白い木が見えた。身長よりも断然高いその木を、華鈴が上から下まで目線を何度も往復させる。
「えっ? すごい。なにこれ」
朝、家を出るときにはなかったインテリアが、数時間のうちに現れていた。そういえばいまは12月。クリスマスの季節だ。
姉と一緒に住んでいたころにも飾っていたが、こんなに大きくはなかったし、そのツリーも姉が新居へ持っていっていまはない。
「おかえりー」
しげしげとツリーを眺めていると、リビングから声をかけられた。青砥の声だった。
「あ…ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
「おん」
「おかえりー」
キイロ、赤菜、黒枝がそれぞれ声をかける。
「これ、どうしたんですか?」
どうしたもこうしたも誰かが買ったのだろうと思うものの、どう聞いていいかわらかず凡庸な質問をしてしまう。
「買ってん。ええやろ」
「はい! 白いツリーってお店のディスプレイでしか見たことなくて、なんだか新鮮です」皆が思っていた通り、華鈴は瞳を輝かせ、意図していない笑顔が溢れている。「飾りつけはないものなんですか?」
「いや? サクラが帰ってきたらやってもらお思っててん」
「えっ! そんな楽しいことやらせていただくの申し訳ないです」
変な遠慮をする華鈴に、キイロが笑った。
「サクラさんらしいな」
あの夜以来、それまでと変わりなく接しているキイロは、もう華鈴を名前で呼ぶことはしなかった。華鈴も同様、名字呼びに戻っている。
ただ、二人の間に流れる空気が、以前よりも穏やかで優しいものになっていた。
「ツリーの飾りつけなんて花形のお仕事ですもん。それに、青砥さんとかのがセンス良く飾れそうです」
「デザインセンスと飾りつけのセンスはちょっとちゃうからなぁ。女の子がやったほうが可愛くできるんちゃうかな~」
青砥は促すようにニコニコと笑う。
「ええよ、面倒やったら俺らでやるから」腰をあげようとするキイロに
「あっ、えっ。やっ、やりたい、です」華鈴が慌てた様子で言った。
そんな華鈴を見つめ、ふと笑うと「うん。最初から素直になったらええねん」キイロは楽しそうに目を細めた。
いじわるされたのだと気付いて、華鈴が少しむくれた顔を見せた。
キイロはそれを大事そうに見つめて、「オーナメント、めっちゃ入ってるっぽいで」ソファの傍らに積まれていた紙の箱をツリーのそばに運んだ。
「わー、可愛い。色数少ないのってオシャレですね」
キイロが持つ箱の蓋を開けて、華鈴が瞳を輝かせる。
「そしたらそのまま二人でやってよ。カリンちゃん一人やとさすがに大変やろうし」
黒枝がツリーのそばにたたずむ二人に声をかけた。
「俺ら遠くから見てバランスに口出しするから、二人で動いて~」
赤菜は赤菜なりの優しさで、そんな言葉を投げる。
「……やる? 一緒に」
「はい」
照れたようなキイロの質問に、華鈴が笑顔で答えた。
* * *
最初に帰って来たのは紫苑だった。
「ただいま。うわ、なに? クリスマス?」
「はい。おかえりなさい」
「すげぇな。ここんちで見るん初めてやわ。買ったん?」
紫苑はリビングに向かいながら誰とはなしに聞いた。
赤菜はそれに対し、ニヤリと笑う。
華鈴とキイロが協力して飾りつけをしているが、作業は三分の一程度の進み具合だ。
ネットで見つけた飾りつけのコツや、ソファに座る三人からのアドバイスを参考にしながら進めているが、大きなツリーだけに飾る場所も多い。
それでも二人は楽しそうだ。
「赤菜さんにしては粋なことしたなぁ~」購入者を聞いた紫苑は、感心したように言ってソファの空いているスペースに座る。
「余計なお世話や」
赤菜は顔をしかめて反論するが、特に気にしている様子はない。
「ええやんええやん、こういうの。おっさんなってもテンションあがるもんやなぁ~」
紫苑は思いのほか嬉しそうな顔を見せて、コートを脱ぎ、リビングに併設するウォークインクローゼットにしまった。
* * *
次に帰って来たのは橙山だ。
「ただいまー。疲れたー。今日ってごはん……えっ!? うそやん! 急じゃない?!」
八割方飾りつけが終わったツリーに気付き、橙山が驚く。
「おかえり」
「おかえりなさい」
並んで飾りつけを続けるキイロと華鈴が、橙山に返事をする。
「えー、なにこれ! 二人で買ったん?」
「いえ」
「眞人くんが買うてくれた」
「えー! そうなん?! たまにはええことするなぁ」
「お前らの中での俺のイメージどんなやねん」
