言霊の門(ソウルゲート)
とある噂を耳にした。
何でもソコに行けばどんな事も忘れられると。どんな嫌なこと(なやみ)も忘れられると。
ならば、私は…
[第2階]
「ありがとうございましたー。」
「奈々(なな)ちゃん。レジはいいからこっち、手伝ってよ。」
「え…?でも、そういうのは男性の方が…」
言われた方に目を向けると、重そうな荷物を抱えた肥満体型な男が不機嫌そうにこっちを睨んでいる。
「いいから来て!僕(店長)の言うことがきけないの!!」
「うっ…はい。」
この世界は弱者に厳しい。こうしたあからさまなセクハラにも周囲の人間は見てみぬ振り(無視)を繰り返す。
そしてソレを言及すれば人はこういう。自分達も悪いとは思うけど断らないあの子も悪いと。
その言い分には私とて納得しよう。確かにそうだ。私も悪いと。だが、嫌だと言った所でそのSOSは小鳥の囀ずり。誰の耳にも入らない。誰も助けてはくれない。つまるところ
私は弱いのだ。
「…お疲れ様でした。」
「はいはい。お疲れー。明日もよろしくね!」
ポンッ。
今日も最後に肩を触られる。気持ち悪い。
ツクツクホーシ。ツクツクボーシ
夏の終わり。どこか哀愁の漂う蝉の鳴き声が耳に響く。
「…肩。肘。胸。尻。脇…今日、触られた箇所。触られた数、13。(ぶつぶつ)」
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い…。
数年前。両親が亡くなった私は母親の姉である叔母に身元を引き取られた。
叔母の性格は一言で言えばチャラい。
クラブにホスト。酒に煙草。耳にはピアスで着る服も派手。言うまでもなく髪型。髪色も派手。
私の母は物静かで大人しく、誰よりも他人の事を考えるような聖女の様な人だった。
だから、叔母を見た時は本当に姉妹なのかと疑った。
まぁ、下は上の悪い所を見て育つと言うし。そういうことなのだろう。
それに叔母も悪い人ではなかった。優しい所は優しいし。何よりも身寄りがない私を引き取ってくれたのだ。感謝はしていた。
そう。していた。
今、思えば叔母はそうする事を考えて私なんかを引き取ったのかもしれない。
そう、叔母は私を売ろうとしたのだ。
叔母は世間で言うところのバツイチ。まぁ、それはいいのだがその(元)夫という人がこれまた凄いというか、規格外の人物であった。暴力団体の若頭。要するに極道のトップであった。
叔母の金癖の悪さ。男漁りの趣味に愛想を尽かして数年前に離婚したようだが今はそんなことどうでもいい。
問題なのは叔母が一時、女王様になったと言うことだ。人間、一同嵌まってしまった娯楽。快楽からは抜け出せないという。そしてそれは叔母にも言えることだった。
一時の豪遊生活は叔母の金銭感覚を狂わせた、それはもうドップリと嵌まってしまったのだ。それは離婚後も同じく。
だから借金は増え、その返済に追われていたということだ。
そして、目を付けられたのが私だ。
父。母が死んだ私には親族という者が叔母と、母方の祖父母しかいなかった。
祖父母の家はその日を暮らすだけで手がいっぱいの年金暮らし。とてもじゃないが私なんかを引き取って、育てるなんて余裕がない。
結果、私は叔母を選んだ。
…が、それは失敗だった。
私を売ろうとしたことだけではない。両親を殺したのがその叔母だったという事実が判明したからだ。
目的はお金。両親に掛けられていた生命保険だ。幸か不幸か私にはそれが掛けられていなかった。だから私だけは生かされたのだ。
一時は事故死として処理された事件が遅れて発見された証拠によって逮捕となった。
だからこそ私の身元は祖父母に預けられた。が、言った通り、祖父母に私を育てるのは不可能。よって私は高校二年にも関わらず、自立というキャンパスライフを送っているというわけだ。
「…辞めたいな。」
セクハラだけじゃない。周囲の目が。視線が私には不快でしかなかった。
哀れみ。同情。嫌悪。
自分が見下されているようなあの眼が嫌だった。
「…けど、前のところ辞めてまだそんなに日数経ってないしな…。今月分の生活費位は稼がないと…。」
足取りが重い。夏の終わりもあってか気持ちが凄く落ちている。
いっそのこともう…
そんな思考が頭に過った時だった。ソレは私の前に現れた。
「な…なに?」
一部。空間が歪んでいる。そこだけ。確かにグンニャリと。
「疲れてるのかな、私?」
仕事のし過ぎ?ストレス?鬱?それとも病気?
