第4話
ガタガタと震える身体を何とか懸命に動かし、とにかくこの部屋から出ようと赤ちゃんのようにハイハイして部屋のドアへと近づこうとした。
そんな私の耳に「何だ?その殺されるってーのは!ったく、失礼な奴だぜ」と、腰に響く、低くて甘い声が聞こえてきた。
え、なに…今の、声??
心臓が止まりそうなほどの驚きと共に、私はピタリとその場に固まった。
これって幻聴…だよね?それとも私の空耳?
う、うんうん、私の耳ちょっとおかしくなってんだ。
だから、今聞こえた科白はとりあえず無視って事で――。
と、心の中で呪文のように呟き、私は自分の身を守る為に現実逃避した。
「て、お前、とりあえず無視って何なんだよ。その言いざまだとばっちり聞こえてるんじゃねぇか」
「っ!?」
私はまたもやその場に石の様にぴきりと固まった。
身体は石のように固まったままなのに、心臓はフルマラソンを完走した時の様にバクバクと鳴り響いている。
これって、やっぱりあの本に描いてあった、あの紅い目の悪魔…が出てきたんだよね?
そうなんだよね?
私、フャンタジー好きだけど、どっちかって言ったら悪魔じゃなくて魔法使いとか妖精とかが出て来た方が嬉しかったんだけど。
ズキズキと米神に響く心臓の音を感じつつ、こんなくだらない事を考えながら、この場をどう切り抜けようか頭をフル回転させている私の背後から、またあの低くて甘い声が聞こえてきた。
「…お前、悪魔って何だよ。ったく、こんな超男前を目の前にして、何で腰抜かしてんだか…俺にはさっぱり理解出来ねぇんだけど」
「は?」
だ、だって普通本から人なんて出てこないし、背中に黒い羽なんて生えてないっつうの!!
「何だ?これが怖いのかよ。やっぱり訳わかんねぇな。ほれ、これならいいだろ?」
「え?」
その悪魔のセリフに思わず振り返ると、彼はオンボロ本の中から完全に抜け出て全身を現していた。
あの絵に描かれているのより数倍もイイ男で、身長はたぶん190センチ以上は有りそうな、迫力満点の超ワイルドな美青年だった。
鋭くつり上がった紅い目は少しだけ柔らかく細められ、西洋人のように高く整った鼻梁の下にある肉厚の唇は、片側だけ上げてシニカルな笑顔を作っていた。
全身を真っ黒のマントで覆い、その男は机を背に腕を組みながらそこに浮かんでいた。
私がポカンと口を開け呆然とその姿を見つめていると、彼の背中にある漆黒の艶のある羽が私の目の前から姿を消した。
どうやって羽を消し、何で羽がないのにその場に浮かんでいられるのか、その仕組みはさっぱりわからなかったが、ちっとも知りたくないと心の底から思った。
「しかし、その姿はすげぇ間抜けだな、リョウカ」
「へ?」
「パンツ見えちまうぞ」
「なななっ!?」
私は慌てて身体ごと振り返り、この男と向き合う形で座り込むとアタフタと両手でスカート裾を押さえつけた。
な、何て事言うんだ、この男は!
て、何で私の名前、知ってんの!!
「そりゃ、お前が生まれた時からお前を知ってるからだ」
「ぇ、ええーっ?」
私が生まれた頃?…でも私、あなたの事ちっともまったく知らないんですけど。
て、これが一番重要なんだけど、私さっきから声出してないんですけど~。
「ああ…お前の心の声はさっきから俺様には筒抜けなんだよ。まぁ、あんまり気にするな」
「げげっ!?」
気にするなって…気にするにきまってんでしょ?
それに私、あなたの事今まで見たことないってさっきから言ってるじゃんッ!
「それは、お前の前に出る事も声をかける事も出来なかったんだよ。まぁ、それも今日で終わりだけどな」
「……」
終わりって……。
「今日でこの世界とお別れって事だ」
「え、それってどう言う意味?」
思わず口から出た言葉に、その悪魔は一瞬驚き、すぐにニヤリと笑った。
「そのまんまの意味だ。お前さっき言ってただろ?ここに居たくねぇって」
「ぇえ?」
そんな事言っただろうか?
そう言えば、そんなような事を言ったというか…心の中で叫んでたかもしれないけど。
でもそれは……