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第1話

「ただいま~!」


 久しぶりの我が家に帰ってきた私は、家の中の雰囲気がいつもと違う事に気づき、意味もわからない不安に駆られた。


 程なくして、キッチンで家事をしていた母親が、パタパタとスリッパの音をさせながら玄関にやってきた。


「お帰りなさい、竜華りょうか。思ったより早かったのね」


 「うん」と顔を立てに振りながら、私は持っていたスポーツバックを玄関に下ろした。パンパンに荷物で膨れていたその物体は、ドスンッと大きな音を立てる。


 その音を聞いて何故か疲れがどっと出た私は、思わずはぁ~と大きな溜め息を吐きながら閉めていたネクタイを緩めた。


 警察学校の寮からここまで、堅苦しい濃紺の制服で来た私は、肩がいつもより凝っているなぁと感じたのは、何もこの滅茶苦茶に膨らんだ荷物ばかりのせいでは無いかもしれない。


 その姿を母の敦子が見てクスリと笑い、

「疲れてるでしょ?ゆっくり休みなさい。すぐにあっちに戻るんでしょ?」と声をかけてきた。


「うん…あ、ありがと」


 母が私のバックを持ち、先を促すようにリビングの方へ歩いていく姿を、しばしぼんやりと私は目で追った。


 あれ?何だか母さん…様子が変…ていうか、前会った時より痩せてない?


 母の背中がとても寂しく、疲れているように見えた私は、さきほど玄関に入ってきた時に感じた不安を再び感じ始めた。


 その背中に唐突に思い出した疑問をぶつけてみる。


「父さんと兄貴は元気?」


「……」


「母さん?」


 母の背中を追ってリビングに入った私は、黒いソファの窓側…いつも座ってる場所へとどさりと腰を下ろした。


 自分の声が聞こえなかったのかともう一度母に向かい「父さんと兄貴、元気でやってた?」とさっきより

大きな声で、キッチンで私に背中を向けて洗い物をしている母に声をかけた。


 だが、母は何も言わず視線を自分の手元に向け、黙々と食器を洗い続けている。ガチャガチャと食器がぶつかる音と、遠慮なしに流し続けている水音が私達のいる空間に響き渡り、妙な感覚を覚える。


「母さん…もう、私の声聞こえないの?」


 私は痺れを切らして立ち上がり、キッチンの流しに立つ母の元へ歩いていった。


 築15年も経ったこの家は、そんなに広い訳でもなく、まして対面式キッチンやシステムキッチンと言う、最新鋭の小洒落たモノなどある筈も無く。どちらかと言えば”台所”と言ったほうがお似合いなその場所へ私が足を踏み入れ、母の背後に近づいて肩越しに母の顔を覗き込んだ。


 昔の女性にしてみれば背の高い母だったが、私はそれより5センチほど高く、そして周りの女の人より頭一つ分はでかかった。そんな私が屈んで母の顔を覗き込むと、母は睨むように自分の手元を見つめていた。


 しかし、母の手はまったく動いておらず、水道から水ががんがんに垂れ流しにされていた。私は訝しげに眉根を寄せ、母の背後から腕を伸ばし蛇口を閉めた。


 その気配にハッとして振り返った母が、私の顔を見た。

 それは今初めて私がそこにいた事に気づいたような、驚いた表情だった。


「やだ、母さん…どうしたの?そんなびっくりした顔して…て、すごい顔で食器睨んでたよ?」


「う、ん…ごめん。ちょっとぼーっとしちゃって」


「具合悪いの?」


「ううん。違うのよ。本当に大丈夫だから」


「ホントに?」


 私が念を押すように尋ねると、母はこくりと、その年には見えない幼い動作で頭を立てに振った。肩まで伸びた何も染めてない黒髪が、頬のあたりでさらりと揺れる。


「ねぇ、さっきの私の声聞こえなかった?」


「え、何?」


「だから!父さんと兄貴は元気かって聞いたんだけど」


「…父さんは、元気よ」


「そう…で、兄貴は?」


「高志は……」


 母は兄貴の名前をぼそりと呟いた後「うぅ…」と嗚咽を洩らしたと思ったら、片手を口元にあて、その場に泣き崩れてしまった。

 私は突然のその母の行動に驚き慌てふためいた。


「ど、どうしたの母さん!兄貴に何かあったの?」


 母の背中を手であやす様にさすりながら、私は驚愕と不安で鼓動が早くなってきた。

そんな私の動揺を察したのか、すぐに気を取り直した母が涙を右手で拭い、しかし、震える声で言った。



「高志…アメリカに行っちゃったのよ」

「へ?」


私は母が何を言っているのかすぐに理解できなかった。


「アメリカって…あのアメリカ?」

「そうよ」

「あの…飛行機に乗って行く、外国のアメリカ?」

「ええ」

「へぇ…アメリカかぁ。でも、今の時期兄貴仕事休めたの?」


 私は不思議に思いながら首を傾げた。

 兄貴がアメリカに旅行へ行ったぐらいで何故こうも泣き崩れるのか。

 もしかして、自分も付いていきたかったのだろうか?

 私はほっとするのと同時に、そんな母に呆れて、はぁとわざと大きな溜め息を吐いて見せた。


「母さん…もしかして自分も行きたかったの?兄貴、もう28歳だよ?母親となんて旅行に行く年じゃないんじゃない?アメリカだったら私がいつか連れて行ってあげるって!あ、でも研修が終わって晴れて警察官になってからね!」


 そう言って母にニッコリ笑いかけた。

 母は私の笑顔に、今にも泣きそうな笑顔で答える。


「ありがとう、竜華りょうか。あなたは本当にいい娘ね。母さん、嬉しいわ」

「へへ、やだな、母さん。そんなに褒めないでよ、照れるじゃん」


 私は頬を染め、照れ笑いを浮かべながら母に視線を向ければ、母の目元は見る見る内に涙が盛り上がり、今にもあふれ出そうとしていた。


 やだ、私そんなに母さんを感動させた?

 なんて、私が大きな勘違いをしていると、母が溢れ出した涙を指で拭いながら口を開いた。


「高志は旅行でアメリカに行ったんじゃないの」

「ぇえ?」

「高志…今年の頭に警視庁やめてるのよ」

「ぇ、ぇぇぇええっ!?」


 私は母のその突然の言葉に心臓が止まるかと思った。


 兄貴が辞めた?警視庁を?何で?どうして?


「う、うそ…」

「本当なの。でも私たち…私と父さんがその事に気づいたのは、高志が警視庁を辞めて1ヶ月してから。びっくりした私たちは高志に問い詰めたの。どうして辞めたのかって。あんなに昔っから警察官になりたいって言ってた子がどうして…」


その事を思い出したのか、母の眸にはまた涙が盛り上がってきた。


「で、どうして兄貴は辞めちゃったの?」

「あの子…自分のやりたい事をもう一度見つめなおしたいって言って。お友達にアメリカでボディーガードの講師をしている人がいるらしくって、そこにとりあえず行きたいって」

「ボディーガード?」


 私はその言葉を何度か呟き、どこかで聞いた言葉だなぁとぼんやりと思って、ああ、確か昔観た映画のタイトルにそんなのがあったなぁと、やはり霞が掛かった頭でそんなどうでもイイ事を考えてしまった。


 兄貴…何で突然アメリカに…それも、ボディーガード?

 何なのそれ?


 兄貴の優しく端整な顔立ちを思い出し、私はその顔に向って憎まれ口を叩いたが、脳裏に描かれた兄貴は、ただ目を細めて私に笑いかけるだけだった。

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