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【3】私がトキビトになったのは

 気がつけばこの世界にいた私。

 日本という国で、女子高生として暮らしていた私は、転移した先のバティスト家でお世話になることになった。

 私の胸には、針が止まった小さめの蓋つき懐中時計がぶら下がっている。

 これは、トキビトがみんな持っているものだ。


 元の世界での私は、失恋したてのほやほやだった。

 私は私を育ててくれた、従兄弟のチサト兄に恋をしていた。

 両親をなくして、引き取られた叔父の家。

 チサト兄だけが、私に構ってくれたのだ。


 恋心は成長するにつれて大きくなったけれど、この気持ちを言うつもりはなかった。

 でも、チサト兄に恋人ができたとわかって、抑えきれなくなった。

 そして私は――気持ちを告げてしまったのだ。


「僕もミサキが好きだよ。でもね、ミサキの好きは僕が欲しい好きじゃないんだ」


 それは『恋』じゃなくて、『依存』で。

 愛情を勘違いしているだけなんだとチサト兄に言われてしまった。


 死んでしまった両親の代わりで、私を引き取ってくれたものの構ってくれなかった叔父さんや叔母さんの代わり。

 兄妹の代わりで、全部が何かの代わり。

 欲しかった愛情の代用品でしかなくて、私が兄に抱いてるのは『恋』ではないのだと否定された。


 幼い頃に一番側にいた異性だったから、魅かれただけ。

 貰った愛情を手放したくないだけで、勘違いしているだけ。

 ひよこが最初に見たものを親だと刷り込まれるようなものだと、チサト兄は言った。

 そんなんじゃないと、否定できない自分がいて。

 チサト兄は悲しげに微笑んでいた。

 

 大学生になるから一人暮らしをする。

 そうチサト兄は言ったけれど、大学は家から近い。

 一人で暮らす必要なんてないはずなのに、春には家を出て行ってしまった。

 明らかに、それは私を避けるための口実だった。


 苦しくて、苦しくて。

 気がついたら、私は公園で泣いていた。


 こんなに辛いのなら、チサト兄のいない世界に行きたいと願った。

 そしたらいつの間にか、怪しい帽子のお兄さんが隣に座っていたのだ。


「君の望む世界に連れて行ってあげよう」

 お兄さんは、懐中時計を差し出してきた。

 それを受け取った私は――気づけば異世界にいたというわけだ。


 秒針の動かない、懐中時計。

 この時計と同じように、私の時も止まっている。

 ここでの私は18歳の時のまま、老いることもなければ、寿命で死ぬこともない。

 それと連動するように、現実世界の私の時も止まっている。

 元の世界に戻れば、何事もなかったかのように、失恋した日から時が動き出す。そのことを、教えられずとも知っていた。


 帰ろうと思えば、帰る方法を探して、元の世界の元の時間に帰れる。

 でも、時は止まっているので、いつまでここにいても問題はない。

 だから私は、この世界に長居しすぎていた。


 帰らなきゃいけない。

 そう、頭ではわかっているのに、優しい逃げ道があるから帰れない。

 帰る方法はあるはずなのに、そもそも探そうとしてない自分がいた。


 私の気持ちは、チサト兄にとって迷惑でしかなかった。

 いい妹分として、これからも側にいるのは辛い。

 かといって、チサト兄が私から離れて、誰かと幸せになるのを祝福できるほど――私は強くない。

 

 そんな気持ちで、やってきた異世界。

 たぶん、私は寂しかった。

 だから、同じように寂しそうなヴィルトが、気になってしかたなかったのだと思う。




「ミサキ、またヴィルト様が脱走したわ! 捕まえに行って!」

「わかりました!」

 気づけば私は、屋敷の人達から、ヴィルト専属の使用人として扱われるようになっていた。


 ヴィルトは勉強をサボっては逃げ出し、私が迎えにくるまで捕まらない。

 一緒でないと、眠ってもくれない。

 手は掛かるけれど、自分にだけ懐いてくれるヴィルトが、私は可愛くてしかなかった。

 

 ヴィルトは私に対して、好きという気持ちを隠さない。

 ありのままをポンと出して見せてくれる。


 それが心地よくて、嬉しくて。

 そんな純粋なヴィルトを、私が守ってあげなきゃと思っていた。


 気づけば、寂しい気持ちを感じることはなくなっていた。

 失恋して死にそうだったのに、ヴィルトに癒されてる自分がいた。

 元の世界に戻るための方法を探そうと思っていたのに、ヴィルトが大人になるまでは見守りたいと、先延ばししていた。

 


