Chapter.25
それは突然現れて、華鈴を少し戸惑わせた。
風呂あがり、いつものように冷蔵庫を開けると、“カリンちゃんへ”と書かれた小さなカップヨーグルトが入っていた。もちろん、自分で入れたものではない。
「ん?」(なんだろう)
誰かに聞こうにも一階には誰もおらず、確認が取れない。
(朝は入ってなかったよね)
ひとまず、目当てであるペットボトルと一緒に取り出してみる。一人前のヨーグルトには、ご丁寧にもプラスチックのスプーンが添えられていた。
どこかに贈り主の名前がないかと様々な角度からためつすがめつ見てみるが、特に記載はない。
宛名の書き方と普段の呼び方が一致しているなら、贈り主は青砥か橙山か黒枝だが、黒枝はしばらくの間仕事で家を留守にしているから実行はできず除外される。残る青砥と橙山はどちらもこういう贈り物をしそうなタイプだから特定ができない。
(食べちゃっていい……んだよね……?)
もう一度カップの側面に書かれた宛名を確認して、部屋へ持ち帰る。
緑のドアをノックして部屋へ入ると
「おかえりー」一緑がスマホから顔を上げて迎え入れた。
「ただいま」
両手に抱えた飲食物を見て「珍しいね」一緑が言う。
「うん」華鈴はすぐにヨーグルトのことだと察する。「なんか、差し入れしていただいた。みたい」
「みたい?」
一緑の疑問を受け、華鈴はカップ側面に書かれた宛名を見せる。
「ほんまや。誰から?」
「名前書いてなくて…。多分、青砥さんか橙山さんだと思うんだけど」
「その呼び方やとそうやな。良かったね」
「頂いちゃっていいのかな」
「ええんちゃう? 名指しなんやし」
「そうだよね」
ヨーグルトにしては少し高級なそれの蓋を開ける。
「いただくようなこと、なにもしてないんだけどね……」
「朝とか一緒になったらご飯作ってるんやろ?」
「うん。一人分作るのとあんまり手間は変わらないから」外蓋と内蓋の間に格納されているフルーツソースをヨーグルトにかけながら言った。
「それのお礼やない?」
「そうかな。だとしたら橙山さんかも」いただきます、と手を合わせて、スプーンで中身をすくう。
橙山にはちょうど今日の朝、リビングで居合わせたので軽食を提供したところだ。
「アオはあんまり会わん?」
「たまに会うけど、青砥さん朝ごはんあんまり食べないみたい」
「食細いからな」
「そうなんだ」スプーンを口に運んで「ん、おいひい」独りごちた。
「橙山くんやったらそのうち我慢できんようになって自分から言うてくる思うけど」
一緑の言葉に華鈴がふふっと笑う。「想像できるね」
「そやろ?」
「できればそうなる前にお礼言いたいな~」
「そうやね。なんか情報入ってきたら教えるよ」
「うん、ありがとう。お願いします」
ひとくちちょーだい、えぇーやだよー、なんて笑い合いながら夜が更けていく。
――翌日。
朝の身支度を整えた華鈴がリビングへ降りると、ソファに赤菜と橙山が、ダイニングチェアに一緑と紫苑が座っていた。
「おはようございます」華鈴が声をかけると、みな口々に挨拶を返す。
「朝ごはん作りますけど、みなさん食べますか?」
「食べるー!」真っ先に返事したのは橙山だ。
残った三人も同様の返答だった。五人分の朝食を作るため、冷蔵庫を開けてみる。
「手伝うわ」新聞を読んでいた一緑が言って、立ち上がると華鈴の隣へ移動した。
「ありがとう。助かります」
「うん」
「いのりん出勤時間ちゃうの?」
「今日は在宅作業日やから大丈夫」
「そっか。俺も手伝おうか?」
「ありがとう。さすがに三人やとスペース狭いから大丈夫よ」橙山の申し出を一緑がおだやかに断った。
「そう? じゃあお願いします」
「二人でいちゃこらしたいんやろ、ほっといたれ」赤菜の平坦な口調に
「そやそや、お邪魔やで」紫苑が加勢すると
「そっか、ごめん」笑うでもなく橙山が真摯に謝る。
「そんなんじゃないから」赤菜たちに応戦しつつ華鈴と並んで冷蔵庫の中を確認する一緑が「うどん食いたいな。ええ?」人数分の食材が確保できるのを確認して、華鈴に聞いた。
「うん」
「みんなもうどんでいい~?」
ええよ~。おっけー。まかせる~。口々の了承を聞いて、一緑と華鈴は調理を始めた。
その日の夜。
華鈴が風呂からあがり、飲み物を取ろうと冷蔵庫を開ける。と、またも“カリンちゃんへ”と書かれた買った覚えのない牛乳プリンのカップが目に入る。
(夜ごはん作るときは入ってなかったのに……)
ほんの数時間前の冷蔵庫内を思い返す。
