第26話 忍び寄る影
「なんとか間に合ったな……」
買い物袋をぶら下げて、俺は家路に就いていた。あの荷物持ち地獄から解放され、ギリギリ営業時間中だった魚屋で値下げしていた魚介類を買い、やっと商店街から出てきたところだ。
時間に加えてストレスもかかり、もうヘトヘトである。
しかし遅くなったとはいっても、悪いことばかりじゃなかった。閉店間際だったおかげか、魚屋のおっちゃんが商品をさらに安くしてくれたのだ。
昔からの顔見知りで、一人暮らしの俺にすごく優しくしてくれるおっちゃんには、本当に頭が下がる。肉屋のおばさんや八百屋の兄さんも気遣ってくれるし、商店街にいる人達はみんな良い人ばかりだ。
「でも、流石に遅くなりすぎたか」
安く買えたとはいえ、辺りはもう既に暗くなっていた。
フェアルに「私もごはんとか作ってみたいからいろいろと教えて!」とか言われていたけど、もう晩飯の時間だから教える暇はない。また今度だな。
怒っているであろうフェアルの機嫌を少しでも早く直すため、歩く速度を上げた時のことだった。
道の向こうから、宙に浮かぶ小さな影が飛んでくるのが見えた。
暗くなってきたとは言っても、まだ夕方だ。あいつの姿くらい判別できる。
全く。噂をすればなんとやら、である。
俺は周囲に誰もいないことを確認してから、遠くにいるその妖精に声をかけた。
「お~い、遅れてすまん。だがお迎えとは殊勝な心がけだな!」
冗談めかして言ってみた。だが、フェアルは何も言い返さない。
おかしいな。あいつの性格からすれば、そんな訳ないじゃん! って言ってさらに怒りそうなものだが。所詮まだ数日の付き合いだったってことか。
……なんか寂しいなこの言い方。
だが段々近づいてくるフェアルの様子をよく確認してみると、何だか焦っているみたいだった。
「たっ、大変……だよ、リュウトっ!」
「どうした? 1人で料理に挑戦して黒コゲにでもしたか?」
「それどころじゃ、ないのっ!」
「え、おぅ」
遅れたことに怒っているだとか料理に失敗しただとか、そういう類の話ではないらしい。息を切らせて、鬼気迫る形相だ。
「スキルホルダーが……また戦闘系のスキルホルダーが出現したの!」
「はぁ? また?」
俺は呆れてしまった。
戦闘自体は構わない。むしろ大歓迎なのだが、こいつは「下らないスキルの方が多い」と俺を落胆させたのだ。上げて落として上げられても、相手のことは信じられなくなる。
それにこう何度も現れれば、珍しさなんて感じない。正直、今焦っているフェアルが鬱陶しいくらいだ。
「ったく。これなら毎日戦うって言われた方がまだ気は楽だぜ」
ただ、声の弾みは隠せなかった。
どうやら俺は、ファンタジー展開ならばどんなご都合主義も許せる性格らしい。
「……ありえない、こんなに短いスパンで次があるなんて、統計学的にありえない……。コルトのところにはあの子だっているし、スキルの絶対数に加えて戦闘系の割合も多い。しかも、今回なんて──!」
「お、おい、大丈夫か?」
しかしフェアルは、神妙な顔で独り言を漏らしている。何だか危ない雰囲気から呼び戻すと、突然頭を下げてきた。
「厄介なことになってきた。ごめん、リュウト」
「えっ。……ちょ、いきなり謝んなって。怖いわ」
不吉な物言い。
いつもと違う様子に、こっちが狼狽えてしまう。
するとフェアルは剣呑な目付きで、「実は」と話し出した。
「そのスキルホルダーにはね、嫌な波動がくっついてたの」
「? どういうことだ?」
「波動を放つ者――妖精やスキルホルダー達が接触すると、互いに相手の波動がくっついて残るの。人間で言えば指紋みたいなものだね。で、今回の回収対象には、妖精と思われる波動がついてたの」
「スキルを回収してる他の妖精じゃないのか?」
「仲間だったらちゃんと連絡取れるし特定もできるから違う。それに、今回のスキルホルダーも力の制御ができてなくて暴走しそうだった。私達が、そんな人に回収以外の目的で関わるなんてありえない」
そうだよな。接触しておいて回収しないなんて、妖精は自分の仕事をサボることになる。そこにメリットなんてあるはずがない。
でもその波動の持ち主が妖精だってことは分かっている。一体どんな奴がそんな真似を?
すると、フェアルが俺から視線を逸らした。
「……彼・彼女の正体は不明だけど……所属なら、予想がつく」
「え……? お前らは、妖精っていう一つのグループじゃないのか!?」
所属なんていう言い方から考えると、派閥か何かで分かれている様が想像できるが……。
フェアルは口を噤んだ。言いづらいことでもあるのか、逡巡した後、首を振った。
「今はまだ、不確定要素も多すぎる。その妖精の波動は隠蔽効果が施されてるみたいだし、スキルホルダーの波動もそいつに妨害されてて情報が掴めない」
「ジャミング、か」
電力妨害ならぬ波動妨害といったところか。波動の世界でも高度な情報戦が繰り広げられていたとはな。
けど、気になる。
ジャミングをするということは、妨害しなくてはならない敵がいるということだ。
相手がその判断を下しているとなると、それはつまり――
「――その妖精には、敵対の意思がある」
それならば、所属という表現にも説明がつく。
まさか妖精同士で対立関係になるとは想像してもいなかったが、この状況はそうとしか考えられない。
驚きと疑問から、目の前にいる仲間の顔を覗き込む。彼女は目を伏せ、何かを躊躇っているようである。
「……とにかく今は急ごう。会ってみれば、何か分かるかもしれない」
フェアルは早く確かめようと、すぐにスキルホルダーのところへ向かおうとする。
何だか追求から逃れているようで、フェアルに多少の違和感が残りつつも、とりあえずついていくことにする。
でも、何かを忘れているような気が……――!
「……ちょっと待った」
思い出した。とても重要で、言い忘れてはいけないことだ。
ゆっくりと俺に向き直ってこちらを見るフェアルに、俺は静かに右手を持ち上げて、真剣な眼差しで言った。
戦うことと同じくらいに大切で、これからの生活に大きく関わってくるもの──
「──魚、傷むから家に持って帰っていい?」
「~~~っ! 早くれーぞーこにしまってきなさぁ~~いっ!」




