【2】わがままの理由
ある天気の悪い夜の事。
俺はカミナリが嫌いで眠れなくて、ミサキに本を読んでもらおうと部屋を訪れた。
ミサキの部屋は、両親の計らいで俺の隣だった。
ノックもせずに中に入ったら、ミサキが泣いていた。
「何で泣いてるんだ! もしかしてミサキもカミナリ怖いのか!?」
今思えば、お前と一緒にするなという感じだが、当時の俺にとってミサキが泣いてるというのは、かなり衝撃的な出来事だった。
「違うの。ちょっと寂しくなっただけ……ごめんね、ヴィルト」
俺は勝手に、ミサキは強い女の人なんだと思っていた。
誰も知り合いのいない世界にいて、メイドとして働いていて。
いつだって元気だったから、こんなふうに泣いてるミサキを想像したこともなかった。
たぶんミサキは、人がいないところで時々泣いていたんだろう。
でもそれを誰かに見せられる子じゃなかった。見てはいけないものを見てしまったような心地になって、もやもやとした気分になった。
「寂しいなら俺がずっと一緒にいてやる。だから泣くなら俺のとこで泣け!」
泣くなと言ったら、ミサキは隠れて俺のいないところで泣く。それくらい幼い俺にもわかった。だったらせめて、泣いてるときは俺が側にいてあげたいと思った。
ミサキは目を大きく見開いて、それからまた泣き出した。
やっぱりダメだったかとオロオロした俺の手を、きゅっと掴んできて。
それが側にいていいということのようだったから、抱き枕代わりになってやった。
その日から、俺はミサキと一緒に寝ることにした。
別の部屋にいると、また1人で泣いてるんじゃないかと心配でしかたなかったのだ。
絵本を読んでほしいとか、一緒に寝たいとかわがままを通して、毎日ミサキを部屋に呼んだ。
そのうちミサキが俺のベッドで寝ることがあたりまえになった。
ミサキは寝る前に、元の世界のお話を色々聞かせてくれたけれど、そのうちネタが尽きてきたらしく、ある日絵本を買ってきた。
読んであげるねと言ったくせに、ミサキは文字わあまり読めなかった。
だから、ミサキよりは少しだけ文字の読める俺が、ほとんど読むことになってしまった。
ミサキはこの世界の言葉は喋れても、文字は読めない。
ずっとこの世界で暮らすなら、文字は絶対に読めていた方がいい。
そう俺は思ったけれど、ミサキはいつか帰るつもりでいて、あまり文字を覚えるのに積極的じゃなかった。
だから俺は、ミサキに文字を覚える理由を作ってやることにした。
文字も読めないミサキに、勉強しろなんて言われたくない。一緒にやってくれたら、ちゃんと勉強する。
そんなことを言って、ミサキを俺の勉強に巻き込んだ。
ミサキは頭がいいというよりも、俺に教えられるようにならなきゃと思っていたのか、かなり飲み込みが早かった。
すぐに俺に追いついて、勉強を教えてくれるようにもなった。
ミサキが一緒なら、俺は勉強を真面目に受けた。
それもあって、ミサキもこれが最善の方法なんだと思ってくれたようだった。
――どんどんこの世界の事を覚えて、馴染んでいけばいい。
そんなふうに、俺は思っていた。
最初から、ミサキを元の世界に帰す気なんてなかった。
臆病なミサキが俺から逃げ出さないうちに、早く大人になりたいと願うようになった。
ずっとここにいると、俺の側にいるとミサキが言ってくれれば、安心できる。
なのに、ミサキはその一言を絶対に言ってはくれなかった。
いつかは帰らなきゃいけない。
それはミサキの口癖だった。
帰りたくないくせに、そうやって口にする。
元の世界には待ってる家族がいると、ミサキは言う。両親は亡くなって、ミサキは親戚の家で暮らしているのだと聞いてきた。
その話をするとき、ミサキは思いつめたような顔をする。
俺はそれが気に食わなかった。
ミサキはいつも胸から懐中時計を下げていて、これはトキビトである証なのだという。
これがなくなれば、ミサキはトキビトじゃなくなって、元の世界に帰れなくなるんじゃないか。
そう考えて、何度か時計を隠したけれど、ミサキはすぐに見つけてしまった。
そんなことを繰り返していたある日、珍しく両親と一緒に遠出できることになった。
成長と共に兄の体調がよくなってきたので、たまには俺に構おうと思ったらしい。
嬉しくて、当然のようにミサキも誘えば、私は行かないと断られてしまった。
「こういうのは家族水入らずが一番なの。お父さんもお母さんがいるうちに、甘えておきなさい」
元の世界のミサキの両親は、早くに亡くなっていると聞かされていたので、そう言われてしまったらそれ以上のわがままは言えなかった。
でも、ミサキがいないとやっぱりつまらなくて。
馬車を引き返してミサキも連れていこうと、両親に提案した。
まだそんなに屋敷との距離は離れてなかったし、両親もミサキの事を気に入っている。
俺のわがままに、そもそも両親は反対しない。
なのに、今日に限って2人とも渋った。
「今日はヴィルトだけに構いたいなって、お母さん思ってるの」
「そうそう。それにミサキちゃんは用事があるようだったし、これないんじゃないかな?」
母さんも父さんも何だか必死で、妙に引っかかった。
「俺ミサキから用事があるなんて聞いてないけど。何の用事?」
その問いに、母さんが父さんをたしなめるような目で見た。
嫌な予感がして屋敷に戻れば、ミサキが男と話していた。
真っ黒な髪をした、20代半ばのトキビト。
ヤイチさんの第一印象は、はっきり言って最悪の一言に尽きる。
今では俺の師匠のようなものだけれど、食えない人であることに変わりはない。
ヤイチさんは、ミサキに元の世界へ帰る方法を教えていた。
ミサキが帰りたくて、こいつを屋敷に呼んだんだと思った。
頭に血が昇って、ミサキの時計を奪って壊そうとしたけれど、剣でも叩ききることはできなかった。
後で聞いたら、あれはミサキの心と連動していたらしい。
もしあの時壊してしまっていたらと考えると恐しくなる。
結局俺は、ミサキの前でヤイチさんに叩きのめされた。
好きという言葉さえ、それは『恋』じゃなくて『依存』だとミサキに否定された。
――悔しくて、悔しくてしかたなかった。
負けたこともそうだけど、何よりミサキに気持ちが伝わらないのが苦しかった。けどこのままミサキを諦めるなんて、絶対にできなくて。
なら、ミサキが俺の気持ちをわかるまで、好きだと言い続けてやると決めた。
それからすぐに、ミサキに指輪をプレゼントした。
ミサキのやってきたラグナの日には、湖に特別な花が咲く。
俺はそれを知っていて、指輪を渡すならラグナの日にこの場所でと、ずっと考えていた。
しかし結局は受け取ってもらえなくて、正直かなりへこんだ。
それでも諦めずに求婚し続けて、15歳になったある日、ミサキは王の騎士になったら結婚してくれると約束してくれた。
やっと気持ちが通じた。
絶対に王の騎士になって帰ってくる。
そう誓って、俺は故郷を旅立った。
★7/27 他シリーズとの兼ね合いによる微妙な年齢修正を行ないました。ミサキから見たヤイチの歳を二十代後半から中盤に変更しています。ヴィルトが指輪をあげた時期を少し早めました。
★2016/10/2 読みやすいよう、校正しました。