Chapter.51
青砥はドアをノックする。
黄色いドアだ。
『はい』返事とともにドアが開き、キイロが顔を見せた。「ん。どしたん」
「ごめん、寝てた?」
「いや? もう少ししたら寝よう思ってたけど」
「ごめんな。ちょっとだけ時間いい?」
「ええよ。中入る?」
「うん。ありがとう」
青砥は後ろ手でドアを閉めて、ベッドに座るキイロに対峙した。
「座ったら?」デスクチェアを勧めるが
「うーん、一旦ええわ。長くはしないつもりやし」青砥は頭を掻いて、その場に立ったままでいた。
「そう? なんかあった?」
「カリンちゃんのことやねんけど」
名前を聞いた途端、キイロは一瞬眉間にしわを寄せる。
「またなんかあった?」
「いや、仲直りしたみたいーって報告」
「そう……」
答えたキイロの表情から、感情は読み取れない。
「……どうなん? 実際」
「どうって……」
答え方がわからないように、キイロが言葉をなくす。
「ごめん、急に立ち入った話して」
「いや……アオがからかう気持ちで聞いてくるような人やないのわかってるから、それはええんやけど……」
キイロは、青砥の質問に対する答えが見つからないのではなく、見つけられないことを知っている。
女性に恋愛感情を抱いたことがないわけではない。けれど、かつて抱いた感情が粉々に砕かれて以来、その気持ち自体が本当だったのかわからなくなってしまった。
華鈴に対して抱く気持ちや考えが、世間一般的に言われるどの感情にあたるのか、それがわからない。
ただひとつ。
「アオが思ってるような感情じゃないよ」
キイロは苦い笑みを浮かべて、小さくうつむいた。
青砥はしばらく無言でキイロを見つめて、隠されてしまった感情がないかを確認する。
「……そっか。ごめんな、余計なお世話やったな」苦笑交じりにうつむく青砥に
「心配してくれてんやろ? ええって」キイロが笑って、言葉を返した。
「うん。そしたら、戻るわ」
「ん。おやすみ」
「おやすみなさい」
青砥が笑顔を見せて、キイロの部屋を出た。
ドアを閉め、キイロがふっと息を吐く。
ただ、ひとつ。
わかっているのは、自分が華鈴に恋愛感情を抱いたら、華鈴に迷惑をかけるということ。
だから自分の気持ちに気付かないふりをしているというわけでも、気付きたくないと思っているのでもなく。
それでもその理由は、キイロが否定の言葉を発するのに充分すぎて。
気付いていようと気付いていなかろうと、そんなことも関係ない。
それにきっと、ただの刷り込みなのだとキイロは思う。
そう思えば、キイロが少し前進しただけで終わるのだからそれでいい。
もしもまた、一緑が華鈴を泣かせるようなことをしたら、キイロは一緑に怒りをぶつけ、華鈴をかばう。
そこに自分の感情が見えてしまったとしても、それはかまわない。また否定すればいい、それだけの話だ。
もしも華鈴が一緑の恋人としてではなく赤菜邸に来ていたら、キイロはまた違った感情を抱いていただろう。そしてその感情はきっと、いまほど柔らかく、温かなものではなかったはずだ。
華鈴が“一緑の恋人”として目の前に現れたから、自分でも予想だにしなかった感情を抱いた。
その先に繋がる二人の未来なんてなくていい。
華鈴が苦しまず、泣くこともなく、幸せであればいい。
ただ、それだけ。
ベッドに潜り込み、足りていない睡眠を取る。
起きて顔を合わせたら、また元の同居人。それ以外の何物でもない。
数時間前の“秘密”を思い出して、一人微笑む。
思春期の学生が抱くようなその想いは、少しくすぐったくて恥ずかしい。
止まっていた時間が少しずつ動き出したような感覚を抱きながら、キイロは眠りに就いた。
今頃二人で、同じように眠っているのだろうな、と思いながら。