思い切り顔をしかめて赤菜が低く言う。
「それはそのー…なぁ?」橙山は言葉を濁してキイロを見やる。
「んー? 眞人くんは気性荒くて扱いづらいときあるけど、根はええ人やで」次に飾るオーナメントを選びながら、キイロが答えた。
「褒めてるんか褒めてないんかわからんヤツやめろよ」苦笑して赤菜が顎をさすった。まんざらでもなさそうだ。
「キィちゃんの素直さが勝った~」おかしそうに、歌うように橙山が言って、リビングへ移動した。「今日のごはんって決まってる?」
「あー、考えてへんかったなぁ」そういえばという風に、青砥が中空に視線を移した。
「あ、ごめんなさい。なにか作ります」
「あー、ええよええよ、ごめん。言い方悪かったわ」橙山は手を左右に振った。「今日、タレントさんが料理する企画の撮影やってんけどさぁ、ミルフィーユとんかつ作っててんやんかぁ。めっちゃ美味そうでさぁ。レシピもらって来たから作っていい? っていう提案なんやけど」
「あー、ええなぁ、材料はー?」
「これから買いに行く~。まずは聞いてみんと~と思って」
「メッセで聞いてくれたら良かったのに」
「あ、その手もあったか」紫苑の意見に橙山が手を打つ。
「まぁええけどさ。あっこのスーパーでええの? 車出そか?」
「え、しぃちゃん運転してくれんのん?」
「ええよ。お前の運転、見てるとイライラするし」
「えー、ひどい。最近現場行くとき運転してるから、だいぶ良くなったのに」
「じゃあお前運転する?」
「しない!」
「めんどくさ」紫苑と橙山のやりとりを聞いていた赤菜が、橙山に言い放つ。「うっとうしい会話すんなよ」
「えぇやん、きゃっきゃさせてぇよ」
「おっさん同士がきゃっきゃしてる姿みてもなんも楽しないわ」
「ええから行くで」紫苑はすでに立ち上がり、ウォークインクローゼットからコートを出している。「なんか欲しいもんある人おる? 買ってくるか、それとも着いてくる?」
「アルコール類のストックどんな感じやったっけ?」青砥が立ちあがり、キッチンへ行く。
「つまみもな」赤菜も同じくキッチンへ行って、食糧庫をあさる。
「ほんならみんなで行こか!」名案を思い付いた! という顔をして、橙山が手を合わせる。パチンと音を立て、笑顔を見せた。「ほら、クロたんも」
「えぇ~? えぇよぉ、めんどいし寒いし、そんな大勢で行くもんちゃうやろ~」
「えぇやん! その間に二人に飾りつけしといてもらってさぁ!」
橙山は言いながら、座っている黒枝の腕を引っ張って立ち上がらせた。
「も~、なんやねんお前~」そう言いつつも、かまわれた黒枝は少し嬉しそうだ。
「みんなも早く! 上着着て行こ!」
「はいはい」
「急に張り切んなよ、元気が重たいわ」
「しぃちゃん免許と鍵持った?」
「財布上やわ。ちょっと待っといて」
すさまじい勢いで決まっていく外出の予定を、キイロと華鈴は手を止めてポカンと眺めていた。
紫苑が小走りに自室へ戻り、免許証が入った財布を持って戻ってくる。赤菜と黒枝はブーブー言いながらもコートを羽織り玄関へ向かった。
皆を追い立てるように「はいはい、ほいほい」言いながら外出組の背中を、追い立てるように手で扇ぐ。
橙山がキイロと華鈴の横を通り過ぎる際、キイロにわざとらしく目配せをして、二人に手を振った。
そういうことかという顔をして、キイロが顔を歪める。
華鈴もなんとなく察してしまって、しばし二人は無言になった。
キイロは無言でその場を離れて、ソファへ向かう。
華鈴はそのまま、オーナメントを枝にかけていく。
少しして戻ってきたキイロが
「……ん」
華鈴に差し出したのは、ピンク色の包装紙に包まれた、両掌に乗るくらいの小さなプレゼントボックスだ。
「ありがとうございます」
受け取って飾り付けようとして、ツリーに掛けるための紐がないことに気付く。
「こないだ貰った、卒業制作のお礼」
そっぽを向いたままのキイロの言葉に、華鈴は少し驚いた顔を見せる。
「……開けて、いいですか?」
「うん」
華鈴は大切そうにリボンを解き、包装紙を開けていく。
箱を開けると、中には色とりどりのバラの花をモチーフにしたゼリー菓子が入っていた。
「わぁ…! 可愛い!」
「こういうの、好きかなと思って」
「はい! すごく可愛いし、美味しそうです!」
「そんなら良かった」
「ありがとうございます…!」
「一緑にはやらんでいいから」
冗談交じりに口の端をあげるキイロに
「はい、内緒にしときます」
華鈴も笑って返答した。