Chapter.42
ひとしきり話し終えてふと見ると、そこにいたはずの一緑がいないことに気付く。
トイレに行ったのかと考えたが、しばらくしても戻ってくる気配はない。
「あれ? いのりどこ行った?」
華鈴に続いて気付いた青砥が華鈴に問う。
聞かれても心当たりがない華鈴は、少し困って首を横に振るしかない。
「子供やないんやし、ほっといても大丈夫やろ」
赤菜は言う。
確かにその通りだ。自分の意志でどこかへ移動したのなら、なおさら。
しかし、一緑に対して感じている不安は、身体的な安否を憂いているものではない。
自分が感じている寂しさを、一緑が同じように感じているのか。それともなにも思っていないのか。
自分の寂しさは、一緑に伝わっているのだろうか。それとも――。
華鈴の中に、身勝手な心配ばかりが沸いて出てくる。
二人の時間を作れないのは、すべて自分のせいなのに。
だから、早く作業を完了させて、また以前のように二人で出かけたり語り合ったりしたいと思っていた。
そうするために、協力してくれている赤菜邸の住人達との交流も密にして作業を進めている。その甲斐もあって、予定していたスケジュールよりも早めに終わりそうだ。
あと少し……もう少しして、卒制の入稿が終わったら、溜まった感謝と愛情をありったけ籠めて、二人の時間を作ろうと決めていた。
だから、いまは、我慢。
将来の夢のためにも、今後の二人のためにも、ただひたすらに一冊の雑誌を作る。
「じゃあ、部屋戻ってデータ作ってくるね~」
青砥の声で我に返る。
「ありがとうございます。私も、少し戻ります」
「うん。あ、いのりいたらさぁ、疲れてるんやったらゆっくり休むようにゆうといて? 最近、しょっちゅうメシ作ってもらっちゃってるからさ」
「はい」
華鈴がノートパソコンをシャットダウンしている間に、青砥は自室へ戻った。キイロと赤菜は、リビングで衛星放送を視ると言っている。
飲みきれなかった紅茶と、新たに淹れたブラックコーヒーを持って華鈴が部屋に戻ると、一緑は机に向かってパソコンを操作していた。
「一緑くん……」
「ん」
呼ばれて、小さく振り向く。耳にはイヤホン。きっとなにかの作品やインタビューの音声が流れているはずだ。
「ええの? 卒制」
「うん。少し、休憩」
右手に持ったコーヒーカップを、一緑の邪魔にならないところに置く。
「ありがとう」
「うん」
華鈴は紅茶を持ったまま、ベッドのへりに座った。
部屋の中に、キーボードを打つ音が戻る。
お仕事? と聞くのも、青砥からの伝言を口にするのも躊躇してしまうほど、日ごろの会話が減っていることに気付く。
自分も一緑に対してこんな感情を持たせていたのかもしれない、と思うと、胸が痛んだ。それでも、それを理由に部屋を出てしまっては、もっと疎遠になってしまうかもしれないと考えて、一緑が手を止めるまで一緒に部屋で過ごす。
その間、会話はなかった。
沈黙を破ったのはドアをノックする音だった。
「「はい」」二人で同時に返事をして、顔を見合わせる。
すでに立ち上がろうとして言った華鈴を見て、一緑は動きを止めた。
華鈴がドアを開くと、青砥が立っていた。
「休んでるトコごめんね? データできたから渡そう思って」
「ありがとうございます」
青砥が差し出したUSBメモリを、華鈴は両手で受け取る。
「お手すきで確認してみてください」
「あ、じゃあ……」後をちらりと確認すると、一緑はもう作業に戻っていた。「いま、確認させていただきます」
「うん。リビング行く?」
「はい」
華鈴はうなずいて、部屋を出た。ドアを閉めて階段をおりる途中、背後から青砥が声をかけた。「大丈夫?」
「? はい」
返答して少ししたのち、時間の都合ではなくて一緑との関係のことを聞かれたのだと気付く。しかし、どう答えていいものかわからず、気付いたことに気付かないふりをした。
リビングに置きっぱなしにしていたノートパソコンのスロットに、青砥から受け取ったUSBメモリを差して起動する。
「あれ、挿絵できた?」
赤菜と一緒に衛星放送でサッカーの試合を視ているキイロが声をかけた。
「できたけど、そっち試合中やろ」
「まだ前半戦やし、ゴール決まったらあとでニュースでもやるやろ」
「ドライやな~。ええけどさ」
