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Chapter.41

 華鈴がリビングでノートパソコンを操作している。その隣に座っているのは、キイロだ。

「こうですか?」

「そうそう。そしたらそこの段落を……」

 同じ画面を覗き込みながら、キイロが書いた短編小説のレイアウトを決めているのだ。

「そうやると、目で追いやすくて読みやすくなるんやけど」

「わっ、ほんとだ。すごいです」

「うん。一応、基本」

「わぁ、そっか。そこまで深く考えて読んでなかったです」

「雑誌みたいな大判やとね、一行がえらい長くなるからさ。段組み考えたほうが読みやすくなるんやわ」

「ツジシタさん、デザインとかもやられるんですか?」

「いや、実際にはやらないよ。本になる前のチェックでよぉ見るだけ」

「そうなんですね。すごい勉強になります」

「そら良かったわ」

 談笑しながら編集をしている二人を、ソファに座った青砥と赤菜、そして一緑が眺めている。

「仲良ぉなって良かったなぁ」目を細めて言ったのは青砥だ。

「ん? うん」言われた一緑は、薄い笑みを浮かべて曖昧に答えた。

「治ってんちゃうか、女性恐怖症」赤菜がソファに背中を預け、ふと笑う。

「そうやとええなぁ。ラクやったり楽しいこと増えるやろからさぁ」

「こっちは複雑そうやけどな」

 言って、赤菜は一緑を見やる。

「え? 別に、そんなことないよ」

 答えた一緑の声は微妙にうわずっている。

 それに赤菜も青砥も気付いているけれど、なんとなくツッコミを入れづらくて、思わず視線を合わせる。

「仲がええのは、ええことやん」

 言えば言うほど、言葉だけが上滑りしていく。一緑もそれに気付いているけれど、止めることができない。

「特別どうこういう言うことじゃないやろ」

「うん、そうね」

 青砥はそれを優しく受け止めて、優しく笑みを浮かべた。

 赤菜も口の端を上げて、コーヒーをすする。

「これやと少しスペース出るか」顎に指を当て、キイロが画面に顔を近付ける。「ちょっといい?」

「はい」

 キイロが華鈴の前からノートパソコンを移動させようとして「あんまり俺が手ぇ加えんほうがええか。サクラさんの卒制やもんな」やめた。

「えっ、あっ……そういうものでしょうか」

「わからん。サクラさん次第かもやけど」

「……」華鈴はしばし考えて「アドバイスをいただいてもよろしいですか?」キイロの端正な顔を覗き込む。

「うん。そしたら……」キイロは改めて画面を覗き込み、口を開く。「いっこめは、文字の大きさ変える、ってのなんやけど、それやると段組みが変わってくるから、文字詰めもやり直しになる」

 言外に“面倒”という言葉を含ませて、キイロが言った。

「なるほど……」

「にこめは、もう少し文章を足す」

「それだと、ツジシタさんのご負担が……」

「それは全然ええんやけど」キイロが口を湿らせるために、マグカップに口を付ける。中身は冷めてしまった無糖の紅茶だ。「もう加える文章がない状態にしてるから、あんまりやりたないなーって感じ」

「そうですよね。このままですごく面白いです」

 世間の目に触れないのがもったいないくらいだ。

「ありがとう」華鈴の率直な感想に、キイロが少し照れ笑いを浮かべた。カップを置いて、腕を組む。「そんで、みっつめ」

 キイロは少し楽しそうに、瞳の奥を輝かせ始めた。

 華鈴は次の言葉を待って、キイロの瞳を見つめる。

 少し声を潜めたキイロの口から出たのは、意外な提案だった。

「空いたスペースにイラストを入れる」

「イラスト……」つられて、華鈴の返答もボリュームが抑えられた。

「挿絵やな」

「なるほど……誌面が華やかになりますね」

「うん。読者さんがイメージ掴みやすくなるし……って、この本にはおらんかもやけど」

「そうですね……でも、意識するのは大事ですよね」

「そやな。いずれ課題になるやろし」

「はい。……イラスト……」(描ける人、誰かいたかな……)

 華鈴が思考を巡らせていると、キイロがソファ組に視線を向けた。「アオさーぁ」先ほどの三倍ほどの声量で呼びかける。

「うんー?」

 呼ばれた青砥が、不思議そうにキイロに顔を向ける。

「挿絵描かへん? 俺の小説の」

「え? なにそれ。仕事ってこと?」

「仕事なんかな。報酬はサクラさんの手料理なんやけど」

 それを聞いて合点がいったのか、

「あー、そういうこと。全然ええよ。どんなん描いたらええの?」

 膝に手をつき、ソファから立ち上がった。

「そういえばまだ読んでないわ」

「じゃあ二人目の読者さんやわ」

「一人目は?」

「サクラさん」

「編集さんは読者さん?」

「正確には違うか?」

「いえ、編集って言っても、体裁整えただけなので……」

 実際の担当編集者のように、加筆・修正依頼をしたわけでも、(キイロに言われて誤字は確認したが)校閲をしたわけでもない華鈴が恐縮して物理的に身を縮めた。

「じゃあ、そんな感じ。ちょっと読んでもうて、空いたスペースに入れられるようなイラスト描いてほしいねんけど」

「カリンちゃんがええならええよ」

「ぜひお願いしたいです」

「そんじゃ……ちょこっとパソコン借りてもいい?」

「はい」

 キイロとは反対側の隣に座った青砥の前に、華鈴がノートパソコンを置いた。

 ワイヤレスマウスを渡すと、青砥は画面を見つめながら操作し、画像編集ソフトでレイアウトした誌面で、キイロの小説を読み進める。

 華鈴にとっての“一人目の読者”である青砥の反応を気にしつつ、この先のスケジュールを確認する。住人達に協力してもらったパートはすべて終わっていて、あとは華鈴の編集作業が残るのみ。

