第38話 種火
運動部の生徒のかけ声と、吹奏楽部の楽器の音色が、校舎内の遠くから響いてくる。心地好い放課後の喧騒の中、適当に暇を潰していた竜斗が教室への道程を歩いていた。
「まずは説明しなきゃ、か」
妖精達の姿がまだ見えておらず、ひとまず竜斗だけでも会わなければならない。そしてそうなれば、話を切り出すのは彼しかいない。
ほぼ他人のような間柄でファンタジーな話を信じてもらうのは、どんな人間であろうと難しいだろう。
「しかも進藤だぜ……? あの進藤だぜ……?」
進藤理奈。まるで感情のないロボットのようで、彼女に苦手意識のないクラスメイトなどいないだろう。
そもそも竜斗には、彼女がスキルホルダーであることすら、竜斗は疑いがあった。
「でもま、やるしかないか……」
心の安寧が保てることを祈りつつ、竜斗はいつの間にか着いていた2-B教室のドアを開けた。
日永になってきた4月の太陽は、夕方だというのに強く眩しい日差しを教室内に注ぎ込んでいた。いつもの騒がしいクラスメイトも部活に行っていたり下校していたりで今はいない。
いるのは、約束通り待ち続けていた理奈のみであった。
「よう。待たせたか?」
「いえ、別に」
自席に座っていた理奈は竜斗の言葉に素っ気なく返す。視線を合わせることもしない理奈に不安が募りつつも、言葉を探しながら口を開いた。
「あー、じゃあ早速本題に入るが……。そういえば、確認なんだけど、昨日進藤の家……火事にならなかったか?」
「ええ」
聞いてはいけないことかと少し躊躇ったが、理奈は顔色一つ変えずに頷いた。
「それが、何?」
辛いことを突かれたというより、問答そのものを面倒くさがるような反応だった。
「え、えーっと、その……災難だったな」
苛立たしげな理奈の態度に思わず目を逸らす竜斗。返答に窮し、下手な慰めの言葉が出る。
暫しの沈黙。理奈の目付きが剣呑なものになる。
「同情なら、私は帰るわ」
「ああいやっ、違う! 違わないけど違うんだ!」
咳払いをして、乱れたペースを取り戻す。
「進藤の家の火事、火元は特定されてるのか?」
「……いいえ。不思議なことに、突然燃え上がったとしか」
原因が不明なのは当然だ。人智を超えた、彼女の特殊能力によるものだからだ。
その答えを持つ竜斗は、余裕たっぷりに告げる。
「俺はその答えを知っている」
「!」
それまで人形の如く無表情であった理奈の顔に、驚きの色が混じった。
「……何故?」
言い逃れを許さない強い口調で問い詰める。
元より明かすつもりの彼は臆することもなく、それどころか芝居掛かった動きで窓枠に近付いていき、太陽の光に目を細める。
「俺が、スキルホルダーだからさ」
儚げに、フッと微笑んだ。
「……は?」
しかし返ってきた声は、これまでで最も冷徹な響きをしていた。
竜斗の気分も一瞬にして冷めきる。
「あっ。いや、だから、俺らはスキルっていう異能力を使う者であって、その……」
「…………」
訝り、全てを凍てつかせんとするかのような眼差しを受け、語尾がどんどん小さくなっていく。
ついに言葉を失ってしまった竜斗に、理奈は微塵ほどあった関心を完全に失う。
「妄想なら一人でして」
理奈は立ち上がった。
おめおめと帰すわけにもいかない。慌ててまともな説明をしようと思考を巡らせる竜斗だったが、考えがまとまらない。先程の雰囲気を崩壊されたショックが大きかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
せめて妖精達がいれば。そう願ったのと同時に、教室のドアがガタッと揺れた。
「どー! ……ん? あれ。ちょっ、これ重……」
「人間用のドアを簡単に開けられるはずないでしょう……」
ガラスの向こうの影2つがもたついている。
「何やってんだあいつ……」
企てていたドッキリは失敗に終わり、ドアはカラカラカラと静かにスライドされた。
「……どーん!」
「やり直したドッキリほど惨めなものはないぞ」
竜斗の突っ込みも意に介さず、フェアルは清々しくやりきった顔で現れた。隣のコルトは溜め息を吐く。
「何、それっ……?」
緩いムードになった一方、理奈は驚愕を露にしていた。