 取り返しが付かないことをしたと気づいたのは、ヴィルトが13歳のときだ。

 屋敷の主人であるヴィルトの父が、王都から私と同じトキビトのヤイチさんを連れてきたときのことだ。


 同じトキビトだから、元の世界に戻れる方法を知っているかもしれない。

 故郷が同じ人と話すことで、ミサキも安心するだろうと、バティスト夫妻が気を遣ってくれたのだ。


 ヤイチさんは20代半ばの男の人で、礼儀正しく話しやすそうな男の人だった。

 けれど、私と同じ日本出身のトキビトでも、同じ時代からやってきたわけではないらしい。

 話を聞く分には、明治や大正といった、あの辺りの時代から来たようだ。


「この世界にやってきたということは、あなたも現実で嫌なことがあったのでしょう?」

 ヤイチさんによると、この世界にやってくるトキビトは皆、現実の世界から逃げだしてこちらへやってくるらしい。


 ヤイチさんも私と同じように別の世界を望み、帽子のお兄さんから懐中時計を受け取って、この世界へやってきたようだ。


「現実に戻れば、あなたが逃げてきた時間から時は動き出す。それでもあなたは――帰りたいと願いますか?」

「……帰る方法は、あるんですね」

 問われて、私はすぐに頷くことができなかった。

 帰る方法があることを、残念に思うくらいだったのだ。


「えぇ。簡単です。その時計を飲み込んでしまえばいい。そうすれば、いつでもあなたは家に帰れます」

 ヤイチさんが説明すれば、ドアが勢いよく開いてヴィルトが入ってきた。


「どうしてここにっ!」

 ヴィルトの登場に、私は驚いた。

 私が他のトキビトと会うことを、ヴィルトには内緒にしていた。

 絶対に邪魔をされると分かっていたからだ。

 だから、ヤイチさんがやってくるその日は、バティスト夫妻がヴィルトを小旅行に連れ出していた。


 今まで病弱な長男ばかり構われていたから、両親と一緒に旅行なんて、ヴィルトはしたことがない。

 喜んで出かけていったはずだった。



「やっぱり、ミサキがいないと楽しくないから、一緒に連れていこうと思って戻ってきたんだ。そいつトキビトだよな? ミサキを連れ戻しにきたのか?」

 ヴィルトは、今にもヤイチさんに掴みかかりそうだった。

 焦った私は、ヤイチさんを庇うように立ちふさがる。


「この人は王都からのお客さんで、トキビトなの。それで話を聞いてただけだから」

「元の世界に帰るつもりなら、絶対に許さない」

 ヴィルトの目には激しい怒りがあった。

 私の時計を無理やり奪い取ったかと思うと、走りさってしまう。


「すみません、ヤイチさん! うちのヴィルトが無礼なことを……!」

「いえ、大丈夫です。それよりも早く追いかけた方がいいですよ。あの時計が壊れると、あなたはこの世界から帰れなくなる」

 謝れば、ヤイチさんがそんなことを言ってきた。

 慌ててヴィルトを追いかける。

 辿り着いたその先で、ヴィルトは剣を手に、時計を砕こうとしていた。


「やめてヴィルト! 帰れなくなっちゃう!」

「もうミサキの家はここだろ。ずっと俺の側にいればいい! だから、これは必要ない!」

 力いっぱい突き立てられた剣に、私は目を閉じた。

 もう帰れないんだって思ったら、嬉しいのか悲しいのかわからなかった。


「なんで、なんで壊れないんだよっ!」

 ヴィルトの声に、そっと目を開ける。

 確かに手応えのある音がしたのに、懐中時計は無傷だった。

 何度も何度も、ヴィルトは懐中時計を壊そうと剣をつき立てる。

 その顔は必死で、今にも泣きそうだった。


 やがてヴィルトは剣を下ろし、床に座り込んでしまう。

 ヤイチさんが懐中時計を拾い、私に手渡した。

 その表面には傷一つなかった。


「そう簡単に壊れはしないと知っていましたが、大切にしてくださいね。ここにはあなたの捨てられない時間があるんですから」

 ヤイチさんが優しく私に微笑みかけてくる。

 その後ろでヴィルトが立ち上がり、再び剣を構えていた。


 ヴィルトが何をしようとしているのか、気づくのが遅すぎた。

 あろうことか、ヴィルトはヤイチさんに剣を振り降ろしたのだ。

 しかし、ヤイチさんはヴィルトを見ることもなく、その攻撃を刀の鞘で防いでしまった。


「やめなさい、ヴィルト!」