青砥が笑いながら、キイロを迎え入れる。
少しして立ち上がったパソコンの画面に、青砥のイラストを表示させる。
「お、ええやん。こんな短時間ですごいな」
「ありがとぉ」えへへと笑って、「じゃあこれで大丈夫かな?」キイロと華鈴の顔を見た。
「うん」
「はい、ありがとうございます!」
「じゃあ、レイアウトしちゃう?」キイロが華鈴を見やる。
「そうですね」
「あ、でもいいわ」
「え?」
「俺、試合気になるから、あとお任せします」
キイロが意味ありげに笑って、ソファへ戻った。迎え入れる赤菜も、どこかニヤニヤしている。
戸惑う華鈴が青砥を見ると
「困ったときは声かけたらいいよ。カリンちゃんの作品やから、カリンちゃんに任せるって」
安心させるように小さく言って、青砥が笑みを浮かべる。
「サイズは変えてもぅていいから、使いやすいように使ってね」
「はい」
華鈴もようやっと安心したように笑って、パソコンを操作しはじめる。
「今日、夕メシどうしよっかー」青砥がソファへ移動しながら、赤菜とキイロに問うた。
「まいんちデリバリーもな」キイロが渋い顔を見せて
「なんか作る~?」赤菜が面倒くさそうに答える。
「なんか食材あるんやっけ。あとで見るかぁ」青砥は後頭部をさすりながら、テレビ画面を眺めた。
華鈴はマウスを動かし、青砥から渡された挿絵のデータを移動させて、ベストな位置を探る。しばらくモニタとにらめっこして、「よし」小さく言った。
「できた?」耳ざとく聞きつけたキイロが立ち上がり、華鈴のそばにやってくる。
「はい」キイロを振り返り、笑みを浮かべる華鈴。
「お、ええやん。きれいに収まったね」
「はい、おかげさまで」
「サクラさんのチカラやけどね」
キイロが笑って、華鈴が座る椅子の背もたれに手をかけた。
「あとどのくらい残ってんの?」
傍らに置かれた台割を見ながらキイロが問う。
「あとは全体のバランスを見ながら調整して、奥付を書けば終わりです」
「あぁ、じゃあもうすぐ終わりなんや。俺が一番最後か、ごめん」
「えっ? 全然! 締切よりもだいぶ早くお渡しいただきましたし!」
開いた両手を左右に振って、華鈴が慌てる。
「ほんならいいけど……」
「ご協力いただいいていなかったら、こんなに早く終わりが見えてなかったと思います。ありがとうございます」
「うん。俺も、たぶんみんなも、楽しかったよ。こっちこそありがとう」
キイロの言葉に、華鈴はゆっくり笑みを広げる。
「はい」
二人を微笑ましそうに見つめる青砥と赤菜だったが、少しの心配も抱いていた。
その気持ちが向けられる人物はいま、二階の自室でパソコンを操作している。
赤菜は青砥に近付いて、小さく聞いた。「どう思う」
「どうって……」同じ音量で答える。
赤菜と青砥の視線は、華鈴とキイロに向けられている。小声なのは二人に聞こえないようにするためだ。
「どうやろ……慣れたか、もうちょっと先の感情があるか……」
「相談とかされてないんか」
「ないよー。ちゅうか、せぇへんやろー」
青砥とキイロは同い年で普段から相談事などもしていると知っていた赤菜は、肩透かしをくらったような顔をした。
「それに、キイロが女の子好きになったときどんなんなるんか、おれ知らんもん。ここ来たときにはもう女性苦手やったからさー」
それは赤菜も同じだ。「まぁ、そやな」
「見守るしかないんちゃうー? もしそうやったとしてもさぁ」
赤菜は不満そうで、しかしそれ以外にとる方法もなさそうで、口をへの字に曲げて押し黙った。
「やらんやろけど、あかんで。たきつけるとか、からかうとか」
「わかってるわ」
「あなた、火のないとこに煙立てるんが好きやもんね」
ことある毎に引っ張り出されたことを思い出しながら、青砥が笑った。
赤菜はつまらなさそうに「ふん」と鼻息を立てて、青砥から少し離れた。この話はもう終わり、という合図だ。
「さーて、冷蔵庫ん中見てくるかなー」伸びをして、青砥が立ちあがる。
「なんもなかったら車出すから買い出しいこ。酒の補充もしたい」
「あ、ええねぇ。つまみ類の在庫もついでに確認するかぁ」
「一緒に行こうか」
「一緒に見ます」
キイロと華鈴が同時に言って、顔を見合わせ、柔らかく笑った。
赤菜と青砥はなにも言わず、ただ見守っていた。