 ようやっと終わりが見えてきて、気は抜かないまでも安堵感を抱けるようになった。

 ふと、キイロの手元のカップが空なことに気付いて「お茶、飲みませんか?」華鈴がキイロに小さく聞いた。

「ん? ああ、そやね。淹れてくるよ」

「いえ、大丈夫です。気分転換に淹れてきます」

「そう? ありがとう」

「みなさんも、なにか飲まれますか?」

 椅子から立ち上がり問う華鈴に、青砥と赤菜がうなずく。

「キイロと一緒でええわ」

「おれも~」

「一緑くんは?」

「ん? 俺は……」言われて、一緑が自分のカップを覗く。すっかり冷めてしまったブラックコーヒーは、淹れた時と同じ量で、蛍光灯の光を反射している。「まだあるから、大丈夫」

「冷めちゃってない?」

「アイスコーヒーになっただけやから」

「そう?」華鈴が気遣いの表情を浮かべつつ首をかしげる。

 しかし一緑は少し視線を逸らして、「うん」うなずいた。

「じゃあ……ツジシタさん、なにがいいですか?」

「サクラさんと一緒でええよ」

「うーん……紅茶でいいですか?」

「うん」

「ええよ」

「おねがいしまーす」

「はーい」

 三人の返答を受けて、華鈴はカップを回収してキッチンへ向かう。お湯を沸かして紅茶を淹れ、さっと洗ったカップに注ぎ入れた。

 スティックシュガーとミルクポーションの入った容器を一緒に運ぶ。

「俺そっち行くから、そっち置いてええで」

 赤菜がよっこらしょと立ち上がって、ガラステーブルからダイニングテーブルに移動した。

「ありがとうございます」

 赤菜はキイロの向かい側に腰を下ろした。置かれたカップを引き寄せて、そのまま頬杖をつく。


 一緑くんも――


 華鈴が声をかけようとした瞬間、

「おもしろい!」

 青砥が画面から目を離し、腹から出した声で言った。

 その勢いに、キイロが笑う。「ありがとう」

「描く描く。どのくらいのサイズで描いたらいい? 紙でいい? データがいい?」

「えっ、あっ、データだとありがたいですけど、紙の原稿でも大丈夫です」

「そしたらデータにするわ。どうしよ、USBに入れて渡したらいいか」

「あ、はい」

「どのシーンにしよっか」

 息まく青砥に気圧されつつ、華鈴が席に着く。

「俺的には……」

 そのすぐ横から、キイロが指示を出し始めた。

 ふんふん言いながら聞いていた青砥は、頭の中でイメージを固めながら手を動かしている。

「ん、おっけー。いますぐ描くから待ってて?」言って、ガラステーブル脇に置かれている青砥のスケッチブックを取りに行き、床に座ってスケッチしはじめた。

「せっかちやのぉ」紅茶を飲みながら赤菜が誰に言うでもなく発言する。

「こういうときだけよー」目の前の紙に集中しながらも、青砥はそれに答えた。

「あのヒト、降りてくる(・・・・・)とああなっちゃうから、気にせんとって」

 キイロも紅茶に口を付けて、青砥の行動を眺めている。

「そうなんですね」

 いつでも傍らに置いてあるスケッチブックに対峙しいている姿を、華鈴も良く見かけていた。無言でペンを走らせることもあれば、皆と会話しながら線を描くこともある。

 そのいずれも、なにかしらのインスピレーションに突き動かされているようだった。

「でーきた」

 しばらくしてから色鉛筆を置き「なー、良くない?」近くに座る一緑にスケッチブックを見せ、青砥が満足そうに笑う。

「うん、きれいね」

 一緑の褒め言葉に青砥がにこりと笑い、立ち上がってダイニングテーブルへ移動した。

「こんなんでどう? ちゃんとしたのはあとでデータ入稿するけど」

 華鈴、キイロ、赤菜に見えるよう、ダイニングテーブルの中央にスケッチブックを置いた。

「おー、えぇやん。イメージ通り」

「わ、きれいですね!」

「どういう絵なん?」

「これはねー」青砥がニコニコしながら、モデルにしたシーンを説明した。

 ほぉん、と興味があるのかないのかわからないトーンで赤菜が相槌を打つ。

 キイロと華鈴は文面を思い返しながら、うんうんうなずく。

 一緑はその四人を、どこか別次元で行われている会議を眺めるような感覚で見つめていた。


 赤菜邸で華鈴が暮らし始めて半年近くが経つ。その間に華鈴は住人達と交流を深め、親交を持つようになった。

 華鈴が困っていたり楽しんでいたりすると、その周りにはたちまち人が集まる。


 きっと自分がいなくても、不自由なく暮らすことができる。


 一緑は複雑な心境で思う。

 それが悪いわけではない。ただ少し、寂しいだけ。

 ひとつの心配が消えると、別の心配が増える。それはいつになっても尽きない悩みなのだとわかっているのに、直面するたび焦燥感が襲ってくる。

 このままずっと、焦りや嫉妬に怯え、闘わなければならないのか。

 胃がシクシクと痛む。

 胸がチリチリと焼ける。

 華鈴と一緒にいる喜びよりも、負の感情が上回ってしまう。


 このままこの場にいても、望まない気持ちが増えていくだけだと判断して、一緑はそっと、リビングをあとにした。


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