「いいですよ。相手をしましょう。彼みたいな子は、嫌いじゃありません」


 大人と子供。

 当然2人の力の差は歴然で、ヤイチさんがヴィルトに稽古をつけているような状態だった。

 ヴィルトは敵わないとわかっているのに、何度も向かっていく。


「やめてよ、ヴィルト! ヴィルトが大人になるまでは帰らないから!」

「ミサキが一生帰らないって言ったら、やめる。ずっと俺の側にいるって、約束しろよっ!」

 私が叫べば、すでに体力は尽きているはずなのに、ヴィルトは弾き飛ばされた剣を拾う。


 そんなの、誓えるはずがなかった。

 ――私の中には、まだ迷いがあったから。


「……なんで約束してくれないんだよ。俺じゃ、ミサキがこの世界に残る理由にはなれないのかよ? 元の世界の奴らよりも、ミサキを大切にしてやるのにっ!」

 その言葉が嬉しくて、ヴィルトを愛おしく思う気持ちがこみ上げてくる。

 けれど、私はその気持ちに応えることができなかった。


「それじゃダメなの。私は帰らなきゃいけないから」

「帰らなきゃっていつもミサキはいうよな。それって、帰りたいわけじゃないんだろ!」


 痛いところを付かれた。

 逃げたままじゃダメで、現実と向き合わなくちゃいけない。

 そう思うのに、この居心地のいい世界に居続けたのは、私の意志だった。


「俺は、ミサキが好きだ。今はまだ子供かもしれないけど、大人になってミサキを守るから。寂しい思いもさせない。だから、側にいろよ!」

 ヴィルトの瞳に宿る熱に、心が満たされていく。

 その告白が嬉しいと思う自分がいて、私はヴィルトがいつの間にか、好きになっていたと自覚した。

 

 そして、同時に私は気づいた。

 自分は、ヴィルトを――自分と同じにしてしまったのだと。


 甘やかして、依存させて。

 ヴィルトは昔の私と同じように――『依存』と『恋』を勘違いしてしまっているんじゃないか。

 そんな思いが、むくむくと胸に巣くった。


 そしたら急に怖くなった。

 嬉しかったはずの言葉が、まるでナイフのように突きつけられている気がした。


 今はよくても、ヴィルトが大人になって。

 私への想いが『恋』じゃなくて、『依存』だと気づいてしまったら?

 ヴィルトが離れていくことに――私は耐えられるのだろうか。


「私も、ヴィルトが好き。でも、ヴィルトは愛情を勘違いしてるだけなんだよ。ずっと私が側にいたから、依存を恋と勘違いしてるだけ」

 気づいたら、私はチサト兄と同じ言葉を口にしていた。


「違う……俺はミサキが好きなのに」

 ヴィルトが顔を歪める。

 苦しそうに言葉を吐きながら、疲れ果てたのか倒れてしまった。


「根性のある子じゃないですか。王の騎士に欲しいくらいだ。よほどあなたのことが、好きなんでしょうね」

 そのヤイチさんの言葉は、どこかうらやましそうな響きがあった。



 きっぱりと振ったことでだし、ヴィルトも私を諦めてくれるだろう。

 そう思っていた私だけれど、ヴィルトは逃げ出したかつての私とは違った。


「ミサキ、好きだ。結婚しよう」

 その日から、そんなことを見境なく口にするようになった。


「つまり、ミサキは俺の気持ちが信じきれてないんだろ。なら、わかるまで言うだけだ」

 にっと笑ったヴィルトは、どこまでも前向きで純粋だった。

 後ろ向きで根暗で。

 たった一度気持ちを否定されたくらいで、異世界まで逃げてきた私に、ヴィルトは眩しすぎた。

11/10 少し千里兄が家を出て行った部分の表現を変えました。千里兄は、ミサキより一つ年上の大人びた従兄弟です。

3/13 誤字修正しました。

★7/27 他シリーズとの兼ね合いとヴィルトの誕生日設定による微妙な年齢修正を行ないました。ヤイチと出会った年齢を12歳→13歳に、ミサキから見たヤイチの歳を二十代後半から中盤に変更しています。

★2016/10/2 読みやすいよう、校正しました。

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「男装令嬢は身代わりの兄に恋をする」シリーズ第4弾。ヘタレお兄さん×男装令嬢。
こちらのキャラも登場してるので、よければどうぞ。
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