Chapter.30
キイロの背中を見送った橙山が「……なんかあったの?」誰とはなしに問いかける。
苦笑した青砥は「んー、ちょっとな」言葉を濁すが
「マコトがしつこぉするからあかんねん」黒枝が赤菜を責めた。
「しつこくしてないやろ」
「してたよ」黒枝の言葉に
「してた」紫苑と
「してたなぁ」青砥が乗っかり、うなずいた。
「なんやみんなして」赤菜が少しふてくされる。「サクラも気になってたやろ。なぁ」
「えっ、いえ、特に……」
「なんやねん。俺だけが悪いみたいに」
「なに? なにがあったの」要領を得ない回答に橙山が質問を投げると
「別に普通に疑問だったことを聞いただけや。キイロはサクラのこと、どう思ってんのかって」
「えっ? なんでそんな話になったん」
「それはあれや……なりゆきや」少し言いづらそうにして、赤菜が小さくつぶやく。
「どーゆーなりゆきやねん。いくらなんでも二人に失礼なんちゃうん。みんなの前でそんなこと聞いたらさ」
「お前も敵か」普段は優しい橙山にも突き放され、赤菜は顔いっぱいに苦い笑みを浮かべた。
「この件に関しては味方はおらん思うよ~」青砥はにこやかに辛辣だ。
「まだ一緑には聞いてない」
「お前、一緑が味方するわけないやろ」あきれた紫苑が声を裏返しながら赤菜にツッコミを入れた。「一緑に聞かんでもわかるわ」さらに巻き舌が加わる。
「……もうええわ、この話」
「うわ。急に飽きた」投げ出した赤菜に青砥が身体ごと退いた。
「腹減った。メシにしよ。なんにする?」何事もなかったかのように問う赤菜に
「切り替えが早いねん。ついていかれへんわ」黒枝が嘆く。
「オレも腹減ってる~」思いのほか明るく食いついてきた橙山が「なんか作るよ。なにがある?」持っていたバッグをソファの背面側の床に置いて、冷蔵庫の中を確認しに行った。
「私もやります」椅子から立ち上がった華鈴に
「ええよ、たまには。眞人くんに絡まれて疲れたやろ」冗談めかして橙山が笑う。「いのりんは?」
「今日は残業になってしまって……」
「あら残念。じゃあアオ、手伝ってくれへん?」
「ええよ~」青砥が椅子から立って、トコトコとキッチンへ移動した。「カリンちゃん部屋で休んどき~。できたら呼びいくよ~」
「ありがとうございます。じゃあ…お言葉に甘えて……」
「うん」
「あとでね~」
青砥と橙山が笑いかけて手を振ると、華鈴が微笑んで小さく頭を下げ、二階へ上がった。
青砥と橙山は相談して、献立を決める。二人で分担をして夕食を作り始めた。
* * *
青砥が先に作り終えたサラダと野菜炒めをダイニングテーブルに置いて「眞人くん、キイロとカリンちゃん呼んできて~」赤菜に声をかける。
「なんで名指しやねん。クロも紫苑も手ぇ空いとるやないか」
「行って、謝ってから連れてきて?」
にこやかに首をかしげる青砥に、赤菜は言葉を飲み込んだ。
「もうすぐできるよ~」唐揚げの様子を見ている橙山がリビングに向かって報告する。
「早くせんと冷めちゃうから」
尚もにこやかに促す青砥を見つめ「……」赤菜は押し黙ったまま、ゆっくりとソファから立ち上がった。
面倒くさそうに後頭部を掻きながら、重い足取りで階段を昇っていく。
その背中を見送る四人の表情は、駄々っ子の少年を見守る母親のようだった。
二階へあがった赤菜が向かったのは、緑色のドアの前だった。
少し考えてからドアを二度、ノックする。
「はーい」
返答から少しして、華鈴がドアの隙間から姿を見せた。その顔には、驚きがにじんでいた。
「メシできたって」
「はい。ありがとうございます」
華鈴の返答を聞いても、赤菜はその場を動こうとしない。
赤菜に立ちはだかられ、華鈴も階下へ向かうことができない。
そして数秒間。
華鈴と対峙した赤菜が口を開き「さっきは、すんませんでした」そして頭を下げる。
「えっ、いえっ、はいっ」戸惑う華鈴が正反対の回答を口にする。「冗談だったんだろうな、っていうのはわかってますし……むしろ面白い受け答えができずにすみません……」少し落ち込んだ様子の華鈴を見て、赤菜は口の端を上げる。
「それは別にサクラには求めてないから、謝罪はいらんわ」そう言う赤菜は、どこか愉しそうだ。
言葉はぶっきらぼうだけど、声色はどこか優し気で。
「そう、ですよね」華鈴もつられて少し笑う。「お声がけありがとうございます。下、行きますね」
「おん」
返事をした赤菜は身体の向きを変え、階段のほうへ向かう。しかし階下へは行かず、そのまま廊下を直進した。その先には、黒枝、キイロ、紫苑の部屋がある。
華鈴はすぐに行き先を察して、階段をおりながらふふっと小さく微笑んだ。
赤菜は紫色のドアをやり過ごし、黄色いドアの前に立つ。
はぁ……。小さく息を吐いて、目の前のドアをノックした。
少しして、カララ…と音を立てドアが開く。
「!」意外な訪問者にキイロが目を丸くした。「眞人くん……」
「メシできたから、呼んでこいって」
「あぁ…。ありがとうございます」部屋を出てドアを閉め、階段に向かうキイロを
「さっきはすまんかったな」赤菜が謝罪で引き留めた。
「…ええよ。突然でビックリしただけやし」言って、キイロが振り返る。「こっちも大人げなく声荒げちゃったし、お互い様ってことで」
「実際」赤菜がキイロの言葉を遮った。「どうなん、サクラのこと」
真意をはかろうと赤菜の顔を見ていたキイロは、ふと目を逸らす。「…別に…」つぶやくように言って、その場に立ちすくんだ。「同居人です、ただの」
キイロの回答に赤菜は片眉をピクリと上げた。
キイロは少し考えて、ゆっくり口を開く。
「ずっとおるわけでもないやろし、それは俺も一緒やけど。ただ一時的におんなし家に住んでるだけで、この家出てったら、接点なくなるような……そんだけです……」
「……」
「もうええでしょ。先おりますね」
振り返らず階段を降りるキイロの足音を聞きながら、赤菜は「ふぅん……」と喉を鳴らした。しかしその表情には、不服の感情が色濃くにじんでいた。
赤菜がリビングに戻ると、ダイニングテーブルの上にサラダ、野菜炒め、鶏のから揚げが盛り付けられた大皿がそれぞれ二枚ずつ、左右に分けて置かれていた。各人の目の前にはご飯とみそ汁、水のグラスに小分け用の皿と箸。
「あ、来た来た」橙山が笑顔を見せ、
「冷める前に食べよ~」青砥が着席を勧める。
いっただっきま~す! 声を揃えて言うのが赤菜邸の暗黙の了解。
独りじゃない食事は美味い。
赤菜はいつも思う。
子供の頃、忙しくしていた両親から受け継いだこの家で、ようやっと孤独感を拭いとることができた赤菜は、住人たちと食卓を囲みながら、悪くないもんやな、と頭の中で笑った。