スキルホルダーに目覚めた彼女には、羽を持った小人達がふわふわと浮いているのが視認できる。明らかに非日常な光景を前に、理奈は唖然とした。
そんな様子に新鮮味を感じつつ、竜斗は紹介する。
「女の方はフェアルで、男の方はコルト。この世界に存在している、妖精だ」
「フェアルだよ。よろしくっ!」
「コルトです。よろしくお願いしますね、リナ」
2人がそれぞれフレンドリーに挨拶をする。
「……CG?」
だが理奈はすぐに平静を取り戻し、現実的な見地に立つ。
「失礼なっ! 本物の妖精がちゃ~んとここにいますよ~!」
「まぁ、普通はそう簡単に信じられませんよ」
「俺はすぐに信じたけどな!」
「信じたかった、じゃないの~?」
「うっせ。その通りだよ」
自然な会話をしている様子を見て少し警戒心を解く。だが、
「まさか」
現実と認めるまではできず、理奈は彼らから目を逸らした。
「ま、信じる信じないは後にして、とりあえず話だけでも聞いてくれないかな?」
「かなりの長話になると思うので、覚悟して聞いてくださいね」
妖精2人が、逃がさないとばかりに詰め寄る。
そうして、理奈への長い長い説明は始まった。
「――というわけ。大体は分かったかな?」
「…………」
空の上の方にあった太陽も沈みかけ、教室内がオレンジ色に染まってきた頃。
教室の机に座っていた竜斗達は、理奈にスキルに関する知識をほぼ伝え尽くした。
彼女は初めこそ疑心を抱いていたが、途中から相槌を打ち始め、段々と聞き入る姿勢になっていったのである。
今は黙って顔を伏せ、今までの長い説明を自分なりにまとめていた。
「……そんなことが……?」
「おっ。信じてくれたか?」
ぽつり、といつもの無表情で呟いた理奈。
納得はしていないが理解はしたような様子だった。
「あなたが一瞬で武器を出せば、嫌でも信じてしまうわ」
「それもそうだな」
竜斗はスキルの説明をしている時に、実演した方が分かりやすいだろうとブロードソードをひょいと召喚してみせた。
光の粒子が集まって剣が現れるという超常現象を目の前で見せられてしまえば、特殊能力の存在を認めざるを得なくなってしまうものである。
「さて……。多くの情報を教えたばかりですが、貴方には決断してもらわなくてはなりません」
するとコルトが、緊張した面持ちで理奈の前に浮かんだ。
「先程話したように、私達の敵対組織である反王女派により、早急にスキルを回収しなければ世界中が大混乱に陥ってしまいます」
「リナはスキルを持ってる。その力を使って、人々を救うために戦ってほしいんだ!」
フェアルも懇願する。
だがこの頼みは、常に危険が付き纏うものだ。いつ戦闘になるか分からない上、命を落とす可能性だってある。
普通の女子高生は即断っても何ら不思議ではない。彼女の承諾を得るのは困難を極めるはずだった。
「……スキル……戦う……」
しかし、理奈はすぐに拒否しようとはしなかった。
(……?)
正義感が強いようにも中二病を患っているようにも見えない彼女が、スキルを回収するかどうかで真剣に悩んでいる。
竜斗達は不思議に思いつつも、静かに返事を待った。
教室を夕陽と静寂が満たしていた、その時。
「!」
突然、コルトの表情が険しくなった。
「フェアル」
「うん。これは」
「え、まさか……!」
「……?」
フェアルの雰囲気も同じタイミングで変わり、彼らの反応から、竜斗も何が起こったのか大体は推測できていた。
ただ一人状況が分かっていない理奈に、コルトは短く告げる。
「戦闘系スキルホルダーが出現しました」
「やっぱりかよ! 反王女派か?」
「いや、違うみたい。でも場所が超近いね。学校の裏手だよ」
「マジで!?」
竜斗はすぐさま駆け出し、フェアルも後を追った。
コルトもそれに続いて教室を出ようとしたが、残された理奈の方を振り向いた。
「……間もなく、スキルホルダー同士の戦闘が始まります。貴方の決断の参考にもなると思われますが……どうしますか?」
「…………」
理奈は逡巡する。
(命を懸けて戦う……。私の、力……)
鉄の仮面と揶揄される冷たい表情の裏でも、静かに、だがはっきりと渦巻く感情があった。
「私は――」