様々な要因が上げられた。そして、直ぐにアレは疲労によるものだと考えた。
「早く帰って寝よう…。明日も仕事だ…。」
横を通り過ぎる。
…が、そこで足を止めた。いや、止まったというべきだ。
私の中で何かが訴えている。ソコに行けと。
歪んだ空間の前。そこで始めてソレが本物だということに気付く。そして、ソレは何処かに繋がっている。
ゴクリッ。
生暖かい唾が喉を通過する。
そして。
「これは…」
歪んだ空間内に足を踏み入れ、中に入ると私は驚く光景に目を疑った。
「鳥居?」
幾数も立ち並ぶ、赤の鳥居は先が見えないところまで続いている。そう。これは幾つだったか、京都で見た稲荷大社の千本鳥居を連想させる。
が、今、目の前に立ち並ぶそれは千なんて数ではない。
「…よく、分からないけどこの鳥居を進んでいけばいいのかな?」
当然ながら通った歪んだ空間は消えていた。何となくそんな気はしていたから別に驚きはしない。ただ、戸惑いはあった。
単純にここはどこかという疑問。それと私は現実に帰るべきなのか。と、そういう。
「…はぁ。はぁ。…はぁ。何?何なの?」
進んでも進んでも鳥居が消えない。只でさえバイト終わりで疲れてるってのに。こんな運動を強いたげられるとか…。
「ちょっと、休憩。はぁ…。はぁ。」
そう言えば不思議だ。疲れたという感情。感覚はあるのに喉が渇いたとか空腹だとかいう生理的現象がここにきてない。時間としてはかなり経っている筈なのにだ。
「…進んでも進んでも鳥居。鳥居。鳥居って…。無駄に明るいから怖いとかはないけど…」
けど、何か不思議だ。
何て言うか誰かに見られているような?
後ろ?背後?真上?
見える景色は鳥居だけ。それは分かっている筈なのに、何でだろうか?視線を感じる。
「自意識過剰…?」
気を取り直してまた進むか。
「…はぁ。はぁ。はぁ。…あぁーーーーーーーーー!」
歩いても、歩いても鳥居。鳥居。鳥居。そして謎の視線をやはり感じる。
ノイローゼになりそうだ。
「もう!私にどうしろっていうの!私をココに閉じ込めたいわけ!ねぇ?誰だかみてるんでしょ?趣味悪いにも程がある!さっさとここから出しなさいよねっ!!」
何十時間と歩いたと思うのに足は動く。無限に続くとさえ思える鳥居に謎の視線。更には狂う感覚神経。ココが普通の場所ではないことくらい嫌でも分かる。
「ちょっと、聞いてるの!出しなさいよ!私にはこんな所で油売ってる余裕はないの!明日も仕事だし!勉強だって遅れを取りたくない!家事だってやらなきゃならない!おじいちゃん、おばあちゃんの面倒だって私が!私が…私が…わたしが…アレ?」
気付けば両方の瞳からポロポロと大きな涙が溜まり、溢れていた。
両親が死んでからずっと、独りだった。でも、それは仕方ないと思っていた。今を耐えればいつかはとも。
けれど、今になって気が付いた。仕方なくなんかなかった。ずっと私は寂しかったのだ。だれかに頼りたかったけど。仕方ないという言い訳を建前に我慢した。仕事も。周囲の目も。評価も。苛めも。運命も。こうなったから仕方がないと。
諦めた。
けれど違った。私は諦めたくはなかった。だから今まで頑張って生きていたのだ。
今だってそうだ。ココから出たい。脱け出したいと思っている。それは生きたいが為の行動理論でしかない。
「…私はきたい」
そう思うと自然、その言葉が口から溢れていた。
「私は生きたい!!誰でもいいから私を助けてよ!!!わぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