青砥は朝からあわただしくしていて、「今日は夜ごはんいりません~」とその場にいた住人たちに告げて仕事へ行った。夕食にも同席していなかったし、恐らくまだ帰ってきていない。となると……
(橙山さんだったんだ)やっぱり、と考えて、牛乳プリンとプラスチックのスプーンを取り出した。そのまま二階へ上がり、橙色のドアをノックする。
「はーい」部屋の中から声がして、静かにドアが開いた。「あれ、カリンちゃん。どしたの?」
「これ」顔の前にカップを掲げて見せる。「橙山さんですよね。ありがとうございます」
「わざわざええのにー。お礼はこっちがせんとやしー」そう言いながらも、顔には嬉しさがにじんでいる。
「ヨーグルトもありがとうございました。美味しかったです」
「うん。気まぐれであったりなかったりするやろうから、気にせんと食べてね?」
「はい、いただきます」
「うん、どうぞ」
「夜分に突然すみませんでした」
「ううん? なんもなくても、いつでもどうぞ~」
「ありがとうございます。それでは……」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ペコリとお辞儀しあって、橙山がドアを閉める。
華鈴はほんわかと穏やかな気分のまま緑色のドアをノックして入室した。
「おかえりー」
「ただいま」
返事した華鈴を見てベッドから起き上がった一緑が手元に気付く。「差し入れ?」
「うん。やっぱり橙山さんだった」
「聞いてきたん? 消去法か」今朝から青砥がいないのは一緑も知っていて、答えを導き出すルートも思い当たる。
「いまお礼言ってきた」
「そっか。今日はなに?」ベッドに座り直し、問う。
「これ」華鈴は両手で包んでたカップを見せた。
一緑が細目になり、カップに印刷された文字を見る。「そういうの好き?」
「うん。甘いものは大体なんでも好きだよ?」華鈴は一緑に身体を向けて、デスクチェアに座った。
「そういえばそうか」
一緑は一緒に食事したときのことを思い出してふと笑う。
良く食後にデザートを食べたいけど太るかもどうしようと悩んでいるのを、コーヒーを飲みながら微笑ましく眺めているのだ。
「一緑くんはあんまりこういうの食べないよね。甘いの苦手なんだっけ?」カップのアルミ蓋を開けながら華鈴が聞いた。
「洋菓子はそんなにな。和菓子のがええな」
「じゃあもし和菓子いただいたときは隠れて食べよ」
「くれるんちゃうんかい」笑いながらツッコミを入れる一緑に
「これも一口食べてみる?」プリンをすくって、差し出してみる。
一緑は少しためらってから、パクリとスプーンを口に入れた。
「おいしい?」
「…甘い」
一緑の答えに華鈴がふふっと笑う。「今日は一緑くんがごほうびもらわないとなのにね」
結局、朝食のうどんも夕食のカレーライスも、ほとんど一緑が作って華鈴はアシスタントに徹していた。
「ええよ別に。みんなのメシ作るの普通やったし、慣れてる」
「私が来る前の話?」
「そう。みんなも割と作れるんやけど、自分で食いたいもの作るってなるとな。自分の分だけ作るんもなんやし、必然的に人数分作るかーってなるのよ」
「なんかわかる」
「やろ?」
牛乳プリンを味わいながらニコニコする華鈴を見つめて、一緑がその頬をムニュッとつまむ。
「…にゃに?」
「うまそうに食うなーと思って」
「おいひいからね……」
一緑は「ふぅん」と口の中で言って、つまんだ頬を親指と人差し指でムニムニする。
「いたい……」
「うん」その弾力と反応を楽しむようにふっと笑って、指を離した。
「…もう」怒るでもなく口をとがらせて、最後のひとさじを口に運ぶ。「ごちそうさまでした」手を合わせて小さく頭をさげると「リビング行くけど、なにか持ってくる?」一緑に問う。
「んー? 大丈夫、自分で行く」答えてベッドから立ち上がり、華鈴を見つめた。「…それ、捨ててこよか?」
「いいの?」
「いいよ。捨てていいんよね?」
「うん。じゃあ、お願いします」
「華鈴、なんかいる?」
「あ、じゃあ、お水を……」プリンとお礼に気を取られ、肝心のものを取ってき忘れたことに気付いた。「名前書いたペットボトルが入ってます」
「うん、わかった」
華鈴からプリンのカップとスプーンを受け取り、部屋を出た一緑はキッチンへ向かう。シンクで軽く洗い流して、プラスチック用のゴミ箱に捨てる。
自分の中に芽生え始めた、少しの焦燥感と嫉妬心に似た気持ちも、一緒に捨てられたらいいのに、と思いながら……。