決して反響など、あり得ない筈の広さだと思ったのだが、自分の泣き言はまるで壁に当たって跳ね返ってきたが如く煩く耳に届いた。だが、今の私にはそんなの聞こえてはいなかった。今の今まで溜め込んでいた想いはそれこそ自分で認識できる範囲ではなかったのだ。
私は声が渇れるまで助けを求めた。涙が枯れるまで泣き続けた。それはもう赤ん坊のようにわんわんと泣いた。
「…ぐっ…うぐっ…」
今までの人生、こんなに泣いた事はないと言うまで泣いた。泣きつかれるまで叫び、泣いた。きっと今の顔は酷いものとなっているだろう。
ぐすっ…
泣いたお陰か、あった筈の視線が気にならなくなった。いや、そもそもがそんな視線など無かったのかもしれないが。
「…行こう。」
泣き疲れたとはいえ、足は動く。肉体的の体力は不思議と減っている気配がなかった。
「あっ…」
何十分と掛からず、鳥居が終わった。そして最後の鳥居の後ろにあったのは光だった。
比喩ではなく本物の光。キラキラと。いや、ポワポワとそこには光る何かが浮いていた。
「ここを通れば現実に戻れる…」
何の確証も無かったが疑いはなかった。
「…あの現実にか。」
帰る。生きる。
そう決めたのも十数分前。だが、いざ出口を前にすると要らぬ感情が胸を締め付ける。
あの現実に本当に戻りたいのか?何も変わってないぞ?嫌な仕事場で働くんだぞ?友達だっていない。家族だって…。
生きる意味 ほんとにあるの?
…ブルッ。
震えた。それは生きたいと改めて望んだから怖くなったのだ。現実生きて、戦うのが。
…動かせ。帰りたいんだろ?
幸せを。母と父の墓だっと建ててやりたい。 恋だってしたい。美味しい物を食べたい。生きたい!
なら…
だが、想いとは裏腹に足は動かない。現実から目を背ける。
「あっ…」
空間が霞む。光が遠くなる。また、鳥居が…。
と、その時。
『頑張っれ、奈々。私達はちゃんと見てるから。』
声が聞こえた。
聞き間違えなどある筈がない母と父の声が確かに。
あの光から。
ザッ…。
ツクツクホーシ。ツクツクボーシ…
ポトッ。
「…。」
バイト終わり。蝉の鳴き声が夏の終わりを告げる。
「…れ?何で私、泣いてるんだ?」
何故だか両の瞳から大きな涙の粒が頬をつたっていた。自分が夏をそこまで好きだったとは思えない。少し考えて思い当たる節にぶち当たる。
「クッ…。何で、あんな野郎に…」
どうして、今まで自分が耐えていたのかが分からない。あんな事をされていたのに。
思うと同時、考えるよりも先に足が動いた。
「店長!!!」
店は閉店間際。いた客に働いている従業員が一斉に私を凝視する。
「お、おう…。どうしたんだ?忘れ物?」
明らかに同様しているその男に私は一歩、大きく踏み込んで言ってやる。
「次、私に触ろうとしたら警察に訴えますから!」
「なっ…」
周囲がざわつく。言われた当の本人は硬直。
「今の世の中、女性の被害届けはほぼほぼ通るんですよ。まぁ、監視カメラなんかで確認して貰えれば確実ですけどね。店長、声大きかったですし!」
「あっ…いや、僕はその…」
「まぁ、そういうことなので。明日からよろしくお願いします。」
私は大きく、はっきりとした言葉を残しその場を去る。
心臓の音がやけに煩い。興奮か。緊張か。
それでも心はもの凄く、晴れ晴れとしている。
店を出て、空を仰ぐ。時刻としては既に夕刻だというのに外は明るい。店に入る前と何ら変わらない夏終わりの蒸し暑い空。
だが、そこに蝉の鳴き声が二つ無くなっていたことに私は気付いてはいなかった。
[第2階 言霊の門攻略済み。]